後悔の時は手遅れ
「本日の公務を欠席?」
「ああ」
迎えに来たピーンズに言うと、露骨に眉をひそめられた。
「本日は先日発生した火災の被害者が入院する病院への慰問です。それを欠席するからには、相応の理由がおありですよね?」
相変わらず眼鏡のツルに手を当てながら、尋ねられるので答える。
「覚えていないのか?」
本当に分からないのか、ますますピーンズは怪訝な顔となる。
「今日はベルの誕生日だ!」
私にとっては十分な理由で笑顔を浮かべながら伝えたのに、ピーンズには違ったらしい。
「だからなんだと言うのです」
返ってきたのは呆れた声だった。
「子ども達と彼女の誕生日を祝いたいんだ! 親子で過ごすことのなにが悪い!」
「愛人と国民、どちらが大切なのですか?」
そこへ現れたのは、すっかり支度を終えたシエンだった。
慰問にふさわしく華美を抑え質素な服装で、濃い色のドレスと黒い髪と合わさり暗い印象を受ける。こんな女に慰問を受ける国民を哀れみながら答える。
「少なくともお前より『家族』の方が大切だ」
そう言って『家族』を見る。
「そんなことは分かっております。貴方が私を初めて会った時から好いていないことも。ですがそれとこれは別問題です。もう一度お尋ねします。愛人と国民、どちらが大切ですか? 返答によっては取り返しのつかないことになります。思い出して下さい、手紙……」
「た、たまには彼にも休みをあげてよ! 毎日公務、公務! 休日なんてないじゃない! いくら王太子だからって、かわいそうよ!」
「そ、そうですよ! 父上はいつもお仕事で大変ではありませんか! 母上の誕生日に休ませても良いではありませんか!」
「お父様も一緒にいてほしい‼ 連れて行かないで‼」
いちいち癇に障る女だと思っていると、ベルや子ども達が加勢するよう声を挙げてくれる。やはり彼女はいつも味方になってくれると喜びが湧く。そして子ども達も……。父親としてこんなに喜ばしいことがあるだろうか。
シエンは子どもたちを無視し、しばらく女二人で睨むように視線をぶつからせたが、意外とすぐに折れた。
「……分かりました。ピーンズ、急いでアーラ様の予定を確認して下さい。彼女と慰問すれば多少、体裁も整うでしょう」
アーラは私の弟ノウムの妻、義妹の名だ。
先日結婚したばかりだが彼女もすぐにシエンと打ち解け、仲が良いと聞いている。まったくどいつもこいつも、この底意地が悪い女のどこがそんなに良い!
「二人の王子妃が慰問する。それが叶わなければ、王妃様や王太后様へご助力を願いましょう」
そう決めると、あっという間に二人は離れを去った。
驚いた。まさか亡き先代国王の妃である王太后とまで親しいのか、あいつは。最近では私でさえろくに会えないというのに。一体いつ懐に入りこんだ?
「……やっぱりあの女、虫が好かないわ。それに貴方の子を産んだのに陛下たちは一度も会いに来てくれないし、貴方の子と認めてもくれない。王太后様も会ってくれないし……。何度も面会を申し込んでいるのに……。きっとあの女が邪魔しているに違いないわ」
不満そうなベルに謝る。
「すまない、私が堪えられなかったばかりに……。君への心証を悪くしてしまい……」
「良いのよ、拒まなかった私も悪いのだから。さあ、気を取り直しましょう! せっかくお休みになったのだから! それも私の誕生日! 祝ってくれるのでしょう?」
「ああ、もちろんだとも。さあ皆でお母様の誕生日を祝おう!」
それからその日は一日中、家族全員でプレゼントを贈ったり歌ったりと幸せに過ごした。反面、明日はまた公務が待っているのかと思うと憂鬱な夜になった。
……家族だけで永遠に過ごせればいいのに……。
近くその願いが叶うとも知らず、いつの間にか眠りについた。
翌日、毎朝迎えに来るピーンズが定刻を過ぎても姿を現さない。離れの使用人に尋ねても、誰も姿を見ていないと言う。
休むとは聞いていない。休むにしても代理の者を寄越すようになっている。私のスケジュールを管理している者が来なければ、どう動けば良いのか分からない。こちらから城へ赴くのも癪なので、子どもたちと遊んで時間を過ごす。
結局この日、夜になっても誰一人として姿を見せなかった。離れの使用人はいつも通り仕事をこなしており、誰もピーンズについてや、私が登城しないので騒ぎになっていないかを知る者はいなかった。
翌日、なぜ昨日姿を見せなかったのかとピーンズへ問えば……。
「病院への慰問を急病で欠席としましたので、その翌日に健康な姿を皆に見せてはならないと判断し、お休み頂いたのです」
