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BREAKER  作者:
序章
1/47

第一話 夢

 1990年以降、壊れた世界があった。

 特殊体質者のない世界を、今では誰も全く想像もできない。

 それでも、僕はそう産まれてこなかった未来を思うことがある。

 平凡の中に眠りこける幸福の中で、平凡に眠りこける軽薄な妄想をしていた。


 こんな翼は、要らなかった。

 少年は、自分の背中にある鴉のような不吉な黒い翼が嫌いだった。

 普通の人と同じ衣服を着ることも、自分が他人と違う現実から目を背けることもできない。

 空を飛べることを褒められることもあるが、しかし、人間社会では空を飛べる翼よりも、他人と同じことの方がずっと役に立つ。


 そんな、ご立派な黒翼はどれだけ縮こまっていても、窮屈な室内では邪魔でしかない。 

 だから、多少広く作られた学校の廊下でも、人にぶつかってしまうこともある。あるいは、ぶつかられることも。

 もう少しばかり高校の廊下が広く設計されていればよかったが、建築時期が基準が明確に変更される前だからかそうはなっていなかった。


 問題はその日ぶつかった相手がよりにもよって、恐ろしい上級生だったことだ。

 それが、事の発端だった。


「お前、新入生だな」


 二メートル近い、見上げるような人影が蠢く。遥か頭上から、少年を見下ろすのは恐竜じみた爬虫類特有の瞳。

 その持ち主は、まるで人間にはみえない異形の大男だ。

 そして、異形なのは瞳だけではない。皮膚の代わりに鱗がびっしりと並び、手には鋭い爪が携えられ、長く太い尾も引いている。

 まるで、二足歩行する恐竜のような様相だ。彼は恐竜映画のように叫び声を上げない。代わりに牙をわずかに覗かせながら、どすの効いた低い声で流暢な日本語で哀れな犠牲者を脅す。


「っ……ご、ごめんなさい!」


 少年は一歩後退りながら、謝罪の言葉を重ねる。

 しかし、相手は少年が一歩退けば同じように一歩近寄ってくる。その瞳に射抜かれて、身を竦めない生徒が他にいるだろうか?

 一念発起してヒーローになるのも悪くないが、なんにせよ相手が悪かった。

 

