表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

守れなかった命

 石で作られた部屋の中、運ばれてきた食事に手をつける。

 これまで食していた食事と違い質素なもの。量の少ない肉料理。それもこれまで食したことがないほど硬い。きっと安物に違いない。それから欠片と言える少量のパン一つに、サラダ、飲み物は水だけ。デザートはなく、甘いものが好きなリーリがデザートをねだってきた。

 だが用意してあげることはできない。

 こんな場所に閉じこめられた私にはなんの力もない、名も奪われた人間になにができよう。

 サラダに添えられた、わずかのフルーツで我慢しなさいと言う。それを聞いたリーリは不満そうに頬を膨らませた。幼いので現状をよく理解できていないのだろう。むしろその方が幸せかもしれない。


 安っぽい薄い布団を敷き、これまた薄い布団を子どもたちにかぶせ寝かしつける。幸い子ども達は一日でいろいろ体験し疲れていたのか、すぐ寝息をたて始めた。ロウソク一本の灯りが揺らめきながら、寝顔を照らす。いつもと変わらぬ寝顔に規則正しい寝息を聞いていると、どこかほっとできた。


「で? これからどうする?」


 扉の向こうにいる監視を気にしているのか、ベルが小声で話しかけてくる。


「どうしようもないだろう。父や弟たちと話ができるよう、呼びかけるくらいしか……。話ができた時、五人で一生素性を隠し、田舎で暮らすと言って……」

「そんな方法、何日かかったら成功するのよっ」

「では君に妙案があると言うのか⁉」

「しっ! 大声を出さないでよ!」

「す、すまない……」


 なぜ私が謝る必要があるのかと初めてベルに対し怒りを抱く。そんな私の気持ちを気にすることなく、人差し指を顎に当て彼女は考える。


「そうねえ……」


 私を騙すことができた彼女なら妙案を考えつき、ここから出ることが可能かもしれない。そこに望みを託すことにする。


「ピーンズたちはああ言っていたけれど、さすがに子ども相手なら甘くなると思わない?」

「どういう意味だ?」

「誰かが調子を崩し、病気になったと言えば扉は開かれないかしら。その隙に逃げるのよ」

「そんなに上手くいくか? 子どもを抱えて階段を駆け上がるんだぞ? それに階段を上っても扉の前にはクローゼットが……」


 期待が一気に萎む。なぜこんな女に騙されたのだろう。

 私たちを監視しているのは軍の兵士。それも一人ではないはず。複数人相手にそんな方法で、成功するとは思えない。


「あんた見ていなかったの? クローゼットは一人で楽々動かしていたじゃない。つまり中身は空っぽよ。体当たりでもなんでもすれば、動かせる可能性はあるわ」


 ……それでもなにも試さないよりましか……。試してみなければ話にならない。


「僕、やってみる。だってそうすればこんな場所から出て、お家に帰れるのでしょう? だから頑張る」


 ベルの案に立候補したのはカートルだった。

 カートルなら子どものしたことだと、一度は見逃してもらえる可能性が高い。私やベルが病気に罹ったふりや死んだふりをすれば、即座に粛清されるだろう。

 いろいろ考えた結果、死んだふりがいいということになり、カートルは呼吸を止める練習を頑張った。

 閉じこめられた翌日では早すぎると、一週間子ども達を励ましながらここでの生活に耐える。例えここから脱出できたとしても、元の屋敷へ帰れないと子ども達に伏せたまま……。


 ここを出たら真っ先にベルの実家へ向かうことにしている。匿ってくれなくても、逃亡資金をめぐんでもらう算段だ。娘や孫が絡むのなら味方になってくれると信じ……。


 だが現実は非情だった。


 カートルが死んだようだと伝えればずい分と待たされ、シエンと医師、それから数名の兵士が部屋に入ってくるとともに私たちを壁際の奥へ追いこませ、槍先を向ける。とても隙をついて逃げられない状況だった。

 さらに最悪なことに、カートルは短い生涯という結末を迎えた。



「国を守るためなら、鬼にも悪魔にもなりましょう」



 閉じられた扉の向こうから、シエンの言葉が聞こえてきた。


 失った……。たった一人の息子を……。

 自分の考えた策の結果とはいえ、息子を亡くしたベルの取り乱しようは凄まじかった。

 死体は運ばれたが流れた血の痕は拭かれることなく、そのまま石に染みついた。


 カートルを殺したのは誰だ? シエンか? ベルか? それとも私か?


