さいごの夏
三江線
区間:広島県三次~島根県江津(全長108.1キロ)
開業:1930年4月20日
全通:1975年8月31日
廃止予定日:2018年4月1日
駅:33駅(起点・終点含まず)
列車本数:下り8本、上り9本(途中駅始発乃至終点の列車を含む)
ほぼ全線に渡り、制限25キロ乃至30キロで徐行運転を行う。そのため三次~江津間は4時間程度の時間を要する。JR屈指の超閑散路線の一つであり、その歴史上一本も定期優等列車(急行・快速)が設定されたことはない。
2018年4月1日以降、当路線は第三セクターに転換することなく全線が廃止される。
5時26分に鳥取を発ち、境線を完乗してから出雲市12時11分発の列車に乗って江津までやってきた。
「これから行くのはあっち方面かぁ・・・。」
僕はそう言って草だらけのほうへ延びる線路に目をやった。線路は駅を出て大きく右に曲がっていっているが、その線路を覆い隠すように草木が伸びている。日本の中にはあんなに草が伸びたところを走る鉄路があるのかと思わされる。
あの草の中に延びる路線は三江線と呼ばれる。この路線は広島県三次と島根県江津を結ぶ全長108.1キロの鉄道路線である。沿線には江の川があり、三江線は終始江の川に沿っていく。
「さて・・・。」
いったん出るか・・・。
時間は13時40分・・・。次に乗る列車は15時15分。列車が入線するまでの間ここで時間をつぶすこととしよう。
改札口に行くとさっきの列車に乗って江津まで来たおじさんが改札口の所にいた。その人が先に改札を通ってもいいというそぶりを見せたため、一礼して改札口の駅員に18きっぷを見せ、江津駅の待合所に入る。ちらりとおじさんの持っているきっぷを見ると「東京都区内→江津」となっていた。ずいぶんと長いこと鉄道で移動してきたんだな・・・。
熱気がこもる江津駅構内。エアコンはどこにもない・・・。チラッと三江線の時刻表を見た。どこの駅でも見かける5時から0時までの表となっているものである。
「スカスカだなぁ・・・。」
三次方面に向かう列車は5時53分発三次行き。12時34分発浜原行き。15時15分発三次行き。16時33分発浜原行き。19時08分発浜原行き。時刻表にはこれしか乗っていない。片手に収まる数しか1日に運行されていない。当然、これで全部だ。
この少なさに笑いさえ出る。
今度は山陰本線の時刻表を見てみよう。赤で表示されている特急とオレンジで表示される快速「アクアライナー」を除外して数えてみる。出雲市方面へは10本。益田方面は14本。路線の性格の違い故比べるのは賢明ではないが、これだけ違うか・・・。
「・・・。」
しばらく待合所で三江線の列車を待っているとキハ187系特急「スーパーまつかぜ5号」益田行きが到着する。「まつかぜ」が出発すると時刻表の表示が次の列車へと切り替わる。次は15時08分発快速「アクアライナー」益田行きだ。あの列車で三江線に乗りに来る人は多いだろう・・・。
「1本前にして正解だったな・・・。」
そこは自画自賛する。
14時54分。三次方面から白いフロントマスクのキハ120系がやってくる。2両編成のこぢんまりとしたレールバスだ。車内は立ち客がいる。バスみたいな折り戸が開くとぞろぞろと大きな荷物を抱えた男性客が降り始めた。彼らは全て鉄道ファンだ。鉄道ファンはそそくさと山陰本線の乗り場に向かう。
鉄道ファンが降りてくると今度は年配の人たちがぞろぞろと降りてくる。その人たちはすぐには山陰本線のホームには向かわない・・・。
「次の三次行きはどこから出発かしら。」
後ろのおばあさんの声が聞こえた。
「三次行きはこのホームから出発しますよ。」
僕はそれに答えた。別に答えを僕に求められたわけじゃないけど・・・。何か答えずにはいられなくなったのだ。
「あっ、そうなの。ありがとうね。」
「いえいえ。」
辺りを見回すと2・3番線ホームにはかなり人が多くなった。これから三次方面へ折り返していく人も多そうだ。
