第十六話「ステージ2(後編その3)」
「――チトセ。ほんの少しでいい。もう一回シンクロできるか?」
「……当然です」
言葉とは裏腹に、その声は硬い。が、自分から焚きつけておいて、この期に及んで引き下がることなどできるわけもない、と、チトセの胸中はその顔から簡単に読み取れた。
徐々に徐々に、エレナと俺達の距離が縮まっていく。エレナの間合い。俺達にとって絶望を意味する距離までもうわずか。まるで、死へのカウントダウンを待っている心境だ――が。
「――行くぞ、チトセ……!」
「ええ」
絶体絶命のこの状況。精魂尽き果てた俺達が打てる手は、もはや一つしか残されていなかった。
今にも消え入りそうな心許ない闇の衣を纏うチトセ。そして、俺はその手に銃を召喚した。
「これだけは使いたくなかったけど、仕方ねえよな……」
ズボンのポケットから新しいマガジンを取り出し、リロードする。
「この状況で、まだ打つ手があるのですか?」
「それが喧嘩吹っ掛けた奴の台詞か」
そう言って苦笑する俺に、チトセは相変わらずの憎まれ口を叩く。が、その声から硬さは消えていた。
「……珍しくあなたが頼もしく見えます。眼科に行った方が良さそうですね」
「っへ。クールに決めてやるから、お前は下がってろ」
クールな台詞とともに、俺はエレナに銃を向ける。
「なに? 今更そんなのが通用すると思ってる?」
「……試してみるか?」
確信を胸に、俺は銃の引き金を引いた。
第十六話「ステージ2(後編その3)」
炸裂する銃声。放たれた無数の銃弾は、すべてエレナの足元に命中した。狙い通りに地面で弾けた銃弾は、一瞬で部屋の中を煙幕で包み込む。
「戦術的撤退!」
視界を遮る煙幕の中、俺は踵を返し迷わず走る。不幸中の幸いは、俺達が部屋の出口を背にしていたということだ。
「……あなたに期待した私がバカでした」
チトセの手を取った瞬間響く、チトセの冷めた声。に俺は言ってやった。
「俺が誰の尻拭いしてるか知ってるか?」
「……従魔は従魔師に従うのが――」
「従魔師守んのも従魔の使命だ」
そう言って、俺はチトセの手を強く握った。反論は、返ってこない。
「とにかく走るぞ。外に出さえすればあの人ごみだ。なんとかな――」
言いかけた直後、いきなり視界がクリアになった。何が起きたのか理解できず、俺はチトセの手を引いたまま、足を止めた。と同時に、見えない何かが空気中で弾ける音が鼓膜を劈く。
何が起きたのかを理解したのは、恐る恐る後ろを振り返ってからだった。
巨大な女王蜂のソウルインフの周りを、ゆらゆらと長い鞭が揺れていた。その様は、まるで悪い夢でも見ているようだ。超高速の鞭打が煙幕をすべて払ったことは、確認するまでもなかった。
「まだ試してみたいことある?」
ゆっくり歩いてきながら、エレナが冷淡に声を出す。
「なかったら、もう終わらせるけど」
死のカウントダウンが終わりを告げた。
閃光が瞬く。俺にできることは、体を盾にしてその攻撃からチトセを庇うことだけだった。――が、エレナの鞭が俺に届くことはなかった。
エレナの鞭が俺の体を捉えようとしたその刹那、何かが、俺達の間に割って入った。エレナの鞭を弾き返した衝撃波が、そのまま一直線にエレナに向け襲いかかる。が、緑の輝きを帯びたその一閃は、天使のブラに阻まれた。
「――無様だな、P・Y」
聞き覚えのある声が、部屋の中に響く。そして、振り返った俺の視界にその男の姿が映った。
「私のライバルともあろう者が何たる醜態だ?」
「お、お前は……!」
威風堂々。そこには、丁髷のカツラに己の魂を預けた熱血漢が立っていた。
「ト……トウオウ!?」
……そうしてまた、ボケ要員が補充されたこの闘いの行く末は、もはや誰にも読むことはできなかった。