◇◇◇◇◇


 聡明なランティは状況を理解したらしく、外へ出たいと言わなくなった。リーリは兄の行方を気にし、しきりに外へ出たいと言ってくる。


「どうしてお兄様だけお外へ連れて行ってもらえたの?」

「リーリ、お父様を困らせたら駄目だよ。お兄様は死んだから出られたの」

「そんなの嘘だよ。だってお兄様、死んだふりをしただけじゃない。あ、じゃあ次はあたしが死んだふりを……」

「駄目!」


 私が叫ぶより早くランティが叫んだ。


「そんなことをすれば二度とあたしやお父様、お母様と会えなくなるよ? リーリはそれでもいいの?」

「……それは、嫌」


 毎日のように同じような会話を娘たちは繰り返している。

 ベルは目の前で息子を殺されてから、めっきり口数が減った。なにか策を考えろとも言ってこない。娘たちが話しかけても返事をしないこともある。ただぼんやり、カートルの亡骸がくぐった扉を見つめている。

 私は私で俯き座りこんだままなにもしない。こんな部屋の中でなにもせず時が過ごすのが、こんなに苦痛とは……。


 一体ここでの生活も何日目だろう。カートルが亡くなった日から数えなくなり、もう分からない。

 さらに日が経つごとに娘たちの会話も減り、四人でただ背を壁に預け、無駄な時間ばかり過ごす。



「最近は会話も減り……」



 扉の向こうから声が聞こえてきた。


「そうか、こんな場所に閉じこめられていては精神や体力が弱まって当然だろう」


 声で見張りから報告を受けているのはヘロスだと分かった。

 小さな監視用の窓が開き、久方ぶりに友だった男の目が見えた。

 目が合ったが、ぴくりともヘロスに反応はない。ただじっと見つめ合う。もともと無口でなにを考えているのか分かりにくい男であったが、この時も読み取れなかった。

 そして一言も発することなく窓を閉めた。


「……今のあんたの友だちでしょう? こんな時こそ助けを求めなさいよ」

「………………」


 文句だけは言うのかと、うんざりとした気持ちになる。

 両親もシエンも友も皆、何度も私にチャンスを与えてくれていたのに、ベルへの愛に眩み気がつかなかった。どうして今さら助けを求められよう。


 それに私にはもう、『友』と呼べる者はいない。


◇◇◇◇◇


 ある日、リーリの咳が止まらなくなった。ここに来た時よりやせ細った体で熱も出て、ひどく苦しんでいる。間違いなくなにかの病気に罹っている。ベルも慌てて抱きながら名を呼ぶ。

 この時ばかりは無我夢中で扉を何度も叩き、繰り返し助けを求めた。


「娘が熱を出し咳が止まらないんだ! どうか薬を与えてくれ!」


 だが見張りから返事はなく薬も用意されず、いつもと同じような食事が提供されるだけ。

 幸いここ数日はシチューが続いており、パンを千切り器にいれふやかす。


「少しは食べなさい、リーリ。体力をつけないと」


 返事はなく呼吸を荒げるばかりで、少しも食べようとしてくれない。


「お家……。お家に、帰り、たい……」

「………………っ」


 泣きながら言われるが、その願いを叶えてやることはできない。心が締めつけられ、顔を歪め何度も謝った。


「すまない、すまないっ。私が悪かった……っ。罪は私にある! だから神よ! どうか罪なき娘をお助け下さい‼」


 だが家に帰りたいという願いを神は最期まで叶えることなく、リーリの命の火は消えた。

 死体は腐る。別れたくないがいつまでもここに置いておくことはできないので、リーリが亡くなったことを伝える。今回は医師と数人の兵士がやって来た。そしてリーリの亡骸を連れて行った。それをまた私たちは壁際に立ち、槍先を向けられたまま見送るしかできなかった。


 それからしばらくしたある日、急にベルが歌い出した。そうかと思うと今度は叫び出す。他にも何事か一人でぶつぶつと呟く。明らかに異常な行動だった。

 その様子に恐怖を感じたのか、ランティは私の側から離れようとしなくなった。



「ええ、そうよ。私が王妃なの」



 ある日ベルは壁に向かい、誰かと会話を交わしているように一人で語り始めた。


「お父さんが男爵になったから、王子と出会えたの。見慣れない顔は目立つでしょう? だからそれを利用したの。お人よしで人を信じる馬鹿な男だから簡単に騙せたの。ううん、違うわね。あの男は口先だけ。理想は立派だけど……。ふふっ。実は見た目で人を判断する奴だし、単純に私の見た目が好みだったのよね。だから王妃になれたの」


 今さらの告白に驚きはないが娘に聞かせたくなく、ランティの耳を塞ぐ。


「見て、このドレス」


 すっかり穴が開き裾も破れているスカートの裾を持ち、くるりと体を回転させる。


「見事でしょう?」


 一体彼女の目には、なにが映っているのだろう。


「……めて、くれ」

「あと、このネックレス! これだけカットされても大きく輝くダイヤなんて、そうはないわ! 王妃にふさわしい一品とあなたも思うでしょう?」

「止めてくれ‼」


 しかし叫びは届かない。独り言の虚言劇はいつまでも続く。

 彼女は学生の頃に戻ったり歌ったり、カートルを産んだばかりの頃を再現したり、異常な言動を繰り返した。

 これにはランティの精神が参った。うずくまり強く両目を閉じ、耳を塞ぎ震えてばかりいるようになり……。見ていられない……。


 実行しようと決めた晩、横になっても眠ることなく時が来るのを待った。ランティが熟睡していることを確かめると起き上がり、寝ているベルの体を覆うように馬乗りすると首を絞める。



「がっ。あがっ」



 奇妙な声がベルの口から漏れる。ランティが起きるのではないかと心配するが、その様子はない。だが異変に気がつき、いつ目を覚ますか分からない。早く終わらせなければ!