3番線に止まっている江津行きだった列車は回送列車となり、ホームを離れる。そして、三次行きと行き先を表示したキハ120系が3番線ホームに代わりに入ってくる。
「ピッ、ピッ、ピッ。」
人を追っ払うという電子音がし、僕は車内に入った。扉が開くのを今か今かと待っていた鉄道ファンが車内になだれ込む。
「ピッ、ピッ、ピッ。」
「ご乗車ありがとうございます。この列車は三江線石見川本、浜原方面三次行きです。お客様にご案内いたします。現在、大変暑くなっております。そのためレールの温度が上昇し、列車を安全に運行できない場合がございます。広島駅から新幹線へお乗り換えのお客様、ただいまより乗務員が車内に参ります。新幹線へ乗り換えされるお客様はお申し出ください。」
僕はこの放送をあまり熱心には聞いていなかった。
だが、この放送がされると車内の鉄道ファンが一斉に時刻表を取り出した。この先の予定の確認をしているのだろう・・・と思っていたが・・・。
「広島で新幹線に乗り換えるお客様はお申し出ください。」
そういって運転士が車内をまわる。ロングシートに腰掛けた太った人間が運転士を呼び止めたが、
「申し訳ありません。ただいま広島から新幹線に乗り換えるお客様のみ問い合わせに応じております。また後ほど私までお願い申し上げます。」
そう断られていた。まぁ、新幹線に乗り換える人だけっていわれてるんだし、そこは待たないとね。
「ご乗車ありがとうございます。三江線、三次行き発車します。」
15時15分。キハ120系はエンジン音を響かせ江津を発った。行く手には線路にまで伸びる草木が待つ。
「カタカタカタ・・・。カタ・・・。カタタタタ・・・。」
木と車体がすれる。山間を抜けていく路線でも木が車体にあたるような路線は数えるぐらいしかないだろう。
「まもなく、江津本町。江津本町です。運賃、きっぷは前の運賃箱に入れてください。」
電子音声が流れ、スピードの遅いキハ120系のスピードは更に落ちる。
(こんな所に止まるのか・・・。)
そう思えるような鬱蒼とした場所にキハ120系は止まった。僕の後ろには江の川が流れている。そして、反対側には「江津本町」と書かれた駅名標を見る。確かに、ここは駅らしい。降りる人間は誰一人としていない。だが、キハ120系は律儀に扉を開けているのだろう。僕の乗っている車両は前から2両目。ワンマン運転のため2両目の扉が開くことはない。
「フィー・・・・。ギュイイイイイイン。」
エンジンがうなる。だが、ある程度加速したと思えるスピードまでキハ120系は加速しない。制限速度25の表示が後ろは流れていく。その下に表示されているのは制限25がかかる距離だろうか・・・。
「カタカタカタ・・・。」
また車体に木があたる。
列車はゆっくりとしたスピードで、しかし着実に歩みを進める。
そういえば、さっき広島で新幹線に乗り換える人を運転士が把握しようとしていたな・・・。新幹線で一体どこまで行くことができるのだろうか。ちょっと調べてみよう。
この列車が終点三次に着くのは18時59分。その後、広島方面に向かうために芸備線に乗り換える。その列車は19時03分発の広島行き。終点広島到着は20時56分。となると広島を出発できるのは21時00分以降の新幹線ということになる。
まずは博多方面。21時08分発「のぞみ53号」博多行き、21時19分発「みずほ611号」鹿児島中央行き、21時27分発「のぞみ55号」博多行き、21時37分発「さくら573号」熊本行き。結構行ける・・・。
次は新大阪方面。21時03分発「のぞみ98号」名古屋行き、21時06分発「こだま762号」新大阪行き、21時19分発「さくら572号」新大阪行き。
おそらく、このどれかに乗る予定を立てている人が多いだろう。とは言っても「のぞみ98号」に乗ることができるというのは強烈だ。21時前に広島にいたのに、日付が変わる前に名古屋まで移動することができる。この時間であればまだ名古屋圏の鉄道は終わっていない路線がほとんど。十分自分の家まで到達できる。
