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破滅の足音

 結果はティオたちを喜ばすものだった。

 いきなり順位が下位に落ちたのだ。それも下から数える方が早いほどまでに。


「これで証明されましたね、彼女が不正を働いていたと」


 結果が貼り出された廊下で、ピーンズが眼鏡のツルに手を当て持ち上げながら勝ったように言う。今回一年生の一位は婚約者のエティアなので、誇らしい気もあるのだろう。だが私の気分は逆だった。信じられず、何度もベルの名と順位を見比べ確認する。

 だが何度見ても順位は貼り出されたままの状態で……。

 そんな……。それではティオたちが言うように、本当に彼女は私が思っていたような人物ではなかったのか……? 不正を否定したのに……。

 ゆっくり左へ視線を向けると、顔を青ざめ小刻みに震えているベルの姿があった。


 途端、彼女にそんな顔をしてほしくないという思いが生まれる。肩で切り揃えられた柔らかそうな髪の毛に、赤い瞳。彼女には笑顔が似合うはず。まだ一度も見たことがない笑顔を思い浮かべながら、なんと声をかけようかと迷う間にベルの目に涙が浮かぶ。


「無理です! 誰からも信用されず疑われている状況で、どうやって実力が出せるんです⁉ 一位じゃなくなったら不正をしていたと責められると分かっている中で、どうやって実力が発揮できるんです⁉」


 ベルは両手で顔を覆いその場にうずくまると大声で泣き始めた。

 それを見たティオはやれやれと言わんばかりに肩をすくめ、頭を横に振る。周囲の多くの者も呆れたり、白けたりしたような顔となっている。そんな中……。


「……会長は凄いですね……。王子だし会長だから一位は当たり前と思われている中で、常に一位をキープ……。プレッシャーがあるでしょうに……。凄いです……」


 涙で濡れた顔を向けられ、そんなことを言われた途端に体が揺れた。



 プレッシャー。



 そう、私は日頃からそれを感じていた。王子だから。会長だから。第一王位継承者だから。なんでもこなせて当たり前。失敗は許されない。そんな気を張った生活を、言わずとも彼女は分かってくれていた……。その上で私を凄いと褒めてくれた……。


「………………」


 言葉が出なかった。

 婚約者とは文だけを交わす関係で、私の悩みや辛さを分かち合うことはない。将来の側近候補たちも、本当に私の気持ちに寄り添ってくれているだろうか。過度の期待を寄せているだけではないか? けれど彼女は……。

 自然と体が動いていた。


「次に頑張ればいい。私は君が不正を働いていないと信じるよ」


 微笑み手を差し伸べ彼女を立たせる。ぐすりと、ベルは鼻を鳴らした。

 それを見ていたティオは深く息を吐くと頭をかきむしり、なにも言わず立ち去った。


 思えばこの時だろう、ティオに見限られたのは。


◇◇◇◇◇


「それでね、この間読んだ本がね」


 あれ以来、毎日昼休みになると中庭で彼女と過ごしている。

 やはり思った通り彼女には笑顔が似合う。面白かった本を頑張って伝えてくれる姿を見ていると、私まで自然に微笑んでしまう。

 だがそれを苦々しく見ている人物は多かった。


「イムリウム国の耳に届けば、由々しい事態になるかもしれません。自重下さい」


 また眼鏡に触れながら、今日も生徒会室でピーンズに忠告される。


「放っておきなよ、ピーンズ」


 資料整理の手伝いを終え、今日も当たり前のように生徒会室で紅茶を飲んでいるティオは、私にベルへ近づくなと言わなくなった。


「この学校は将来の縮図だ。その頂点に立つ予定の御方が信じると言ったんだ。もうそれで良いじゃないか」


 口数の少ないヘロスは一言も発さないので、なにを考えているのか分からない。ただ黙って腕組みしながら二人の会話を聞いている。


「しかし……」

「なに?」


 ピーンズとティオはしばらく睨みあうよう、視線をぶつけ合う。

 それからピーンズが負けたよう、はあ。とため息を吐いた。それから私へ向き直ると……。


「彼女を側室として迎えたいのであれば、それでも構いません。ですがその場合、彼女は貴族令嬢としてマナーや教養を身につけ、弁えることや立場を知るべきです」

「側室って……。一体なにを言い出すんだ」


 少しばかりだが、ピーンズの言葉に動揺する。

 一夫一妻と法律で決まっているが、国王と第一王位継承者だけは例外として側室を持つことが許されている。もちろん王族の血を絶やさないためだ。


 もし彼女が側室となれば、私だけのものにできる……?


