第6話
ハインリヒらから逃げ切ったユニは、そのまま休みを取らずにマーラへと向かっていた。
すっかり陽は落ち、月光は雲に遮られている。暗闇に慣れていなければ足元もおぼつかない。
ユニは杖の先に小さな火を灯し、いく先を照らしていた。たいした魔法ではないが、ユニはさすがに疲れを感じていた。ユニは歩みを止め、道をそれ寝そべった。
盗賊の危険はあるが、魔物が出没する区域はすでに抜けている。それに旅団や商団ならまだしも、みるからに何もないユニをわざわざ盗賊が襲うはずもなかった。
目を瞑るとすぐにユニは眠りに落ちた。何度か近くで鳥が鳴いたり、兎が跳ねたりしたがユニはピクリとも動かなかった。
やがて、月と入れ替わりに太陽が昇り、日光が容赦なくユニを襲った。
「ん……」
瞼の裏に光を感じ、ユニは目をこすりながら体を起こす。腰から水筒をとり、一口だけ飲んだ。立ち上がって体を伸ばし、ユニは再び歩き始めた。腹がなったが、ユニは何も持ち合わせていなかった。
歩き始めてすぐ、ユニは異様な光景を目の当たりにした。
乱立する無数の木柱。
真っ黒に炭化しているものもあれば、根元だけが黒ずんでいるものもある。あまりの数に裸の木の林にすら見えてしまう。
「なんだろ、これ。やけにたくさん立ってるけど……新しい祭りでも生まれたのかな」
ユニは眉をひそめている。何も得体が知れなかった。どうして丸太が何本も立てられているのか見当もつかなかった。
何もわからず、仕方なしにユニはまた歩き出す。
地平線上に石の外壁が見え出す。それは、ユニがマーラに住んでいた頃と同じものだ。
ユニの脳裏に故郷での出来事が浮かび上がった。賑やかな街角や親切なおばさん、そして研究所で生活を共にした師匠達。
しかし、年月が思い出に浸るユニを現実へ連れ戻す。
だんだんと明瞭になる外壁には、ヒビが入り、黒ずみ、隙間に植物が生えていた。
門の前には旅人はおろか、門番さえいなかった。おかげでユニは、なんの不自由もなくマーラの中に入ることができた。けれど、ユニは不安を抱かずにはいられない。
歩いてすぐの大通りには、人の姿が見当たらない。どの店も閉まっている。活気なんてものはかけらも感じられない。
「え? 嘘だよね……?」
ユニは一軒一軒順に確かめるように見ていき、あることに気がついた。
魔法関連の店が一軒もないのだ。
ユニがマーラで暮らしていた頃、まだ魔法が完璧に認知されていたわけではない。しかし、それに携わる人も、興味を抱く人もいた。それ故に、触媒としての鉱石を売る店や、補助道具を取り扱う店が少なからず立ち並んでいた。
『貴方は魔法が使えるまでに悪魔と深い契約を結んでいたのですか……』
ユニの脳裏にハインリヒの言葉がよぎる。
「まさか……っ‼︎」
ユニが一つの考えに至った時、突如人の喧騒が鳴り響く。
ユニは路地裏でローブを脱ぎ、杖と荷物を置いてから、その騒ぎの元へ向かった。
ついた先は国の中央にある円形の広場だ。あまりの広さに普段はそこに立つと空が広く見えさえする。だが、今日は違った。
見渡す限りの人垣が広場を埋め尽くしている。皆、片手に袋を下げ、もう一方の手を振り上げ、騒いでいる。
「非道な魔女に鉄槌を‼︎」
あるものの声が耳に届き、合点がいった。
ユニは群衆の見つめる先に目を凝らした。
処刑台の上には亜麻色の髪の少女が無力に俯き膝をついていた。彼女の真後ろには首をくくるための縄があり、レバーの隣にガタイの良い覆面の男が立っている。そして、少女の隣に立つ神父は、上等な生地を均一に紺に染め上げた出来の良い衣服に身を包んでいる。黄色の十字架の模様がよくはえている。
神父は、薄汚れた粗末な布に身を包んだ少女を睥睨したのち、片手を前に突き出す。すると群衆がスッと静まり返る。神父は巻物をひろげ語り出した。
「誠実に神に従い、惑わされることのない皆様が、本日もまたお集まりくださったこと、これがこれからのより良い世界、即ち、魔女のいない世界に繋がるのだと私は確信しております」
神父の声はユニの元まで一直線に、かき消されることなく届いた。妙に静まり返った空間の中、彼の声は異様なまでによく通った。
「今、私の隣にいるものは魔女であり、悪魔集会にて悪魔に対して忠誠を誓う臀部接吻を行い、そして、色魔の凍るような精液をその身に受けたのであります。神に従う我々には悪魔の姿は見えませんが、他の魔女からの証言や、自供からその罪状が立証されております。そこで司祭様は彼女を悪魔の支配から解放するために、殺すよう決定されました。これが処刑に至った大まかな経緯です」
神父は唾を飲み込み、新たな巻物を広げた。
「それでは、これから彼女の罪状の子細を説明します。まず始めに、彼女はまだ魔女でなかった頃、偶然、悪魔集会の様子をのぞいてしまいました。それがために、陰湿で邪悪な魔女たちによって洗脳を加えられてしまいます。以降、彼女は集会に出席するようになりますが、この時すでに彼女の本当の意思というものは失われていました。はじめて参加した集会にて、言われるがままに唇を突き出し、彼女は悪魔の臀部に口づけをし、忠誠を誓わされました。この時から彼女は悪魔の姿が見えるようになります。そして、何度も忠誠を重ねて誓ったのち、悪魔との性行為を経て色魔をつかえるようになります。それから彼女は多くの男を堕落させ、また時には悪魔を補助し人を病にかけました。他にも多くの罪を犯していますが、これ以上我々は詮索しません。なぜならば、それらは彼女の本当の意思ではなく、染められた意識の中で犯してしまった事柄だからです。そう思えば、我々は彼女に同情を抱かずにはいられず、救いの手を差し伸べたくなります。しかし、一度、本意ならずも悪魔に忠誠を誓ってしまった以上、我々にできることはただ一つしかありません。これ以上の罪を重ねないように、また、彼女を悪魔から解放するために彼女を殺めることだけです。同時にこれは今の彼女の罪滅ぼしとなります。よって、我々はまず、絞首で彼女の命をたったあと、依り代である身体を街の外で灰となるまで燃やします。お集まりいただいた皆様にも彼女に対する同情を抱いていただけると幸いです」
神父は深々と礼をして、台を降りた。拍手が広場に響き歓声が上がった。
執行人が少女の体を抱えて、その首に紐をくくりつけた。
少女は抵抗せず、涙も流さず虚ろな目をしていた。体中の痣や傷跡を気にするそぶりはなく、両手は力なく降ろされていた。
執行人がレバーに手をかけると、少女に観衆の視線が集まる。レバーが勢いよく引かれ、少女の体は跳ねるように落ちた。動く様子はないが死んだようにも見えなかった。
執行人によって台にあげられた彼女の体に石飛礫が飛来する。皆が、下げた袋のから石を手に取り、少女の意識のない死体に躊躇いなく投げつていった。
逃げるようにしてユニはその場を立ち去った。止まらない動悸を抑えるように胸に手を当てる。顔中に浮かんだ汗がユニの頬を伝う。
「そこだっ‼︎」
声の方向を振り向くと、ハインリヒがいた。一直線に自分の方へと向かってくる彼を見て、ユニは無意識のうちに走り出した。