「謝るだけなら、猿でもできるが……いいや、鳥か。邪魔な翼だな。切ってやろうか?この翼が悪いんだろ?」


 蜥蜴の上級生は手をぐっと伸ばせば、後退る少年の翼のへりを掴む。

 そうして蜥蜴が爪を食い込ませながら握りしめれば、少年の悲鳴にも似た声が響く。


「いっ……」


 少年が助けを求めて周りを見渡せば、朝に挨拶したことのある生徒と目が合う。だが、彼はすぐに目を逸らして去ってしまった。

 すぐ近くを通る級友も、すぐ背後を通りすがる上級生も、気配という気配は足早に去っていき、代わりにひそひそとした話し声だけが残響する。


「……っ……そんな」


 ここは、古斗野高校ヒーロー科。

 少年も、周りで眺めている生徒も、無視して足早に立ち去る生徒も、目の前の蜥蜴も皆、そうだ。

 彼らが夢中で目を逸らす先、携帯端末の背面にオシャレに描かれた有名ヒーローだけが、彼を見つめる。

 ヒーローは自信満々の表情で、コミック風の吹き出しには「fight!」と叫んでいる、そしてそれもすぐに視界の外に行ってしまう。


「誠意って言葉を知ってるか?」


 ドンッという衝撃が、少年を襲う。それは彼の肩を、爬虫類の拳が撃った衝撃だ。

 壁に軽く叩きつけられながら、鈍い痛みに呻き声をあげるが、しかし彼は翼を掴まれたために逃げられそうにもなかった。


「い、嫌だ……」


 少年は歯を食いしばって、耐え忍ぶようにそう言った。


「嫌だと?この野郎」


 横暴な蜥蜴は確信的に嫌味な笑みすら浮かべて、掴んだ部分を捻った。

 じわじわと神経をキツく圧迫するような苦痛に声をあげた。


「っ、ごめんなさ──」


 その時だった。


「失礼ッ」


 知らない声が響く。

 その時走ったのは新たな痛みではない。衝撃だ

 少年にまで伝わるそれは、しかし蜥蜴上級生が受けたものである。

 そして、目の前にいた立ちはだかる巨木のような蜥蜴は黒翼から手を離して、廊下の向こう側で転がっていた。


「!?」


 少年は、何が起こったのか一瞬理解できないまま振り向いた。


 そこに立つのは一つの人影。

 そのシルエットを見て初めに感じたのは、華奢だということか。

 次に感じるのはそれだけでは性別の判別しにくいような、控えめに言って整った容姿とあまりに特徴的な色彩だろう。

 彼の頭よりも低い所にある頭はほんのり桃色がかった白髪が、ふわふわとした緩やかなウェーブを纏い、まるで星を散りばめたような極彩色の瞳は満開に咲き誇る桜のように見開かれる。

 そうして、彼はまっすぐに地面に転がる蜥蜴上級生を見下ろすように捉えていた。


「ふん」


 彼の傲岸不遜にすら見えるほど強気に鼻をならす姿は、妖しげにすら見えた。


 一瞬、誰しもが理解できなかったし、少年もこれには苦戦した。

 そして、それとは無関係に乱入者はズボンのポケットに片手を突っ込みもう片手をぶらぶらと振って、蜥蜴と少年の間にズカズカと立ちはだかる。

 まるで公園で転がってきたボールを蹴り返してやったかのように、当然に彼は蜥蜴上級生を蹴ったのだ。


「ッ……んだこの野郎」


 上級生は思わず翼を手放して、地面に転げていた。そして、それもつかの間、すぐに立ち上がりながら、振り向いた。

 そうして、恐らくは似たようなことを理解したはずだ。


「西田……西山?えっと……どっちだっけ、あんた」


 乱入者は、目を細めて穏やかに問う。


「なんだ、てめえは」


 今にも襲い掛かりそうだったが、西田(あるいは西山)もこの奇妙な闖入者に混乱しているようだった。

 この上級生は、何度か停学にもなっている有名な問題児だ。それでいて、よくある新人潰しを率先して行う──腕っぷしがいいので、邪魔もされない──男だ。

 しかし、知ってか知らずか、そんな問題児を相手にこんなことをやらかそうというこの乱入者は、ハッキリ言って只者と考え難い。


「殺すぞ」


「なら模擬戦だな、いい制度さ。死んでも事故だ。腕で来いよ」


 息巻いてにじり寄る蜥蜴上級生と、それに一切怯まず言い返す乱入者。


 このあまりに突飛な事の運びに、少年は当事者であるはずがポカンと乱入者と蜥蜴の二人を見ていたし、実際、蜥蜴には目の前の異常者しか見えていなかった。

 そして、いつの間にか目を逸らして立ち去っていたはずの周囲の生徒たちも立ち止まり、遠巻きにこの二人を鑑賞していた。


「模擬戦だと?」


 蜥蜴上級生が怯む。

 『模擬戦』その単語を聞いて、少年は啞然とし、冷たい視線を送っていた外野たちがわずかにどよめいた。

 その正式な名称は、模擬戦闘訓練。一定のルール内で可能な、簡単に言えば極限まで戦闘に近い()()()()()をやる。経験せずに卒業する生徒だっている。


 そんなことはどうだっていい。

 彼は学校で正々堂々と、殺し合いを提案したのだ。


「お前、どこの誰だ。とことんいじめてやるからな」


「聞かなきゃわからないのかトカゲ頭」


 蜥蜴上級生が脅し返すが、乱入者は飄々と受け流す。


「一年坊主、お前本気で死にたいんだな。可哀想にな、もう学校来れなくなんだから」


 あまりに突飛で異常な行動をとる人間を前に、本当に異常だろうという方にかけられる人間は少ない。

 蜥蜴上級生は彼の行いを蛮勇と値踏みしたのだろう。


「俺と戦れ」


 しかし、彼いくら脅されても様子を変えず、笑いもしない。

 ただ淡々と語る。


「殺してやるからな」


「だから、早くやれよ」


 もし、これがハッタリを言って場を収めようというのならそれは逆効果だ。

 哀れな犠牲者が増えただけか、無謀な人間を見てほら言わんこっちゃないとでもいうように、周囲の視線はどこか冷ややかで他人事だった。こんな状況になっても彼ら下級生を助けにくる人間はおらず、見ないふりをするか、遠巻きに眺めているだけである。

