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紫夜の眺望  作者: 伊倉 夕
11/20

10 一息



 河合が荷物を載せたトラックに乗り、工場を出て行こうとしていた。


「じゃあね、遥斗君。大地さんにもよろしくね。」

「はい、分かりました。荷物をよろしくお願いします、河合さん。」

「あぁ、任せて。」

 

 河合はトラックをゆっくりと発射させて、工場を出る際の挨拶にクラクションを鳴らす。

 遥斗も出ていく河合に手を振り、河合が無事に帰路に就いたことを確認すると大人しく事務所に戻った。


「よし。」


 遥斗が力の抜けた言葉を口から出した。

 大きな一仕事を完遂したので、安堵の気持ちが身体の内から湧き出たのだ。


 とりあえず、空になったマグカップに再びコーヒーを淹れて一口飲んでみる。

 何度も飲んでいるにも関わらず、その時に飲むコーヒーの味は普段の物とは少し異なり、格別に美味しかった。


 マグカップを机の上に置き一息吐いてみる。

 

「ふぅ・・・。」


 部屋の天井を呆然と眺めていると、室内に残った煙草の香りが鼻に付いた。


 河合の言葉がぽつぽつと遥斗の脳内に響き渡る。

 自分のできることを少し無理をして成し遂げてきたからこそ、河合の言葉が心をきゅうと締め付けてじんわりと温めてくるのだった。

 その熱はすぐに冷めることは無いようだ。

 

「・・・疲れたなぁ。」


 遥斗はそう言ってゆっくりと瞼を閉じた。



 




「り、・・・優里・・・。」

 ぼんやりと自分の名前が呼ばれているような気がした。

 薄っすらと目を開け、呼ばれた方を向いてみる。


 そこには読書を止めて、前かがみになりながら話しかけていたイロハがいた。

 先程までスウェット姿だったのに、いつの間にかスーツ姿である。 


 イロハが何かを言っているようだ。

「お・・・さい。優里。・・・起きて下さい、優里。」


 優里が目を少しづつ開く。

 それを見たイロハは前かがみになっていた姿勢を元に戻した。



 優里がむっくりと起き上がる。


「おはよう、イロハ。」

「はい、おはようございます。気分はどうですか?」

「大分落ち着いたみたい。」

「そうですか良かったです。」


 優里は枕元にあるスマートフォンを手に取り時間を見た。

「あっ、3時半過ぎだ。」

「そうですね、そろそろ準備をした方がいいと思います。」

「分かった。」


 優里は起き上がり、自分が寝ていた布団を丁寧に畳んだ。

 

「よし。」

「ありがとうございます。優里。」

「・・・いや、私、色々とやってもらったから・・・。」

「本当に大丈夫ですよ、気にしないで下さい。」

「でも・・・。」


 迷惑ばかりかけてしまった。

 本人にとっての久しぶりの休暇を潰してもらい、仕事を紹介してもらい、自分のゲロまで始末してもらった。

 

 昨日まで、会ったこともなければ話したこともない、初対面の人に対してだ。

 だからこそ、自分が何かしなくてはいけないという気持ちを抑えることができない。

 


「あ、起きた?」

 そんな優里の気持ちとは裏腹に、のんびりとした様子で遥斗が部屋に入ってきた。

  

「近衛君。」

「もう少ししたら、駅に電車が来る。だから、家を出る支度をして、できたら教えて。僕は準備が済んでるから、すぐに出れるよ。」

「・・・ご、ごめん。」

 優里は頭を下げた。


 その姿を見て遥斗は目を点にする。

「わ、私、迷惑ばかりかけた、近衛君の休みを返上してもらって、仕事も紹介してもらって、吐いたものも掃除してもらった。・・・何かできることがあれば手伝うから、だから、本当にごめん。」

