第九話「王の秘書」
天災は忘れた頃にやってくる。そして、そいつも俺たちの頭の中からその事件が消えかけていた頃にやってきた。
ドアを蹴破って……。
第九話「王の秘書」
暇を持て余していた。ふっさんから言い渡されていた一週間の自宅謹慎もとっくに過ぎ去り、また次の週が終わろうとしているのに、暇を持て余していた。正式な従魔師となって、もう二週間が過ぎようとしているのに、一向に俺たちに任務はやってこなかった。
もう一度言う。暇を持て余していた。
「……そういえば、P・Y。この間、クソヤロウ(ヒザシのことだ)が来ていましたけど、あれは結局なにをしにウチに来ていたのですか」
リビングのソファに座り、本に目を落としているチトセが、全く興味なさ気にそんなことを聞いてきた。黙って本を読み続けることにいい加減飽きたのだろう。クソヤロウと蔑む相手を話題に上げるほど、とてつもなく暇だということだ。
「なにって、なんか恋したとかなんとか」
俺はリビングの地べたに敷かれたカーペットにごろ寝した体勢のまま、テレビをボーと眺めながら声を出した。最近は、二人してこんな生活スタイルが続いている。
「従魔の分際で恋とは生意気ですね」
「お前の会話の相手も従魔だって事忘れんなよ」
俺の言葉に、チトセははあ、と息を吐いてパタンと本を閉じた。
「そんなことより、もう二週間も経つというのに、任務が来ないとは……藤丸先生は一体なにをしているのですか」
あっさりそんなことの一言で済ますチトセにあえて言うことは何もない。
「んなこと俺が知るかよ。つーか、やっぱこの前の決闘の一件がまずかったんじゃねえの?」
「だとしたら、全てはあのハゲのせい……」
「……喧嘩売ったのお前だろ」
そういえば、トウオウの奴はあれから大丈夫だったろうか。この間、気絶したトウオウを教会から背負い、自宅まで送り届け、後はアヤセに経緯を説明せずただ「労わってやってくれ」と言い残して押し付けてきたのだが。
ちなみに、今更だが、従魔師はみんな自分の従魔と二人暮しをしている。一つ屋根の下で寝食を共にすることで、お互いの魂を少しでも近付け、シンクロしやすくするようにとかいう理由からだ。そんで、俺たちの住んでるこの一軒家は、王の作った従魔師住居ブロックS地区内にある。従魔師住居ブロックはA〜Sまで地区別にセントラルシティに区分され、従専が管理している。もちろん、生活費もろもろは全て従専もちだ。役得ってやつだ。
さて。それにしても暇だ。チトセも会話に飽きて、また黙って本を読み出した。俺も部屋に戻って新種の銃弾開発にでも取り掛かろうかと、重い腰を上げた時だった。玄関のチャイムが鳴ったのは。
「あなたの友人はウチに上げないように」
チトセのぶっきらぼうな声を背に受け、俺はリビングを出て、玄関に向かった。欠伸を一つ吐いて、玄関のドアを開け――ようとした時だった。
それはあまりにも一瞬の出来事だった。いきなりだ。いきなり、何の前触れもなく、玄関のドアが俺に向かって迫ってきた。いや、前触れというなら、その前に玄関のドアを蹴り倒したようなド派手な音がしたのだが、とにかく、コンマ数秒のその事態の中で俺にどうしろというのだ。欠伸の後に出た涙を拭うその体勢のまま、なす術もなく俺は玄関のドアに潰された。駄目押しに倒れこんだドアの上から踏まれた。
誰かが家の中に侵入していく気配を感じる。その後、部屋の奥でそれと分かる破壊音が響く。響く。響く。遅れて、そういえばリビングにチトセがいたことを思い出す。動き出すきっかけがチトセの身を案じてというのも癪だな、としこたま打ち付けた後頭部の痛みに目を覚ましながら、呑気なことを考える。
