恋歌-下-
~前回のあらすじ~
ついに本当の喜びを知ったリリア・フォーゲルヴァイデ。そしてリリア・フォーゲルヴァイデと真智 かがりは恋人同士になる。
事件とは、世間の話題になるような出来事を指す。
リリア・フォーゲルヴァイデの存在は学園において密かに有名だった。なにせ世界中が注目している歌手なのだ。逆に有名ならない方がおかしい。
そんな彼女に彼女ができたというのだから…
*****
「いやはや、かがりんもすっかり有名人ですなぁ。まさかあのリラちゃんとお付き合いを始めてしまうとは」
あの日から数週間経った。かがりはリリアと付き合っていることは隠そうと思っていたが、リリアはそうでもなかったらしい。リリアは隙があるとかがりにべったりなのだ。そしてつい数日前、勇気ある者がリリアに直接二人は付き合っているのかと質問した。かがりが返答に困っていると、リリアは満面の笑みではいと答えた。
それから学園中に噂が広まるのに時間はかからなかった。
「でも、結構祝福されてるみたいじゃないですか」
「結婚したみたいに言わないでください…」
そう話していると、人ごみの中から一人、誰かが駆け寄ってくる。
「かがりちゃ~ん、一緒に学食いこ~」
正体はやはりというかなんというかリリアだった。最近恋愛しているおかげか、どこか美しさに磨きがかかったように思える。
「わかりました、じゃあ行きましょう。二人は———」
「おぉっと、私お昼は用事があったんだ」
「俺もちょっとマサムネ先生に呼び出されているので行ってきます」
二人を誘おうとすると、どこかよそよそしい感じで足早に去っていった。…何かあったのだろうか。
「それじゃあ、行こっか」
そういうとかがりの手を引いていく。かがりは少し恥ずかしかったが確かに幸せだった。
そしてこう願っていた。
…いつまでもこの幸せが続けばいいと。
しかし、現実は無常だった。
*****
二人が付き合い始めてから3カ月、その事件は起こる。
「かがりんかがりん。リラちゃんと付き合い始めてどのくらいになるん?」
なぜ突然訛るのかのか、という突っ込みを入れる気力もなくなるほどの暑さに襲われていた。世間はもう7月、気の早いものは夏季休業の間に何をするかなどというややフライング気味な話題を持ち出している者もいる。
「えっと、4月の末に付き合い始めたので、そろそろ3カ月、ですかね」
「ちゅーした?」
「えぇ、初日に」
「うっそだろおまえ」
レイン的にはこう、「何てこと聞いてるんですか!」みたいな返答を期待していたのだろう。しかし暑さにやられたかどうかは知らないが、あっさりと答えてくれた。
「じゃあえっちは?」
「何てこと聞いてるんですか!」
「お、それそれ」
期待通りの反応を引き出しからからと笑う。そこにゆっくりとマサムネが近づいてくる。
「お前らなぁ… もうちょっと静かにできんか?自習とはいえ授業中なんだ…
てなわけで、俺も話に混ぜてくんない?」
注意するのかと思いきや会話に参加してきた。本当にこの人は教師のなのだろうか…。
「え~、まっさん女の子の会話に参加するの~?」
「ま、まぁ私は構いませんけど…」
「じゃ、お言葉に甘えて… ていうか、まさか入学直後に付き合うやつが俺のクラスから出るとはなぁ…その恋愛運を俺に分けてほしいわ」
笑い話のつもりのようだが、実際笑えなかった。マサムネは今年29になるが未だに彼女ができたことが愛らしい。
「やっぱりあれじゃない?教師っていう出会いのない職についてる上にクマがすごいからじゃない?」
レインの言う通り、マサムネには隠し切れない大きなクマがあった。
「おいおいおい、これは俺のトレードマークみたいなものだぜ?そう簡単に消せるかよ」
「そもそもなんでクマができてるんですか?あれだけ寝てるのに」
「まぁ、寝た分の時間は夜に消化してるからな。お前ら、いつもノートとってるだろ?あれ、作るのにどれだけ時間かかると思う?