「え、そんなことを気にしていたの?」


 遥斗の返答は意外とあっさりとしていた。


「えっ。」

「そりゃ、ゲロの処理はびっくりしたけどさ、あれは僕に非があるし。休みに仕事紹介って意外としょっちゅうやってるんだよ、アンドロイドを作る企業の人達に。」

「そうなんだ。・・・でも。」

 優里は遥斗にどう返答されてもその気持ちが治まることは無かった。


 そんな困っている優里の様子を見て遥斗が助け船を出す。


「じゃあ、手伝ってほしい、というよりはお願いがある。」

「?」

「聖子と仲良くしてあげて。それが僕のお願い。」


 遥斗が無理に微笑をしているように感じた。

 表情に寂しさが滲み出ていたのである。


 内容についても、聖子を既に友として見ている優里にとっては「?」がつく内容であったが、遥斗の表情を見て、優里は承諾することしかできなかった。

「・・・う、うん。分かった。」



 優里の承諾を聞くと遥斗は表情をスッと戻す。

「よし、もうこの話はおしまい。準備をして。」

「わ、分かった。」


 その後、優里の準備は何事もなくスムーズに終わった。

 ただ先程遥斗が見せた表情、それだけが時々優里の頭をよぎるのだった。




 遥斗が荷物を車に乗せ、エンジンをかけてから再び家に戻ると、優里が靴を履いて家を出ようとしていた。

「準備できた?」

「うん、分かった、ちょっと車回してくるから待ってて。」


 遥斗は再び車に戻るとUターンをして駅へ向かう方に車の頭を向けた。


 石柱の隣で待っていた優里の目の前に、今朝優里が座った席が用意された。

「ありがとう。」

「うん、先に乗っていて、ちょっとイロハを連れてくるから。」

「分かった。」


 優里はドアを開けて車の後部座席に座った。

「・・・。」

 

 少し物思いにふけてみる。



 この家に来て、穏やかな田舎を味わって、工場の存在感に驚かされて、昨日ぶりにイロハと話して、遥斗に工場を案内してもらって、近衛家が持つ企業秘密を教えてもらって、そして・・・・・ゲロ。優しく言うと嘔吐物・・・・・・・・最悪だ。



 物思いの途中で優里は頭を抱えていた。



 ガチャッ、と音を立てて、助手席のドアが開く。

 優里が頭を上げると、遥斗に支えられながら車まで歩いてきたイロハが自分の力で助手席に乗りこんだ。


 遥斗はそのまま運転席に乗りこみ、シートベルトを締めて優里に確認を取る。


「忘れ物はない?僕とイロハは明日の夜までは帰れないから、取りに来れなくなるかもしれないよ。」

 一応身に持っているものと荷物の中身を確認し、忘れ物が無いか確認をした。

「忘れ物は・・・ない。」 

「よし、じゃあ、出るね。」


 遥斗が車を発進させた。



 近衛家がゆっくりと遠ざかっていく。


 印象が強く残るものというよりは激しく強烈なものだったからなのか、聖子と同じように離れていく姿を見ることはできなかった。

 胃の中の物は出てしまったが、胸の中には近衛家で見た衝撃が一杯入っているようだ。

 余りにも影響が強くて、自分でも、それを受け入れることに少し時間を欲しているように感じた。




 遥斗が車を発進させて少し経つとイロハが言った。

「ん~、やはり少しだけ思うようには動けませんね。」

「動けるからいいさ。」

「・・・そうですね。・・・優里はこの後どうするんです?」

「家に帰ってみる。父さんが帰ってくるかもしれないし、帰ってこなくても、今の時間なら泊まる場所を探すのも困らないと思うし。」

「そうですか、・・・そういえば、優里のお父さんはどんなお仕事をされているんですか?」

「ん?えっと、確か、営業職なんだけど、機械の部品を色々な所に売り込んでいるって聞いた。」

「そうなんですね。・・・優里はいつも家で一人なんですか?」

「そんなことはないよ。お父さんは家に帰ってくるには帰って来る、でも、いつも色々な所に行き過ぎて、どっちかって言うと身体の方が心配。」

「そうなんだ。すごいね、水野さんのお父さん。」

「うん、感謝しても、しきれない。」


 それから、車の中でたわいもない話をした。

 

 優里が一人旅をしたこと、その時に自分が訪れた場所、逆に遥斗からも仕事で訪れた場所、その時の感想、そんな話を繰り返している内にあっという間に三人は奏山駅に到着した。

 


 駅に到着して電車が来るまで少し時間があるようなので、優里が聖子にお礼を言おうとして家を訪ねてみたが、間が悪かったのか聖子は不在だった。

 すると、聖子の家までついてきたイロハが言う。


「また、会った時にしましょう。」

「そうだね。」

 

 大人しく奏山駅に向かうことにした。



 二人が駅に着くと遥斗は車の鍵を閉め終わり、荷物を持った状態で駅に向かっていた。


 近づいてくる足音に遥斗は振り向き、その場で足を止める。

「どうだった?」

「いなかった。」

「そうか。お礼はまた今度会った時に言えばいいと思う。」

「うん、そうする。」

「もうすぐ、電車が来るからホームに行こう。」

「分かった。」

 三人が駅を抜けホームに出る。

 

 優里が帰る方向は来た時とは真逆なので、線路をもう一度横断することは無かった。

 もう一度歩いてみたいとは思ったが、ワクワクさせる心を静める。


 心を落ち着かせ、オレンジ色に染まりかけた空を眺めていると、ホームに電車が到着する前のアナウンスが流された。


 アナウンスが流れ終わったと同時に、遠くから電車の走ってくる音が聞こえてくる。

 