「それならそうと連絡を寄越せ」
「申し訳ございませんでした、以後気をつけます」
執務室に入ると、どうせ丸一日分溜まっていると思われた書類はほとんどなかった。
「シエン様が昨日、あらかた処理を行って下さいました」
結局この日は面会の予定もなく、数枚の書類に目を通し、問題ないのでサインをしただけで仕事が終わった。
やることもなく、まだ快復していないことになっていると言われ、早々に離れの家族のもとへ帰った。いつもより早い帰宅の私を、子ども達は喜んで迎えてくれた。
◇◇◇◇◇
「ねえ、三人とも大きくなったし、お父さんとお母さんに会わせたいわ。それに毎日離れに閉じこめられているような生活、嫌になってきちゃった。たまには外出したいわ。お城で催し物があれば庭へ出ることも禁止され……。これでは軟禁状態よ。それに最近、食事の質も落ちていない? ドレスや装飾品も新調してくれないし……」
確かに最近、食事の質が落ちている。そのことで何度か使用人に注意をしたが、用意できる食材で最高の出来栄えの料理を提供していると言われた。つまりろくに食材を入手できていないということだ。
ドレスや装飾品も以前は業者を呼べば飛んで来たのに、最近は忙しいので出向けないと断られるか、まず前金で払えという者が増えた。私が自由に使える金には限りがあり、公金も使えないので、金を用意できないからと呼んでおきながら断ることも増えた。
これらはきっと、裏でシエンが手を回しているに違いない。私たち家族への嫌がらせだ。
そしてベルを側室と迎えて以来、何度も彼女の外出許可を求めているが、いつも国王である父が許してくれない。これも父からの嫌がらせだろう。
「相応の覚悟を持ってここへ来たのだろう? 外出先で城の内情を言い触らされては困るので認められない。離れを出る時は、別の住処に送る時だ」
「では男爵夫妻を離れへ招待したいのですが」
それなら彼女も両親に会えるだろうと提案すれば……。
「なんだ、知らんのか? 男爵は大ケガをし、とても外出できる体ではないぞ?」
「え? 聞いておりませんが?」
数か月前に城の廊下で顔を会わせた時は健康そうだったのに……。ベルの近況を伝えれば、元気そうで良かったと安心した顔を思い出す。一体なにがあったのだろう。
「また山賊が暴れていると連絡が入ったので、男爵が率いる隊が討伐へ向かったが敵に斬られた。屈強な兵士だったのに、老いとは恐ろしいものだ」
それを慌ててベルへ伝えると、そんな知らせは受けていないと彼女も驚いた。
「お母さんたちと手紙のやり取りはしているのに、そんな大事なことを教えてくれないなんて……」
「きっと君に心配をかけさせたくなかったのかもしれない」
「だけど……。それを聞いたら、余計に帰りたくなったわ。お父さん、大丈夫かしら……。陛下も酷いわ。父親がそんな状態だというのに外出を認めてくれないなんて。絶対あの女が陛下をたぶらかし、嫌がらせをしているのよ」
ベルは容体が気になり詳しく教えてくれと何度も手紙を書いて送ったが、それらの返事はいつも『心配いらない』ばかりで、詳細を知らぬ私たちは気を揉んだ。
それならば私が会いに行こうとすると、ピーンズたちは馬車すら用意してくれない。さらにはベルの両親からも来てくれるなと手紙で言われる始末。
一体なにが起きている?
「ヘロス、お前ならなにか知らないか?」
軍に所属しているヘロスへ尋ねると、背中を斬られたと人づてに聞いたと教えてもらった。
「それ以上の詳細は存じません。私は別の部隊に所属しており、あちらとはあまり交流がなく……。お役にたてず申し訳ありません」
昔より口数が増えたヘロスは頭を下げる。
軍に所属したヘロスとは以前ほど頻繁に会えないが、会えば昔のように接してくれる。ティオと大違いで彼は今も信用できる『友』だ。
◇◇◇◇◇
午前中に仕事を終え、午後は離れで家族と過ごす。
外国へ出向くこともなく、最近は貴賓客も訪れないので夜会なども開催されていない。面会の予定もほとんどなく、だから午後は家族との時間を存分に楽しめる。
そんな穏やかで幸せな日々を過ごしていたある日、突然それは起きた。
大勢の兵士が離れへなだれこんできたと思うと、説明もなく私たち一家を捕らえたのだ。
捕縛され連行された広間の玉座には父が。その左には王妃である母が。父の右には弟が座していた。その光景に我が目を疑った。父の右……。そこは次の国王となる私の席なのに、なぜノウムが座っている?
