百七の石碑
「うーん、やっぱりな!そうだと思った。影吉は優香子が好きなんだ!」
うっすらと夕暮れの紗が掛かり始めたイザヨイ浜。上空には何台ものヘリコプターが飛び交い、潮騒をかき消している。砂浜では海保の職員や本州から来た報道陣が騒がしく、島民たちはそんな彼らを遠巻きに見物していた。
ネットのニュースで知ったが、どうやらあの客船の漂着はこの島だけの重大事に留まらず、本州でも話題になっているそうだ。
影吉と並んでスタンドに腰を掛けていた義隆は、砂浜からこちらへ向けられたテレビカメラにピースをしたのち、思わせぶりにこちらを見る。
「そうだけど、別にどうこうしたい訳じゃ……」
俯きながら影吉は呟いた。
「前から何となくそんな気はしてたんだよなぁ〜。お前やたらと優香子の席見てるし、クラスに無理して馴染ませようとしてたし」
海からは緩やかでぬるい潮風が吹いていた。
あくびをすると、義隆はのけぞってスタンドに背をあずける。
「だけどな、やっぱり無謀すぎんだろ。いくら見た目が可愛いからって優香子は口を利いちゃいけないぐらいのタブーだぞ?それにな、お前の親父さんや兄貴が黙ってないだろ」
「でも、お前だって不思議じゃないのか?なんで優香子がこんな目に遭うのか。どっから見ても普通の女の子じゃん。嫌われ者で村八分同然だったタヌキ婆の養子だからって、こんな仕打ちする必要ないだろ?」
義隆はわざとらしい渋面を作った。
「影吉は大事な事を忘れてるぜ。タヌキ婆はともかく、優香子は島の人間じゃなくて流されて島にたどり着いた余所者だろ?こういう島では昔から漂着物は神として崇められるけど、生きた人間の場合は畏れられる事が多いんだ。優香子もそれって事じゃないのか?」
「今は二十一世紀だぞ!?馬鹿馬鹿しい。みんなスマホ持ってて、リニア新幹線が走ろうかって時代にそんな…。それに親父や兄貴はリアリストで信心深いって訳でもないのに」
「けどなお前、親父さんが“例の”石碑の見回りやってるとか前に言ってたじゃん」
石碑とは、この島を取り囲むように建てられてた全部で百七個の石柱のことだ。だいたい牛乳パックぐらいの大きさのそれは、江戸時代初期に島へ渡ってきた〈大師〉なる人物が魔除けで、側面には〈カーン〉という不動明王を表す梵字が彫られている。
義隆の言うとおり、父と兄は昔からこの島の要とされていたそれを守る事に熱心だった。しかし、だとしてもやはり納得いかない。普段は信義に厚くフェアな人間である父が、なぜ十七の少女にここまでひどい事ができるのか……。
「あー、それにしても人多いなぁ…。これから海保の調査も入るだろうし…。客船侵入は当分先延ばしだなぁ〜。」
影吉の気持ちも知らず、義隆は暢気に嘆いてみせる。
「はぁ…。お前、本気で忍び込むつもりかよ」
「もちろん!ブログの記事にして読者に驚かせてやる!でもこれじゃぁ、しばらくは別件に専念するしかないな〜」
「ん?別って?」
「前から言ってるだろ?〈龍の口〉。大正時代にこの島に来た地質学者があの洞窟の奥で百数体の人骨を発見している。俺はそこを見に行きたいんだよ」
龍の口は、島の北西に聳え立つ九頭山の中腹辺りにある洞窟だ。今際島は海洋性気候に属しており、標高百九十一メートルの九頭山周辺には、温暖な気候により豊かな森が形成されているが、ここは西の断崖に位置し足場もろくに無いので足を踏み入れる者は少ない。
「なに?そこで骨を見たい訳?」
「んーん、それだけじゃない。洞窟自体、地中にあった洞窟が数万年前に海底隆起によって顕現した貴重なものなんだよ!あとは仮説を確かめたいしー」
「仮説?」
「見せてくれたことがあっただろ?お前の親父さんが大事にしている石碑の配置図。前から百七個なんてやけに中途半端だと思ってたんだけど、ある日閃いたんだ!あの洞窟を挟む二点だけ妙に間が空いてて、もしかしたらそこに百八個めの石碑があるんじゃないかってな!それと骨の出所だな。大方、江戸時代に白亜島から島抜けしてきた罪人を島民が殺して放り込んだってことじゃないかと思うんだ。うちの島の周囲に捨てたんじゃ潮の流れで戻って来るしな。で、蓄積されて百数体にもなったと」
「なるほど…」
今ではちょっとした有名観光地である白亜島だが、昔は流刑地で罪人が島抜けしては今際島に泳ぎ着き、島民から食べ物や舟などを奪ったという話を聞いている。さらにこの今際島周辺の海で何かを流すと、複雑な潮の流れにより島の南西にある〈龍の寄せ室〉へ流れ着くのも事実なので、義隆の話には説得力があった。島民の死体ならば手厚く九頭山東の墓地に葬られるはずだし、余所者の死体を捨てたという彼の見方は鋭い。
空の色が茜を帯びてきていた。遠い水平線を見つめながら義隆は続ける。
「まぁ、俺の仮説は自分で言うのもなんだが、よくできてると思うし、フィールドワークで確認することは出来るけど、やっぱり古文書なんかで裏付けできないと意味無いんだよな…。そうじゃないと、ブログに載せたってオカルトマニアの戯言になっちゃうし。でも、郷土資料の貴重なものはほとんど木霊家所蔵なんだよなぁ〜」
彼のもの言いたげな視線に気づき、影吉は呆れる。
「俺に天文寺の蔵の中をみせろって?」
天文寺は九頭山の頂上にある廃寺で、それは木霊家が管理している。敷地内にある蔵は文書庫になっており、その中に数え切れないほどの古文書が収蔵されていた。
「その通り!見せてくれよ。絶対汚したり破いたりしないなら!な!」
跳ね起きるとスタンドに正座し、義隆は土下座の真似をしてみせる。
周囲の視線を感じ、慌てて影吉は止めさせた。
「いいよ、分かったよ。分かったからもうやめろって」
これが彼の手だと理解しつつも承諾する。どうせ仕舞ってあるだけで日の目を見ない古文書だ。少しくらい見せたところで害はないだろう。
「マジで!?やった!やっぱ持つべきは友だな!影吉」
顔を上げると、義隆は大袈裟に感謝してみせる。子供の頃から変わらない親友の姿に、影吉はやれやれと肩を落とした。