 仄暗い感情を三人は口にせずとも感じ取ったのだろう。誰もそれ以上なにも言わず、ただ私を見つめていた。


◇◇◇◇◇


 卒業後、程なくしてシエンとの結婚が私には決まっている。

 ある日その話題になると、ベルは沈んだ顔を伏せた。


「そう、ですよね……。会長はもう、結婚する相手が決まっているんですよね。あーあ、お金持ちや権力者って大変だなぁ。自由に恋愛して、自由に結婚もできないんだから」


 そう言って空を見上げる彼女の目はうっすら濡れていた。


「……そんな風に私の心に寄り添ってくれるのは君だけだ」


 彼女の手を握る。きっと二人の思いは通じ合っていると確信していた。だから……。


「いろいろ大変だと思う。けれど私は出来る限り君を守る。だからどうか私の側室になってほしい」


 彼女とは心が通じ合っており、喜んでもらえると思った上での申し出だったが……。



「私に愛人になれって言うんですか⁉」



 手を振り払われ立ち上がると、ひどい男だと罵ってきた。



「私は私だけを愛してくれる人と結婚したいんです! 誰かの夫である男の人なんて嫌!」



 私だってそうしたい。だけど私の結婚は……。


 個人だけの問題ではない。


 だから去るベルを追いかけることはできなかった。

 それから彼女と過ごす時間が減った。いや、皆無と言っていい。彼女はまるで避けているように私の姿を見つけると、きびすを返し逃げるのだから。そのことが酷く悲しいのにピーンズは喜んでいる。その様子に腹が煮える。


「丁度いい機会です。彼女と係わることを止めて下さい」


 やはりこの男は私の気持ちに寄り添ってくれていない。自分の理想だけを押しつけ……。なんて奴だ……!

 それでも優秀な男を捨てることはできない。生まれた怒りを悟られないよう、変わらぬ振舞いを続ける。


 ベルは少しずつテストの順位を上げているが、それでも下から数えた方が早い。いつまでも一位を奪還できないことから、ピーンズのベルへの心証はいまだに良くない。いや、もう彼女に知性はないと決めつけている。


「……お前はいいな、ピーンズ」

「なにがでしょう」

「お前も幼い頃に婚約が決められたのに、互いに愛し合っていると見ていて分かる」

「シエン様と再会すれば、その杞憂は無くなるかもしれませんよ」

「そうだと良いが……」

「手紙だけでなく、会いに行かれてはどうですか? 直接お会いし、会話をすることがなによりも大切なことです」


 ピーンズの提案に鼻で笑う。


「イムリウム国までの距離を考えろ、何日学校を休むことになる。冗談じゃない」

「……そうですか」


 幼い頃に一度だけ会った婚約者は美しいと思えない。例えるならベルは春の太陽で、シエンは冬の氷。私は陽だまりのように暖かなベルが良い。そんなことを考えているのに再会しても心変わりするとは思えない。


 ……どれだけの権力を持っていても、真に望むモノを手に入れられないとは……。権力とはなんなのか。次期国王といっても望むモノが手に入らなければ、どんな力も無意味に等しい。

 ベルを無理やり側室にすることは可能だろう。しかしそれを実行すれば彼女から笑顔を奪ってしまう。それだけは嫌だ。


 彼女との中庭での会話が無くなり卒業を目前にした頃、ついにシエンが私の前に姿を現した。

 初めて会った時と同じく表情が乏しく、やはり氷のような女だと思った。それに指などに傷痕がある。どんな生活を送れば『姫』だというのにそんな傷痕が残る。これでは知性が望めそうになく、やはり愛せそうにないと気が沈む。