大体毎日違う学年で授業があるから、そのためのデータを夜に作るんだ。で、そのデータを作るのにも一度教科書を読みこまなきゃいけないしな」
「そっか、授業は教科書に沿った内容じゃないといけないんだっけ?そりゃ大変だ」
ほへぇ~と感嘆する。それでそんな大きなクマができているのか。
「そんなことはどうだっていいんだ。重要なことじゃない。今重要なのは真智がフォーゲルヴァイデと付き合っているってことだ。 …なんでフォーゲルヴァイデなんだ?」
「そうですね… なんといいますか———って、何を言わせようとするんですか!」
教えてくれなかったからか、マサムネとレインは共に舌打ちをする。
「じゃあ、夏休みとかなんか予定あるの?ほら、彼女との初めての夏だし」
「あ、不純異性交遊… あ、この場合不純同性交遊か。ま、どうでもいいか、兎角面倒ごとは避けてくれよ?」
そんなことしませんよ、とは言わなかった。というか言う気にならなかった。
お昼休み、もはや二人で食べるのが普通になってきた。
「そうだリリー、夏休みにどこか遊びに行きませんか?その、二人で…」
それを聞いたリリアは目を丸くする。それこそ狐につままれたようだ。
「ど、どうしたのいきなり… いや、私としてはうれしいんだけど…」
「いえ、いつも誘われてばかりなのでたまには私から誘おうかと…
迷惑…でしたかね?」
小首をかしげて上目遣い。特に意識していなかったのだがついそうなってしまった。
「~~~っ!!嫌なわけじゃないです!ただ驚いたわけで… えっと、こちらからもお願いしてもいいですか!?」
「じゃあ、決まりですね。楽しみにしています」
夏休み。今までは宿題が嫌だななどしか考えられなかったが、今年からはそういった心配はなさそうだ。
*****
夏休みが始まって数週間後、本土の方で大きな花火大会があるとのことなので泊りがけで見に行くことになった。泊りがけ、というところにやけに反応していたが、別に何もする予定ないからね?
本土に渡る前日、リリアがかがりの家に泊まることになった。なんでも同じところに行くのだから前日から同じところにいた方がいいだろうという提案だった。いや、おそらく目的は別なんだろうが…。
「それにしても、1泊2日… 私の家も含めたら2泊3日ですか…」
…いや、何も起きないからね?
「こんにちは~。 遊びに来たよ~」
本土に渡る前日、約束した時間よりもやや早くかがりの家に着く。扉を開くと、白いワンピースを着たリリアが立っていた。とてもよく似合っている。
「早かったですね。ではどうぞ」
「おじゃましま~す」
玄関に入ると、少しだけ違和感を感じる。
「あれ?もしかしてかがりちゃん、一人暮らしなの?」
「そうですよ?あれ、言ってませんでしたっけ?」
聞いてないよ~などと話しながらリビングに入る。白を基調とした清潔感のある部屋に目を輝かせる。
「おぉ~、なんか大人っぽい部屋だね」
「そうですか?普通だと思いませけど」
そういいながら麦茶を入れる。部屋の中はエアコンが効いていてそれ名入りに快適だが、外はあるかっただろうからという配慮だ。
「そうだ、かがりちゃんの部屋ってどこ?見てみたいな~」
「2階ですけど… そんなに見たいですか?」
聞き返すや否や見たいと即答する。そんなに見たいのかなぁ…。
「えっと、ここです」
扉を開くとそこは本棚に囲まれた簡素な部屋だった。
「本がいっぱいあるけど、本好きなの?」
「そうですね。昔から読書が趣味だったので。あとは参考書とかですかね」
本棚の中身を色々確認した後、ベッドに腰かけてすぐ隣をポンポンと叩く。隣に座ってほしいのだろうか。
隣に座ると、かがりの方を見てほほ笑む。次の瞬間、二人は唇を重ねる。それでは飽き足らずかがりをベッドに押し倒してむさぼるようにキスをする。
しばらく舌を絡めた後、かがりの首筋に口づけする。そしてシャツのボタンを一つづつ外してゆく。
「ま、まって
それは… まだはやい、かと」
「あ…ごめん」
頬を赤らめて制される。その姿は今まで見た姿の中で一番かわいかった。
