2.始まりのための出会い
普通の日であれば学校から駅までは徒歩で5分もかからない。
しかし、夏休み前という理由もあって生徒の数が多い。
併設されている新幹線に乗る生徒たちや大人たちがエントランスの前で縦横無尽に歩き回っており、改札口では常に人が並んでいた。
最終的に優里と小山が学校を出発してホームに入るまでに30分以上かかってしまった。
遅れてしまうかもしれないと小山が言ったが、まだ電車は来ておらず、二人は自動販売機で飲み物を買って、ホームにある椅子に腰を掛けた。
鎖骨辺りに汗が集まって、ゆっくりと大きくなりながら肌を滑り落ちる。
一番暑いスカートの中はなかなか湿気を逃がしてくれず、太ももの辺りの汗もゆっくりと肌を滑り落ちているのを感じた。
眼鏡を外して水を飲んだ小山が言った。
「良かったです。間に合いました。私たちが乗る在来線は一回乗れなかったら、2時間くらい次が来ないんですよ。」
隣でフゥーと大きく小山が息を吐く。
優里はその姿をまじまじと見つめてしまった。
小山の一息が気になった訳ではない。
彼女の汗の掻き方に女性としての妖艶な魅力を感じたからだ。
顔に汗が出ていないのに額と髪の付け根辺りが少し湿っており、首筋には汗の滴が数個あって、腕や足には汗など一滴もなく、白いブラウスは少し湿気を含んでいるように見えた。
というより、全身が少し火照っているように見えた。
身体が大きいから代謝も良いのだろうか、と言っても汗かきというわけでもない。
そして彼女から出る女性特有の香りは香水よりも優里を落ち着かせるものがあった。
大人の女性というか、安心できるというか、年下の後輩にこんなことを思っていいのか分からないが正直自分より老けている、とてもいい感じに。
「そうなんだ。」
そう言って優里もお茶を飲み、少し落ち着きを取り戻して辺りを見回した。
結構な都会でもなく、結構な田舎でもない中途半端な人口密度にある駅の在来線に乗る人数など、たかが知れており、二人が乗る電車が止まるホームには、電車が到着前だというのにまだ数人ほどしかいなかった。
「人少ないね。」
「いつもこんな感じですよ。座席に寝転ぶことだってできますから。・・・それにしても、水野先輩。」
「?」
「私、切符を買える人、久しぶりに見ました。」
「あぁ、私、妙なところにこだわりがあって、電車はなんとなく切符を買って乗りたい人なの。でも、電子マネーが使えない在来線なんでしょ。」
「あはは、まぁ私たちがこれから行くところは陸の孤島ですから。」
学校からホームまでの間で優里は小山とすっかり打ち解け合うほどの仲になっていた。
というより、小山が最初にあった時より随分と懐いてくれているようにも見えた。
自分と気が合う人が隣にいてくれると気が少し落ち着く、知るには知っていたことだが小山にはその落ち着きが今まで会ってきた誰よりも深く感じる。
体の大きさと比例するかのように。
「ん?」
優里がホームを歩くあるものに目が付く。
「ねえ、小山さん。」
「はい。」
「あの子って。」
優里が気になったもの、それはスーツを着た女性だった。
しかし、普通の女性なら気にはならない。
気になった理由は、
「あぁ、イロハさんですよ。彼女はアンドロイドです。」
「?」
どうしてここのホームにいるのだろうか、とか、他に思ったことがあったが、その疑問に小山がすぐに答えてくれた。
「彼女は私の知り合いなんです。そして、遥斗の所にいつも部品を届けに行っているんですよ。」
「あ、そうなんだ。それで部品って、なんの?」
「アンドロイドを作るための部品です。」
「えっ。」
優里は耳を疑った。
衝撃的というか、驚愕的といった方がよいか。
今この世界にはアンドロイドが至る所にいる。
彼らは日常生活において欠かせないことを担っている。一番は労働力であるが、家庭においての家事や危険場所における作業、ブラックな部分では売婦として、アンドロイドとしてまだまだ実験段階であった際には戦争道具として過去に使用されたこともある。