 それでも私たちが夫婦になることは覆せるものではない。


 今日は彼女に私が過ごしている校内を案内することになった。

 イムリウム国とは違う点でもあり興味あるのか、様々な場所に足を運んでは隈なく見回している。


「生徒の人数が少ないようですね」

「ああ、この学校は爵位ある家の子どもしか入学できない決まりがあるから」

「なぜですか?」

「安全のためだ。不用意に身元が分からぬ者が近くにいては、いつなにが起きるか分からないだろう?」


 そう答えると、彼女は逆ではないかと反論してきた。


「この学校に将来、国を背負う者が揃っていると周知であるのならば、ここを攻めればこの国の未来に暗雲が立ちこめると敵も考えます。万が一もあるので生徒を分散させるとか、せめて全寮制を無くすべきではありませんか? もし火災など発生し多くの子息を失えば、国へのダメージは計り知れません」


 万事この調子で、いちいち否定してくる。

 手紙だと当たり障りのない言葉をつづり適当に読み流せば良かったが、面と向かうとそれはできない。まさかこうも面倒な女だったとは……。これまで一度も会わなくて正解だった。これから死ぬまでの生活を考えるとうんざりする。

 だがピーンズの中では彼女の株が上がったらしい。


「確かに毎年のように爵位を継ぐ予定ある者が入学しております。そこを狙われ人材を失えば、我が国の未来は明るくなりません。自立を養うための寮制度でしたが、考えを改める必要があるのではないかと父へ進言しましょう」

「よろしくお願い致します」


 どうやら私より、よほどピーンズと相性が良いようだ。

 しかも驚いたことに通りかかったエティアが自己紹介をする前に、誰なのかをシエンは言い当てた。


「貴女が将来の首相候補であるピーンズ様の婚約者、エティア様ですね。真面目で勉学面において大変優秀だと聞いております。噂通りお二人が並ぶとお似合いですわね。ピーンズ様の知識に力添えするため、並々ならぬ努力をなさっているのでしょう。すでにお父上の手助けをされている貴女に、これからも期待しています」


 確かにエティアはその豊富な知識で実家の領地経営に手を貸している。だがシエンはその情報をどこで得た? 再会してからの発言といい、シエンはいろいろ知り過ぎている。イムリウム国はこの国へ密偵を送りこんでいるのではないだろうか。

 そんな私の危惧は誰にも理解されず、それどころかエティアは深くお辞儀をすると感謝の意を伝えた。


「もったいないお言葉です。仕えるシエン様よりお褒めの言葉を賜り、光栄の至りにございます」


 引っ込み思案の彼女が初対面のシエンに、淀みなく受け答えする姿に驚いた。真っ直ぐシエンを見つめる目は力強いが優しさも含まれている。私は彼女からこんな目を向けられた覚えがない……。

 ピーンズとエティア。二人はこの国に来てまだ幾日しか経っていないシエンの側につくのか。ひどく腹が煮えた。

 翌日、ベルが一人で中庭の椅子に腰かけていた私に話しかけてきた。


「……昨日見ました。なんですかあの女、偉そうに。この国についてなんにも知らないくせに。それなのにピーンズ様たち、もう彼女に盲信して……。見ていて気持ち悪かった」

「君もそう思うか」

「会長がかわいそう。あんな女と結婚するなんて」


 ああ、やはり私の気持ちに寄り添ってくれるのは君だけだと嬉しくなる。さらに彼女は喜ばせてくれることを言い出した。


「ねえ、会長。以前私に言った話、覚えています?」

「どの話?」

「側室」


 即答に期待し心臓が大きく脈打つ。


「あんな女だけのものになってほしくない! 私だって……。私だって本当は会長のこと……っ」


 ベルが手を伸ばしてくる。その手が私の頬に触れようとした時……。



「側室になる覚悟があるのなら、どうぞおなりなさい」



 二人の間に割りこんできたのは、今日は校内に来る予定のないシエンだった。

 ……この女、いつから会話を聞いていた? それに変わらぬ冷たい表情を崩さないままなので、なにを考えているのか分からないが、今なんと言った?


「私も王族の端くれ。側室の重要性は分かっております」

「シエン様、よろしいのですか?」


 今日シエンの背後に控えていたのはヘロスとフィーリアだった。まさかと思うが、この二人もすでにシエンに陥落されたのか?


