女神のお礼
今日は高校の卒業式。
これから歩む道を違う友達と涙ぐみながら別れを惜しみ、また会おうねと固く誓ってから、それぞれ帰路につく。
渡隠結花、十八歳。
なんと、今日から晴れて、無職です。
決まっていた筈の就職先である小さな会社は、三日前に社長さん一家が夜逃げして倒産したらしい。
よくわからないが、不渡りとやらを出したのだそうだ。
なので当然家を出る計画も中止。
親の説得も無事済んで、良さそうな物件を絞り込んでいた矢先の頓挫だった。
仕事を含む新しい生活に慣れたら素敵な人と恋もして、自由な一人暮らしを満喫しようと、色々楽しい想像を膨らませていたのに……。
「とりあえず、仕事、探さなくちゃ……」
そう呟きながら深々と溜め息を吐き、交差点に差し掛かった所で俯いていた顔を上げる。
信号はちょうど、赤から青へ変わった所だった。
横断すべく足を踏み出すと、その横をするりと何かが通り抜けて行く。
ふとそれに視線を落とせば、銀色の毛並みをした猫だった。
へぇ、この辺りに銀色の猫なんていたんだ。
そう思いながら前を歩く猫を見たまま横断していると、斜め横から車のエンジン音が近づいてきている事に気づく。
視線を移せば、トラックが猛スピードですぐそこまで迫ってきていて、そちらの信号は赤だというのにスピードを落とす気配はまるでなくて。
そのトラックが走るであろう先には、あの猫がいて。
「猫ちゃんっ!!」
このままじゃ轢かれる、と思った時には走り出していた。
大急ぎで猫を回収し、地面を蹴って前方へ飛ぶ。
「うっ……!」
勢いをつけ過ぎたのか、私の体は歩道を横切り、その隣にある建物にぶつかって、崩れ落ちた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「あらあら、そう。せっかく受かった会社が倒産して、高校を卒業したのに無職……色々と楽しい事を計画していた一人暮らしも中止になってしまったのね」
「…………?」
なんだか、綺麗な声が聞こえる。
女の人……?
けど、高校を卒業とか無職って、私の今の状況だよね……何で知ってるの……?
「あ。あら、気がついた?」
不思議に思いながら目を開けると、目の前にはさっきの猫がいた。
私を見つめて、にこやかな声で話しかけてくる。
そう、猫が、にこやかな声で、話しかけてくる。
「な、なっ、ねっ」
「猫が喋ってる~!! な~んてリアクションはしなくていいわよ? 私は猫じゃなくて、女神だから」
驚いて飛び起き、猫を指差しながら声を上げると、猫は声を被せ、さらりと妙な事を言い放った。
「め、女神……?」
「ええ、そうよ。ほぅら」
「!?」
訝しげに見つめる私に大きく頷くと、次の瞬間、猫は白い光を纏いながらその輪郭をぐにゃりと歪ませ……銀色の髪をした、綺麗な女性へと姿を変えた。
な、何これ……夢?
そういえば、今いるここも……うわ、上下左右、真っ白で何もない……。
「ああ、ごめんなさいね。とりあえず、貴女を異空間へ連れてきたのよ。あそこでは話ができなかったら。そしてこれは、夢ではないわよ? さっきは、助けてくれてありがとう。貴女、優しいのね。お礼に、貴女を異世界に送ってあげるわね?」
「……は?」
え、今、何て言った?
夢じゃない?
お、お礼に……異世界に、送るぅ!?
何言ってるの!?
そんな事あり得ないでしょう……やっぱり、夢だよね?
「夢じゃないわよ? 貴女、家を出たいんでしょう? そして無職なのよね? 恋人を作ったりとか、色々楽しい事を計画していたのに中止になった、そうでしょう?」
「えっ、な、何でそれ……!?」
「ふふっ、私女神だもの、簡単にわかるわ。私ね、異世界の人々にお願いされて、今ちょうど何人か女の子を送るところだったの。どうやら貴女はファンタジーな物語とかゲームが好きなようだし、適任だわ。請われて降り立つ存在だから衣食住は保証されるし、願えば職も世話して貰えるわよ? ね、貴女にとってもちょうどいいでしょう? ああ、もしまだ夢だと思うなら、頬をつねってご覧なさい?」
「ほ、頬? あっ、痛っ! って、え……嘘、本当に夢じゃないの? そして女神って、本当に?」
女性に言われた通りに頬をつねると、その箇所に痛みが走る。
それは、夢ではないという証拠で。
そして夢でなければ、猫から女性の姿に変わり、知らない筈の私の事情を知るこの人は、只者ではないわけで……。
そこまで考え、改めて女性を凝視すると、女性はにこりと微笑んだ。
「現実だと信じてくれたかしら? 改めて聞くわ。この話は、貴女にとっても悪い話ではないでしょう?」
「う、た、確かに……あ、いや、でも……異世界って、行ったら帰れないんじゃあ……」
「ああ、それは大丈夫よ。ちゃんと界渡り……転移や帰還の魔法もある世界だから。私が授けたの。もっとも、制限がある上にそんなに頻繁には使用できないけれど……定期的には、帰れるわよ?」
「えっ」
「それと、貴女にだけ特別に、貴女達が言うところのチート能力もひとつあげるわ」
「えっ」
「家を出れて、職も貰えて、チート能力もあって、元の世界にも定期的に帰れる。どうかしら? 異世界、行ってみない?」
「………………行きます」
「ふふっ、なら決定ね! 異世界に送るわ」
「あっ! あの、一言家族に、両親に……!」
「ええ、わかったわ。手紙を書いてちょうだい。届けておくから」
「は、はい! お願いします……!」
私は、女性が、女神様が差し出した紙とペンを受け取り、『住み込みの職が見つかったから行ってくる、暫く帰れないけど心配しないで』、とだけ書いて、その手紙を女神様に託した。
そして、全身を白い光に包まれて、異世界へと送り出されたのだった。