彼らは24時間365日休まずに動き続けることができる。
だから、スーパーが24時間営業なのは当たり前、夜中に街が眠らないのも当たり前、自分の周りの世話を全部してくれるのも当たり前、会社に代理出勤させて給料をぶん取るのも当たり前。
彼らがこの国にとってプラスになっているのは間違いない。
ただ、全てのことがプラスになっている訳でもない。
優里が小学生の頃、アンドロイドを製作している会社の社員が集団暴行を受け、八つ裂きにされてアンドロイドの製造工場の前に転がっていたという事件が起こった。
犯人グループはアンドロイドを持ってない無職の人たちで、職場に入ってきたアンドロイドの代わりに会社から解雇された人の集まりだった。
人を解雇してアンドロイドを導入した会社のほとんどは「優秀な人材を会社に残した方が自分たちのメリットになるから。」と言っていたが、この世にアンドロイドより優秀な人間など存在しない。
この事件があった後に法律が改定され、新しいアンドロイドを企業に入れた場合、10年間その企業は本人の意思以外の方法で人間の従業員の解雇を禁止する法律が完成された。
よって、それ以降アンドロイドを作る人間が襲われるという事件は無くなってきているが、法律の裏をかいて会社側が強制的に従業員に辞職届を提出させるパワハラが話題になっている。
優里の父親が子供の頃は何事においても平均的な能力を持っている人材が優秀だと言われていたらしいが、人間の平均的能力がアンドロイドの持つ平均的能力に敵うはずもなく、現在では何か一つの分野において特化している人材の方が企業は必要としていた。
優里はイロハの姿をじっくりと観察をしてみる。
スーツを着ているが、スリーサイズの一部が一般女性より大きいことぐらいすぐに分かった。特に胸とお尻である。腰は普通といったところだろうか。
肩まで伸ばしている髪は如月と同じように緩い風で宙に浮くぐらいの柔らかさときめ細やかさを持ち、体系は雑誌に載るモデル並みに細く、それなのに貧弱そうには全く見えなかった。
例えるなら、ただ痩せているだけではなく、ボクサーのように絞られた筋肉みたいだった。
容姿は言うまでもない。
アンドロイドはこの国の人が、誰でも好みそうな平均的容姿をしている。
どういったかんじで作られているか分からないが、男性からも女性からも評判は良いらしい。
実際、イロハも学校にいれば男性からのアプローチを受けて学生生活を満喫できる容姿を持っている。
それでもって、女性からも好まれるようなクールさを合わせて持っていた。
アンドロイドは機械だ。
だから姿勢が崩れることなど全くなく、背筋をずっと真っ直ぐにしている姿は見ている方もとても気分が良かった。
色々な愚痴を言い、態度も悪く、他人に迷惑をかける従業員よりも圧倒的にこっちのほうが良い。
誰にでもすぐ分かることだ。
それにお金を全く使う習慣がなく、家事などもしっかりとこなすため、人間の専業主婦(主夫)なんてものも必要ない。
聞いた話だと、お金持ちの資産家や上の役職を持っている人間ほど、アンドロイドを専業主婦にしているとか。
アンドロイドは働くために生まれてきたと言っても過言ではない。
如月は言った。
アンドロイドには感情や性格があると。
どういった気持ちで動いているのだろうか、そう言ったことを聞いてしまうと彼らに失礼になってしまうだろうか。
優里はイロハを見ていた。すると突然、そのアンドロイドが肩まであるストレートの髪を肩に優しくなぞらせてこっちを向いた。
不意を突かれて思わずビクッと驚く。
人と目が合うことなんて日常生活では普通にあることだ、それでも優里が驚いた理由は彼女の目は恐ろしいほど真っ直ぐに自分の目を見ていたからだ。
優里の目が突き抜けてしまうのではないかというほど、イロハと呼ばれるアンドロイドは優里の瞳、ただ一点を見つめていた。