ああ、そうだ。クールな男を玄関のドアの下敷きにさせ、あまつさえ踏みつけていきやがった。十分なぶちのめす理由だ。ってか、不法侵入に器物破損。傷害。出会い頭にこんだけ無作法な輩も初めてだ。さて、そろそろ、思考も回復してきた。
クソ重たい金属の塊を押しのける。部屋の奥で響く音が加速する。銃を召喚して立ち上がる。退屈な眠気を吹き飛ばしてくれたクソヤロウに感謝の意を込めて、この頭の痛みの落とし前のつけ方を考える。ドサクサに紛れて、床に唾を吐き捨てて、俺はご丁寧に締め切られた台所へ続くドアを銃で撃ちつけ、蹴り破った。
そのまま台所には突入せずに、リビングに隣接する手前の部屋へ飛び込む。案の定、敵は蹴破られたドアに気を取られ、背後を向く。その隙に敵の横っ面に照準を合わせ引き金を引く――が、敵はとっさに背後に飛びのいて俺の攻撃をかわした。
チトセをリビングの壁際まで追い込んでいた敵が距離を取り、その隙に俺はチトセの前に立ち、敵と対峙した。銃口を敵に突きつけておき、チラッとチトセの様子を伺う。どうやら怪我はなさそうだ。ってか、この非常時に関わらず片手にまだ本を持ってやがる。思っていたより、ずっと余裕だったようだ。この破壊しつくされたリビングの惨状とは裏腹に。
「……一応聞いとくわ。怪我ねえか」
「あなたは随分頭痛そうですね」
頭から流血状態の俺を見て、言葉を発するチトセ。いや、言ってる場合か。
「……もう少し緊張感持てよ。いきなりわけもなく襲われてんだぞ、俺ら」
「そうですね。少し驚きました」
「……悔しいが、今のお前ってソウクールだな」
「別に嬉しくありませんけど」
ああ、なんかもう、チトセと話してると緊張感が飛んでいく。俺は早々にチトセとの会話を切り上げ、目の前の敵に集中した。
しかし、困ったな。何がって、クールな男は女に手を上げないってのが俺の信条なワケだ。いや、さっき撃ったのはチトセが危なそうだったから、思わずなのだが。つまり、なにが言いたいのかといえば、相手は女だってことだ。
ビキニを身につけ、昼日中からこれでもかと素肌を晒している露出狂。別に、相手のファッションセンスに文句を付ける気はないのだが、強盗に入るのであれば、もう少し格好を選ぶべきだ。いや、これは逃げも隠れもしないって意思表示か。それとも、海と間違えてはっちゃけちゃったとか。なんて考え出してしまうほど、状況は切迫している。つまり、どうしよう。
ほとんど紐で作られた、局部を隠すためだけに造られたようないささかの布を身に着けた女性。プロポーションはかなりいい。って、なに言ってんだ、俺。とにかく、相手はおそらく二十歳前後の女だ。背中辺りまで伸びた赤髪。切れ長の目は、気の強さを表しているようだが、かなりの美人だ。がなんとなく、冷たそうな印象を受ける。いきなり襲ってきた相手に、プラスの印象など持てるか。
相手の武器は、右手に握られた鞭だ。握り手の部分からぶらりと垂れ下がったおそらくゴム状の紐。そっち系の人間というのが、格好と武器から推測される今のところ一番現実的な答えだ。
それにしても、さっきまでのどかだったリビングの風景が見る影もなくなった。まるで大嵐にでも遭った様な悲惨な光景だ。ソファは三枚に下ろされ、壁に突き刺さっているし、座椅子は骨組みだけになってるし、テレビは――奇跡的に無事だ。さっきから、ワイドショーが呑気に流れている。萎える。ついでに壊しといてくれればよかったのに。
とにかく、破壊されたリビングをざっと見回して、相手の厄介さを理解する。見ない顔だが、おそらく従魔だろう。一般の女性が鞭一本持って暴れたところで、ソファは壁に突き刺さらない。よく無事だったな、チトセ。