「構いません」


 結婚前からあっさり側室を認めるとはどういう神経をしている。向こうも私と親しくする気がないと分かり、ますますこの女が嫌になる。

 それでも卒業すれば予定通りシエンと結婚した。そしてベルが卒業すると同時に彼女を側室として迎えた。


 その間の一年、初夜以外シエンとは閨を共にしていない。

 なにしろ寝間着を脱げば、古い傷痕や火傷の痕が体にあったから。いくら軍事国家出身とはいえ、こんな傷だらけの肌触りの悪い女を二度と抱く気は起きなかった。

 そのことを父も母も知っており、何度も忠告を受けたが、ベルを側室として迎えることを決めていたので無視をしていた。世継ぎ問題ならベルという相手がいるのだから問題ないと考えてのことだった。


◇◇◇◇◇


 ベルを城へ迎えて以来、夜になると彼女の住む離れへ帰る。


「お帰りなさい」

「ただいま」


 陽だまりのような明るい笑顔。公務で忙しく働いた後にこの笑顔を見ると、心が安らぐ。

 正直、王子妃としてのシエンは優秀だ。想像と違い秀才で我が国についても熟知しており、今や両親も頼りにしている。ただやはり知り過ぎているきらいがあり、それが気にかかっていたある日……。


「殿下、さすがに一年も閨を共にせず子を成さないというのは問題があります。これでは両国の友好関係を築くはずが、無意味になり問題だと騒ぎになりかねません」


 ついに我慢できなくなったのかシエンがそんなことを言い出した。


「側室を認めたのはお前だろう?」

「側室は認めましたが、殿下と子を成さないとは言っておりません」


 この女はいつも屁理屈ばかり言う。素直なベルを見習ってほしいものだと苛つく。


「子を成さなければ築けない友好関係とは、ずい分と脆い絆だな。そんなにイムリウム国は我が国を信用していないのか?」

「信用していなのは殿下、貴方だけではありませんか?」

「ふざけたことを言うな!」


 かっとなり、手元にあった書類の束を掴むとシエンへ向かって投げる。束は彼女の顔を横切り壁に衝突すると紐がほどけ、散乱した。


「殿下、国王陛下がお呼びです」


 そんな中現れたのはティオだった。


「分かった、行く」


 ティオは返事をしないどころかついて来ようともせず、黙って書類を拾っているシエンを手伝い始めた。

 この男は最近いつもこうだ。以前はよくふざけあっていたのに……。今では必要最低限の会話しか交わさない。もう友と呼べない雰囲気だ。しかも私よりシエンの肩を持っているふしもあり、なにかあれば今様に私より彼女を優先させている。

 苛立った気持ちを静められないまま父である国王陛下に会えば、先ほどシエンと交わしたばかりのことを今日も苦言される。


「側室を迎えるのは構わん。だがそれは妻を蔑ろにして良い理由にならん。シエンと過ごす時間を増やせ」

「お言葉ですが、別に蔑ろになど……」

「ほう? 毎晩側室のもとへ行き、シエンとは語らいさえろくに交わさぬのに? 側室として迎えた女も、先日側室になったばかりだというのに、すでに子を宿していると報告を受けているぞ。成長具合から側室になる前に成された子だともな。それにシエンとは初夜以降、寝室を共にしていないとも。それなのに蔑ろにしていないと? お前は自分の結婚理由を忘れたのか?」


 言葉を詰まらせる。

 まだ学生のベルと密会し、何度も体を重ねた。だから側室になったばかりだというのに、すでに彼女は私の子を宿している。さすがに外聞が悪いと判断し、私との子か疑われる可能性もあったので緘口令を出していたのに……。誰だ、口を滑らせた裏切り者は。


「あの女も学生の頃に誰かへ体を許したことになるなあ。相手が誰の子か分からぬような子は、王族と認められぬ。私生児となるので心しておくように。またそのような娘は王族を欺いている可能性があり、側室して認められん。ただの愛人だ。この意味、分かるな? 処分されぬだけでもありがたく思え」

