1.始まりのきっかけ
授業の終わるチャイムが校内に響きわたる。
生徒がぞろぞろと己に課された使命を果たすため動き出した。
放課後という時間帯に切り替わったのだ。
授業を担当した先生がまだ教壇に立っているが、さっきまで教室にいた丸坊主の生徒は窓際から外を見ると既にグラウンドを荷物を持って走っていた。
先生が教室から出ていっても椅子と床の擦れ合う音がなかなか鳴りやまない。
そんな中、自分の指命を持たず、仲間という集団を作って時間を過ごす者達が集まり、やがては教室を出ていった。
水野 優里 (みずの ゆり)も本来なら、予鈴が鳴ったと同時に下校する予定だった。
部活動もしていないのに帰らない理由は、今日の放課後少し待っておいて欲しいと先生に言われたからだ。
肘を立てて手のひらに頬を置き、窓際の席から外を眺める。
白い半袖のブラウスは高校入学と同時に買ったものだが、一年経つだけで胸の辺りが少しきつくなってしまった。
前に屈むと少し苦しいけど、授業中背筋を伸ばしていたので、今は少し曲げておきたかった。
やがて教室が静かになる。
風の吹き込む音が聞こえるほどに。
ここは都市から少し離れた郊外の、私立進学校。
周りにそれなりの数の民家が存在しているが、疎らになっているので、この辺りでの窮屈さはほとんど無い。
電車で15分ほど走れば都市と言えるような場所には到達するが、大抵のものがこの地で手に入るので、電車を利用して都会にいく人はそうそういなかった。
スイーツ屋もなければ、ファッションセンターもない、ゲームセンターもなければ、全国チェーンの店舗すらない。
あるのは、時間、自然、そして地域の人との深い絆、ぐらいだろうか。
しかし、余計なものがないからこそ、勉強に集中できるよさがあった。
朝、満員電車に乗って、知らない人と肩をぶつけあって、どこでもいそうな平凡な自分と葛藤して、そんな自分の精神を削るようなことがないから生きやすい。
勉強するには良い環境の町だった。
またこの町は、現在、欲のあまりない優里にとって、余った時間を流すためには絶好の場所であった。
今時、無欲な人というのは珍しい生き物なのだろうか。
窓から夕日を眺めて考える。
無欲というより、興味がないといったほうがよいのだろうか、物にたいしても、人にたいしても。
流石に、人の頑張っている姿を見て何も感じなくなるというところまではいっていない、そこまでいくと、自分が人である必要がなくなってしまう。
ただ、自分の共感できないものが多すぎて、自分がおかしいのかと思ってしまい、そう考えるくらいならそれらを流せばよいと思ってしまったのだろう。
結果、いろいろなものに興味がなくなってしまった。
年齢に応じた必要なことをすればよい。
そう結論づけたのは中学3年の頃だった。
無欲なために、見つけ出した率直な結論こそが究極の解答だった。
欲は人を狂わせる。
なぜ知識もまだ浅はかなのに、こんな哲学的なことをこの時に知ったのか優里にも分からなかった。
それから優里は高校に入学しても自分が無力であることに変わりがなかった。
いろんな人と関わりが増えて、いろんなことを学んで、いろんな場所を歩き回って、いろんなことを一年の時に経験してきた。
それでも、何か変わるとこの時まで信じていた。
ほんの小さな希望だった、願いだったのかもしれない。
高校生における一年は社会人の十年に匹敵するほどの貴重な時間の集まりだった。
そして、社会人における十年の貴重な時間を費やして見つけ出した自分は、高校に入学した時と同じ自分だった。
一年を費やして変えようとした自分のあり方が中学三年の頃に戻ったのだ。
思考しても、行動しても、環状線のように自分の思考の終点が始発になってしまった。
年齢に応じた必要なことをすれば、それだけでいいと知ってしまったのだ。
止まってしまった世界に待ち受けるもの、それは衰退、やがては崩壊する。
