3.始まりの直前
大きな音を立てて、大きく揺れる。
鉄の塊。
ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン
音が風景と共に後ろに流されていく。
優里は一年前に一人旅で電車に何回も乗った。
電車といわれるのは、電線から電気を蓄えて、その電気をエネルギーとして動くものである。
優里の父が子供の頃に普及していた乗り物だ。
現在はレーン自体を電磁石にすることで反発力と引力を活用し、人が乗っている箱を前進後退させるリニアモーターカーというのが一般的だった。今の人はそれを電車と呼んでいる。
数多く種類があるらしいが、優里が乗ってきたものはどれも静かで、揺れずに速かった。
電車の中を軽く見渡す。
一番前に人が一人入れる個室の運転席があり、中盤まで座席が側面に沿って向かい合うように配置されていた。
そこから後ろは、4人掛けのボックス席が3つ、中央をあけて片側に2つ配置され、もう片方に一つ配置されていた。
一つ配置されている方の後ろにはすぐ壁があり、ちょうどボックス席と同じ面積の箱があった。
おそらくトイレだろう。
さらにその後ろは、何もない空間があって一番後ろには前と同じ個室の運転席があった。
他の乗客は誰もいない。
いるにはいるが、乗客としてカウントしていない時点で、二人がすでにそんな関係なんだろうと優里は思った。
すぐ隣を見てみる。
そこには、長い席の3分の1を占領して寝そべる小山が幸せそうな顔をして寝ていた。
頭を優里の方向に向けているため表情が良く分かる。
猫が自分のお腹を見せて甘えた時にこんな顔をする。
次に優里はイロハの様子を窺った。
イロハは相変わらず背筋を伸ばしたまま姿勢を崩さずに座っていた。
ただ、駅のホームにいる時とは違い、先ほど優里を見つめた目は閉じていた。
スリープモードだろうか、そう思ったときイロハは目を開けてゆっくりとこちらを向いた。
「どうしました?優里。」
「いや、何でもない。」
「?」
「・・・ごめん。少し話相手になってもらってもいい?このまま寝ちゃうと降りる駅逃しちゃうから。」
「・・・はい、いいですよ。」
イロハの声に嬉しい感情があるように聞こえた。
電車の音だろうか、イロハの本音だろうか、そんな疑問を打ち消すかのように電車の揺れがすこしすつ心地良くなってきた。
「私達だけになっちゃったね。」
「はい。いつも私が乗った時は聖子さんもこんな感じですよ。」
先程、駅に停車した時に三人以外の乗客が全て降りてしまった。
そこから小山は座席に寝転んでお休みを始め、気を許せる環境が生まれた。
窓から外を見ると、家の数より田んぼの数が圧倒的に多く、人の歩く姿なんてまず見えない。
「イロハさんはいつから近衛君に部品を届けているんですか?」
「私が遥斗様に部品を届けるようになったのは、5年前です。ちょうどこの時期でした。」
「5年前って、小学6年生の頃?」
「はい。ただ遥斗様ではなく、父親の大地様に渡してました。」
「そう。お父さんに。」
「私が遥斗様に初めてお会いしたのは4年と9か月前です。」
「?。その3か月間は一度も会わなかったの?」
「会えなかったと言った方がよろしいでしょうか、ただこれより先は私の口からは言えません。ごめんなさい。」
「いえ、言えないことは言わないでいいの。ただ私はイロハさんのことが知りたかったから。」
イロハがキョトンとした表情をした。
そして少し笑いながら言う。
「珍しいお方ですね。優里は。」
「そう?」
「久しぶりです。こんなに私と話す人なんて。」
「まあ、私も周りからしたら珍しい人だからね。」
優里も苦笑いをした。
するとイロハがじっと、優里を優しい目で見つめてきた。
温かさがじんわりと伝わってくるほど、感情が込められているように感じる。
しばらく間をおいてイロハがゆっくりとその口から語りだした。
「・・・私は遥斗様の父である大地様に作られたアンドロイドです。・・・私は二代目で私の前の子が届けた部品で作られました。初期型と名付けられたのは、近衛様の家に部品を届ける専用に作られた初めての型だからです。以前の子は近衛様の家に行く前にスリープモードに入ってしまっていたのに、私はスリープモードにならないように作られました。」
