ー豊富優香子
東京都立白亜高等学校今際島分校は、横長の形をした島の中心部より少し東寄り、イザヨイ浜から百メートルほど内陸へ入った海抜十七メートルの場所にある。生徒数は全学年合わせて、たった二十人。これまで何度も生徒数減少により閉校を繰り返してきたが、最近では島全体の取り組みにより少子化に歯止めがかかりつつあり、なんとか、高校の体を保つことが出来ている。校舎は二階建てで、グラウンドとわりかし大きめな体育館を持つ。いくぶん生徒数に不相応なその体育館は、津波の際の島唯一の緊急避難場所となっており、堅牢な石垣の上に建てられているばかりか、高いフェンスに囲まれていた。
教室へ入ると、九人のクラスはすでにイザヨイ浜に漂着した“あの”客船の話でもちりだった。影吉が現れるなり、島の長の息子から情報を引き出そうと皆に取り囲まれる。
まだ何も分からないことを笑顔で告げ、廊下から二列目の席に鞄を置くと、前の席についていた親友の義隆が振り返った。
「おはょ。お前はもうあの客船見て来たんだろう?」
影吉は椅子に座り、鞄を開けて教科書を取り出す。
「ああ。見て来た。なんか、不気味な船。義隆は?見てない訳ないよな」
「おう、もちろん見てきたよ。島のオカルト史に残る一大事だぞ!?見なかったら一生後悔する!」
と、興奮を抑えられない様子で義隆は言った。面長で、サラリーマンと言われても遜色ない大人びた顔立ちをしているが、中身は年相応のそれだ。影吉は苦笑する。
義隆は大のオカルトファンで、超常現象や怪奇現象などになみなみならぬ興味を持っている。趣味として個人的に知識を深めるだけではなく、どうやら最近では島の怪奇スポットを巡るブログを書いているらしく、本州のオカルトファンとも交流している、らしい。
「まーた、お前の事だから、どうせ良からぬ事を考えているんだろ?」
呆れながら言うと、義隆は目を細めてにんまりと笑った。
「まぁな。当分は海保や調査で無理そうだけど、折を見て、ね。そんときは頼むよ?」
彼にかかれば不法侵入など罪のうちにも入らない。影吉は息を吐いて肩を竦めて見せる。
扉が開く音と共に教室内にシンと静まり返ったのは、そのときだった。
これまでの和やかな空気が硬直し、騒いでいた生徒たちは困惑の表情で教室の前扉の方を見ている。彼らの視線、その先には、他の女子と同じセーラー服に身を包んだ一人の少女が立っていた。
抜けるような白い肌。伸びやかな細い手足に小さな顔。光を透き通らせる長い黒髪。整った輪郭の中にある印象的な黒いくっきりとした瞳と細い鼻、椿のような赤い唇。
どことなくこの島に不似合いなその少女は、教室内の不穏な空気を感じ取って、一瞬動きを止めるが、すぐに何も無かったかのように自分の席へ歩き始めた。
皆と同じく気圧されるように見ていた影吉だったが、気を決して立ち上がる。
張り詰めた空気に押し潰されそうになりながら、声を上げた。
「……豊富、おはよ」
ざわめきが走り、教室内の空気は凍りつく。
少女は再び足を止めると、絹糸の髪を揺らし驚いたように影吉を見た。こちらが目をそらさないのを見て取ると、感情を出さずにこくりと頷いてみせる。
皆の視線が刺さるのを背中にひしひしと感じながら、影吉は少女ー豊富優香子にぎこちなく微笑んで見せた。