Turn3 行峰フェイズ(2)
一週間後。
「では義堂さん、また明日お会いしましょう」
「うん」
放課後になり、返崎さんは先に教室を出ていった。
彼女は相変わらず僕に弁当を作ってきてくれて、雨が降っているときは自分の傘を差し出したり、忘れ物をした時は貸してくれたりした。
しかし、一緒に帰ることだけは断固拒否した。それはもちろん、『リサイクル』の襲撃を見越してのことだ。高校の近くならまだしも、門前町に入ってしまえば人気の多い道はほとんどなくなる。そうなれば僕と彼女が二人きりになる可能性も高く、『リサイクル』が襲ってくる可能性も高い。
そうなったら、自分の身を守る気のない返崎さんを守るのは至難だ。彼女自身は『彼に殺されるなら本望です』と言っていたが、僕としてはそうはいかない。僕のせいで彼女を殺してしまうなど、絶対にあってはならない。
それが僕の決心。彼女の人生を狂わせた僕の義務。
そう考えていると、野太い声で名前を呼ばれた。
「おい、行峰」
振り返ると、そこにはクラスメイトの男子がいた。体が大きく、何かスポーツをやっていると聞く。確か名前は……久米田くんだったかな。
「な、なに?」
「なにじゃねえよ。お前どういうつもりだよ」
「は?」
どういうつもりと言われても、何のことだかわからない。
「お前さ、何でそんなに調子乗ってるの?」
「ちょ、ちょっと待って、何言ってるの?」
なんだなんだ? 久米田くんは何を言っているんだ?
もしかして、僕が返崎さんをこき使っていると思っているのかな? それで僕に注意をしてきたのか?
だとしたら誤解だ。なんとかして彼を説得しないと。
「あのさ、久米田くん。誤解なんだよ」
「あ?」
「えっと、返崎さんとのことを注意しに来たんだよね?」
僕が探り探りで会話を進めていくと、突然久米田くんが怒りだした。
「てめえ、ふざけんなよ!」
「え、ええ!?」
久米田くんは怒鳴り声を上げ、机を叩く。その音に、僕は飛び上がってしまった。
「え、ええと……」
何を言っていいかわからなくなった僕に、久米田くんが本題を切り出してくる。
「お前さ、彼女がいるからって調子に乗るんじゃねえよ」
「か、彼女?」
「とぼけんなよ、返崎のことだよ!」
「……え?」
「返崎と付き合ってんだろ? しかもそれをわざわざ自慢げに見せつけやがって。気に入らねえんだよ!」
……ええと、つまりこういうことか?
久米田くんは、返崎さんと僕が付き合っていると誤解していて、僕たちが付き合っているのを周りに見せつけているのがイヤミに見えたということか?
だとしたらまずい。このままだと僕だけでなく、返崎さんにも危害が及ぶかも知れない。なんとしても誤解を解かないと。
「待ってよ久米田くん、誤解なんだよ」
「あ?」
「僕は返崎さんとは付き合っていない。彼女は単なる……友達だ」
「……」
僕と返崎さんの関係をどう表現していいか一瞬迷ったが、とりあえず『友達』ということにした。大丈夫だろうか、これで納得してくれただろうか。
「ふーん……じゃあお前は『友達』に弁当を作ってもらったり、教室でお出迎えをしてもらったりするんだな?」
「あ……」
そ、そうだ。よく考えたら返崎さんは僕にそういうことをしていたんだ。それで『友達』と言うのは無理がある。
「それとも何だ? 『僕は付き合ってもない女友達に弁当を作ってもらえるほどモテる男なんだぜ』って俺に言いたいのか?」
「いや、その……」
「それが調子乗ってるって言ってんだよ!」
「ひいっ!」
久米田くんが机を蹴り飛ばす音が、教室内に大きく響きわたる。その音に、僕は思わず頭を両手で覆ってしまった。
だがそうしたことにより、無防備になった僕の腹部に久米田くんの鉄拳がめり込む。
「ぐぶえっ!」
腹に一瞬、鋭い痛みが走ったかと思うと僕の体は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。その後、壁に打ち付けた背中と殴られた腹に鈍い痛みがジワジワと響く。
「な、なんでこんな……」
「なんでじゃねえよ。お前が調子に乗っているから俺が教育してやるってことだよ」
あまりにも理不尽な言い分に僕としても彼に怒りを覚えたが、そのとき考えた。
でも、これは僕が原因なんじゃないか?
