Turn1 行峰フェイズ(2)
返崎さんの衝撃的な自己紹介の直後、しばらくクラス内は沈黙していたが先生が再びハイテンションの号令をかけたため、何事もなかったかのように自己紹介タイムは再会された。
しかし、あの強烈な自己紹介の後にいかなる自己紹介をしても、皆の心に残ることはないようだった。それは僕の自己紹介も例外ではなかった。
自己紹介タイムが終わり先生が教室から出ていったことで、クラスは再びいくつかのグループに分かれる。だがさっきのように楽しげに話し込むわけでもなく、どこかひそひそとした会話が中心になっていた。
その原因はもちろん返崎さんだ。当の本人は自分の席に静かに座っている。
皆、さっきの自己紹介の真意を問いただしたいのだろう。返崎さんをチラチラと見ている。だが彼女に問いただす勇者は今のところいないようだ。
「ねえ、ちょっと……」
その時、後ろから小さな声をかけてくる人がいた。振り返ると、一人の男子生徒が立っていた。少し痩せ形で、前髪が長くどことなく印象に残らない顔だ。彼も自己紹介をしたはずだが、僕は名前を失念してしまっていた。
「行峰くん、だよね?」
「う、うん、えっと……」
「金水だよ。金水 朝顔」
金水と名乗った男子は、しゃがみ込んで僕と視線を合わせる。
「まあ、名前覚えてないのも無理はないか。僕の番、あの返崎さんの直後だったからねえ……」
「え、ああ、ごめん」
「いいよ、しょうがないさ。ところでさ、さっきのあの娘の自己紹介、どういう意味だと思う?」
「え?」
あの娘、もちろん返崎さんのことだろう。
「どういう意味って言われても……冗談なんじゃないの?」
それが一番可能性が高い。冗談のセンスが突き抜け過ぎだとは思うが。
「確かに、普通はそうだよなあ。でもね、僕はあの娘の言葉、冗談じゃないと思うんだ」
「え?」
「つまりさ、あの娘は俗に言う『メンヘラ』ってやつだよ。聞いたことあるだろ?」
「メンヘラ……あの子が?」
『メンヘラ』という言葉は確かに聞いたことがある。『メンタルヘルス』から派生した俗語で、主に精神を病んでいる人を指す言葉だ。金水くんは、彼女がそうだと言っているのだろうか。
「だってさ、普通じゃないだろ? 初対面の僕たちにあんなことを言うなんて」
「そりゃ、まあ……」
「だからさ、あの娘には関わらない方がいいよ。君だって平和な高校生活を送りたいだろ?」
「……!」
平和な高校生活。
確かに僕もそれを送りたい。僕だけじゃない、皆だってそうだ。
だけど、皆がそう思って返崎さんに関わらなくなったら彼女はどうなる?
金水くんは返崎さんが普通じゃないと言った。そして、普通じゃないから関わるなと言った。
だけど、僕はそうは思わない。例え普通の人じゃなかったとしても、いいところは必ずあるはずだ。それに、折角同じクラスになったんだ。返崎さんだって楽しい高校生活を送る権利があるはずだ。
「……金水くん、僕は返崎さんとも仲良くしてみたいと思っているよ」
「おいおい止めとけって。あんな娘と関わったら、君までおかしなヤツだと思われちゃうよ? それでもいいの?」
「まだ僕たちは返崎さんのことをよく知らない。それなのに、今日の出来事だけで彼女と関わらないと決めるのはすごいもったいないと思う」
「ふーん……君はそういうヤツなんだね」
金水くんは何故か僕を見てどこか含みのある笑みを浮かべると、そのまま立ち上がって僕の横から離れていった。少し気にはなったが、今は返崎さんのことだ。ちょっと話しかけてみよう。
僕は立ち上がり、真っ直ぐ返崎さんに向かって歩いていく。それを見たクラスメイトたちが、予期せぬ勇者の登場に、緊張の面もちに変わる。
当の返崎さんは近づいてきた僕に気づくと、再びあの微笑みを向けてきた。
「返崎さん、あのさ……」
「お待ちしておりました。義堂さん」
「……は?」
教室内がざわめく。僕の心の中もざわついている。
今、彼女は何て言った? 『お待ちしておりました』?
