月夜の奇跡
これ、引っかかりませんよね?
––支配人、ちょっといいですか?
内線管でハリーに呼び出されて自室から事務所に向かう。
またも騒音の苦情なのだそうだが、前回あの傍若無人の大陸系の戦士たちに泣きをいれさせたハリーが困っていた。
「それで、なんだって?」
「あんあんうるさいそうです」
うわぁ…とおれの顔が引きつるのがわかった。
「僕、この手の問題は苦手なんですよ」
「うん、多分そうだろうなとは思うけど、おれだって得意じゃないぞ」
「でも支配人なら経験あるでしょう?ちょっと模範解答お願いしますよ」
しようがねぇなぁと、おれは大きくため息をついて、事務所の引出しから一枚の紙を抜き取った。
「いつもは紙に『深夜ですのでお静かにお願いします』と書いてドアから差し入れるんだよ」
「でも、それって相手が気づかなかったら意味なくないですか?」
「差し入れた後にノックして、気づかせる。深夜に部屋前で、議論はしたくないからな」
「守り入ってますね」
ハリーが肩を落とす。
「騒音が収まりゃなんでもいいんだよ!行くぞ」
おれはフロントをでて階段を上がり、問題の客室前に到着した。
幸いというべきか、問題の部屋は角部屋だったため、苦情は隣の一件だけだった。
しかし廊下にまで聞こえる声で、あんあんあんあん…
時々、大好き!
お前は耳無青猫モンスターか!
ドアの隙間から注意書きを差し入れようとかがんだ時、廊下の突き当たりの窓から、小さな光が舞い込んできた。
ピクシーだ!
ピクシーは人差し指程の小さな妖精で、体は光り輝き、花の蜜を吸って生きているが、蜜を吸われた花は途端に枯れてしまうという。
この階層には自生していないから、どこか別の世界から連れてこられたものが、逃げ出したのかもしれない。
ピクシーはかなりのスピードで廊下をあちこち飛び回っていた。
その様子を見ていたハリーが思わず声をあげた。
「うわっ!小っさー!見ました?めちゃくちゃ小さくないですか!指先くらいですよ!」
「しかも、なんすか、あの速さ!小さいくせに超速いですよ!」
ハリーの声に驚いたのか、ピクシーは廊下の中ほどにサツキが活けてくれた花瓶の中に隠れた。
「あっ!行っちゃいますよ!」
ピクシーは花瓶からあたりの様子を伺うように顔を覗かせると、そっと活けてある花の蜜を吸いに行く。
蜜を吸われた花はあっという間にしぼんでしまった。
「あっ!もう萎れた!すごい、一瞬でしたね!」
「こら、ハリー!深夜にお前が騒いでどうする!」
おれは小声で注意すると、例の部屋に注意書きを差し入れようとして…
なんか静かになってるな。
しばらく耳をそばだてていると、中から男のしくしくと泣く声がしていた。
何か喧嘩でもしたのだろうか?
とりあえずは、周囲に問題なさそうなくらいには騒音も落ち着いたようだ。
結果的には注意書きを差し入れる必要はなくなり、おれもハリーもホッとした。
ピクシーは花瓶の花をカラカラに乾かせて、ふたたび窓から満月の輝く夜空の向こうに消えていった。
客と揉めることなく苦情も解決。
異国の妖精まであらわれた。
時にはこんな珍しいことも起こるもんなんだな。