止まってしまった人に待ち受けるもの、それは衰弱、やがては死んでしまう。
ここにおける死んでしまうとは生命のことではなく、心のことだ。
夕日を眺めて考える。
自分が太陽だったなら、もうすぐ沈んでしまうんだろうな、と。
「今日は疲れたな。」
独り言は留められていないカーテンを揺らすほどの強い風の音に包まれて消えてしまった。
「水野さん、いる?」
優里しかいない教室の入口に優里の下校を引き留めた教師が現れた。
優里と同じくらいの身長をした国語担当の女性教師だ。
容姿がとてもよく、愛想もいいから学校の中で人気な教師。
この学校に新卒で就任して六年経過しており、就任一年目から毎年卒業生の男子から交際を要求されてきたが、なかなかのイケメンな生徒が告白してもずっと断り続けていた。
横を通りすぎるととてもいい香りがする。
女性でもうっとりとしてしまいそうな優しい香りだ。
極め付きは、これでもかと言わんばかりの艶やかさを蓄えた肩まである黒髪だった。
艶やかさがあるのにタンポポの綿毛みたいに軽く、生まれたての赤子の肌みたいにスベスベだった。
普通の素振りが容姿のせいなのか、香りのせいなのか、相乗効果で可愛く見えてしまう。
身長が低く、授業の教材をその控えめな胸に抱えて持って歩く姿は廊下を歩く男子生徒を虜にしていた。
このクラスの副担任をしている。
女性教師がこのクラスの担当をすることが分かった時、男子生徒からは猛烈な歓声が揚がったが、一部の女子生徒から嫉妬を買っていた。
そんな女性教師が今、自分の名前を呼んでいる。
「はい。」
教師が優里を見つけると優里の机のもとまで歩いて近づいた。
手にはデパートとかで大きなものを買った時に商品を入れてもらえる大きな紙袋を持っていた。
そんなに量が入っていないのか、手持ちのすぐ根元からいくつか書類が入っているのが見える。
教師が優里の前に立ち、優里の前の席の椅子を回して目の前に座った。
「水野さん。」
「はい。」
「最近、調子はどう?」
多分、少し世間話をするのだろう。
別に今、急いでいるわけではないので焦ることはなかった。
そして、何気にこう言った世間話を気の許せる人とゆっくり話せるのは嫌いではなかった。
「まあまあです。」
「そう。なんか最近元気が無さそうに見えたから。」
「・・・。」
あながち間違ってはいない。
元気にならない理由をこの春に見つけてしまったのだから。
「何か相談したいことがあるなら遠慮なく言ってね、私で力になれることなら水野さんに協力するから。」
「・・・はい。」
女性教師はこういったことに繊細で、こうして話してくれる。
だからこそいろんな人に好かれているのだろう。
温かいのだ。他人とは思えないほどの母性を感じる。
この教師の魅力の一つなのだろう。
「水野さん聞いたよ。」
「?」
話の流れが突然変わったので優里はキョトンとした表情になる。
「先週あった夏休み前の定期考査、結構よかったらしいね。先生達から点数聞いたよ。」
「たまたまです。」
「それ、この春にも聞きました。自分を精進させるのはいいことだけど、たまには自分を褒めることも必要なことだよ。」
「はい。」
勉強はやればできること、努力は実らないという言葉の対義語みたいなものなのだ。
言い換えれば誰でもできること。
年相応のことをやっている優里にとって、テストの点数が良いことは当たり前のことなのだ。
だから誰に何と言われようと嬉しくもなんともなかった。
「でも、私よりも勉強できる人なんてこの学校にはいくらでもいるじゃないですか。」
そう、この学校はあくまでも進学校なのだ。
自分よりも頭の良い人なんて学校の至る所にいる。
授業が終わって一番最初に教室を出ていった丸坊主の生徒は、数百人といる同級生のいる中でテストがあるたびに必ず十位以内に名前があった。
