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紫夜の眺望  作者: 伊倉 夕
12/20

11 帰り道


 

 奏山駅で二人と別れた優里は電車を乗り継いで、時には歩き、自分の家まで帰宅した。


 街にそびえ立つ摩天楼の数々、そしてそれらを環状に取り囲む多数の小さな箱達。

 中心にある塔に惹きつけられるように集まった小さな建物達は、空気の揺らぎがあったりすると時々犇めき合っているように映ることがある。


 そんな景色を離れた場所から一望できる高台に集合住宅が建てられており、その一部屋に優里の家があった。


 部屋は地上から15メートルほどの高さであるが、建築されている場所が場所であったため、親指ぐらいの長さにしか見えない摩天楼の高さをこのアパートは容易く超えているように感じてしまうのだ。


 遠くに見える街の景色は夜になると小さな光が瞬き始める。

 それはまるで、夜空を地面に映す鏡のようだった。


 そして優里は現在、自分の家の玄関でまだ鏡にならない街の景色を見ながら、ある人を待っていた。


 優里が奏山駅を発ってからすぐに父から連絡があり、家の鍵を隣人に預けたと聞いた。


 優里も父もその隣人とは付き合いが長い。

 優里が小学生の頃に隣に引っ越してきた人なのだが、挨拶に来た時にガッチガッチに固まっていたのを今でも覚えている。

 父から、有名な企業に就職した新入社員と聞いたが、当時はその凄さがよく分からなかった。


 父が昨日と今日で色々な取引先を回っている間に、偶然にもその人に会えたらしく、今日家に帰ることを聞いて鍵をその人に渡したそうだ。


 ちなみに、父は今日も帰ってこれそうにない。


 遠くからは帰って来ている。今、父がいる場所は電車で2時間程の距離の場所だった。

 しかし、次の日の朝がとても早いので、今日は家に帰らず現地に泊まって明日を迎えるらしい。



 父には頭が上がらない。

 学生である自分の為にここまで私生活を犠牲にして働いているのだ。


 ふと、父の言葉を思い出す。

「気にするな。優里が元気でいてくれたらそれでいい。」


 娘の為に、という思いは強く伝わる。しかし、その度に優里は思ってしまうのだ、自分が足かせになっているのではないかと。

 

 少し父のことが心配になってしまった。

 身体は大丈夫なのか、しっかり寝れているのか、しっかり食事がとれているのか、と。

 

「連絡してみようかな。」


 優里はポケットからスマートフォンを取り出し、受話器のマークを押そうとした。

 すると、活気の良い声が自分の名前を呼んだ。


「優里ちゃ~ん。」


 優里が声のする方向を向く。


「あ、河合さん。」

「おい~す。」


 陽気な挨拶をする河合が歩きながら近づいてくる。


「一週間ぶりだね~、あ、もしかしてそろそろ夏休み始まった?」

「あ、はい。昨日から始まりました。」

「そっか、学生の夏休みは貴重だからしっかり楽しんどきなよ。」

「あはは、分かりました。」


 優里の家の隣人である河合鈴かわい りんは活気のある女性だ。

 少々肌が焼けており、それが本人の雰囲気を更に強調させているように感じる。

 目が三白眼で冷徹そうな見た目をしているのにも関わらず、中身ががさつなのを知っているので、スーツのような整った恰好よりも、ラフな格好の方が似合っていた。


 本人もそれがしっくりとくるようで、河合はジャージと少し大きめのTシャツを身に着けていた。


「あ、そうだ。これ、優一さんから。」


 そう言って河合は、優里の父から預かっていたものを優里に渡した。


「ありがとうございます。」

「いいのいいの。優一さん、最近、忙しいんだね。優里ちゃんはどう?ちゃんとご飯食べれてる?」

「は、はい大丈夫ですよ。」


 本当は嘘だ。

 胃の中は空っぽである。


 朝には入っていたがすぐに吐き出し、お腹が空いていても、すぐに入れづらかったのである。

 そして、気づけば家に帰るまで何も食べていなかった。

 

「・・・。」


 河合が優里をじっと見つめる。

 三白眼なので、見つめられると少々怖気づいてしまう。


「ど、どうしました?」


 優里が気分を窺うように河合に尋ねる。すると河合は少し表情を緩め、「優里ちゃん、今日外食しない?」と言った。

 

「私が奢るからさ。」

「え、でも。」

「いいからいいから。ほら、荷物を家の中にいれて、出れるようになったら出てきてね。このまま待ってるからさ。」

「は、はい。」


 優里は河合から受け取った鍵で家の玄関を開け、自分の荷物を中に置いた後、必要なものを持ってすぐに部屋から出た。


 すると、河合は自分の部屋の玄関の扉に寄りかかり、そこから見える街の景色を眺めていた。

 