当たり前のように堂々と座している弟の後ろにはアーラが立ち、母の後ろにはシエンが立っている。それから首相や各大臣、主要貴族の当主など、国の重要人物たちが広間には揃い私たち家族を囲んでいる。どこか異様な雰囲気に、つい辺りをせわしなく見回す。
「皆の者、相違ないな?」
父の言葉に反論は上がらない。
相違ないとは一体? これからなにが起きる? 事情は読めないが、嫌な予感がして堪らない。今は縛られていない子どもたちも怯え、私たちにしがみついている。
「今日第一王位継承者ディタースは、長きに渡る病が完治せず死去した。愛人ベルや私生児も全員同じ病に感染し死去した」
「承知」
全員が頭を下げる。
その中にピーンズやティオ、さらに信じていたヘロスの姿もあった。
「は? 病気で死亡? なにを……。私はこの通り健康で生きて……」
ベルが声をあげるが、父は無視をする。私の頭は目まぐるしく回転を始める。
なぜ公務と名ばかりの書類へのサインだけで仕事が終わっていたのか。なぜ夜会が開催されなかったのか。……いや違う、呼ばれていなかっただけだ! 面会がなかったのも、全て私が現在病人であるからと断り周知させていたに違いない! 全ては病気を理由に死亡とする布石として……。
父の企みにやっと気がつく。母は悲しそうな目で私を見つめていた。
「へ、陛下……。は、発言の許可を……」
「連れて行け。良いか、お前たちは死んだ。今日から第二王子ノウムが、第一王位継承者となる」
震える言葉を遮られ、さらにがつんと頭を殴られた気になる。媚びるように引きつりながら笑い、辺りを見回す。なにかの冗談だろうと思うが、誰も助けの声をあげてくれない。
そして子どもたちも後ろ手に縛られ、五人で一列に歩かされる。
使用人たちの部屋がある一画へ連れて行かれ、ある一室に通される。その部屋にある天井近くまで高さのあるクローゼットが動かされる。一人の兵士で動かせることから、中身はないのかもしれない。そしてクローゼットの後ろから扉が姿を現した。
扉には鍵はなく、開かれると奥には地下へ続く階段があった。カビやホコリの臭いにむせながら再び歩かされる。
「お、お父様ぁ……」
怖がりのリーリが泣くが、抱いてあやすことができなく歯痒い。
長い螺旋階段を下り、底へ到達する。先にある重く古い扉が嫌な音をたて開くと、その向こうには部屋があり、そこへ追いやられた。部屋と言っても一室だけ。チェンバーポットは置かれているが、入浴用の浴槽も寝るためのベッドもない。片隅に薄っぺらい布が何枚か重ねられているが、まさかあれを布団に使えというのか?