「電波が届かない場所ってこと?」
「そうです。今や海の真ん中に居ても電波が届く時代、近衛様はその電波が届かない、正確には電波が入れない場所に住んでいます。」
「地中深くなんて言わないでよ。」
優里が冗談交じりに言った。
「ふふ、安心してください。地上です。電波が入らないのは周りにある地盤のせいだと専門家の方たちが言っていました。」
「特別な場所か・・・。」
「そうですね、本当に特別な場所です。・・・私は言ってしまえば、造られた人間です。差別を受けたり、非難されたことも何度もありました。」
「・・・」
「働くために生まれた、機械でできている、そう知った時、哀しみや憎しみ、怒り、全ての感情が爆発して自分が嫌いになりました。死にたいとも思いました。それでも、それらの感情を打ち消すほどの愛情をくれたのが遥斗様でした。」
「近衛君が。」
「遥斗様がくれた愛情のおかげで、こうして私は今、生きています。」
「・・・。」
イロハの「生きている」という言葉が優里の心に深く突き刺さった。
重い。
電車の音がすごく遠い場所で響いているように感じた。
「・・・最初は人間なんて大嫌いでした。自分たちで補えない労働力をどうしてアンドロイド達にさせるのかって。それなのにどうして偉そうな態度をとるのかって。なんて身勝手で、傲慢な生き物だと思いました。・・・でも、それをする人ばかりではないと知りました。聖子さんはその一人です。」
優里は隣で幸せそうに眠る小山を見た。
「私が勇気を振り絞って話しかけた初めての人でした。始めはあまり話してくれなかったのですが、今ではこうやってかけがえのない友人になっています。私が故障したときも喜んで手を貸してくれました。」
「1時間位前に初めて会ったけど、本当にいい子なんだこの子は。」
優里は小山の頭を優しく撫でる。
すると、小山は寝ているのに自分から頭を手の方に擦り付けてきた。
その光景を見て二人は静かに笑った。
「・・・ねぇ、イロハさんは今私と一緒に話せて嬉しい?」
「そうですね、一緒に居ることも嬉しいですし、何よりこうやって初めて会う方と話せていること自体が嘘のようです。」
イロハが少し顔を下に向けた。
「こうやって、私のことを話しても聞いてくれる人なんて少ないですから。」
「・・・」
ふと顔を上げて今度はイロハが優里に尋ねた。
「逆に優里はどうして私と会話を交えようと思ったのですか?」
優里は少し考えた。
どう言えばよいか、自分自身も上手く言うことができないからだ。
先程の理由は嘘ではないが、嘘というわけでもない、根本的な何かを聞かれると言葉にして伝えることは難しかった。
「・・・なんとなくって言う訳じゃないの。でも、それに近い感じ。イロハさんと話したいから話してる。イロハさんのことを知りたいから話している、って感じ。でも、これじゃあ身勝手な答えかな。あはは……」
優里はまた苦笑いをした。
しかし、イロハは違った。
「いいえ、」
初めて会ったときの真顔からは信じられないほど、清々しく、優しく、穏やかで、綺麗な、一度見たら忘れることのできない微笑みを優里に見せて言った。
「とてもいい答えです。ありがとう優里。」
「べ、別に感謝されるようなことなんてしてないよ。話してるだけなんだから。」
「優里はたまにツンデレになるんですね。」
「当たり前なことと思っているから。」
「当たり前ですか、私にとってはその当たり前がすごく貴重なことなんです。・・・あの、よろしければ優里のことも聞いていいですか?」
「私?」
「はい。優里のことを知りたいです。どんなお方なのかって。」
優里は自分のことを滅多に人に話すことなどなかった。
こんな時、どう話せばよいのか分からないが、とりあえず浮かんでくる言葉を口から出してみた。
