トマトジュース
読んで下さったら嬉しいです。トマトジュース大好きです。
「行ってきまーす」
ママに元気よく言った。玄関で靴ひもを軽く整えスニーカーを履き、勢いよくガラス戸を閉めた。家の中からなんか不機嫌な声が聞こえたような気がするけど、お構いなしだ。
家が学校に近過ぎるから油断してついつい寝坊してしまう。今日も急がないと遅刻する。私は慌てて走り出す、電信柱三本通り過ぎて、一つ目の角を右に曲がると横断歩道がある。勢い余って転びそうになった。ちょうど信号待ちをしている一成君がいる。
一成君は私と目が合うと、
「おはよう」
と挨拶してくれた。
「おはよう!」
そそっかしい自分を隠すため大げさに明るく挨拶した。
「米田は今日も元気だな」
少し笑って一成君は言った。私は彼の影を見ながら、
「急がないと。一成君がこんな時間に登校しているのは珍しいね」
と返事をした。
「急いでも信号が変わるまで進めないよ」
「まあね」
「信号変わったよ。さぁ行こう、教室まで競争だ」
「うん!」
気持ちがなんだか浮き立つ。なんだか嬉しい。なんだろうなぁ。
******
教室に着くと同時に予鈴がなった。なんとか間に合った。ホッとしながら着席する。一成君を見ると、男子の友達に囲まれて愉快そうな顔をして、昨日のサッカーの試合結果についてあーだこーだ言っている。
私の席の周りには話に来る女子も男子もいない。仲間外れにされているわけではないと思う。ただ、クラスに馴染めていないだけだ。
先生が教室に入って来て、朝の会を始める。学級委員の一成君が号令をかける。
「起立、礼、着席」
声が低めで心地いい。
先生が今日の予定を説明する。いつも通りの退屈な一日が始まった。
隣の男子が教科書を忘れたみたいだ。私は小さな声で、
「一緒に見ようよ」
と声をかけた。彼は不思議な顔をしたけれど、
「ありがとう」
とぼそっと言ってくれた。それだけのことが嬉しかった。
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「ママただいまー」
ランドセルを玄関で下ろしながら、ニコッとして話しかける。
「あかり、おかえり。学校はどう? クラスの子とはうまくやれてるの?」
「嫌われてはないみたい。大丈夫だよ」
居心地の悪さを感じながらもママの質問に答える。
「あかりが元気ならいいじゃないか。そんなに心配せんでもいいと思うがの」
君枝ばあちゃんが、助け船を出してくれた。君枝ばあちゃんは、ママのママだ。
ママはパパが死んでしまってから、五年間パパが残したマンションで私を育ててくれた。都会暮らしに私もママも慣れていた。
おしゃれで、綺麗なママは私の憧れで自慢だった。でも五年生になった春、突然マンションを売って君枝おばあちゃんと一緒に一戸建てに住むことになった。
ママは私が転入先の公立小学校で上手くやれているかが心配らしかった。なぜかというと、前に通っていた私立の小学校では友達が出来なくてよく担任の先生に注意されていたからだ。
先生曰く、協調性というものが私には足りないらしかった。性格は周りの子と比べて悪くなかったと思うんだけどなぁ。
だって、前の学校では挨拶しても返してもらえなかったし。それに忘れ物したら笑われることはあっても、貸してくれる人なんていなかった。それが、私にとってのクラスの日常だった。
正直新しい学校でも、仲のいい友達は出来ていない。楽しいと感じることはほとんどないけど、挨拶は返してもらえる。それにクラスメートが仲良くしているのを見るのは好きだ。
******
「おはよう、米田さん」
学級委員の桐谷さんが挨拶してきた。自分から挨拶することはあっても、彼女から声をかけてくることはなかったのでびっくりした。
「おはようです、桐谷さん」
思わず変な言葉づかいになる。
「米田さん、いつも予鈴が鳴る寸前ギリギリに登校してきますよね。あれなんでですか?」
彼女は几帳面だから気になるのかなと考えた私は正直に答えた。
「家が学校に近過ぎて油断して寝坊してばかりなんだ。気分を悪くしちゃったかなぁ?」
ずるっと桐谷さんの足元が滑った。あれあれいつもクールな彼女には珍しい姿だな。
「米田さん、意外とのんびりした人なんですね」
メガネのツルを片手で上げながら桐谷さんは笑った。
「意外かな~。私はぼやーとしててマイペースな方だと思うなぁ」
「実はね、私たち女子は都会の私立の学校から転入生がやって来るって言われて構えてたんだ。だから様子をみてました」
