第7話
「待て‼︎」
ハインリヒはしつこくユニを追い続けていた。街の外へ逃げようとしたが、さっきはいなかった門衛がいたため、ユニは今もまだ走っている。
汗に濡れたユニの髪は乱れていて、口から吐く息は大きい。唾液が鉄の味をし、ユニが息を深く吸い込むたびに胸に痛みが走った。
杖を置いてきてしまったために、ユニは容易には魔法を使うことはできない。まだ、疲労の残る体ではなおさらだ。ユニは苦悶の表情浮かべていた。息を吸い込もうと口を大きく開け、そのぶん目元がつぶされ視界が狭まっていた。
ユニは何度か脚を止めようかとも思った。
話し合えば分かってくれるのではないか。自分がユニ・メトリアであることを明かせば、少なからず状況は改善されるのではないか。
そう思うたびに、ユニの脳裏に死んでいった少女の姿が浮かんだ。
背中を寒気が駆け上り、汗がさらに噴き出す。火照った体が急冷された。すると、疲れで動こうとしなかった脚が勝手に回り出す。
広場に人が集まったままであるのはユニにとっては不幸中の幸いであった。
ユニが道を曲がるたびに幅が狭くなっていく。建物の陰に覆われた薄暗い道をさらに奥へと進んでいく。そしてまたユニは路地を曲がった。
ハインリヒの声が小さくなった。
逃げ切れたと思ったユニは崩れ落ちた。四つん這いになったユニの顔から滴り落ちる汗が石畳を濡らす。肩は大きく揺れている。ユニは安堵の表情を浮かべた。しかし、それも束の間またハインリヒの声がユニの耳に届く。
「ちっ‼︎」
舌打ちをして、ユニは立ち上がろうとする。
だが、一度止めてしまった体は、なかなか動こうとはしてくれなかった。なんとか体を起こし中腰になり、ユニは顔を前に向けた。途端に、ユニの全身の毛穴が開き、今までとは比べ物にならないほどの冷や汗が噴き出した。
所々ひび割れた土色の壁が、ユニの行く手を遮っている。
狼狽したユニはどうすべきか決断がつかない。けれど、そうしているうちにハインリヒの声は近づいてくる。
ついには足音が聞こえ、ユニが覚悟を決め後ろを振り向いた。
「……え?」
不意に腕を引かれ、ユニは戸惑った。とっさに振りほどこうとする。
「いいからついてきて」
声の主を見れば、ユニとはそう年の変わらない少女だった。
「……は、い」
ユニは少女の言葉に従った。民家をすり抜け、下水道を走りユニは逃げ切った。
彼女の言葉を信じる根拠はなかったが、彼女の心情を読み解けたわけではなかったが、不思議とユニは少女に信頼を抱いていた。
✳︎
「……こ、ここまでくれば、大丈夫と思う」
ハインリヒの姿は見えないし、声はもう聞こえない。
細く薄暗い路地裏で2人は息を切らしていた。
「あのさ、助けてくれたのは有難いんだけど君は誰? あと……大丈夫なの? 僕を助けちゃって」
ユニが問う。すると、少女は逡巡した後口を開いた。
「わからない。でも、助かったんだしさ」
少女はそう言うと妙に清々しい、どこかぎこちない笑みを浮かべた。
「ミリエンス・ベルバート」
少女は唐突に言う。
「なにそれ?」
「名前。私の」
知らない名前だ、ユニはそう思った。だが、なぜか聞き覚えがあった。記憶の糸をたどり、答えを見つけた時、ユニはハッとした表情を浮かべた。
「それってもしかして……?」
「とりあえず行こっか」
ミリエンスはユニの手を引いて、歩き出した。
「えっ?」
柔らかい手の感触にユニは頬を赤らめた。
ミリエンスはそれに気づかず、構わずに進んでいった。