よくよく考えたら、僕が返崎さんに色々してもらっているのは事実だ。それに、客観的に見たらどう見ても僕と返崎さんは付き合っているように見える。それなのに僕はそれを否定した。確かにイヤミにしか聞こえない。
そうだ、仕方ないじゃないか。久米田くんが怒るのも当然だ。もしかしたら僕はこの状況を甘んじて受け入れるべきなのかもしれない。
そう考えていた僕を、久米田くんは激しく踏みつけてきた。
「ぐあっ!」
「てめえ、何だよその目は。俺を哀れんでいるようなその目は。気に食わねえな、優等生ぶりやがってよお!」
そう言って、久米田くんがさらに僕を踏みつけようとした時だった。
「やめてください!」
「なっ!? 何だお前!?」
いつのまにか教室に入ってきていた返崎さんが、僕を踏みつけようとした久米田くんの足を掴んでいたのだ。
「て、てめえ! 離せよ返崎!」
「いやです! 私は義堂さんを守る義務があるのです! 私は義堂さんのために生き、義堂さんのために死ななければならないのです!」
「わけわかんねえこと言ってるんじゃんねえ! くそっ!」
「ああっ!」
久米田くんは返崎さんを強引にふりほどくと、自分の荷物を背負った。
「とりあえずよお、行峰。お前がこのまま調子乗ったことするようなら、こんなもんじゃ済まねえからな。毎日いじめてやんぞ」
そして、扉を力任せに閉めて教室を出ていった。
「大丈夫ですか? 義堂さん」
「う、うん……ありがとう、返崎さん」
「……」
……情けない。
僕のせいで彼女の人生が狂ってしまった。僕はその償いをするべきなのに、彼女に助けられてしまった。こんな、こんなことで……
「義堂さん、一つ質問させて頂きたいのですが」
「え? なに?」
「なぜ、彼に反撃をなさらなかったのですか?」
「……え?」
意外な言葉だ。返崎さんはてっきり暴力が嫌いな人だと思っていたけど。
「何でって、暴力はいけないよ」
「しかし、相手があのような行動に出ているのに、そのまま黙っていては……」
「だけど、それでもだめなんだ。それに今回は僕が原因なわけだしね」
「そんな。義堂さんは何も悪くありません!」
「いや、僕が原因なんだよ。僕が誤解されるような行動をとったから久米田くんも怒ったんだ。それにさ……」
ここからは僕の主観になってしまうが、返崎さんにも僕の信念を伝えておきたかった。
「久米田くんだってさ、本当は悪い人じゃないはずなんだよ。きっと僕がイヤミな行動を取ってしまったから瞬間的に頭に血が上っただけだと思うんだ。落ち着いて話し合えば、ちゃんと彼だってわかってくれる。だから僕は彼に暴力は振るいたくない」
そう、僕は決して『人を嫌わない』。どんな人間だっていいところと悪いところがある。だからそう簡単に人を嫌ってはいけないんだ。
そして、人間というのは人を嫌う度に醜い感情が増すと僕は思っている。そうならないためにも、僕は人を嫌わない。そう誓ったんだ。
だが、僕の発言を聞いた返崎さんは……
「か、返崎さん?」
なぜか目に涙を溜めていた。
「どうしたの?」
「あなたは……あなたはそういう人間だから……」
「え? ……!」
返崎さんが何かをつぶやいていたが、それどころではなかった。
僕が目を見開いたのを見て、返崎さんも後ろを振り返る。
「どうしたのですか? ……あ!」
そう、いつのまにか教室には僕と返崎さんの二人しかいなかったのだ。
つまり、条件を満たしたことになる。
『ケテ……ケテケテ』
その証拠に、トレンチコートを纏った大男、『リサイクル』は返崎さんの直ぐ後ろ、僕の目の前に立っていた。
――フェイズ終了――