「――なにもんだよ、あんた」
銃を突きつけたまま、俺はさしあたっての疑問をぶつけた。目算で相手の鞭の間合いの外。この距離では、俺の方に分がある。質問ぐらいいいだろう。
しかし、女は俺の質問に肩をすくめて「とりあえず、合格点ね」とわけの分からないことを言った。
「……は?」
「従魔の方は不意打ちにあっけなくやられた時点で問題外。でも、その後の動きは悪くない。結果的にとりあえず敵から従魔師を引き離すことにも成功。とりあえず、状況を五分五分まで持ち込んだ。二十九点ね」
「ギリギリ赤点かよ」
ワケが分からなかったが、けなされていることは理解した。撃っても構わないだろうか。しかし、女はこちらの心境などまるで無視して続ける。
「従魔師の方は、いきなり襲われてもパニックにならず、状況を把握してすかさずシンクロしている。そのおかげで間抜けな従魔はすぐに応戦できた。悲鳴一つ上げないなんてほんといい度胸。あえてシンクロを弱めて、魂の発光現象を抑えたのは敵に悟られないためね。そのおかげで、従魔の攻撃も敵にとって不意打ちになった。九十点ってとこかしら」
女が言い終わると同時に、俺は銃の引き金を引いた。乾いた音が家の中に響き、銃弾は女の頬を掠めて、台所の冷蔵庫にめり込んだ。
「……いきなり襲ってきといて、偉そうにこっちの点数つけてんじゃねえよ。なにもんだって聞いてんだよ。三秒以内にこっちの質問に答えねえと、今度はてめえの眉間に風穴開けるぞ、コラ」
しかし、俺の最高級の脅しをものともせず、女は退屈そうに小指で耳をほじり、耳クソをふっと口の前で吹き捨てて一言。
「赤点に発言権ないのよ」
女の言葉に背後で、チトセが鼻で笑った。クールが信条な俺もここまで馬鹿にされて黙っていられるほどお人好しではない。
「チトセ。シンクロ強めろ。クールに決めてやる……」
「再試験ですか。頑張り屋さんですね」
「……お前から決めてやろうか」
「まあ、家滅茶苦茶にされた落とし前はつけてやりましょうか」
そう言って、チトセのピアスが鈍く光り、暗闇がチトセの体を覆った。俺は左手を宙にかざして、もう一丁の銃を召喚させた。二丁拳銃。これが俺の本気の戦闘スタイルだ。
「待ちなさい、従魔師。こちらに戦闘の意思はないのよ」
「いきなり襲ってきといてなに言ってやがる!」
女の言葉に、俺は二丁の拳銃を女に向けて、叫んだ。しかし、女は俺と目が合うと、無言で耳をほじくり、ふっと耳クソを吹き捨てた。十分戦闘の意思ありとみなす……ってか、泣かす!
「……どうやら、口で説得は無理みたい」
そう言って女がため息を吐くと同時に俺は銃の引き金を引いた。しかし、二丁の拳銃をもってしても、弾は女の体を捉えない。この至近距離で、ことごとく女は銃弾をかわしていく。それはまるで銃声をリズムに見立てたダンスのようだ。
「銃口の角度と目線から弾道なんて丸見え。退屈な攻撃……二十点ね」
「馬鹿にすんじゃねえ!」
銃を乱発しながら女との距離を詰める。しかし、銃声の間に割って入ってきた何かに、左手の銃を弾き落とされ、俺は思わず後ろに飛び退いた。
「遠距離タイプのくせにわざわざ敵の武器の間合いに飛び込んでくるなんて、馬鹿ね。十点」
右手に持った鞭をぷらぷら揺らしながら、声を出す女。なにが起きたのか一瞬分からなかった。遅れてあの鞭に銃を弾かれたことを察する。
「……! っクソ! なんなんだ、この女はよ……!」
この俺が手も足も出ねえなんて、有り得ねえ。ってか、あの余裕しゃくしゃくな態度がいちいちムカつく。
「相手の挑発にいちいち乗るのもマイナス点。君もう落第決定。さようなら」
「てめえの授業なんざこっちから願い下げなんだよっ!」