「おっ、はやいね、いいの?制服のままで。」

「はい、大丈夫です。・・・あの、何を見ていたんですか?」

「ん?あぁ、いや、少し綺麗だなって思ってさ。」

 

 優里も河合が見ている景色を眺めた。


 橙色と紫色が混同した空を積乱雲より小さい雲が3、4塊浮いていた。

 オレンジ色に染まる空の夕日に近い雲には影が生まれ、黒く染まっているが上方は白色を保っていた。

  

 対照的に太陽と逆方向の空は紫色の海に星が一つ二つ瞬きを始める。


 間もないうちに、街の明かりもポツポツと点灯を始め、紫色に飲まれつつある世界で少しずつ光の球が瞬いていく瞬間は幻想的な生物が生まれているように感じた。


 雲の移動がいつもより早い。


 雲を乗せることを忘れた風達が吹き込み、二人の服が羽ばたく。


「綺麗ですね。」

「あぁ。・・・綺麗だ。」


「・・・。」


「ん?どうかした?」

「いえ、なんか河合さんが物思いにふけるって珍しいなって。」


 河合が目を点にする。


「あはは、ガサツな私だけど、考える込むことぐらいあるよ。」

「・・・・・・。」

「え、そんなに珍しい?」

「はい。」


 河合が腕を組んで「そっかぁ~。」と呟くが、その目はずっと、先程と同じ景色を映し続けた。


 優里の目はその間ずっと河合を映し続ける。

 すると、優里の視線に答えるように河合は唐突にポツポツと喋り始めた。


「今日さ、ある人に仕事で会いに行ったんだ。」

「ある人?」

「うん、ある人に。それで、今日ね、人って変わっていく生き物だけど、それは少し寂しいこともあるんだなっていうことを実感した。」

「・・・。」


 河合がそのまま話を続ける。


「優里ちゃんは私が、業者から預かった荷物を会社に届ける仕事をしているの、知っているよね。」

「はい。」

「新人の時は先輩と二人で仕事をするんだけどさ、そのうち一人で仕事をしなければならなくなる。それで、独り立ちして初めての仕事で、精密な荷物を業者の目の前で何個か壊しちゃったことがあるんだ。」

「か、河合さんがですか?」

「あぁ。・・・優里ちゃんも最初の頃の私を覚えているでしょ。何をするにしてもガッチガッチでさ、そんな自分を数えきれない程嫌ったよ。」


「・・・。」


「壊した直後の記憶はほぼ無くてさ、後から聞いたら泣きながら謝ってたって聞いた。それで、不足した荷物は何とかなったんだけど、業者の人には申し訳なくてさ、後日謝罪しに行ったんだ。そしたらさ、怒られるかと思いきや、その人の子供と田舎の町を探索したんだ。」

「探索?」

「うん。仕事の間見ててくれって言われてさ、業者さんの仕事の邪魔をするわけにも行かないし、とりあえず預かってその子の住んでる町を一緒に探索したんだ。・・・最初は喋りづらかったけど、数時間も一緒にいたら自然と話せるようになって、話をしながら、時には歩いて、時には休憩して、あぁ後ね、探索の途中にあった駄菓子屋で色々なおもちゃを買って、その子供と遊びまくったんだ。18歳の社会人が時間を忘れてね。」


「・・・。」


「それで、時間が来て、その子を家に帰らそうとした時、その子供が言ったんだ「お姉さんってほんとは明るい人なんだね。」って。・・・18歳の社会人が小学生にありのままのことを言われたんだ。・・・子供って結構正直だからねぇ。・・・でも、その言葉のおかげで私は本来の自分の姿に気づけたんだ。それと同時に今まで色んな人に見せていた自分の姿は、自分が作りだしていた社会に馴染む為の架空の人物像だったことに気づいた。・・・そりゃあ上手くいかないよ。私は役者でもなければ、女優でもない、そして不器用な性格だったんだから。」


 河合は寄りかかっていた扉から身体を起こし、今度は廊下の手すり壁に前のめりでもたれかかった。


「それからは楽しくなったなぁ。自分のままでいいんだ、と思ってからね。・・・ある程度の常識は必要だけど、全てにおいて偽った姿を見せる必要はないって分かったんだ。そしたら、緊張して固まることも無くなったし、こうして話すことも苦では無くなった。・・・そのきっかけを教えてくれた子供との帰り道、それがこんな感じの景色だったんだ。」