そして、見つめられている優里はどうしてよいか分からず、ただアンドロイドを見つめ返すことしかできなかった。
「こんばんは~、イロハさん。」
全く動くことができない優里に構わず、隣に座っている小山がイロハに手を振った。
イロハは小山に気づくと真顔だったが笑顔になって手のひらを見せて小山に返し、振り返した手を降ろすと、背筋を真っ直ぐに伸ばした状態で、一歩ずつ、二人の元に向かって歩き出した。
二人の元までイロハがたどり着くと小山が再びイロハに言った。
「こんばんはイロハさん。」
「はい、お久しぶりでございます。聖子さん。」
「今日も部品を遥斗に届けに行くのですか?」
「はい。遥斗さんにはいつもお世話になっていますから。今日もお届け物の務めを果たしています。」
イロハは手のひらを見せた逆の手に持っている青い袋を二人に見せるように前に出した。
「(あれっ。)」
イロハが持っている袋の色は、昼間に道端に落ちていたら誰の目にでも止まるような青色をしていた。
優里は如月から渡された紙袋の中を覗き、届けて欲しいと頼まれた青い封筒を見てみる。
「・・・。」
偶然だろうか。
イロハと呼ばれるアンドロイドが持っている青い袋と如月から渡された青い封筒、ホームの光の影響を受けて少し変色しているように見えているが、おそらく全く同じ色だろう。
青い封筒や袋なんてどこにでもある物だ。
でも優里がここまで気になる理由は、その青色が普通の青より印象に残る色だったから。
深海のように禍々しい暗さを持ちつつ、真夏日の晴天のようにすがすがしい明るさを兼ね供えていた。
人で例えるなら、クールな外見をしているのに人前では陽気な性格を演じていて、人のいない場所でしか悲しそうな表情を出さない、そう言ったかんじだろうか。
「あの。そちらの方は?」
イロハが優里の方を向いて言った。
彼女の優里を見る目は、先ほどとはうって変わり穏やかで優しい目をしていた。
「私の先輩です。」
「初めまして、水野優里と言います。」
優里は立ち上がって、イロハに頭を下げた。
頭を上げると今度はイロハが頭を下げて自己紹介を始める。
「こちらこそ、初めまして。私は初期型アンドロイド168‐A001号といいます。皆様からは親しみを込められて168(イロハ)と呼ばれています。」
「そうなんだ。これからよろしくイロハさん。」
「はい。よろしくお願いします。水野さん。」
優里はイロハに早速尋ねたいことがあったので聞いてみた。
「あの、イロハさん。」
「はい、なんでしょうか。」
「私、近衛遥斗君に渡す届け物を持っているのですが、学校の届け物を渡しに行くアンドロイドでは近衛君の家まで行けないと言われました。イロハさんはその、近衛君の家まで行くことができるのですか?」
「私は自分の力だけでは遥斗様の家まで行くことはできません。」
「そ、そうですか。すみません変なこと聞いてしまって。」
「いえ、ただ、」
「?」
「他のアンドロイドとは違って、私は遥斗様の家まで行ってもスリープモードになることはありません。うまく動くことはできませんが。・・・もし、良ければ私が水野さんの届け物を持って行きましょうか?」
「いえ、そういうつもりで言った訳じゃないんです。近衛君が住んでいるところがどういった場所なのか気になったので。それに小山さんと別れてからは私一人で行くようになるので少し心寂しかったから一緒に行ってくれると心強いなって。」
「私でよろしければ、是非ともお供させていただきますよ。」
「ありがとう。知っている人がいると助かります。」
不思議な感覚を優里は体験した。
これが、本当に作られた人間なのだろうか、まるで人間のようではないかと。
優里はイロハみたいなアンドロイドと正面に向かい合って話したことはなかった。
話す機会など幾らでもあったはずだ。
でも、優里は心のどこかで彼らに対する壁を作っていた。