槍の剣先を向けられた状態で縄を解かれると、リーリがすぐさま抱きついてきた。
「今日この時より、ここがあなた方の住まいです」
「食事は運んできます」
「けして脱獄など考えないように。そう捉えられる言動があった場合、粛清を執行します。それが子どもだろうと必ず実行しますので、お忘れなきようお気をつけ下さい」
ピーンズとティオの交互の説明を聞きながら部屋を見上げれば天井は高く、窓は遠く四方の天井付近にしかなかった。そこから一応日は差しこんでいるが、窓まで遠いせいでろくに床まで到達していない。当たり前だが窓までは手が届かない。これでは部屋というより牢獄だ。
はたと気がつく。
……そう言えば、偽りの死を国民に知らされた王族が閉じこめられる部屋が存在すると聞いたことがある。ひょっとして、ここがそうなのか? それではここは住まいではなく、本当に……。
私がそのことに気がついたことを察したのか、二人は冷たい目を向けてきた。
「自業自得でしょう。公務を疎かにし、イムリウム国との友好関係へひびが入る所だったし。分かる? イムリウム国と開戦目前だったんだよ」
「全くもって」
眼鏡のツルに手を当てるピーンズ。
「シエン様が取り成してくれ、イムリウム国もご本人の意思を尊重され事は収まったが……。娘を無下に扱われていることに怒ったイムリウム国王が静まってくれ、本当に良かった。隣国との問題だけでなくイムリウム国と戦が始まれば、この国は亡ぶ所だったからな」
「シエン様もすごいよね。幼い頃から将来は王妃になるからと、この国を知るために何年も前から入国され各地に点々と滞在し、民衆に紛れて過ごしていたんだから。おかげでいろんな場所の村民や町民たちとも顔見知りで……」
「身分を偽り生活されて来られたからな。本当、あの御方には頭が上がらない」
「それに比べて……」
ティオがベルを見て鼻で笑う。
「こいつを手中に収めた手腕は褒めるよ? だけどさあ、やっぱりあんた頭が悪いよね。不正の方法といい、ディタースさえ騙せればいいと考えていたのが見え見え。こいつだけ騙せても意味ないんだよ、周りも騙さないと。全て無駄な努力だったんだよ、愛人ちゃん」
「本来の順位が分かった時、それさえ利用してディタースの心を手に入れた術は見事だったと言おう」
それを聞いたベルは睨むが、二人は動じない。
「二人とも用件は終わったのだろう? これよりこの扉は、我々の部隊が管理することになった」
「ヘロス! 助けてくれ! 君なら……!」
あの場では他の者たちの手前動けなかっただろうが、きっと彼なら助けてくれるはず。だって私たちは『友』なのだから! 期待をこめ名を呼ぶが、聞こえていないように無視をされた。
やがて全員が部屋を去り、家族五人だけが残された。去り際に燭台とロウソク数本とマッチを置いていかれ……。夜はこの明かりだけで過ごせと……? 季節的に寒くはないのでいいが、もし冬だったら……。暖炉のないこんな場所では凍死するのではないか? あの薄い布だけで寒さをしのげるのか?
疑問は山ほどあるのに脳の処理が追いつかず、ゆっくりと一つ一つ掬うように浮かべていく。
「お父様……」
その声に思考が中断する。心細いのか子ども達が服を掴み、怯えた目を向けていた。安心させるよう腰をかかげ、視線を合わせて微笑む。
「大丈夫さ、すぐにここから出られる。なにか間違いが起きたんだ」
「本当?」
「ああ」
それを聞き、子ども達がほっとしたというのに……。
「おめでたい考えね。あいつら本気で私たちを二度とここから出さないつもりよ? あんたは死んで、第二王子が次の国王になるって国民に発表されるんだから。死んだはずのあんたが出歩いたら騒ぎになるって分からないの? あーあ、とんだ誤算だわ」
結った髪の毛を解きながら、いつもと違う声色でベルが言う。
「誤算?」
子ども達と視線を合わせる体勢のままなので、彼女を見上げ尋ねれば馬鹿にしたように、鼻を鳴らし笑われた。そんな態度を取られたのは、初めてのことだった。
「だってあんたに気に入られれば、ずっと贅沢に暮らせると思ったのよ。お父さんが死んで平民に逆戻りするのが嫌だったし。かといってお偉い家の奥様になれば、いろいろ仕事をこなすことになるから面倒じゃない? その点側室なら楽だと思ったのよ。ただあんたの相手をして子どもを産んで、機嫌よくさせていれば良いじゃない?」
学生の頃は肩までの長さだったのに、今では腰より少し上まで伸びた長い髪の毛を揺らしながら一つの窓の下へ行くとベルは見上げる。
「ねえ、どうにかしてここから脱出する方法を考えてよ。あんた頭いいんだから」
陽だまりのようだった笑顔は消え、狡猾そうな笑みを浮かべるその顔も初めて見るものだった。
学生の頃からのピーンズたちの言葉が思い出される。
私は……。私だけ目が曇り、騙されていたのか……?