僕の名前を知っているのはいい。何せ先ほど自己紹介したばかりだ。それでもいきなり下の名前を呼ばれたのは驚いたが。だけど僕と彼女は正真正銘初対面だ。過去にこんな娘と会った覚えはない。一体どういうことだろう。
状況を整理出来ない僕をよそに、彼女は次の行動に出る。
「……」
「ちょ、ちょっと」
なんと彼女は席から立ち上がったと思うと、ちょうど僕の前に片膝をついて跪く格好になった。なんだなんだ!? 彼女は何をしているんだ!?
彼女は言葉を続ける。
「義堂さん、私はあなたに許されざる行いをしてしまいました。許してくれとは言いません。私にはそんな権利もございません。ですがせめて……」
そして彼女は僕を見上げて、言う。
「この命、あなたへの償いのために使うことをお許しください」
先ほどの自己紹介の、答えとなる言葉を。
「……え? え?」
心の中の混乱が最高潮になる。『命を償いのために使う』? 僕のために? それってつまり……
自己紹介の時の、『あるお方』って僕のこと!?
クラスメイトたちが僕と返崎さんと見ながらヒソヒソと話しこんでいる。いけない、変な誤解をされている。とりあえず誤解を解かないと。
「あのさ、僕は君と会ったのは初めてなんだけど……誰かと勘違いしてない?」
「いいえ。私が命を捧げるべき相手は義堂さん、あなた以外におりません」
……どうもラチがあかない。このままだとさらに誤解を深めてしまいそうだ。
「返崎さん、ちょっと来てくれる?」
「はい」
とりあえず僕は彼女と二人で話すことにした。
教室を出る時の金水くんの意味深な視線が気になったが、今はそれどころではなかった。
とりあえず人気の無い場所に行こうと思った僕は、返崎さんを連れて校舎裏にやってきた。
「ここならいいかな……」
「どうなされたのですか?」
……本当にこの娘は自分がどれだけ問題発言をしたのか気づいていないのだろうか。まあいい、聞きたいことが山ほどある。
「あのさ、返崎さん。僕と君って前に会ったことがあるの?」
「はい」
「えっと、覚えてなくて申し訳ないんだけど、それはいつかな?」
なんかこの流れだと、『前世で愛し合った恋人同士』みたいなこと言われそうな気がしたので、充分に覚悟して返答を待った。
しかし返崎さんは、何故か困ったような顔をして言葉に詰まっている。
「か、返崎さん?」
「……言えません」
「え?」
「あなたと私は確かに過去に出会っています。しかし、いつどこでとは言えません」
「……?」
『言えない』という返答は予想外だった。何故だろう。そこが僕とこの娘を結ぶ、一番重要な点のはずなのに。
「じゃあ、その……さっき言っていた、『命を捧げる』というのはどういう意味?」
「そのままの意味です」
「……」
……えっと、つまり。
返崎さんは、僕の為に死のうとしている?