そんな人と比べると、部活動もしていない自分が彼よりも勉強ができなかったら悲しくなってしまう。
「テストの時しか学校に来ない人だって頭の良い人がいるじゃないですか。」
「・・・近衛君のこと?」
「・・・。」
一年生の時、一番印象に残っている人だった。
彼の名前を最初に見たのは第一回目の定期考査の成績発表で、彼は国語の教科以外全て満点の成績だった。
意外だったのは、その国語の点数が0点だったこと。
高校に入学して一番最初に印象に残ったことだった。
その後も彼はテストの日だけ学校に姿を現し、満点の成績を修めては国語の教科だけは0だった。
どんな姿をしているのだろうと興味を持ったが、学校にはテストの日しか来ず、一年生の時の彼のクラスの生徒でさえ彼の顔を見たのは半数にも至らなかった。
2年生になってから同じクラスになったものの、やはりテストの日しか学校に来ず、休み時間になる前にテストを裏返して席を離れ、再びテストが配られた後に席に戻ってテストを受けていた。
席が一番後ろにあるのもあって、テストの最中に後ろの席を見るわけにもいかず、彼の顔は見ることができなかった。
そして、その時にどうして彼が国語の教科だけ0点だったのかという理由も知った。
彼は国語の教科のテストになると、教室に姿を現さなかったのだ。
チャイムが鳴った始まりから終わりまで。
相変わらず国語の教科の点数は0点で、他の教科は満点だった。
これが3か月前の出来事であり、今回の定期考査は全部の教科を欠席した。
別にいつもいないから今回のテストの欠席に対して気になどはしていない、しかし水野は彼に対して気に入らない点があった。
「水野さん、近衛君は家の事情があって学校に来れないの。彼が高校に入学する時、近衛君の保護者の方から事情の説明を受けて学校側がそれを承認したの。」
「・・・すいません。・・・最近、なんかいろいろとむしゃくしゃすることがあって、何が原因か分からないんですけど、言葉で表現できないモヤモヤガがここの辺りで暴れようとしているんです。」
そう言って水野は胸の中心に手を当てた。
「・・・水野さん。あなたが努力しているのは知っている。学校に入った時から何かを探そうとして、いろいろなことに挑戦していったのも知っている。今は少し疲れているだけなの。明日から夏休みになるし、いろいろなことを考えられる時間がいっぱいあるから、落ち着いて、焦らなくていいの。ゆっくり、少しずつ、探していけば。」
「・・・はい。」
やはり、この先生には不思議な魅力がある。
男子生徒が惹かれるのも無理はないと思えるほど、大人らしさと可愛さを兼ねて持ち、人柄が良すぎている。
女子である自分でさえ、女性である彼女に惹かれそうになっているのだから。
親の愛情とは違う温かさに包まれた幸せな気分が、胸の真ん中で暴れているむしゃくしゃしていたわだかまりを少し消していくような気がした。
二人だけの教室に再び優しい風が吹き込む。
その風は二人の髪を撫でて教室を通り過ぎていった。
オレンジ色の光が如月と優里の髪を照らし、二人のそれぞれの髪に潜むもう一つの色素を滲み出していた。
如月の赤い色、優里の青い色。
迫り来る夜の色は、まだオレンジ色の強さに勝てていなかった。
優里が口を開く。
「如月先生。」
「何?」
「あの、今日はどうして私を放課後に残したんですか?」
優里の言葉を聞いた如月は机の下に置いた紙袋を優里の目の前に出した。
少し縦長だったので縦で置くことができず、如月は机の上に紙袋を横に寝かせた。
「・・・。何ですかこれ?」
「無理も承知でお願いしたいのだけど、いい?」
「?」
如月は袋の中にある何枚かの書類を取り出して優里に見せた。
ざっと見た書類の文章に優里は見覚えがあった。
「これって、今回の定期考査の問題用紙じゃ。」
「うん、そう。」
ここまでくると、優里に如月のお願いというものが薄々理解できてきた。