「じゃあ、水野さん、帰り道に気を付けてね。」

 遥斗が水野に言った。


「え、・・・あ、もしかして逆方向?てっきり同じ方向かと思っていた。」

「今回の依頼はあっち方面なんだ。」

 そう言って遥斗は電車が向かってくる方向を指さした。


「そうなんだ、・・・色々ありがとう、また今度お礼するから。」

「いいよ、いいよ、気にしないで。また、イロハに会ったらよろしく頼むよ。」

「分かった。・・・じゃあね、イロハ。ありがとう。また今度、どこか一緒に遊びに行こう。」

「ふふ、ありがとうございます、優里。楽しみにしています。」


 イロハがそう言った後、三人の目の前で電車が停車し、ドアを開けた。

 

 優里が荷物を担ぎなおして、電車に乗り込む。

「えっと、整理券は・・・これか。」


 整理券を引っこ抜きポケットに入れ、後ろを振り返る。すると、イロハと遥斗が手を軽くふり優里を送りだしていた。

「じゃあイロハ、近衛君、さようなら。」

「ええ。」「あぁ、さようなら。」


 電車のドアが閉まり、優里を乗せた電車はゆっくりと進み始める。

 速度はみるみる上昇していき、二人の姿はあっという間に小さくなってしまった。

 

 二人の姿が見えなくなったのを確認して優里は座席に座ろうとした。

 自分以外は乗客として誰も乗っていないようで、どの席にでも座り放題である。

 しかし、優里は謙虚にとある席に座る。

 そこは、ここに来る際に乗った電車で座っていた席と同じ場所であった。


 その席に座って電車に揺られていると、両隣で座っていた二人を思い出す。

 そこから、自分に衝撃を与える出来事が始まった。


 今思い返せば不思議な出会いだったと思う。初対面の人に対してみんなが寛容すぎるような気がしてならなかった。

 自分とはほとんど年齢が変わらないのに。

 働いている人と学生の差なのか、街か田舎に住んでいる差なのか、苦労をしているかしていないかの差なのか。

 

「・・・。」

 考えたって分からない。その回答は自分が答えるものではないからだ。

 


「ふぅ。」

 背もたれに寄りかかり、車内の天井を見上げる。すると昨日と今日で自分に起きたことが脳裏に描写された。

 

「凄かったなぁ・・・。」


 息を吐き出しながら小さく呟いてみるが、その言葉に反応してくれる人は誰もいなかった。






 優里を見送った後、遥斗とイロハは優里が帰った方向とは逆方向の電車に乗るため、線路を横断し、立ち話をしながら待っていた。


「とてもいいお方でしたね。」

「ん、あぁ水野さんか。そうだね。」

「謙虚でいるのに、色々なことを観察しつつ、グレーな話は私達を気遣いながら、知りたいという欲を理性で抑え、自分を成長させることに専念し、お礼と謝罪はしっかりとする。素晴らしいお方です。」

「そうだね。多分、相当苦労している。何か自分に気に入らないことがあって現状を変えようとして、もがき苦しんで、そして今は休憩している所だと思う。」


「・・・私、分かるんです。優里の気持ち。」

「・・・自分の気に入らないことは誰だってあるよ。形はどうであれ、自分自身を憎むほどのものがね。・・・でも、いつかそれを気に入って世界を変えてくれる程の影響を与えてくれる人が必ず現れる。水野さんは閉じ込められた世界で自分自身と戦うより、世界を広げて自分を変えてくれる何かを探すことを選んだ。度胸が無ければできることじゃないよ。」


「・・・昔の私みたいです。」

「・・・そうだね。」


 気づけば二人の後ろでオレンジ色を放つ夕日が空を染めていた。逆に二人の目の前に広がる空は紫色に染まりかけ、1つ2つと星が瞬き始めていた。


 電車が来るまでもう少し時間がある。


 見晴らしの良いホームなので、風が直接当たりやすい。だからこそ、一人でいると心寂しいものがあった。


「・・・遥斗様。」

「ん?」

「今の私はどうですか?」

「・・・すごい頑張ってる。それと・・・」

「?」

「いつも、ありがとう。」

 遥斗からの言葉を聞いたイロハは笑みを浮かべた。

「・・・そうですか、・・・良かったです。」


 その後、イロハは自分の目の前に広がる紫色に染まりかけた空を見た。

 どうやら、三番目に出た星が瞬きを始めたようだ。


 ホームに田舎の香りを含んだ風が運ばれ、それによってイロハの髪がなびき、耳元で髪の擦れる音と草木の揺れる音が響く。


 その音を感じるためにイロハはゆっくりと目を閉じた。そして、風の香りを味わうように吸い込み、小さく息を吐き出した。


「・・・。」

 イロハはそれを数回程繰り返す。まるで、遥斗との空間とこの景色を忘れない思い出にするように。



 遥斗はそんなイロハの姿を横目で見た後、イロハに気を使わせないように静かに空を眺め、瞬く星たちを見つめた。 



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