「な、なんで……」
「私は取り返しのつかない罪を犯してしまったからです。そしてあなたを苦しめてしまった」
「僕を……苦しめた?」
一体どういうことだろうか。どんなに思いだそうとしても、返崎さんと出会ったという記憶はない。それに、彼女もそのことについては触れたくはないと言っている。これでは、彼女の罪とやらもわからない。
「義堂さん、罪深い私のせめてもの願いを聞いてくださいますでしょうか」
「え?」
なんだろう。でも、彼女がその罪とやらで深く悩んでいて、それに僕が関わっているのであれば、僕にはその責任があるのかもしれない。
「い、いいよ」
とりあえず僕は、承諾の返事をした。
「わかりました。それでは」
そして、彼女は胸ポケットから何かを取り出した。
「え……?」
それは大きな断ちバサミだった。普通のハサミと違って、先端が鋭く尖っている。
「それでは義堂さん」
「は、はい」
「これから私がこのハサミで自分の喉を突き刺しますので、しっかりと見ていてください」
「……は?」
「いきますよ、せーの!」
気づいた時には、彼女の手に握られたハサミが自身の喉に向けられていた。
「わー!! ちょっと、ちょっと待って!!」
思わず彼女に近づいてハサミを掴もうとしたが、その前に彼女は動きを止めてくれた。
「なんでしょうか?」
「な、なんでしょうかじゃないよ!! そんなことをしたら死んでしまうじゃないか!」
「はい」
「はいって……そんな、自分の命を粗末にするんじゃないよ!」
「粗末になどしていません!」
僕の正論は、何故か大きな声で否定された。
「私は、あなたへの償いのためにこの命を使うと決めたのです。私は今すぐにでも死んでしまわなければならないほどの罪人です。ですがせめて、あなたに私の死を見届けて欲しいのです。それが少しでも、あなたの救いになると思ったから……」
「え、えっとさ、つまり僕のために命を使うっていうのは、僕の前で自殺をするってこと?」
「はい」
……やばい。この人は思ったよりも危ない人だ。
どうしたものか。もちろんこの娘にもいいところはあるだろう、一途な所とか。でも、思考が理解出来なさすぎる。果たして僕は彼女と関わり続けて大丈夫なのだろうか。
とりあえず彼女の暴走を止めるには、その原因を解決する必要がありそうだ。どうにかして、彼女の罪とやらを聞き出さないと。
「あのさ……」
「そうですか、もっと私が苦しんで死ぬところを見たいという事ですね?」
「はい?」
「わかりました。では今からロープを買って来て、そこの木で首を吊りましょう。そうすればかなりの苦しみが私を……」
「いやいや、違うって! 死んで欲しくないんだって!」
どうしてこうも予想外の行動しかしないのか。
「……お優しいのですね、義堂さん」
「え?」
「あんなことをした私を、愚かな私を、許してくださろうとしていらっしゃるのですね。ですが、そういうわけにはいかないのです」
「な、なんで……?」
「……私は、どうしてもあなたの前で死ななければならないのです」
彼女の顔は、とても冗談を言っているようには見えなかった。もしかしたら本当に、彼女と僕はどこかで会っていたのかもしれない。そしてそこで、何か重大な出来事があったのかもしれない。
いや待て、重大な出来事?
一つ思い当たることがある。過去に僕に起こった重大な出来事と言えば……
「ねえ返崎さん、一つ聞いていい?」
「はい?」
「返崎さんって一年前……」
そこまで言った時だった。
『ザー……ザザザ……ザー』
近くでラジオのノイズのような音が聞こえてくる。だが、別に近くにラジオは無い。なんだこの音は?
だが、その次に聞こえたのは……
『ケテ、ケテケテ』
「……!」
知っている。
僕はこのノイズがかかったような声を知っている。
間違えようがない。忘れられるはずがない。
そしてそれを裏付けるように、ヤツは徐々にその姿を現した。
『……』
変わっていない。
2mはある長身。トレンチコートにスーツ。頭に被った帽子。
そして、顔を覆う覆面に描かれた……リサイクルマーク。
ついに、ついに現れた。
「……『リサイクル』!」
本名は知らない。だけど僕は精一杯の怒りを込めて、そいつの名前を呼んだ。この一年探し回った、こいつの手がかりを。だけど全く見つけられなかった。
それがどうだ。今は本人が目の前にいる。
なんとしても教えてもらう。親友の行方を。
だが、その時だった。
「……」
「か、返崎さん!?」
なぜか返崎さんが『リサイクル』に近づいていく。
そうだ、忘れていた。この場には返崎さんがいたんだ。彼女はじっと『リサイクル』を見ている。
まずい、彼女を巻き込むわけにはいかない。なんとか逃がさないと……
「……」
「え?」
聞き間違いか? いや、僕にははっきりと聞こえた。
彼女は間違いなく、『リサイクル』に向かってこう言った。
「お久しぶりですね」
――フェイズ終了――