(こりゃ、新幹線で移動する人が多いのも分かるわ・・・。)
「カタカタカタ・・・。」
また列車は木にあたる。いや、当たり続ける。だが、それよりも気がかりなことがある。ぼーっとしている間に列車は二駅止まった。千金と川平という駅だ。しかし、川平を出発して以降どこにも止まっていない。次は川戸という駅らしいが、川戸にはいっこうに止まる気配が・・・。
「まもなく、川戸。川戸です。運賃きっぷは前の運賃箱に入れてください。」
「・・・やっと駅か・・・。」
そう言いたくなる。列車は相変わらず、ゆっくりだ。
三江線の沿線に細い道が走る。
「おっ・・・。」
後ろから軽自動車が近づいてきた。三江線はトンネルに入る。道は江の川沿いに走るようで、膨らんでいる。だが・・・。
「遅いなぁ・・・。」
それは三江線のことだ。車との距離は開くどころか詰まっている。しかも、さっき八ラリとしか見えていなかった車が今では僕の近くにまで来ている。まもなくキハ120系の後方に追いつこうとしている。そして、案の定車はゆっくり走るキハ120系を悠々と抜き去っていった。
「・・・。」
悲しくなるほど遅い・・・。この一言に尽きる。
またしばらくゆっくりと江の川沿いに走っていると、また車が現れた。後方から車がやってくる。三江線はトンネルに入り、道はそれを買わして膨らむ。そして、結果は変わらず。
そして、二度あることは三度ある・・・。四度ある・・・。五度ある・・・。
(さっきと同じ車に抜かれたんですけど・・・。)
悲しくなるほど遅い・・・。違うなぁ、「哀れむほど」遅いだな。本当にこの一言に尽きる。
ゆっくり、ゆっくり。しかし、着実に。キハ120系は江の川を上る。石見川本という路線上では大きな駅に止まっても、降りる人はいない。いや、2両目の人間に降りる人はいない・・・。どっちだろうか。
それ以降も鈍足は変わらない。
「まもなく、浜原。浜原です。運賃、きっぷは前の運賃箱に入れてください。」
「浜原か・・・。」
ようやっとここまで来たのか。だが・・・。
「お客様にご案内いたします。ただいま、大変暑くなっております。その影響でレールの温度が上昇しております。そのため、レール点検作業を行います。安全が確保されるまで当列車は当駅でしばらくの間運転の見合わせを行います。列車大幅に遅れることをお詫び申し上げるともに、お客様のご理解とご協力をお願いいたします。また、広島から新幹線を利用されるお客様。ただいまより乗務員が車内に参ります。別の交通手段を用意しておりますので、そちらへの乗り換えをお願いいたします。」
新幹線利用するっていってたら、こういうことになったのか・・・。ていうか、列車止まるって・・・。
「マジかよ・・・。」
三次19時03分発の芸備線広島行き。これへの接続は15分遅れることで破綻する。そして、その15分は過ぎた・・・。
「・・・。」
新幹線を利用する人たちが皆いなくなったことで、立ち客のいた車内は誰も立つ人がいなくなった。乗車率は目算30%程度か・・・。浜原到着前は50%程度だったことを考えると結構な人数が新幹線を利用するらしい。
「・・・。」
接続が破綻した以上、何時に広島に着くことができるだろうか・・・。
芸備線の広島行きは20時43分と21時49分の2本。21時49分前に三次に到達することができなければ、否応なく三次で一晩過ごさざるを得なくなる。だが、ホテルは取れないだろうなぁ・・・。
(20時43分発広島行きで広島到着が22時22分・・・。21時49分発で広島到着23時40分・・・。日付超えるか・・・。)
「・・・。」
考えていても仕方ないな・・・。棚ぼたの長時間停車だ。今日泊まるホテルに到着時間遅れるって行ったり、いろいろしないとな・・・。
僕は車外に出て、ホテルに電話を入れる。電話を入れ終わるとさっき江津で会った年配の3人ともまたあった。
「これって動くのかねぇ・・・。」
結構長い時間の停車のため、そんな言葉も出てくるか・・・。
「大丈夫ですよ。まだ運転士さん戻ってきてないみたいですし。」