「ごめんなさい、ちょっとご無沙汰だったから」
「そう…ですね。学校でしか会いませんし、そんなに機会があるわけでなはいですしね」
リリアの隣に座りなおし、乱れた服を整える。
「兎に角、お茶にしませんか?汗もかいてるようですし」
「…うん」
その日はほとんど会話することなく、そのまま夜になった。
「じゃあ私、別の部屋で寝るね…」
「あ…ちょっと」
昼の間、かがりの部屋とは別の部屋にリリア用の部屋を用意していた。
「明日からも同じ部屋ですし、今日も同じ部屋で過ごしませんか?」
そういって今度はかがりの方から隣に座るように促す。リリアは少し考えゆっくりと隣に座る。
「その、昼間はすみません。不快になせてしまったのなら謝ります」
「そんな…別にいいよ、私が悪かったんだし」
どこかぎくしゃくした雰囲気になる。どうやら昼のことを気にしているようだった。
「その、あまり気負わないでください。私は、ちゃんとリリーのことが好きですから」
好き、というとすぐに笑顔になる。しかし、何かにハッとなって顔を伏せる。
「でも、そういうのは嫌なんだよね?」
「嫌、ではないんです。ただ“まだ早い”と———」
「“まだ”ってことは、いずれはいいんだよね?」
「それはもちろん… って、何を言わせるんですか!」
流されるように言質を取られ赤面する。
「あはは、ごめんね。 でも、私の気持ちもわかってほしいな。
私は…私は、もっと愛されたいな」
そういうとかがりの顔にそっと触れる。そしてゆっくりと抱き寄せベッドに倒れこむ。
「もっと、もっと私を愛して?」
そして抱き着いたまま舌を絡める。深く、深く。
「…いいんですか?始めたら私、きっと止められなくなりますよ?」
「うん…。きて、かがりちゃん」
その後、二人は貪るように愛し合った。朝まで何度も何度も…
*****
翌日、二人は眠い目と痛む腰を労わりながら船と電車を乗り継いで花火大会の会場近くの旅館に着いた。旅館はかなりいい雰囲気で、部屋に一つ大きな露天風呂がありそこから花火大会を見ることができる。それがこの旅館の売りなのだ。
「結構部屋広いね。それに疊だ~」
「畳を見るのは初めてなんですか?」
「初めてじゃないけど、それでも雰囲気があって好きだよ~」
荷物を固めて置いて畳の上に寝転がる。服が乱れて(何がとは言わないが)色々見えているが眼福ということで何とか…
「花火大会は夜ですし、それまで何します?」
「そうだな~。あ、私本土に来るの初めてだし、買い物とか観光と化していきたいかも」
「じゃあ、近くの観光地に行きます?」
「うん!」
そんな感じで、二人は街へと繰り出すことにした。
町では花火大会に向けて出店なんかの準備が進んでいた。それらを見てリリアは興奮する。なんでも出店を見るのは初めてらしい。
それから観光地を回ったり食べ歩きをしたり、お土産を買ったりした。
「いやぁ~、色々回ったね~。そろそろいい時間だし旅館に戻る?」
「そうですね。荷物も多いですし、そろそろ戻りますか」
カフェで休憩をはさみ、帰る算段を立てていると後ろから誰かが近づいてきた。
「君たちかわいいね~。荷物多いけど、持ってあげようか?」
リリアはいきなり知らない人に話しかけられてあたふたしているようだったが、かがりはそれを一瞥すると無視するように立ち上がった。
「ねぇ、ねぇってば」
「いきますよリリー、早く休んで花火大会に備えておきましょう」
「あ、うん…」
完全に無視すると、ナンパしてきた男は怒りをあらわにする。
「お前ら!いい加減にしろよ!」
ナンパ男はかがりにつかみかかろうとする。しかし、突然現れた別の誰かに阻まれる。
「おいおい、そりゃうちの生徒だ… 手ェ出すんなら容赦しねぇぞ?」
現れたのはマサムネだった。本人は笑っているつもりなのだろうが、クマのせいでかなり人相が悪く見える。ナンパ男は手を振り払うとどこかへと消えていった。
「ま、マサムネ先生?どうしてここに」