 それどころか、ひそひそとやるべき「やば」なんて呑気な話し声がこちらにまで聞こえ、「fight!」と笑うヒーローで着飾った端末からパシャなんてシャッター音すら鳴る。


「……!」


 恐らく、気付いたのは少年だけだろう。背後かつ間近であるのは、少年だけだ。

 乱入者のポケットの中から僅かに覗く手はジェスチャーを形つくり、いざという時に備えている。

 彼の能力によるが、それは実に有効だ。


「その爪飾りか?来いよ、西田」


 いいや、それは備えと呼ぶには立ち回りは些か攻撃的な──。


「調子乗りやがって!」


 西田が、激昂した。

 人の心を折るには有利な、誰も助けてくれない状況である白昼堂々とした犯行が、ここでは仇となった。


 西田は、下級生の挑戦を受けるか否かの選択肢のない選択を突きつけられているに等しい。

 乱入者の言動は不気味に違いないが、何より衆人環視の場で真正面からこうして挑まれて、泣く子も黙る喧嘩番長が文字通り()()()()()()()()()のは、顔が丸つぶれどころの話ではない。


 戦り合う以外にないのだ。それが今か、後かはさておき。


「試す価値もねえ」


 上級生は、我慢できなくなったのか爬虫類の牙を剥き出しにして飛びかかった。

 流石に強靭な体を持ってるだけあって、猛獣よりも俊敏だ。無防備なままに襲われたら、ひとたまりもない。


「危ない!」


 黒翼の少年が叫ぶ。

 しかし、それより一瞬早く、闖入者は体を捻りながらピストルに似せたガンフィンガーにした手を抜いた。

 まるで、ガンマンの早撃ちのように。

 

 刹那、彼の指先から閃光が瞬いた。

 淡く煌めく閃光が放たれ、西田の顔面に衝突する。

 その瞬間、それ以上の輝きと共にドッという爆発じみた衝撃が、床や壁すら伝って響き、廊下の埃が衝撃波で舞い窓が揺れた。

 吹っ飛んだ西田が、やじ馬たちのいるところに交通事故じみた勢いで飛び込めば、やじ馬の「ギャー」なんて声が聞こえてくる。


 交通事故による被害か、二人の足元に誰かの携帯端末が吹っ飛んできていた。


 少年がふと視線を向けるとそれはバキバキに割れてしまっていて、描かれた「fight!」と笑うヒーローが辛うじて視認できる程度だ。

 その上に、乱入者の足が覆いかぶさる。


 彼の足先がチカチカと煌めきながら、念入りに踏み躙れば、端末がバリバリバリと悲鳴を上げる。

 再び彼が足を持ち上げた時、もはやそれは機能を残していなかったが、ガンマンはそんなもの一瞥もしなかった。


「ハッ……」


 闖入者はフーッと息を吐いて、手を下ろす。

 極彩色の瞳が、平静に群衆の彼方を睨みつける。

 早撃ちの姿はさながら、クリント・イーストウッド。そう例えるには些か以上に背が低くあまりに可愛らしい顔つきだ。

 それでも、その時ばかりは、彼の姿は、フィルムの中から無実の少年を救いに現れたカウボーイだと言われても少年はきっと信じたろう。


「っ……」


 一方で現場は、阿鼻叫喚だった。

 

