九州飛行機物語 --- 零式三座水偵と香椎工場 編 ---
偵察機の話の前に偵察機の存在理由を説明したい。
偵察を身近な用語で言うと「覗き」である。
敵を自分のペースで「覗き」ができると相手をより知ることができる。
知ることは戦いに勝てる可能性が高まる。強いところを避け弱い所を
突くという作戦を続けると大体は勝利になる。
「覗き」に向いている場所は高いところである。ヤグラを組んだり
丘の上や山など見晴らしの良い場所を確保することが戦の常道なのだ。
飛行機は山よりも高い場所に行くことができ、移動も早い
「覗き」を満足するために偵察機という機種が軍用として開発された
のである。
覗かれると嫌な気分になるし、不利な状況になることは本能で感じる
ことができる。なので「覗き」を排除したくなる。
敵の偵察機による「覗き」を排除することが戦闘機の開発理由だ。
最初はレンガなどを翼に落として嫌がらせをする程度であったが、
効果が薄いので、ピストルを持ち込んだり小銃を持ち込んだりした。
機銃を備えた戦闘機が生まれたので「覗き」も命がけになった。
偵察機は武装よりも逃げ足の速さを競うように発達していった。
「覗き」の後は一目散に逃げる。
古典兵法の「三十六計逃げるに如かず」は逃げ足の速度が有利で
あることを示している。古今東西で基本法則なのである。
米国のロッキード社が開発した偵察機SR71(ブラックバード)が世界
最速でマッハ3で飛行し、最後の有人偵察機になった。
その後は偵察衛星に「覗き」の主人公が移っていった。
これからの話は偵察機の発展過程で 海上を安全に効率良く偵察する
ため巡洋艦などに搭載されたフロート(浮き)が付いた水上偵察機
全盛時代の話である。
レーダーの無い時代なので、船よりも早く、船のマストよりも高い所
から海上を眺めることができる飛行機は便利であった。
大型艦船に積んでクレーンで海に下し、海から空に上がったり降りる
ことができる水上飛行機は艦隊の目として重要な位置を占めるように
なったのである。
海軍は名機として長い間使われていた複葉機の九四式水偵の後継機を
模索していた。
複葉機は軽量で使いやすいが速度が遅いのである。航空機の速度向上は
世界的に進み、低速の航空機は存在を許されない状況であった。
海軍は高速が期待できる低翼単葉の水上偵察機の試作を川西航空機と
愛知航空機の二社に求めた。
昭和15年 愛知航空機によって開発された「零式三座水上偵察機」が
正式採用され、量産されることになった。
略符号はE13A。記号の意味は「E」が偵察機で13番目に海軍に採用
最後の「A」は愛知航空機を示している。
似たような名前で潜水艦などに搭載された零式複座水偵があるので、
「三座水偵」と短縮して呼ばれた。
複座とは座席が2つで二人乗りの飛行機で、三座は三人が乗る。
前が操縦士、中が航法と通信、後方は旋回銃座担当になっている。
「三座水偵」は大型飛行艇に匹敵する行動範囲を持つ飛行機で艦船の
カタパルトから発射できることから、艦隊の目として偵察任務を行い、
基地からは哨戒任務で広い海域をカバーした。
総数で1,423機が生産されたが、開発した愛知航空機は133機しか
作っていない。ほとんどが九州飛行機香椎工場で生産されたのである。
九州飛行機香椎工場の北側は現在の香椎税務署で、そこは部品倉庫が
あった。東側は国道三号線に沿って 南側の青年学校(現在の千早
小学校)まで、西側は博多湾に面していて、「スベリ」と呼ばれた
コンクリート斜面を使って、出来上がった「三座水偵」の機体を
工場からすぐ海に浮かべることができた。
博多湾内で調整を行い、試験飛行の後、それぞれに配置された基地や
艦船まで飛び立っていった。
対潜哨戒機「東海」や機上練習機「白菊」などの陸上機は完成すると
筏に載せ、対岸にある西戸崎飛行場(現在の国立海の中道公園)まで
運び、試験飛行後、受領されて各航空隊に配置された。
本社である九州飛行機雑餉隈工場から香椎工場の
連絡は人は鹿児島本線 雑餉隈駅(現在の南福岡駅)から博多駅
経由で香椎駅から徒歩または車で移動。
貨物は千早貨物列車操車場から香椎工場に運んだ。
「三座水偵」製造を九州飛行機の経営面から見ると開発費用は無しで、
機体の製造費用は納入した海軍から全額貰えるし、製造技術の社内蓄積も
あるので損は少なく利益の方が多い。
ただ製造された「三座水偵」のほとんどを製造しても名機を開発した
愛知航空機の知名度が上げるばかりなのが少し悔しい。
有名なゼロ戦も三菱が設計・製造したので三菱製だと思っている人が
多いが、実際は中島飛行機(現在のすばる自動車)が作ったゼロ戦が
三菱製よりも製造数が多い、
そう考えると気休めにはなり、会社を大きくする祝福をいただいた
八百万の神々に感謝するのであるが、九州飛行機の知名度をあげるには
独自の飛行機の開発を行うしかないという結論に毎回たどり着くのであった。
説明がくどいと思いましたが書いてしまいました。すみません