優里はあまり人と話すことはないが、話さないことはない。
自分から話すこともあるし、相談や談笑だってする。
しかし、相手が人であった場合のみだった。
人間とアンドロイドの関係は法律により平等に扱わないといけない。
対等な関係を築き上げることがこれからの未来を支える要因となると会見で偉い人たちが言った。
しかし、実際はそうではない。
対等な関係どころが、一方的な人間の支配。
労働力目的で作られた彼らに人間と同じような人権を与える必要などないと多くの人たちが思っていた。
強いて言うならば、奴隷。
今まで何度もアンドロイドがひどい目にあっていることを見てきた。
危険作業場でアンドロイドが事故に巻き込まれて再起不能になってしまったことや、アンドロイドだからという理由で女性型アンドロイドが男性から性的暴行を受けたり、挙句の果ては過ぎた労働力を確保してしまっために人間の労働者を守るため、産業廃棄物として捨てられることまであった。
人間の形をしているから奴隷という言葉が通じるのかもしれない。
しかし、如月はアンドロイドにも感情があると言った。
彼らにも個々の心が存在するのだ。
心を持つ者同士が話して成立する会話。
話が合うか、合わないのも、その人と理解し合えるか、し合えないのも、その結果を知ることができるのは心を持った者同士でないと知ることはできない。
今、自分はイロハと話せていた。
彼女に対する壁は存在していたが、これは初対面の人と話すときと同じ壁だったのだ。
優里は少し自分のことが嫌いになった。
こういうことで壁を作っていること自体、それこそが差別をしている人間と同じなのだから。
心を持つ人間なのに、心を持っていない者と同じようなものだと感じてしまった。
「5時30分発、睦月行き、ワンマン列車が一両でホームに入ります。ご注意下さい。」
スピーカーから発せられる駅員の声によって、電車が到着する連絡がホームに響き渡った。
「あ、この便ですよ。乗るのは。」
小山が優里に伝える。
「分かった。」
優里が座席を立とうとしたときイロハが優里の手荷物を見て言った。
「水野さん、お荷物お持ちしましょうか?」
「いいよ、大丈夫。それと、さんなんてつけなくても名前の呼び捨てでいいからね。私そういうのあまり好きじゃないの。」
イロハは少し呆気にとられた表情をしたが、少し微笑んで「はい、分かりました、優里。」と照れ臭そうに言った。
こっちもなんだか照れ臭くなってしまった。
子供の頃はなんとも思わなかった自分とは明らかに違う人との、このやり取りが、歳を重ねていくうえで難しくなっていってしまったのはなぜだろうか。
この難しい問題の答えはなんだろうか。
考えるだけ無駄な問題のような気がするが、今は初めてできたアンドロイドとの関係がとても嬉しかった。
「じゃあ、私も優里先輩って呼んでいいですか?」
小山が身を乗り出してイロハと優里の会話に便乗をしてきた。
「いいよ、そういうことを気にするような人になりたくないから。」
「分かりました。優里先輩。」
小山がにんまり笑ったと同時にホームに電車が入ってきた。
電車が停車位置に着くと、すぐに小山が荷物を持って立ち上がり、三人の先頭をきって電車に乗り込んだ。
優里も荷物を持って立ち上がろうとしたとき、既に乗っている小山が電車の入口から身を乗り出してまだホームにいる二人に伝える。
「早くしないと出発しちゃいますよ~。」
人の目につきたくないと言っていたのに、どういうわけか、こんな性格なら人の目につかないわけがないと優里は思った。
でも、なぜか小山のこの行動を自分にしてくれていることがとても嬉しかった。
「行こう。イロハさん。」
「はい。」
二人は小山に続いて電車に乗った。
その後、ワンマン電車は大きなエンジン音を出し、重い腰を上げるようにゆっくりと進み始め、三人は駅のホームを後にした。