 皆が唖然とした表情で、吹き飛んだ蜥蜴上級生や闖入者の姿を眺めながら、なんだかんだと騒ぎ立てていた。

 交通事故を起こした連中は、ギャアギャアと何か喚いているが、しかし肝心のガンマンの元に抗議に来る人間は誰一人いなかった。

 むしろ、一層彼らは二人から距離を取るか、ただ茫然としていた。


 ただ、少年は闖入者の小さな背中から目を離せなかった。

 この小さなカウボーイは、相手の激昂を誘い、そして、それを待ち構えた。

 その一部始終を目撃したのだから。


「す、すごい……」


 少年は呟いた。自分を助ける為に危険を冒しただけではない。

 誰しもが来ないところに、彼は颯爽と現れて頭と実力を使って華麗にやっつけてしまった。

 その手段もまた、思いつくような出来の頭があればまずやろうと思わないことを度胸で押しのけてしまったのだ。 


 だが、一番の疑問は──。


「なにボーッとしてんだ!逃げるぞ!」


「わ、わかったよ……!」


 彼は、黒翼の少年の手を引いて、走り出した。

 少年が走りながら背後を振り返ると、大蜥蜴が呻き声をあげながら立ち上がっていた。

 それを見越しての逃げの手だろう。


 やじ馬を蹴散らすようにかき分けて、二人で階段を駆け上がる。


「お前、飛べるか?」


 最上階にまで走れば、彼が声を張り上げた。


「う、うん!」


 少年が答えた。

 すると、彼は廊下の窓を開け放ってためらいなく飛び出した、チカチカとした閃光と共に勢いよく飛び上がれば、彼は落下防止フェンスを軽々と乗り越えて屋上に逃げ込んだ。

 普段は校則を破ろうなどと考えない少年だが、この時ばかりは空を翔んで屋上に一緒に侵入した。


 屋上は、良くも悪くも大したものはなかった。落下防止フェンスで囲まれた、平面のコンクリートにすぎない。


「ハアッー……ハアッー…………クソッ、職員室行きだなこりゃ……………」


 カウボーイは大きなため息を吐いて、一人ごちった。

 疲れているのか、緊張ゆえか、息は荒い。

 ピンクがかった髪をくしゃくしゃと掻くそんな様子には、先ほどのポーカーフェイスは見る陰もなかった。


「だ、大丈夫……?」


 助けられた黒翼の少年が、恐る恐る尋ねる。


「あー……お前こそ、ここまで着いてきて平気?いや、それより怪我とか、大丈夫か?……その、翼とかさ」


 連れてきておいて聞く辺り、それなりに焦ってもいたのだろう。

 自分に無い部位の痛みやダメージは想像できないものだからか、その心配は実際のダメージよりも些か過剰だ。


「ううん、平気だよ。怪我なんかはないから……」


 黒翼の少年は翼を撫でればそういった。実際、大きな怪我はない。

 しかし、それからも少年は自分でさすってその痛みを誤魔化していた。


「あっ、あの、ありがとう!助けてくれて……」


 少年は言い忘れていたと、慌ててヒーローに礼を言った。


「んなのいい。それよりお前も無事でよかった。けど、まあ、受け取っとくぜ」


 彼は構わないと肩を竦めれば、にっこりと笑った。

 構わないなんて言っていたが、きらびやかな極彩色の瞳が陽光に反射するさまはどこか誇らしげだ。


「あー、次の時間、英語だろ?俺はサボるけどお前はどうする」


 彼は落下防止フェンスに寄りかかりながら、少年に問いかけた。

 この学校の多くの生徒は真面目な態度で授業を受けている。それ以外ではともかく、そこは間違いない。

 あの西田のような根っからの不良というのは絶滅危惧種で、サボりというのは死語である。


「……じゃあ僕も、君がここにいるなら」


 少しの間をおいて黒翼の少年は答えた。

 彼もまたその()()()()()に見えなくもないが、しかしそれはあまりに踏み込んだ考えだろう。

 人は肩書きやイメージよりも実際の行動でこそ評価すべきだ。

 今の所、彼よりもヒーロー科にふさわしい男に少年は出会っていないのだから。


「ねえ。もしかして、あの先輩に襲われるってわかってて……?」


 少年は、カウボーイに作戦を聞いた。

 そうすると、カウボーイはあくび混じりに、先ほどの対戦の解説を始める。


「まあ、待ってた。模擬戦もアレじゃあ流石に許可降りないだろ」


 あんな経緯で行われる模擬戦闘訓練の申請書類に判を押したい教師がこの世にいるだろうか?