「私は・・・父さんと二人で暮らしている。母は私を産んだ後、父さんと離婚して出て行った。すぐに違う男と結婚して、今はどうなっているか分からない。父さんは男手一つで私をここまで育ててくれた。父さんはまだ若かったから再婚なんて幾らでもできたのに、私がいるから多分しなかったんだと思う。仕事と家事も全部自分だけでやって、私に苦労させないようにしてくれた。感謝してもしきれない。」
「とても良いお父様ですね。」
「うん。それで、私はお父さんががっかりするような人になりたくないって思ったの。父さんがこれが自分の娘だって誇らしく思えるような人になりたい。そう思って暮らしているんだけど、最近、行き詰まっちゃって。」
優里が得意な苦笑いをした。
「行き詰まるですか。・・・いつ頃からですか?」
「2年位前かな。自分を変える何かを見つけようとしてこの学校に入ったんだけど、世界が広いことを知っただけ。井の中の蛙大海を知らずというけれど、本当にその通りだった。私の知らないことを知って、それを使って自分を変えたいと思って行動しても、世界には知らないことがありすぎた。そして今、探すことに疲れてしまった。・・・変な話だよね、自分が頑張ればいいだけの話なのに、でも、今はやる気が起きない。山の頂上に登ったら、登ってきた山の何倍もの高さの山が聳え立っている。そんな感じ。」
「・・・。」
「そして、折れた。」
イロハは何も言わずに優里の話を聞いていた。
「ごめんね、こんな暗い話をしちゃって。」
「いいえ、しなければいけないことを探すことも大変なんですね。私は生まれた時からやることは決まっていましたから、優里がどれだけ苦しんでいるのかを理解することができません。でも、優里の場合はやることを自由に決めることができます。」
「私の場合は自由すぎるのも逆に毒だったりする。私って傲慢なのかな、時間はあるのに屁理屈ばかりつけて、やることを決めずに生活しているなんて。」
「・・・最初、私が生まれた時、したいことの選択肢がないことに絶望をしました。」
「あっ、ごめん、イロハさん。」
「いいえ、大丈夫ですよ。・・・やることが決まっている未来、それはそれで苦痛です。ですが、今は私がしていることに誇りを持っています。年月が経つにつれて次第に自分を肯定するようになって、自信が付いてきます。このために自分がいるんだって。」
「・・・」
「ただ、部品を届けるだけの仕事、それだけなんですけどね。」
イロハも苦笑いをした。
「・・・すごいですね、イロハさんって。」
「そんなことないですよ。優里はまだ若いです、だからまだいろいろなことを探すことができます。いつか必ず出会いますよ、きっと。けど、今は休めばいいんです。心の中にある熱い気持ちが再び灯を燈したとき、必ず前回の時よりも大きく、体を動かしてくれます。」
「・・・ありがとう。何か心が軽くなった気がする。」
優里は肩の重みが無くなったような気がした。
すると少し眠気が襲ってくる。
恐らくずっと気を張っていたのだろう、その張りが自分を焦らせ、自分に倦怠感を与え、何も考えなくさせていたのだと優里は感覚的に思ってしまった。
「少し、お休みしますか。」
イロハが自分の肩をポンポンと手で叩き優里によかって良いと合図を送る。
優里も眠気が本格的に強くなってきたのでイロハの誘いに戸惑いながらも乗ってみることにした。
「ごめんね、少し眠てみる。」
「はい、おやすみなさい。」
優里はイロハの肩に自分の頭をそっと乗せる。
すると、ふわっと出てくるラベンダーの香りが優里を包み込んだ。
暗くなっていく自分の視界が桃源郷への誘いのように感じる。
少しずつ体が温かくなって、軽くなって、真っ白な世界に自分だけいるような、そんな感覚を覚えて優里は浅く深い眠りについた。
優里が目を閉じて力が抜けたのを確認したイロハもゆっくりと目を閉じる。
が、イロハはすぐに目を開く。
「私を含めて三人です。遥斗様。」と一言呟く。
優里は耳元でそんな言葉を聞いたような気がしたが、今はどうでもよかった。
電車の揺れと、イロハの肩の心地よさがそんな気にさせたから。
オレンジ色の夕日が紫の侵食によって藍色に輝き始めたころ、電車は田んぼの中にある一直線の線路を鈍い音をさせながら進んで行った。