-東山祐作の失踪-
東山祐作と思われる遺体が漂着したとの一報が父の元へもたらされたのは、翌日の早朝だった。
神社の役目で〈龍の寄せ室〉に漂着物を拾いに来ていた優香子が見つけたのだという。影吉も父と共に寄せ室へ向かい、警官の富山、消防団らと遺体の回収作業を行った。
島の南西に位置する寄せ室は、切り立った崖に囲まれた所だ。
さまざまな長さの岩に漉しとられ、それらはここが旅の最終地点となる。鯨やイルカなどの亡骸、流木、ゴミ、ヒトの死体も例外ではなかった。
富山や消防団の面々と協力し、影吉は東山の遺体を手近な岩の上に引き揚げる。
その遺体は悲惨なもので、頭部がなく、消防団長の指示で専用の袋に入れられ、湾の入り口につけた漁船で北港まで運ばれた。
島の対極方向にある漁船用の北港では、島唯一の医師である碓氷先生と東山の妻である喜代美が遺体の到着を待っていた。
影吉と消防団の男たちが遺体袋を港のコンクリートに置くと、先に船を降りていた富山が喜代美に確認を促す。
白いアンサンブルに、くるぶしあたりまであるグレーのスカートをはいている喜代美は、口元を押さえながら遺体の横に膝を下ろす。いつもよりさらに地味で消え入りそうだった。
島民たちも見守る中、彼女は白く細い指を震わせ、遺体袋のファスナーに手をかけた。首のない上体が現れた瞬間、腐臭が広がり彼女は顔をそらしてえずく。
周囲から、ああ、という同情の声が漏れた。
「あんたの亭主だと特定できる特徴はあるのかい?分からなくてもいいんだよ。さっきもらったDNA検査の検体と照合すればいいんだからね」
屈みこんだ碓氷先生は、白衣に包まれた恰幅のいい腹を押さえ労うように言う。
遺体を挟んで向かい合った喜代美は大丈夫ですと顔を上げた。待っていたハンドバッグからハンカチを取り出し口にあてると、遺体袋のファスナーをすべて開き、夫かもしれない遺体を吟味する。
「どうですか?」
碓氷先生の横に膝を落とした富山が訊くと、彼女は困惑した表情を浮かべた。
「服はうちの人なんですが…体はちょっとふやけていて……。たしか脇の下にほくろがあったはずなんですけど……」
喜代美が死体の左脇を指すと、碓氷先生は頷きゴム手袋をした手で遺体の腕を上げて見せる。見守っているものすべてが息を飲んだ。
ほくろは、あった。水を吸った蠟のような青白い肌の上に、くっきりと黒い点がある。
「ーいやああああぁ!あんた、あんたぁ……っ!」
喜代美は顔を崩し、遺体に覆いかぶさった。港中に彼女の声が響きわたる。
島の者たちはなす術なく、ただ見守る事しかできなかった。
父が喜代美の横に屈み込み、慰めるように肩に手を置いた。
「災難だったな……」
彼女は顔を上げ、赤くなった鼻をハンカチで押さえる。
「すみません、、取り乱して皆さんに、ご迷惑かけ。うちの人も感謝してると思います」
「いいんだよ、そんなことは。みんなお互い様なんだから」
父は彼女の肩を優しく叩く。
喜代美は震えながら俯き、嗚咽とと取れない呻き声を漏らした。
「船は海保に捜してもらうから。保険の話なんかはまた後でしよう。葬式は漁協の婦人部が仕切ってくれるから、心配しないで喜代美さんはゆっくりしなさい」
碓氷先生が遺体袋のファスナーを閉じながら言った。
「一応サンプルをDNA検査に回すよ。本州に持っていく事なるからちょっと時間がかかるけどいいかね?」喜代美は洟をすすりながら頷いた。
監察医がやって来る白亜島へ遺体が運ばれていくと、人々は散り散りにその場を離れていった。影吉も早く帰ってシャワーを浴び、もう一度寝ようと家に足を向ける。
港内にどよめきが上がったのは、そのときだった。
何事かと振り返ると、漁船の上で作業をしていた漁師たちの目が防波堤の方へ釘付けになっている。見ると、一隻の船が孤を描き港へ滑りこもうとしていた。
船体にかかれた名称を見て、影吉は言葉を失う。遠目にも分かる大きな黒い文字。そこには、〈第二大漁丸〉と書かれていた。東山祐作が所有する漁船だ。
「おいあれ、東山さんのだろ…」
「ああ……そう…だ……」
漁師たちが顔を見合わせて唖然とする中、船は軽やかなエンジン音を響かせて入港し、操舵室から東山祐作そのひとが何かに怯えるような作り笑いを浮かべて降りてきた。
もともと顔見知り程度だが、影吉が改めて見る彼は、四十がらみでうだつの上がらなそうな小太りの男だった。酒焼けしたように赤い丸顔と八の字に下がった眉のせいで、さらに気弱そうに見える。彼は、肌着のシャツにズボン、頭にはくたびれた漁協の青い帽子という出で立ちで港に降り立つと、居合わせた島民たちを前にばつが悪そうに帽子を取った。
「あの、みんな、こんなに集まって……」
魂の抜けた表情で突っ立っている喜代美に目を留めると、彼は、泣き笑い顔で言った。
「かーちゃん、ごめん。ちょっとちょっと家出してた。白亜島の賭け場で負け込んじゃって…」
張り詰めた空気が一瞬で弾け、喜代美の怒声が一帯に響いた。
「馬鹿っ!死ぬほど皆さんにご迷惑かけて何やってたのよ!子供だっていないし、あたし、あんたがいなくなったらどうしようと思ってんだから……バカッ、ろくでなしっ!!」
東山祐作の失踪騒動は、こうしてあっけなく幕を閉じた。