 その結果、事故死なんて出たら問題外だ。


「あいつがどんなに速くても最悪相打ち。それに向こうも、そろそろ退学喰らうだろ。基本有利で最悪でも五分。まあ、勝てたしな」


 仮に五分でも悪くない。

 身を呈する前提であっても、一を取らせて一を取れるのならば、合理的には一理はある。だが、言うは易く行うは難い。


「……すごいなあ。僕は自分で自分の身も守れなかったのに……けど……なんで僕を助けてくれたの……?」


 黒翼の少年は一番の疑問を投げかけた。

 確かに、助けてくれたクラスメイトと少年とは互いに名前を知らなくてもおかしくないほどの関係だ、ほとんど話したこともない。

 彼に少年を助ける義理や理由などはなかった。


「言ったろ、悪くない賭けだって……それと武者修行とか、あとはなんかアレだよ。あのまま見て見ぬ振りしたら……負ける気がした」


 助けた理由を語る時は流石に真面目だった。

 だが、容姿ゆえのミステリアスなどこか近寄りがたい印象と違い、これまでの受け答えはざっくらばんとしていて、少年が思うよりもこのクラスメイトのカウボーイは遥かに話しやすい人物だった。


「負け……あの人に?」


 少年が問いかける。


「まあー……後悔するかなって」


 彼は、ぽつりと溢した。


「でも、俺はすごくもなんともないぜ、見たろ。能力に恵まれた。……結局、世の中物を言うのは力さ」


 カウボーイは、首を横に振る。

 

「けど、五分なのに助けてくれたじゃないか。君は……すごいよ」


 周りの動けなかった生徒も、必ずしも全員が全員悪人だからわざと見て見ぬ振りした訳ではない。

 痛い目には会いたくない、怖いと感じると足が竦んで前に踏み出せない、面倒事は避けたい、そんな生徒もいたはずだ。

 そして、だから自己責任だと言ってみる、みんな弱いのだ。当然だ。

 弱いから自分の身を優先する。だが、それは必ずしも非難されることなのか。一概には言えない。


 しかし、彼は違った。そういう次元にいなかった。

 少なくとも、少年はそう感じた。

 『勝ち目のある五分の勝負』──だが、勝つ保証があるわけではない。

 例え、不利じゃなくても、そう信じていたとしても、戦うことは怖いことだ。

 