僕はそれにそう答えたが、この人の心配はそっちでは無かったかもしれない・・・。だが、戻ってこないって事はまだこの列車は動く可能性を残していることでもある。本当に動かないなら、さっさと戻ってきて僕らを降ろすさ。
なんてね・・・。僕もそれは気がきじゃない。本当に動くのだろうか・・・。
車内に戻ると、僕は年配の人たちが座るボックスの近くに行った。いろんな話をするということもあるが、その人たちが「こっちにおいで」といってくれたからだ。
「正直、4時間もどうしようかと思っていました。」
本心が口から漏れた。
「でも、なかなか動かないねぇ・・・。」
おばあさんは外を見ていう。
外には強い日差しが降り注ぐ。
「そうですねぇ・・・。それにしても初めて聞きました。レールの温度上昇で列車が止まるっていうのは。なかなか無いことですよ。」
「そうねぇ・・・。私も初めて。」
「聞かないですからね。」
そんな話をしていると、反対側のボックスに座っていた男性が話しかけてきた。あっ、この人も合津から一緒に乗っている人だな。男性の前には女性が座っている。カップルだな。
「三江線はレールの温度上昇で止まることあるらしいですよ。インターネットにそういうことが書いてあったりしたので。」
(ダニィ。)
「書いてあったって・・・。」
「本当です。どうもレールの温度が上がりすぎて、それで止まると。ここら辺は雨降っても止まるし、晴れてても止まるし・・・。」
「雨降って止まるなら、まだ諦めが付きますけど、晴れてて止まってますからね。」
「そうですね。晴れてて止まってるから本当にもどかしいですよ。」
もどかしいかぁ・・・。そうだな。
そもそも、三江線とはどういう路線なのか。三江線は広島から最短ルートとなる陰陽連絡路線として計画された。本来の計画であれば三江線を通るルートが広島と山陰を結ぶ最短の経路となる。だが、あの列車本数を見ればそうならなかったのは誰の目にも明らかだろう。それにはいろんな不運が重なっている。全通はモータリゼーションが起こった後の1975年であること。直線距離なら60キロ程度の所を50キロ近く迂回すること。沿線住民でさえ三江線は便利ではないという共通認識があること・・・。どれも、三江線を廃止にするのに十分すぎる理由である。
都市間輸送も地域輸送もままならない鉄道路線が迎える末路である。まだ必要とされ建設された北海道の鉄道や、木次線のほうが・・・これ以上言うのはやめにしよう・・・。
ボックス席に移動して以降、居合わせた人たちをずっと話をしていた。話をしていると荷台に何かをのっけたJR西日本のトラックが浜原駅に戻ってきた。
(アルミカート・・・。点検は終わったみたいだな。)
「何か戻ってきたね。」
「もうすぐ動くと思います。」
期待を込めていった。すると、
「大変お待たせいたしました。レールの点検が終了し、安全が確認できましたので、運行を再開いたします。なお、この先浜原~口羽間で最高速度を45キロに落として運行いたします。三次到着は予定よりも大幅に遅れますことをお詫び申し上げます。出発いたします。ドアが閉まりますので、ドア付近にはお立ちにならないでください。」
「動きますね。」
「ああ。良かった、良かった。」
キハ120系のエンジンが久しぶりにうなる。普段なら自分のスピードを取り戻せる区間なのだろうが、今日はゆっくりとしたスピードでしか通れない。浜原を出ると左に舵を切り、トンネルへと入っていった。
(・・・トンネルだけでもスピードあげていいんじゃね・・・。)
レールが鉄だから無理か。
その後、年配の人からいなり寿司を貰ったり、おにぎりを貰ったりした。「本当に貰ってもいいのか」とも言ったが、人のご厚意に甘えた。
終点三次到着は38分遅れの19時37分だった。
三次の改札口を出て左には「三江線 レール温度上昇時の列車の運行について」との掲示があった。
「乗る前に知っときたかったよ。」
僕はそう言ってスマホで写真を撮った。
最初で最後の三江線の旅となった。