「近衛君にこの袋を届けるということですか?」
「そういうこと。でも、それだけなら私がする。何で水野さんにお願いしているのかというと。」
如月は袋の中から夏休みの期末テストを取り出して袋の下に敷き、その後、袋の中から青色の封筒を取り出して袋の上に置いた。
日の出ている時間帯に道端に落ちていたら誰にでも目に付く、そんな色だった。
「今日中に届けて欲しいと校長先生から今朝、この封筒を渡されたの。本当は私が行きたいんだけど今日は夏休み前の保護者懇談が夜の9時まであって、それが終わってから近衛君の家に行こうとしても終電までには間に合わなくて。」
「届け物を送るこの学校専用のアンドロイドがいませんでしたか?」
「それができたら一番良かったんだけどね。アンドロイドは電波のない場所では動くことができないから。」
如月の言葉に引っ掛かった。
「?。初めて聞きましたよ、そんなこと。」
「?。・・・ああ、アンドロイドは電波のない場所で動けないこと?」
「はい。」
「今、この国で電波のない場所なんてないから、このことが初耳なのは仕方ないのかもしれないよね。そうなの、アンドロイドは電波が届かない、もしくは受信できなかった場合その場でスリープしちゃって、メーカーに問い合わせて、スリープしたアンドロイドに直接操作してもらわないとそのスリープが解除できない仕組みになっているの。」
「どうしてですか?」
優里は疑問があるとその理由を知りたくなる。
なぜなら、知ってて損はないし、知ることに罪はないと自分の中で割り切っているからだ。
「水野さん。」
「はい。」
「私達の身近にいるアンドロイドって人造人間ってことは知っているわよね。」
「はい。それでもって私達人間と同じように国民主権や基本的人権の尊重、平和主義を持ち、納税、勤労の義務を持っていますよね。」
「そう、そして教育の義務を持たない。・・・どうしてこの教育の義務がないと思う?」
「・・・勉強する必要がないから、ですか?モラル、マナーとかも含めて。」
「その通り。生まれた時に人類が今まで造り出した知識を全て蓄えているの。頭の中に。」
人間とは違って、勉強する必要はない。なんとなく理解できることだ。
一度覚えたことなら二度と忘れない、そしてそれを蓄えることに十分すぎる容量。円周率を人の生命が尽きるまで数えることができ、知らない言葉なんてない歩く辞書でもある。
世界中の言葉を話すことができ、各地で異なる常識や行儀作法も全て知っている。
こんな人に教育しようとしても、ただの時間の無駄なのだ。普通に考えてそうなる。
「・・・なんか、不平等ですね。私がやっていること、学校に来ていること無駄な気がしてきました。」
「でも、向こう側からしたら、学校に通いたいって思う子もいるかもしれないわよ。」
「・・・そうですね。・・・それで、先生どうしてそのことを?」
「あ、そうね。アンドロイドは知識を蓄えているのだけど、なんて言えばいいのかしら、全員個性があるのに、全員同じ知能を持っているというのかな。」
「?・・・全員が同じIQで、全員の性格が違うってことですか?」
「そうそう、そういうこと。テストをしたらみんな同じ点数だけど、みんなしっかりと自分の個性を持っているということ。活発な子もいるし、大人しい子もいる、マイペースな子もいるし、几帳面な子もいる。・・・どうしてだと思う。」
「・・・。」
「近衛君はこのことに詳しいから、持って行ったついでに聞いてみたらいいと先生は思うんだけどな?どうして届け物をアンドロイドにも頼めないのか、ということも。ね、お願い。」
申し訳なさそうな顔をして手を合わせ、首を傾げながらお願いする如月を前にして断りづらくなってしまった。
しかしながら、自分に時間が欲しかったのも事実だった。
立ち止まることを許せず、壁にぶつかっても指でかぐりながら進んでいた自分を休ませるために。