「……有り難く受け取っとくよ。ヒーローやるかはわかんねえけど、案外向いてるかもなア」


 彼は、少年の気などつゆほども知らず、しかし、満更でもなさそうに応じた。


「そうなんだ……けど、いいよ。絶対」


 いかにもヒーロー的に立ち回った彼を見て、意外そうに少年は言った。

 それを横目に、彼は日陰に行って寝そべった。


「暑いだろ、日陰涼しいぜ。丁度、隣も空いてる」


 立ったままの少年に、彼は冗談混じりに日陰に来るよう促した。

 礼を言いながら、少年はそんな彼の隣に座って、「ありがとう」とこぼす。


 授業開始のチャイムが鳴るが、しかし二人はそのまま過ごしていた。

 とは言っても何かするわけではない。二人、ぼんやりと空を見上げていた。

 天気は快晴で、一面青空の昼寝日和だった。少年は黒翼を労わりながら伸びをして、彼は寝転んだまま目を瞑る。

 少し暑い昼下がり、日陰で風に当たると心地よかった。


「お前は、ヒーロー目指してるのか?」


 カウボーイは起きて、座りながら聞いた。


「うん!僕の……夢なんだ」


 少年は、少々恥ずかしそうに答えた。


「いいじゃん、立派な夢あって……やっぱり、好きなヒーローとかなりたい目標みたいなのがあるからとか?」


 彼は、どこか羨ましげに肯定した。


「えーと……グレートファルコン、好きなんだ」


 少し恥ずかし気に答えながらも、少年は安堵した。

 こんな自分がヒーローだなんて笑われないか、脳裏に過ぎる一抹の不安が杞憂に終わったからだ。


「はは、なんか安直。でも、そうか。いい翼あるし……翔べるもんな、お前」


 彼のからりとした晴天のような笑い声が響く。

 屋上を吹き抜ける風のように穏やかな表情で、どこか羨ましそうに少年の黒翼を見た。


「うん、飛ぶのはとても気持ち良いよ。あんまり、好き勝手には飛べないけどね」


 少年はその翼を褒められて、気をよくしたのか嬉しそうに答えた。。

クラスメイトの彼には、世辞などではない本音だと感じさせる無邪気な純朴さがあった。


「ヒーローになれば、多少自由に飛べるさ。飛べば、もっと様になるだろうな」


───────────────────────────────────────────────────────


 しばらく、二人は空を眺めてながら、他愛ない会話を続けた。

 とても静かな世間話だった。

 一年生の一学期と言えど、その日常は教室で授業を受けて、訓練や部活など諸活動に励んで帰る日々の繰り返しの一つに違いない。

 この多額の税によって聳え立つ校舎は、圧倒的に完璧に、隙など全く見つからない現実そのものだ。

 だが、この屋上には確かに非現実が存在した。


 時折、頬を撫でる風と、互いの穏やかな息遣いだけが、これが現実であるのだと思い出させる。


 ふと、彼が口を開く。


「……俺の能力は、強い。けど、使うには色々失うっていうか、そういう能力っつーのかなア……出力が高いと、負担も大きくて」


 遠く空を眺めたまま、彼は言葉をこぼす。


「……えっ……じゃあ、さっきの……大丈夫なの……?」


 その言葉を聞いて少年がぎょっと驚いた。

 黒い瞳で、その極彩色の瞳をじっと心配そうに見つめた。


「いや、あれならほとんど使ってないようなもんだし平気。けど、本領発揮は、怖いかな」


 そうして彼は小さく笑った。彼が秘密を明かす理由が、少年にはわからなかった。

 だが、その瞳が真剣だった。


「……」


 その極彩色の瞳が、変わった色だと少年も思っていた。

 だが、こうしてみるとその瞳は──派手な極彩色で、多くのものを吸い込んできたように見える。

 その瞳は、どこか寂しそうな色をしていた。


「……なんか、悪い。変なこと言って。ああ、今の秘密で頼む。なんなら、忘れてくれ。冗談ってことでさ」


 黙り込んで見つめてくる少年に、気を遣わせたかと彼は慌てて訂正した。


 黒翼を微かに震わせて、立ち上がる。

 そして、少年は口を開いた。


「……君、ウォートルス事務所って知ってる?」


「えっと、確かー……大手だっけ?」


 意味のわかっているようなわかっていないとうな具合で、彼は聞き返した。


「そう、グレートファルコンのいる異形のチーム。業界二番手のグレートチームや……業界ナンバーワンヒーロー、ホワイトワンとホワイトワン率いるカラーズ……」


「僕の夢は──……」


 少年は、少しだけ大きく息を吸った。意を決して振り返り、クラスメイトの彼を見つめる。

 少年はその鼓動が早くなるのを感じた。


「一番のヒーローになることなんだ」


 少年は穏やかに語った。


「……一番のチームを作って、一番のヒーローになる。その為に、僕はウォートルス事務所に行く」


「……」


 陽光を背に語る少年を、彼は決して笑ったりしなかった。

 彼は、少年の言葉に呆然とした様子で見ていた。

 そんな夢に身の丈の合う者などきっとこの世界にいない。これは野望と呼ぶべきものである。



 彼は、くらくらとするような目眩すら覚え、急に今この瞬間の現実感を失っていた。

 しかし、その姿から目を離せないようで、じっと見つめていた。

 神妙な、何か奇妙なものを見ているような目だ、しかし奇異の目ではなく、嘲りの色はない。 

 同じ歳の不良に絡まれ縮こまっていた、内気そうな少年が、遥か大きい夢を本気で胸に秘めていたという事実を、極彩色の瞳が捉えていた。


「……これで、おあいこ。二人の秘密だね」


 少年がはにかみながらも、笑顔で言った。


「俺は……いや、そうだな。二人の秘密だ」


 何か言いかけて、彼は頷いた。


「……あっ…君の名前!ねえ、下の名前はわかるんだけど、苗字が読み方わかんなくて……名前は……?」


「……詠航(よみわたり)、けど長えから下の名前で呼びゃいい。お前こそ、名前なんだっけ」


「僕は、羽黒レイ。わかったよ!よろしくね、マコトくん」


「はは、マコトでいいぜ」


「じゃあ……よろしく、マコト!」


「ああ、よろしくな。レイ」



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