「えーそうだったんだ。そんな構えるような大した子供じゃないよ」
そう言って、私は気が抜けてやっぱり笑っていた。
それは夏休みの前日のことだった。
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園芸クラブに入ったのでプチトマトの水やりに毎日私は一生懸命だった。トマトの水やりが一人では心もとないので学級委員の一成君と桐谷さんが一緒に手伝ってくれることになった。
一成君は私がポツンと一人でいる頃から、さりげなく声を掛けてくれていた。そして水やりのときも重い水の入ったバケツを必ず運ぶときに手伝ってくれる。思いやりのある温かい子だった。かっこいいな。
桐谷さんは、真面目で冷静だけれどミミズを怖がる可愛いところもあった。
「ぎゃー。み・み・ずよ!」
いつも叫び声をあげる。私は一成君と顔を見合わせると桐谷さんの元に走るのだった。
夏休みも半ばを過ぎて二人を家に連れて、一緒に帰った。
おばあちゃんが、庭の畑で採れた真っ赤に熟れたトマトをカットし、ジューサーにかけて完熟トマトジュースを作ってくれた。彼女が塩を一つまみ入れると、魔法のようにトマトの甘みがましとても美味しくなるのだ。
ママが、スイカを切って私たちに出してくれた。いつも友達関係を心配してくるママだが、今日はにこにこして何も言わない。鼻歌を歌いながら台所で何か作っているようだ。
「米田のお母さんって美人だな。やっぱり」
一成君が言った。
「だね。やっぱりだね」
桐谷さんも言う。
「嬉しいな」
私が反応すると桐谷さんが
「米田さんって憎めないのよね」
と漏らした。
「今日は来てくれてありがとうねー。これ、シフォンケーキ焼いたからよかったら持って帰って下さいね」
ママが二人にラッピングしたおみやげを持たせる。
「ありがとうございます」
二人は礼儀正しくお辞儀をして帰って行った。
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夏休みも終わりが近付いてきた。今日は一成君と二人でプチトマトの世話だ。紀子ちゃんが休んだのだ。桐谷さんの呼び名も仲良くなって下の名前になっていた。
いつもみたいに、二人で重い水を張ったバケツを畑の近くへ持って行く。指が重なる。ちょっとだけ、どきどきする。なんでだろうなぁ。
帰り際、一成君が緊張した様子で話しかけてきた。
「米田さんは、好きな人が前の学校にいたりする?」
「へぇっ」
とてもびっくりして変な声が出た。難しい。何の謎かけだろう。
「ごめん、忘れて!」
私が思案している間に、一成君は走り去り消えていた。
次の日、今度は紀子ちゃんがプチトマトの世話にきて一成君が休んだ。なんとなく紀子ちゃんの様子が変だ。いつもよりピリピリしている。
「あかりちゃんって鈍いとは思ったけれど、やっぱり『にぶちん』だったのね」
腕を組んだ紀子ちゃんに指摘された。
「あかりちゃんって好きな人いないの?」
「好きな人か。元々いなかったし今もよくわからない」
私の答えを聞くと紀子ちゃんは
「ジーザス」
と一言呟き黙ってしまった。
「私、前の学校の先生から協調性がないって言われたんだ。友達もいなかったし、好きな人なんて考えられなかった。だから今が楽しくて幸せで怖いくらい。ママが引っ越してくれて本当に良かったと思ってるの」
気持ちを素直に伝えた。今日、紀子ちゃんの話を聞いてなんとなく謎かけの答えは分かったけれど前に進む勇気はなかった。
紀子ちゃんはしゃがんで熟れ過ぎたプチトマトを収穫しながら、ゆっくり呼吸を整えて改めて話しかけてきた。私も畑の脇に座り込んだ。
「あかりちゃん、大変だったんだね。お母さんも。シフォンケーキ凄く美味しかったの、お母さん心を込めて焼いてくれたんだなって。あれ食べたとき思ったの。あかりちゃんは大切にされてきたんだなって。私立の学校から公立にわざわざ転入するんだもん。何か理由があったんだろうなとは感じてたんだ」
「そんなに美味しかったの? 私も、ママのシフォンケーキ滅多に食べることないから」
「美味しかったよ……。ゆっくり焦らずこれからも私たちと仲良くして下さい。一成にも私から言っとく」
私は涙が溢れてしばらく止まらなかった。その間ずっと紀子ちゃんが背中をさすってくれていた。
涙が口に入ってしょっぱくてなぜだか、三人で居間で飲んだトマトジュースの味を思い出していた。