「分かりました。引き受けます。」
「ありがとね、水野さん。」
「いえいいんです、ただ、聞きたいことがあります。」
「何?」
さっきの如月の言葉に気になる点があった。
水野は今から如月にある質問をする。
水野はこの疑問を高校に入ってから抱いたものだが、他人のことなので気にしないでいた。
ただ、今回のことで実際にその人に関わるのでできる限り知りたいことは知っておきたかった。
疑問を疑問のまま残しておくことはあまり好きでなかったから。
「近衛君は、その・・・一体何をしているんですか?」
「・・・それは本人に聞いてみて。多分、水野さんはとっても驚くわ。」
「・・・。」
結局、水野は疑問の晴れないまま如月の依頼を受けることとなり、如月は「よろしくね。水野さん。」と言って教室を後にした。
「・・・。」
水野はスマートフォンを取り出して、如月から貰った近衛遥斗の家の住所を見ながら、生徒の住所を先生が生徒に教えてもいいのかと思いつつ、地図アプリで検索をかけた。
「・・・・・・・・・・・・………。」
長い。さすが二世代前の携帯というべきか。
そもそも、携帯を手に持っている時点で時代遅れなのだろう。
今はまだ使うことができるが、あと1年もしない内にこの携帯は電話やアプリのサービスが終わってしまう。小学生の頃に古い物好きの父親から貰った携帯で大切に使ってきたがとうとう止めを刺されてしまうのだ。
父親と同じで古いものが好きだが、古いものが好きだとどうしても手間をかけなければいけないこともある。それが醍醐味だと思うが、やっぱり手間のかかることには変わりない。
しかし、いざとなってそれが無くなってしまうと考えると寂しいものだった。
「あっ、出た。」
しばらくすると、マップの一か所に赤い点が打たれた。
そして水野が普通に思ったこと。
「・・・どこ、ここ?」
もう一度、この住所を検索し直してみた。
しかし、赤い点は先ほどと同じ場所を指していた。
「・・・。」
周りに目印になる建物なんてない。
平野にぽつんとある一軒家のようだった。
辺りを調べてみると少し離れたところに、小学校と中学校の併合されたものがあった。
そこから、駅までは近かったが、近衛遥斗の家はその近くになかった。
次にどうやって行くのか交通手段を検索してみる。
出発する場所は学校からで、近衛遥斗の家まで最短の道を探してみた。
検索の結果は
学校から最短の道
駅まで徒歩5分
電車で1時間
車で30分
「・・・私、車持ってないんだけど。」
駅の近くに自動タクシーは………無いようだ。
いくら自分から先生の頼みを承認したとはいえ、車も持てない学生にこの交通手段はかなりきつかった。
「どうやって行こうかな?」
自分の親には頼みたくないし、この付近になるとあてになる人が誰もいない。
弾丸一人旅行と同じような感じだった。
しかし、水野は何回も一人旅行をしていた。
アルバイトでお金を溜めて、学校を一週間ぐらい行かないで、一人で考えて行きたいところに行って、道に迷っても結局最後は何とかなった。
まぁ、いろいろなものがあるからこそ、成り立ったような旅だったが。
今回は違う。今時にこれほど何もない土地があってよいのだろうか。
無人島にでさえ電波の基地局がある時代、陸地に絶海の孤島があること自体不思議なことだった。
スマートフォンを机の中にしまい、もう一度肘を立てて手のひらに頬を置き、窓際の席から外を眺めた。
「やっぱり、歩くしかないのかな。」
諦めムードで呟いた、その時、教室の入口からか弱い声が聞こえた。
「し、失礼します。」
「ん。」
水野が教室の入口を見ると、引き戸のドアから黒淵眼鏡をかけた女子が覗き込んでいた。
「あ、あのー、水野優里先輩ですか?」
「そうだけど、どうしたの?」
「如月先生に頼まれて、途中まで一緒に帰って欲しいと頼まれて、」
