上司来訪
まずは隊舎の中へ踏み入りその惨状を確認すると、私は一旦そこを後にし、メイドさんを探して掃除道具を借り受けた。
長い布で頭と口を覆い、柄の長い"天井払い"という名の道具を使って天井や壁の高い部分の埃や蜘蛛の巣を落とす。
ついでに長机や椅子の上の埃もそれで払うと、それらを外へ出して箒で床を掃く。
続いて床をモップがけし、最後に外へ出て、雑巾で長机と椅子を綺麗に拭いてから中へ戻した。
「ふぅっ。こんなところかな」
一連の作業が終わり、再び隊舎をぐるりと見回し一人ごちたその時、遠くから鐘の音が響いてきた。
数は、十五回。
午後三時を知らせる鐘だ、いつの間にかかなりの時間が流れていたらしい。
「でも、まだ陽は高いよね」
太陽の位置を見て、そう呟く。
この隊舎は、机と椅子があるだけで他には何もない。
「棚と、カーテンに……あ、活動記録とかつけるノートとペンも欲しいかな。あとは休憩する時に摘まむお菓子とお茶。あ、掃除道具も必要だ。掃除の度に借りるわけにいかないし」
棚とカーテンは王太子様に手配をお願いするとしても、その他の物は自分で買いに行かなくちゃ。
隊舎で使う物だから、運営費から出して大丈夫だよね?
……念の為、お茶とお菓子は、自分のお小遣いから出そうかな……少なくとも、隊員ができて自分以外の人の口にも入るようになるまでは。
「よし、そうと決まれば早速出掛けよう! ああでもとりあえず、掃除道具を返しに行かなくちゃね」
「おお、綺麗になりましたな」
「えっ?」
この後の予定を決め、掃除道具を手にした私に、突然横から声がかけられた。
驚いて一瞬肩を震わせ、次いでそちらを見ると、隊舎の出入口にがっしりとした体型の、白髪のお爺さんが立っている。
私が今着ている魔導士団の制服に似た服を纏い、腰には剣を差したそのお爺さんの腕には、腕章が二つ。
一つはやはり私がつけている魔導士団のものだが、もう一つは……騎士団のものじゃ、ないだろうか?
お城のそこかしこにいて擦れ違う騎士様方がしている物と同じ物に見える。
魔導士団と騎士団、両方の腕章をつけているって……この人、一体?
「ああ、申し訳ない。自己紹介が遅れましたな。わしはロッシェン・ソドルザード。大将軍を拝命しておる者です」
「あ、はあ、大将軍…………えっ、大将軍っ!?」
私が首を傾げつつ見ていると、お爺さんはその訝しげな視線に気づいたのか、ふっと笑ってそう言った。
私は半ば呆けたようにそれを繰り返したが、遅れてその言葉の意味に気づくと驚き竦み上がる。
大将軍とは、魔導士団と騎士団、その両方を束ねるとっても偉い人である。
大将軍の下に魔導士団団長と騎士団団長がいて、その下に私のような魔導士団第〇士団隊長や騎士団第〇士団隊長がいて、更にその下に平隊員がいる。
それが、この国の仕組みだ。
最初、王太子様に第十六士団隊長と言われた時私は何故団長じゃないのかと密かに不思議に思ったものだが、団長とは魔導士団と騎士団の士団隊長の上に立つ者を指す呼称らしく、それと区別する為、士団の長は隊長となっているのだそうな。
「あ、あの、初めまして! 私、ユイカ・トガクレと申します! こ、この度、王太子様より魔導士団第十六士団隊長を拝命致しましてっ……あ、あの、ご挨拶に行くべきでしたよね!? ごめんなさい……!!」
「ああ、良いのですよ。常なら魔導士団団長に引き連られそうするべきだが、貴女は特別ですからな。それに、挨拶しようにも、つい先程までわしは王都にいなかったのですから」
「えっ?」
「陛下のお供で他国に行っておったのです。同盟国との会談がございましてな。その帰路の途中、王太子殿下より陛下とわし宛に貴女が新たな魔導士団隊長となった旨の手紙を戴きましてな。故に帰還早々、こうして様子を見に参ったのですよ」
「あ、そ、そうでしたか……! え、えっと、ご苦労様です!」
「ありがとう。貴女も、ご苦労でしたな。ここはかなり荒れておったでしょう? 一人で掃除するのは大変でしたでしょう」
「あ……はい、ちょっとだけ。でも、これから自分と、それから隊員になってくれる人達が使う、大切な隊舎ですから! 私が綺麗にするのは当然です」
「……ほう、なるほど。良い心がけですな。……さて、お互い忙しい身ですし、忙しなくはありますがこれで失礼しましょう。第十六士団隊長ユイカ・トガクレ。これからの活躍に期待しておりますよ」
「! はっ、はい!! 頑張りますっ!!」
「おや……ほっほっほっ」
お爺さん、いや、大将軍に最後に言われた言葉に思わず背筋を伸ばして敬礼すると、大将軍は楽しそうに笑って去って行った。
私はそのままの態勢で大将軍を見送っていたが、その姿が消えて暫くすると、安堵の息と共にそれを解く。
ああ、緊張したぁ。
突然一番偉い上司が来るとか、心臓に悪いよ……。
……って、ん?
あれ、そういえば、王太子様のほうが、大将軍より偉いよね……?
…………や、やばい、次から、王太子様への態度も、改めなくっちゃ……。
こうして、今更ながらに気づいた事実に若干自己嫌悪に陥りつつ、私は掃除道具をメイドさんに返し、一度自室に戻ると、目立つであろう魔導士団の制服を脱いで私服に着替え、街へと向かったのだった。