「おう、今日ここで花火大会があるだろ?だからナンパでもしようかと… というのは冗談で、ここの会場は百合ヶ丘市からほど近いからうちの生徒がよく来るんだよ。だからまぁ、簡単に言えば巡回だ」
教師はそんなこともするのかと感心している反面、前半の冗談のせいで反応に困っていた。
「ま、まぁ、頑張ってください… 色々…」
「応援なんてしなくてもいいですよ、どうせナンパしたところで誰も捕まらないでしょうし」
吐き捨てるように荷物をまとめると、マサムネは涙目でそんなこと言うなよとわめいていた。
「そういえば、二人はどうしたんだ?もしかしてデーとかなんかか?」
「まぁ、なんといいますか…」
「旅館に泊りがけで花火大会見にきたんですよ」
かがりが言いよどんでいると、リリアがすごくいい笑顔で答える。それを聞いて、マサムネはかなり落ち込む。
「マジか…マジでその恋愛運俺に分けてくれよ…。
ん?泊りがけって二人でか?」
「ええ、まぁ…」
そうか、と少し考えこむ。まぁ、学生二人で泊りがけというのはやはり問題があるのだろう。
「…やっぱり、問題ありますかね?」
「いや。まぁ、な?あれだ。ほかの先生には見つかるなよ?」
そういうと手を振りながら人ごみの中に消えていった。
「見逃してくれた…のかな?」
「です…かね?」
おそらく面倒ごとを避けたつもりなのだろうが、それでいいのだろうか…。兎にも角にも見逃してくれたことに感謝しながら旅館へと帰っていった。
旅館に着いた頃には日は落ちていて、夕食を取るにはちょうどいい時間帯だった。夕食は結構豪勢で、ぎりぎり食べきれるくらいだった。
二人はそのあと部屋に備えられている露天風呂に入った。ちょうど花火大会も始まっていて盛夏の夜空に大きな花を咲かせていた。
「…きれいですね」
「うん、そう…だね」
「…?どうかしましたか?」
見るかに元気がなく、何か言いたそうにしている。せっかく二人きりで花火も奇麗なのにどこか上の空だった。
「あのね?本当はもっと早く言いたかったんだけど、私、夏休み中にはドイツに帰ることになったんだ。その、遅くなってごめん」
ショックだった。というよりも何を言っているのか解らなかった。
「き、急にどうしたんです?」
「あのね、この間ママから連絡が来て『コンクールに向けて練習するよ』って…。
本当はね、私、ここには家出してきたんだ。ママと一緒にいると本当の私を見てもらえてない気がして、それで逃げ出してきたの。でも、やっぱりママからは逃げられなかった。
たぶん、今日が過ぎたらもう会えないかもしれない…。だから、本当は言いたくなかったの。言っちゃったら…今日が終わっちゃったら、会えなくなっちゃうから…」
頭が真っ白になる。何も考えられなくなる。でも、どんなに目を背けようともそれは現実である。
「だから昨日、『愛してほしい』なんて言ったんですか?」
「うん…。どうしても、思い出が欲しかったから…」
思い出、と言われてどこか悲しい気持ちになる。もう私は過去の人間なのかと。
「ごめんね…。私がかがりちゃんと付き合わなかったら、恋人にならなかったらこんな思いさせなかったのに…」
「それは、私のことが嫌いになった、ということですか?」
「っっ!そんなことないよ!私は、私はかがりちゃんのことが好き!この世の誰よりも、世界で一番好き!でもこんなにも、こんなにも思ってるからこそ、こんなにも心が痛いんだよ?好きなのに、別れなきゃいけない…。 こんなにつらいことはないよ…」
リリアの瞳から涙がこぼれる。あの日とは違う、悲しいときに流れる涙。
「———わかりました、そこまで言うなら」
篝は覚悟を決める。その言葉に対しリリアは肩をこわばらせて身構える。
「そこまで言うなら、私はあなたを追いかけます。どこに行っても、追いかけて行きます。だって、こんなにも勇気を振り絞ってくれたんです。そうでもしないととても愛してるなんて言えませんよ」
だから、と言いつつゆっくりとリリアに近づき頬にそっと触れる。
「だから、リリーは安心してドイツに行ってください。きっと、いえ、絶対追いかけて行きます」