「待ちなさい、プレーンヨーグルト」
完全にブチきれて女に飛び掛ろうとしたその時、チトセの声が後ろから響いた。同時に俺の体を制裁の剣が刺し貫き、俺は悲鳴を上げて地面の上をのた打ち回った。
その出来事に女は目を丸くした後に、肩をすくめて声を出した。
「こちらの話を聞く気になったのかしら」
「強盗の類であれば聞く耳など持ちませんが、それも違うみたいですね。一人で乗り込んでいるところを見ると、ただの従魔でもないみたいですし」
「あら。やっぱり、そこの従魔と違ってあなたは優秀ね。やっと落ち着いて話ができそう」
女の言葉を無表情で受け止め、チトセは制裁の剣を引っ込めて、俺に目を落とした。
「どうですか。少しは目が覚めましたか。クールに決めると言ったくせに、あまり無様な醜態を晒さないでください」
「……怪我人に容赦ねえな。もう少しで死ぬとこだったぞ、おい。ってか、時と場合を考えろよ、非常時だぞ、今」
そう言って、俺は頭を押さえながら起き上がった。
「――で、どうすんだよ。お前が止めろってんなら、止めてやるけど」
「さっき言ったでしょう。家滅茶苦茶にされた落とし前がまだついてません。それに、私の従魔を馬鹿にされたまま、引き下がる気もありません。ですので、敵わないまでも一矢ぐらいは報いなさい」
「可愛い従魔に、やられて来いってか?」
「かわいい子には旅をさせろというノリです」
チトセの言葉に、俺は「へへ」と笑ってから首に手を置き、骨を鳴らした。
冷静沈着。だが、無表情の裏に隠された意地っ張りで負けず嫌いな子供染みたこいつの性格は嫌いじゃない。
二人してやる気になっている俺たちを見て、女は呆れたようにため息を吐いた。
「まだやる気? そっちの従魔師は少しは話が分かると思ったんだけど……ま、いいわ。じゃあ、先にさっきの質問に答えとくわ」
「バーカ。んなもんに答えたからって、今更後に引けるかよ。クールな男はやられっぱなしじゃ引っ込まねえ」
俺の言葉に、女は艶やかに口元に笑みを浮かべてから、声を出した。
「実は私、王の秘書なんだけど……それ、知ってもまだやる?」
「また、思い切った嘘だな、おい」
「嘘じゃないわよ、失礼ね」
いや、ビキニ姿で鞭振り回す女が王の秘書って、信じる方がどうかしてるだろ。が、その告白が嘘であろうとなかろうと、この喧嘩を止める理由にはならない。ってか、逆効果だ。チトセの前では王ってワードは禁句だからな。
「ただの従魔ではなさそうですし、あながちハッタリではなさそうですね……」
チトセの言葉に振り返ってみると、暗闇の中でぴくぴくと眉を痙攣させているのが見て取れた。しかし、女はチトセの異変には気付かない。
「ええ。だから、私の話を――」
「せっかくあの猿のことを忘れかけていたというのに……いいでしょう。この喧嘩、正式に買ってあげます」
「は? いや、別に喧嘩売ってないけど――」
「あなたがあの猿の秘書であるなら、あなたの存在自体が私に喧嘩を売ってます」
「呆れた……言ってること滅茶苦茶じゃない?」
女の主張はもっともだが、生憎、今は俺もチトセと同じ心持だ。
「悪ぃけど、あんた出会い頭から俺に全力で喧嘩売ってるよな? 何のつもりか知らねえけど、人ん家をこんだけ荒らしといて、タダで帰れるわけもねえ。そうだろ? それとも、今更話し聞けって虫のいい申し出を受けるほど、俺たちがお人好しに見えるか?」
「……人が厚意で言ってあげてるのに。馬鹿な子」
「っへ。てめえの厚意なんざ願い下げだってよ」
背後でチトセがシンクロを強める。チトセの意識と俺の意識が魂でつながる。クールな男の本領発揮はここからだ。
「……これ以上は痛いだけじゃ済まないわよ」