Turn2 天青フェイズ(2)
自室のベッドで過去を振り返っていた私は、一昨日と今日のことを思い出す。
土曜日、私は初対面にも関わらず斉藤くんに失礼な態度を取り、彼を傷つけてしまった。返崎先生ははっきりと物を言えるのは私の長所だと認めてくれたけど、やはりあの時の私は対応を間違えたのだ。
彼に謝りたい。いやそれだけじゃない、彼にもう一度会いたい。私と仲良くなる未来を考えてくれた彼に会いたい。
だけど、いいのだろうか。あんな態度をとってしまった私が彼の前にもう一度現れたらもっと事態が悪化するのではないだろうか。そもそも私は彼の連絡先すら知らない。あの学校に行けば会えるだろうが、クラスも学年もわからない。下手に探ろうとしたら、それはもはやストーカーだ。
散々悩んだ末に、私は明日もう一度返崎先生に相談することにした。
「え? その男の子に会いに行きたい?」
職員室で私の相談を受けた返崎先生は、目を丸くしてそう言った。
「やっぱり、変ですかね……」
落ち込む私に、先生は笑いかける。
「いや、そういうわけじゃないのよ。ただ、天青さんがわざわざ他校の男の子に会いに行きたいなんて、ちょっと意外に思っただけ。そうかあ、そういう時期かあ」
「か、からかわないでください!」
思わず顔が赤くなってしまった。
「ごめんなさい、真剣な話だものね。確かにね、その子はまだあなたに会うのは気まずいかもしれないね」
「う……」
「でもね、これは私の個人的な意見なんだけど……」
落ち込む私に、先生は声をかける。
「かわいい女の子が自分に会いに来たなんてシチュエーションを嫌がる男は滅多にいないと思うわよ」
その励ましを受け、私はもう一度斉藤くんに会いに行くことを決意した。
放課後。
部活を休み、再び斉藤くんのいる学校を訪れた私だったが、どこを探せばいいか見当もつかなかった。そもそも私は制服姿だ。他校の制服を着た女子が学校にいたら怪しまれるだろう。
どうしたものかと思っていたが、校門の外からグラウンドを眺めていると、土曜日に会った場所と同じ所に斉藤くんが座っていた。
それを見て、いてもたってもいられなくなった私は教師に見つからないように警戒しながら、斉藤くんに近づいていった。
彼に近づき、その姿が明確になっていくに連れ、緊張が高まっていく。心臓が高鳴り、喉が乾いていく。それでも私は、彼に謝ると決めたのだ。彼はまだ私に気がついていなかったが、意を決して声をかけた。
「こ、こんにちは!」
口から出たのは、私が発したものとは思えないほど裏返った声だった。さらに結構大きな声になってしまったため、斉藤くんは小さく跳ね上がってこちらを振り向いた。
「あ……」
彼も私が誰か気づいたようだ。一瞬、目を丸くしたと思うとすぐに顔を逸らしてしまった。
……やっぱり、いい印象は持たれていないみたいだ。
「あ、あの」
「ごめんなさい!」
「え……」
私が謝罪しようとする前に、彼が謝ってきた。
「土曜日のこと、ですよね? 本当にごめんなさい。僕が、変なことを言ってしまって……」
違う、そうじゃない。謝るのは私の方なのに。
しかし、こういう時に限って、私の口からはっきりした言葉が出てこない。
「本当に申し訳ありませんでした。僕のこと、好きなだけ怒ってくれていいです」
彼は辛そうな顔で、私の言葉を待っている。
本当に彼は私に真剣に接してくれているんだ。だから私に謝ってくれたんだ。だから自分を責めているんだ。
それを悟った私は、決意を固めた。
「謝るのは私の方だよ」
「え?」
「あなたに失礼な態度を取ってしまったこと、本当にごめんなさい」
……言えた。
やっと言えた。この数日間、ずっと心に留まっていた言葉を言うことが出来た。
この言葉を言うのに、どれだけ遠回りをしたことか。だけど結果的に言うことが出来た。
「あの、失礼な態度って?」
「私が初対面のあなたに対して背中をバシバシ叩いてしまったことだよ」
「あ、あれはその、気にしては……ないです」
気にしてはいない。彼がそうだとしても、私は謝らないといけなかった。
「私ね、本当にあなたの言葉が嬉しかった。あなたが私の質問に真剣に答えてくれたことが嬉しかった。なのに素直になれなくてあんな態度を取ってしまったことをずっと後悔していたんだ」
「……」
彼は土曜日のことを思い返しているようだった。そして、思い出したようだ。
「別に、大したことは言ってないです」
「だとしても、私は本当に嬉しかった。そして、あなたに失礼な態度を取ったことを本当に後悔したんだ。だから、謝りにくることにした」
「……」
「本当に、すみませんでした」
私は深々と頭を下げる。
「……すごいですね」
「え?」
頭を上げた私は、彼の言葉に驚く。
「自分の間違いを認めて、それをうやむやにしないでこうして他校に来て僕に謝ってくれる。あなたこそ僕のことを真剣に考えてくれていると思います」
彼の言葉を噛みしめる。なぜだろう、彼の言葉を一語一句聞き漏らしたくない。
「あのさ」
「はい」
「もしよかったら、お友達になってくれないかな」
「え?」
自分の発した言葉に驚く。私は何を言っているのだろうか、そもそも彼は私の名前すら知らない。それなのに、友達になってくれるわけがない。
自分の発言を取り消そうとした私に、彼が返答した。
「あなたがよければ、喜んで」
「え……?」
「そして、先ほどの謝罪の言葉を受け入れます。僕は、あなたを許します」
「あ、あ……」
口から出る声は、言葉にならない。彼の友達。私はその立場を手に入れたんだ。
その事実が、その快挙が、喜びとなって私の体を駆けめぐる。
「あ、ありがとう……」
ようやく出た意味のある言葉は、とてもありきたりな言葉になってしまった。そうじゃない、私はもっとあなたに喜びを伝えたい。
しかし彼は、真摯に対応した。
「どういたしまして」
微笑んだ顔から出たその言葉は、彼の人柄を如実に表していた。
ああそうだ。だから私は彼と友達になりたかったんだ。私の言葉を真剣に受け止めてくれる彼と友達になりたかったんだ。
「すみません」
「はい」
「お名前を聞かせてもらえますか?」
「う、うん」
私は彼に、はっきりと名乗る。
「天青……素子です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。それで、僕の名前は……」
そしてこの後、彼と私は連絡先を交換した。
私も彼のフルネームを知ることになったが、彼の下の名前は少し難しく聞き慣れないものだったため、しばらくは『斉藤くん』と呼ぶことにした。
本当に良かった。彼と友達になれたんだ。本当に良かった。
家に帰っても、今日の出来事を何度も思い返した。彼にメールを送ろうとして何度も試行錯誤した上にようやく送ったメールは、とても無難なものになってしまった。
今日は記念すべき日になるだろう、これから私は彼と幸せな時間を過ごすのだろう。そう信じて疑わなかった。
だけど私は、わかっていなかった。自分のこと、そして、この世にはどうしようもない『悪意』が存在すること。
だからだろう。
私たちがこの後、悲劇に向かってしまうことを私はまだ考えもしなかった。
――フェイズ終了――