かけられた言葉にまたも涙がこぼれる。それは先ほどとは確かに違う涙だった。
*****
花火大会の日から2カ月経った。リリアは言った通りドイツに帰っていった。突然の出来事に学園の誰もが驚いていた。
「かがりん、本当によかったの?リラちゃんと離れちゃったんだよ?寂しくないの?」
寂しくないわけなどない、ないのだが。
「私は、絶対に追いかけて…そして捕まえて見せますから。ですので寂しくなんてないです」
虚勢だということは確定的に明らかだった。しかしそれこそ彼女の強さだった。
そんな時、放送が流れる。
『あー、あー。生徒の呼び出しだ。真智 かがり、真智 かがり。至急職員室まで来い、以上』
呼び出したのはマサムネのようだ。やはりいろいろ適当である。
職員室に着くと、同時にマサムネが出てきた。彼は丁度よかったというとそこで少し待っているように指示する。
1~2分待つと職員室からマサムネが出てきて会議室に連れて行かれた。
「えぇ…っと、何の御用でしょうか?」
「あぁ、実はな…。 学校にとある荷物が届いたんだ。お前宛にな。今日はそれを渡そうかと思って呼び出したんだ」
「……わざわざそのためだけに呼び出したんですか?」
「おうともさ。 んで、これがそれな」
はははと笑うと一通のエアメールを取り出し差し出す。そして確かに渡したからなとマサムネは会議室を後にした。
エアメールは宛名も差出人も外国語で書かれており、英語だけではないことは分かったが何語かはわからなかった。
封を切り中身を見ると、中には便せんと何かのチケットが入っていた。
「便せん…?いったい何が…」
開いてみると、そこには見覚えのある字で日本語が書かれていた。
「これ、リリー!?でも、どうして…」
少しばかりパニックになったが、落ち着いて本文に目を通してみる。
『かがりちゃんへ
お元気ですか?私は元気です…なんて言えないんですけどね。
実は今回、ママに“日本に大切な人がいる”って言ったらコンクールのチケット一枚もらえたの。でね?このコンクール、かがりちゃんに見てほしいなって。一応そのチケット一つでドイツまで来れるから、よかったら来てほしいな。
あなたの恋人 リリア・フォーゲルヴァイデより』
どうやら一緒に入っていたのはそのチケットらしい。よく見るといろいろな言語でコンクールの内容が書かれていて開催日時も書かれていた。
「日時は… 来月、ですか」
来月、つまり11月に久しぶりに彼女に会えるのだ。今からでも心が躍る。
*****
11月、かがりはマサムネに無理を言って学校を休むことになった。特に理由は言わなかったのだが、マサムネはなぜだかすんなり了承してくれた。あの人は本当に何なのだろうか…。
そんなことを考えつつフランクフルト国際空港に降り立つ。人の往来が多くて酔いそうになるがなるべく人の流れを見ないようにしながら人ごみをかき分ける。
「かがり様ですね?ようこそドイツへ」
突然背広姿の男性に呼び止められ少し驚く。ドイツ人なのだろう、かなり背が高い。
「あ、はいそうですけど…あなたは?」
「申し遅れました。私、リリア・フォーゲルヴァイデお嬢様の母君、レア・フォーゲルヴァイデ様の執事をさせていただいております、ウェルキンと申します。以後お見知りおきを」
ウェルキンと名乗った執事は深々とお辞儀をする。
「あ、はい。こちらこそ…」
そのままウェルキンに連れられコンサート会場に着く。コンサート自体は明日なのだが、理由を聞いても話してくれなかった。
そのままホールの中に入ると、女性が一人歌っていた。とても奇麗でどこかリリアの歌声に似たようなものを感じた。
『奥様、かがり様をお連れいたしました』
『…わかりました。かがりさんをこちらへ』
二人とも(おそらく)ドイツ語で話していて何を言っているのか分からなかったが、ウェルキンに促されステージにほど近い席に着いた。すると女性がステージから降り、隣に座る。
『あなたがかがりさんね、私はレア・フォーゲルヴァイデ。リリアの母です。話は娘から聞いているわ。とても大切な人らしいですね』