「あ、そうなの。・・・あなたは?」
ドアから身を出して彼女が自己紹介を始めた。
「わ、わたし、小山聖子といいます。1年2組です。」
優里は彼女の自己紹介よりもまず最初に目に入ったことがあった。
それは、190もあろうかと思われる彼女の身長だ。
頭部のてっぺんが引き戸の上のレーンに隠れて見えない。
「あ、よろしくね。」
「は、はい。」
「こっちに来ていいよ。ここに座って。」
「は、はい、失礼します。」
小山が少しかがんで教室の中に入る。
そして、先ほど如月が座っていた席に小山が座った。
改めて眺めてみると、小山の身長は大きかった。
顔が小さくて、やせ気味なのに、女性が望むサイズのものを持っていた。
クセが無く柔らかそうな髪は後ろで一つにまとめており、猫のように愛しい容姿をしているがためおどおどしている姿はとても可愛いらしかった。
「そんなに、びくびくしなくていいよ。とって食べやしないから。」
「す、すみません。人の視線が苦手で。」
小山は視線をそらして話す。
「わ、わたしこんな体しているから、色んな人から注目をあびちゃって。」
「そ、そうなの。」
優里は何も言えなかった。
体が大きいだけなら誰の目にも止まらない、世の中には色んな人がいるし、知らない人なら尚更だ。
でも、その人が特別だったらどうだろうか、例えば、体は細いのに肌がマシュマロのように柔らかそうだったり、大きくあってほしいところが一般女性より少し大きかったり、厳ついことなど微塵も感じさせないほどの和やかな容姿であったり、男なら誰でも目がいってしまう女子高校生だったり。
抱き枕にでもしようものなら、極上の眠りを提供してくれそうなそんな身体をしていた。
極め付きは黒淵メガネである。
鼻が小さいから、自分の目の部分にレンズをあわせるためにレンズが少し大きかった。
そして、眼鏡が少し重いのか小さい鼻では支えることができずレンズが顔の前で前のめりになっていた。
最終的にレンズのギリギリ上を通して物事を見ているみたいだった。
その姿が本人と相性がよく、可愛さをより一層濃くしていた。
今の小山聖子が注目を浴びないわけがない、優里はそう思ってしまった。
如月先生と同じように特徴が有り過ぎて。
「あ、あの如月先生から今さっきこれを渡されました。」
小山は黒淵の眼鏡をずらしながら懐の手帳を取り出し、そこに挟んである封筒を優里に渡した。
「これは何?」
「届け物をするのに、このお金を使ってと言っていました。お釣りも返さなくていいそうです。」
優里は封筒の中を取り出してみる。
紙幣が1枚入っていた。
「一万円も。・・・ねぇ、小山さん。」
「な、何ですか?」
「近衛君と家は近いの?」
「いえ、遥斗とは、家が離れています。ただ、あの辺一帯は同じ学校に小、中と通うのでお互いのことをよく知ります。人数も少ないですから。」
「そう。」
「私は遥斗の家がある駅の、ひとつ手前の駅で降ります。もし、困った時は私に連絡してください。駅からは近いので、すぐ駆けつけれます。」
「ありがとう。連絡先交換してくれる?」
「は、はい。もちろんです。」
小山が懐からスマートフォンを取り出して、画面を操作し始めた。
「・・・。」
「?。どうしました。水野先輩。」
「いや、今時、スマートフォンを持っている人ってなかなか見ないから、珍しいなって。」
「す、すいません。そうですよね、今は電子メガネか電子コンタクトレンズの時代ですもんね。でも、すいません。私の住んでいる地域では、電波がこれじゃないと繋がらなくて。」
「いえ、小山さん。これ見て。」
優里は少し微笑みながら、自分の机の中からあるものを取り出した。
「水野先輩、これって。」
「うん、実は私も使ってる。」
水野が取り出したスマートフォンを二人で見つめて、そのあとにお互いの顔をみつめあうと、二人とも同時にクスクスと笑い始めた。