「……頭がいいのは、君もじゃないか」
それでもまだ彼女を信用したくて、立ち上がりながら言うと笑われた。
「あっはっはっはっはっ。まだ信じているの? どこまでもおめでたい男ね。さっきの話、聞いたでしょう? 不正よ、不正。私、本当は勉強できないの。だから一位じゃない順位が実力なのよ」
石で組まれた薄暗い部屋の中で……。
その石が全て崩れていき床底も抜け、奈落の底へ落ちていく感覚に陥る。
私たちの間に流れる不穏な空気を子ども達は敏感に感じ取り、三人は不安そうな顔で距離を取るとカートルを中心に身を寄せ合う。
「大丈夫よお、あなたたち」
私への愛はないが、子ども達へはあるようだ。いつもの陽だまりのような笑顔を子ども達へ向ける。それがひどく恐ろしく思えた。
「仕事をしないで遊んでいたお父様がお叱りを受けているだけだもの。あなたたちならきっと、すぐここから出られるわ。だってあなたたちが王族なのは間違いないもの」
「き、君だって休みも必要だと言ったじゃないか!」
叫べば舌打ちされる。
「加減ってものを知らないわけ? 休みすぎたのよ! もうちょっと真面目に公務に取り組んでいれば……。あー、違うわね。あの女が出産していたら、こんな場所に閉じこめられることもなかったのに。少しは私だけでなく、あの女を相手にしていれば良かったのよ!」
自分は悪くなく、全て私に非があると責めてくるベル.信じていたものが完全に崩れ、目眩が起きたように頭がくらくらする。
これまで散々シエンを悪く言い、彼女に私を渡したくないとまで言い……。それなのに、こんな……。
「あなた」
その時、シエンの声が扉の向こうから聞こえてきた。
いつもと変わらぬ冷たい声。それが逆にすっと頭に入り、冷静さが戻ると扉の方へ視線を向ける。
「こんなことになり残念です。私はあなたと結婚すると決まった時から心はイムリウム国民ではなく、この国にありました。だから再会するまでにこの国を知ろうと、各地を転々と回っていました。小さな村、小さな町。身分を隠し、農作業や釣りをしたことも多くありました。ガラス細工に挑戦し、火傷を負ったのは誤算でしたが……。でもどれも素敵な思い出。将来私がこの方たちを守るのだと思うと、誇らしくもなりました」
彼女がこの国について知っていたのは密偵を放っていたからではなく、自身の足で歩いていたから……? ある町ではガラス製品を名産とし住民たちは生活している。きっとそこにも滞在していたのだろう。
あの時、城で見かけた身なりの汚い男。あれはどこかの村か町で親しくなった者だったのだと今さら知る。
「あなたは家族を大切にしてなにが悪いと陛下たちに言われましたね……。だけど私たちも夫婦、『家族』ではありませんか……。それなのにあなたにとって家族の中に、『妻』は含まれていなかった……」
初めて聞く私へのシエンの悲しみを蓄えた声だった。扉を隔て顔が見えないのに、見たこともないのに、泣きそうに歪んでいる顔が浮かぶ。
「初めてお会いした時から、あなたが私を好いていないことに気がついていました。だからどう接していいのか分からなかった。笑っていいのか、感情を見せていいのか……。だけど怖がらずにもっと会話を交わし、お互いを知るべきだったと後悔しております……。もっと強く妻として注意をしていれば……」
「ねえ! 悪いのはこの男で、私と子どもたちは関係ないじゃない! 閉じこめるならこいつだけにして、私たちをここから出してよ! それに子ども達は王族なのよ⁉」
シエンの語りを遮りベルが叫ぶ。
「それは出来ません」
一度鼻を鳴らすと、毅然とした声でシエンは答えた。
「ベル様。貴女をここから出せば、ディタース様が生きていることをいつか誰かに話す可能性があります。そしてディタース様の血を継いでいる可能性があろうと三人の子は王族ではなく、私生児です。それでも子どもたちが利用されれば、無駄な権力争いを生む元凶となり得ましょう。だから出せません。これは陛下を含め、あの場にいた全員の総意です。それに言ったはずです。覚悟があるのなら、側室の申し出を引き受けなさいと」
ここまでの覚悟がベルにあったとは思えない。私も彼女を守り、負担を強いるつもりはなかった。だがこの結果はどうだ。ベルどころか子どもすら守れず……。
「こうなる場合もあると分かった上で、引き受けたのではありませんか? もっとも側室になる前に身ごもったので、どんな男と関係しているか分からぬ以上、側室として認められていませんでしたが……。だからベル様、貴女が何人ディタース様の子を産もうと、その子たちは王族にはなり得ません」
「…………っ」
悔しそうに唇を噛むベルの隣で、広間に集まった顔ぶれを思い出す。
国の中枢に位置する彼らから……。私は、見限られた……。
どこで間違えたのだろう。ベルの誕生日を優先させたこと? ベルを側室として迎えたこと? それとも……。
ベルは覚悟が足りなかったこと? 私たち二人だけが物事を甘く考えていたこと?
残念なことに原因が多すぎて、一つに絞れなかった。
お読み下さり、ありがとうございます。