隣でウェルキンが通訳してくれているので話の内容はわかるが、なるほど、この人がリリアのお母さんかと納得する。確かにリリアはお母さん似のようだ。
『リリアが家出して、どこで何をしているかと思ったら日本で恋人を作っていたなんてね…あきれたわ』
そういわれてかがりはカチンとくる。恋人の母親とは言え、言っていいことと悪いことがあるだろう。
「お言葉ですが、私はリリーを、娘さんを愛していますし、娘さんも私のことを愛しています。それに私は———」
『まぁそうなんですか?でもどうせ上辺だけの関係なんでしょう?娘は今までそういうのによく引っかかっていたから』
あきれたように言われて、ついにかがりは堪忍袋の緒が切れる。
「ウェルキンさん、できるだけそのまま訳してください。
お母さん、私はリリーのことを本当に愛しています。じゃないと私はここまで来ていません。それに、私はリリーを弄ぶようなことはしません。私は…本当に、それこそ世界で一番リリーのことを愛してるんです」
ウェルキンが通訳し終わると、レアは吹き出し笑いだす。
『ごめんなさい、別におかしいってわけじゃないのよ?でもほら、日本人ってなよなよしいイメージだったから、ちょっと試しちゃった』
レアの雰囲気が一気に変わる。それまでは厳格なドイツ人のような感じだったのだが、今は気さくな感じだ。
『ふぅ、久しぶりにおなかを抱えて笑ったわ。
…かがりさん、本当に娘のことを愛してるのね?」
かがりはその質問に首を横に振る。
「ちょっと違います。私は、リリーのことを“世界で一番”愛しています」
答えると、レアはさらに笑いだす。それこそ涙が出るほど。
『わかったわ…。 あの子のこと、よろしくお願いするわね?』
「っ! …はい!」
翌日、コンクール本番。リリーに変なプレッシャーを与えまいとまだ会ってはいない。レアとのことも含めて、後で話すつもりだ。
日本語で書かれたプログラム票を持ってVIP席に着く。どうやらリリアがくれたチケットは特別なものだったらしい。
リリアの出番が来るまで、ゆっくり待つ。どの人も上手なのだが、やはりというかなんというか、リリアには及ばない。
そしてついに、リリアの出番が来る。
白いドレス姿のリリアは今まで見た彼女の中で一番奇麗だった。
そしてリリアが歌いだす。2ヶ月ぶりに聞く彼女の声。7ヶ月ぶりに聞く彼女の歌。
ホールに響く歌声は、あの日の声とはまた違った色合いを醸し出す。そう、彼女が歌っているのはあの時歌っていた曲なのだ。
大切な人との別れ、それを味わったからこその歌声だろう。
歌が終わる。残響が消えると静寂が訪れる。
ぽつり、ぽつりと拍手が起こる。それは波となって会場を包んでゆき、ついにはスタンディングオベーションになる。
彼女の姿はどこか、天使のように神々しかった。
コンクールが終わり、エントランスに出るとウェルキンに連れられ控室に入る。
「リリー、お疲れ様です」
かがりの姿を見るや否や、弾かれたようにかがりに飛びつく。
「かがりちゃん!来てくれてたんだ!」
「もちろんです。恋人の晴れ舞台なんですから」
抱き合ったまま再開を喜んでいると、一緒にいたレアがわざとらしく咳ばらいをする。
『リラ?あなたはこの人を心から愛してる?』
リリアはレアの方を向くと、何をいまさらと言いたげな顔をする。
『もちろん、この人は私の“世界で一番”好きな人だもん!』
ドイツ語で話していたのでかがりは何を言っているのか分からなかったので、ウェルキンに何を言ったか聞いてみると、ウェルキンはくすりと笑って「あなたと同じですよ」とだけ答えた。
*****
とある教会、そこではとあるカップルの結婚式が執り行われていた。
「あの、服装乱れてませんか? 大丈夫ですかね?」
「…うん、大丈夫だよ? それよりやっとこの日が来たね」
二人は顔を見合わせると、くすりと笑う。すると見計らったように教会の扉が開く。
「それでは、行きますか」
「うんっ!」
二人は一歩踏み出す。 輝かしい未来へと向かって…。