「……はい」

「同じ叱責を受ける愚行は、今回で終わらせてくれよ? 改めないのであれば……。こちらも言わずとも分かるな?」


 彼女を正式に側室として迎えるまで我慢すべきだったと、この時ほど後悔したことはない。


 ふざけるなっ。彼女の腹にいるのは紛れもなく私との子で、お前の孫だ! 謁見を終え、大股で歩きながら拳を強く握りしめる。


「まあ……。それでその犬はどうされたの?」

「妹が飼っていますよ」


 執務室へ戻ろうとすれば、部屋の中からシエンとティオの会話が聞こえてきた。


「ふふっ。きっとかわいがられ、その犬も喜んでいるでしょうね」


 初めて聞く妻の笑い声だった。感情豊かで実に楽しそう。こんな声も出せるのかと驚く。私と会話を交わす時は感情を見せないのに……。


「だと良いですがね。妹はまだ幼いか、ぬいぐるみ扱いしているのか、リボンをつけようとしていつも逃げられていますよ。あれは嫌われましたね」

「まあ、妹様もおかわいそうに。リボンをつけた犬も可愛いと思うのに」

「犬自身が嫌がるから逃げるんでしょう。それなのに無理やりつけるのは、かわいそうじゃないですかねえ」


 久しぶりにティオの軽口を聞く。

 なぜだ。どうして周りの者は私ではなく、シエンの側へ回る。だけど彼女だけは違う。


 ますます私はベルへ依存するようになった。


◇◇◇◇◇


 子が産まれれば愛しく、さらに離れで過ごす時間を増やした。

 それを良く思わない父に指摘されるが、『家族を大事にしてなにが悪い』と反抗した。だが私の子を『孫』を認めない父は、いつまで経っても叱責の手を緩めない。


「……私たちも子を持つ親。自分の子と思えば、どんな子だろうと愛しく思う気持ちは分かります。ですが今の貴方は己の立場を分かっていません。このままでは後悔することになりますよ? もっと現状に目を向け理解しなさい。貴方が守らなくてはならない子どもは一人だけですか? 違うでしょう?」


 母親である王妃が顔を赤く染めた陛下の隣の席に座したまま、諭すように言ってくる。


「分かっております。ですから公務にも励み、一日でも早く世継ぎを作るようにベルと小作りに望み、今まさに彼女は二度目の妊娠中です」

「分かっておらぬではないか!」


 父の怒声が謁見の間に響く。


「あの時私は言ったぞ⁉ それに対しお前はなんと答えた! はいと答えたではないか! それなのに……! 公務にも励んでいると言うが最近は執務室にいる時間より、離れに滞在している時間の方が多いと聞いているぞ⁉」

「そんなことは……」

「その間、誰がお前の担当する仕事をこなしている! どうしてお前が離れで過ごせるのか、それを考えたことがあるのか⁉ 王妃の言葉の意味もよく考えろ‼」


 確かに以前より離れで過ごす時間は増えたが、公務を疎かにしていない。仕事を片付けた上で離れへ戻っている。なぜ叱りを受けたのか理解できないまま廊下を歩いていると、窓からおよそ城に似つかわしくない風貌の男と妻が並んで庭を歩いている姿を見かける。

 不貞を働くにも相手を選べと、先ほど注意を受けた苛立ちを向ける。



「今回も見事なガラス細工で、あの出来なら貴賓客の皆様へのお土産として申し分ないわ。あいかわらず皆、いい腕をしているわね。もう帰るのでしょう? 皆にもよろしく伝えてね」

「もちろんとも。あ、いや。もちろんですとも」

「無理しなくても良いのよ? もともとは私のせいなのだから。露骨に態度を変えられると寂しいわ」



 二人の会話は聞こえないが、微笑んだシエンを前に男は照れたように指で頬をかいた。その手は火傷を負っており、それを見て傷がある者同士お似合いだなと鼻で笑う。


 それにしても、なぜこの女は私の前でだけ無表情なのだろう。まあいい、父はあれこれ言うがお互い嫌い合っている。そこがはっきりしていれば、私も自由にベルとの時間を優先できる。シエンだって嫌っている人物を相手にしたくないに決まっている。それはそれで良いことではないか。


 息子を産んだ翌年に長女ランティが誕生し、さらにその翌年には次女リーリが誕生した。だが二人の王女となる娘たちも私生児扱いとされ、国王である両親から祝いの言葉すら贈ってもらえなかった。

 それでも新しい家族が増えたことに喜び、ますます離れの『家族』しか見えなくなってしまう。


 そのせいで、ゆっくり、ゆっくりと……。周囲が距離を置き始めていると気がつかないほどに……。




お読み下さりありがとうございます。

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