 そう言って河合はあの日と同じ空を再び目に映す。

 しかし、長い間、その空が目に映ることはなかった。


「でも、今は・・・、昔のように正直じゃ無くなってしまって・・・少し来るものがあったな。・・・自分を助けてくれた子だからこそ尚更ね。」

 河合はそう言うと視線を景色から落とした。



 哀しみの表情が優里の目に映る。

 それは、辺りが少し暗くなっているのも相まって、河合に更に悲壮感を漂わせた。


 

 河合が喋り終わった後、強い風が吹き込み河合のショートヘヤを揺らす。

 優里は自分の髪を抑えたが河合は手すりにもたれかかったまま微動だにしなかった。



 音を立てて吹き込んだ風が空に帰っていく。



「さて、じゃあ、食べに行こうか、優里ちゃん。」

 風が吹き終わった後、先ほどまで暗い表情をしていた河合はいつもの河合に戻っていた。


 しかし、河合は無理に元気を出しているようで、そんな河合に、言葉をかけて水を差すことは逆に失礼だと思った優里は「はい。」と大人しく返事をするのだった。






 一方その頃。


「はっくしょーん。」


 他の乗客が誰一人いない静かな駅のホームにとある男子高校生のくしゃみが響く。

 既に奏山駅から電車の乗り換えを何度も行っており、繰り返される外と内の気温の差に体が耐えれなかったのだろう。


「大丈夫ですか?」

「ん?大丈夫だよ。・・・冷えてきたね。」

「温かい季節が始まるはずなんですけど、まだ、少し肌寒いですね。」

「そうだね。・・・・・・。」


 遥斗が深く考え込む。


「どうしました?遥斗様。」

「・・・今さっき電車の中でスリープモードになったアンドロイドの様子を見てみたけど、やっぱりどこにも異常がない。」

「そうですか・・・難問ですね。」

「どうしたものか・・・。」


 遥斗は空を見上げ紫一色になった世界を眺めた。

 ホームに点いているライトの光量で夜空の星は全く見え無かったが、何も考えたくないときに眺める世界としては非常に適していた。


「・・・腹減った。」

 今思えば、今日は河合から貰った高価な弁当しか口にしていない。

 

 色々と考えことをして、食べること自体を忘れていた。

 自分が思ったより空腹だということに気づくと、余計に腹が減ってくる。

 

「・・・そう言うと思って、買っておきましたよ。」


 そう言ってイロハは自分が持っている荷物の中から、軽食を取り出した。

 手短に食べることのできる棒状の食料で、長期保存も可能なため、これを備えておけばまず食べることに困らないと言われている物だった。しかも、栄養バランスが良いので、食事生活に偏りがある人でも良く食べると聞く。


 イロハはそれを遥斗に差し出した。


「え、いつ買ったの?」

「さっきの駅で、遥斗様がお手洗いに行った時です。自動販売機にありました。」

「・・・いいの?」

「良くなければ出したりしません。」

「・・・ありがとう。」


 遥斗はイロハから食料を受け取り、封を切ってから一口食べた。

 

「・・・久しぶりに食べたけど、美味しいな。」

「そうですね、美味しかったです。・・・それより、いい加減、三食きっちり取って下さいよ。」

「分かった、分かった、ごめんって。」


 遥斗は荷物の中からペットボトルを取り出し、中に入っているお茶を飲んだ。

 そして再び、食べる。それを数回繰り返し、ものの数分もしない内に、イロハから渡された食料はすぐに無くなってしまった。

 ペットボトルをバックにしまいながら遥斗が尋ねる。


「イロハはいいの?」

「私は電車内で遥斗様がサーチしている時に食べました。」

「えっ、ホントに?全然気づかなかった。」


 のんびりとした様子で話す遥斗にイロハが静かなトーンで言う。

「遥斗様、酷使し過ぎではないですか?」

「そんなことないよ。いつも通りさ。」


「サーチをしている時に周りの環境を見れなくなるのは、それほど意識を見たい場所に置いているからです。私がそうなった時は疲労が溜まっている合図として見られます。それに私は脳に機械が入っていますが、遥斗様は生身の人間です。私達よりサーチした時に脳に対する負担が大きいはずです。そして、そんな状態でアンドロイドの復旧作業をするなら、遥斗様に掛かる負担は尚更大きいはずです。」

「ん~・・・、少し休んだ方がいいのかな。」

「そうですよ、休んでください。」

「分かったよ。」


 そう言った遥斗はホームに設置されているベンチに近づき腰を掛けた。

 

「・・・ねぇ、イロハ。」

「何ですか?」

「ありがとね。」

「?」

「イロハが隣にいてくれると助かるよ。」

 遥斗の言葉でイロハは少し驚いた表情を見せる。

 しかし、すぐにじと目になり「・・・そう思うなら、私の言うことをしっかりと聞いてくださいよ。」と、言うのだった。



 

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