 目覚めたベルがほとんど瞬きせず伸びた爪で腕や手を引っかいてくるが、手を緩めない。

 これ以上娘の心を傷つけさせてなるものか! 最後に残ったこの子だけは絶対に守ってみせる!


 翌朝、扉の向こうにいる見張りに伝えた。


「ベルが死んでいる」


◇◇◇◇◇


 食事と一緒に新しい服が届いた。

 あの時城内で見かけたどこかの町民か村民かのように質素な服だが、それでも汚れた服から新品の服へ着替える時は心が浮き立つ。

 きっと私の服はランティのついでだろう。

 子どもだったランティは成長し、閉じこめられても身長は伸び同じ服ではいられない。誰の配慮かは分からないが、娘を裸で過ごさせる訳にはいかないので感謝している。


 もう何年私たちはここにいるのだろう。

 二人きりになってから万が一ここから出られた時のためにと、ランティに読み書きや計算など基本的な勉強を教え始めた。もっと早くリーリにも行えば良かった……。そうすれば生きる希望を持ち、頑張れたかもしれない。時々そんな後悔に襲われる。


 もともと聡明な子だったからか、ランティの飲みこみは早い。

 この生活の中で娘の成長が、唯一の希望であり慰め。


 最近は互いに空想の話を作っては語り聞かせる遊びに興じている。その間だけこの現実から別世界へ飛ぶことができる。しかしランティは記憶の底に残っている離れでの暮らしをもとに作られた話を無意識に語り、胸が痛むこともある。

 途中何度か体調を崩すこともあったが、私たちは生き続けた。


 だが聡明すぎることが仇となったのだろうか。ランティは成長と比例するように、外の世界を見たいと願うようになってきた。


「お父様……。私、外へ出たい。もう一度、綺麗に咲く花をこの目で見たい。その花の香りを嗅ぎたい。どうして私にはそんな些細な望みを叶うことさえ許されないのでしょう。狭い場所に閉じこめられ世界を知らず、それで生きていると言えるのでしょうか?」


 幸いここに来た経緯は、よく覚えていないらしい。

 だから私が元王子であり、権力争いに敗れたので閉じこめられたと言い聞かせ、娘はそれを信じている。

 自分の愚かさでこのような目に合わせていると、この子にだけは知られたくない。それを知られれば、どんな目で見られるか……。それが怖くて嘘を吐き続けている。


「鳥の鳴き声も忘れました。飛んでいる姿もぼんやりとしてきています。どうして記憶は薄れるのでしょう。どんな色だったのか、どんな大きさだったのか……。お兄様の顔も、お母様の声も、リーリも……。忘れたくないのに……。どうして消えていくのでしょう……」


 今日も娘は高い位置にある窓を見上げ、外の世界に思いを馳せている。


「お父様から教えて頂いたお菓子。食べたことがあると言われても、その味も形も思い出せません。味覚があるので想像できても、本物の味や舌触りは分からない……。夜空で輝く月や星に照らされた町は、どんな風景でしょう。昼とどう違うのかしら……」


 外へ出たい。その一心だったのだろう。

 ある日ランティは奇行に走った。急に壁に頭を打ちつけ始めたのだ。


「止めるんだ、ランティ!」


 慌てて羽交い締めし、止める。


「止めないで、お父様! ここから外へ出るには死ぬしかないのだから! 私は外の世界を見たい! もう一度お花を、鳥を……。この目で世界を見たいの‼ 風の強弱を感じたい! 雨の匂いを嗅ぎたい! 太陽を見たい‼」

「死んだらなにも見えなくなる! だから生きるんだ! 耐えるしかない‼」

「死後になにがあるか分からないと教えてくれたのはお父様よ! 天国へ行けるとも‼ 天国はきっと、こんな薄暗くて色の少ない寂しい場所ではないわ! 花が咲き乱れ、虹がかかっているはず‼ 私はたくさんの色を見たい! お母様たちに会いたい‼」


 必死に娘を取り押さえるが、隙あればランティは壁に頭を打つようになった。

 血が流れても止めない。ひたすらゴツン、ゴツンと音を鳴らしながら額を当てる。


 眠ることが怖くなった。もし眠っている間にランティが頭を打ちつけ死んだら……?


 なんとしても阻止しなければ……。


 寝ずに生きることは難しいが、頑張って起きなくては。娘を死なせたくない。


 そう思っていたのに、つい意識を離した。


 慌てて目覚めた時は額が割れ、顔が血だらけのランティが倒れていた。




お読み下さり、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