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■ 前 編

 

 

 

 『うん・・・


  取り敢えず、一次は受かった・・・。』

 

 

 

その電話の声は、とても冷静で落ち着いたものだった。

 

 

サクラ。大学4年生の夏。

教員採用試験の一次試験の結果通知が、その日自宅の郵便ポストに届いていた。


大学に入学してから、必死に勉強をしてきたサクラ。

自信はあった。


次は、二次試験。次こそが、この数年間の集大成なのだ。

 

 

 

 二次試験に合格して、教師になったら。


 教師に、なれたなら・・・。

 

 

 

 

 

 

 『本日、こちらのロースハムがお安くなってま~っすぅ。


  ご試食いかがっスかぁ~?』

 

 

サクラがエプロンと三角巾姿で無理やり笑顔を作り、爪楊枝に差した一口大の

ハムを、通り過ぎるスーパーの買い物客に差し出す。


小首を傾げ微笑み、あげるその猫なで声たるや。

本人は姉ユリをイメージしていたつもりのようだ。

買い物客がサクラを少し遠巻きに眺め、怪訝な顔を向けている事に本人は

気付いていない。


そんな中、集まって来て試食しようとするのは、親の手を離し騒がしく

勝手に走り回る怪獣のような子供ばかりでウロチョロと邪魔くさいったらない。

最近はアレルギーがどうとか、やたらと煩くて、親の同意がなければ勝手に

子供に試食させるのはご法度だった。

 

 

 

 『おかーさんと一緒に来てね~ぇ。』

 

 

 

引きつる笑顔を子供に向ける。

その目の奥は、露いささかも笑ってなどいない。

 

 

 

 

  (こんの、くっそガキっ! 15年早いわ!


   お前に食わすハムなんぞ無いっつーの!!


   働いて金かせーでから来い。こわっぱ共っ!!!)

 

 

片頬をゆがめて愛想笑いをしていると、すぐ後方からサクラを呼び掛ける

声がした。

 

 

 

 『おねーさん。 ロースハムとボンレスハムって、どう違うの~?』

 

 

 

・・・・・。

 

 

聞き覚えのある声。

よく聞いている、毎日聞いている、矢継ぎ早にまくし立てる、あの声。


振り向きたくない。

出来れば、聞こえなかったことにしたい。

さっきの子供が戻ってくれば、試食にかまけてやり過ごすのだが・・・


しかし、その声の相手は後ろからサクラの肩をむんずと掴むと

ニヤニヤ顔を向けているであろう声色を更に際立たせて、言う。

 

 

 

 『ねぇねぇ、サクラおねーさぁーん。


  ・・・ロースハムとーぉ、ボンレスハムって~ぇ?』

 

 

 

ハルキ母サトコが。

意地悪く目を細め口許を緩めて、さも特ダネ発見!とばかりにサクラに

声を掛けた。

 

 

 

 

  (クっソ・・・。 一番、見られたくない人に・・・。)

 

 

咄嗟にサクラは、顔の前で拝むように両手を合わすと

 

 

 

 『黙ってて!頼むっ!!


  サトママ・・・ 頼むから黙ってて!!


  ウチのお父さんとお母さんには、内緒で! 内密で頼むっ!!』

 

 

 

サトコに懇願した。

そのやたらと必死な形相に、サトコがニヤけながら言う。

 

 

 

 『なんでバイトしてんのか教えてくれたら、黙ってる。』

 

 

 

すると、

サクラが俯いて、なにやらモゴモゴと口ごもった。

 

 

 

 『なに?聞こえませんよー? ハムのおねーさん。』


 『・・・ぉかぇし・・・。』

 

 

 

 『ん~?! なんて??』


 『・・・婚約指輪のお返し・・・ 買いたいの・・・。』

 

 

 

サクラはハルキから貰った婚約指輪のお返しを、どうしても渡したかったのだ。

平日は勉強に集中したかった為、週末だけスーパーに立ち試食のアルバイトを

してほんの少しずつ貯金していたのだった。

 

 

恥ずかしそうに俯くサクラに、やさしい目を向け小さくクスっと笑うと

サトコは言う。

 

 

 

 『ぁ、ウチ。ハム切らしてたんだったー。


  ハナんトコも、きっと切らしてるはずー。』

 

 

 

ロースハムやボンレスハム、ベーコンやらソーセージやら

その試食売り場の冷蔵ケースにある全種類のそれを2セットずつ掴むと、

赤い買い物カゴに山盛りに放ってカートを押し、サトコは手をひらひら

振って去って行った。

 

 

 

 

 

秋。


教員採用試験 二次試験の合格発表日。

その日は、朝から小雨が降っていた。


サクラはカタギリ家ハルキの部屋で机に向かい、真っ直ぐ前を向き座っていた。

背筋を正し、机の上で両手の指を組んで。

心は、不思議と凪いでいた。


雨の小さな粒が窓を打って流れる筋となり、外の景色をどこか悲しげに

滲ませてゆく。

時計の秒針が進む音だけが、静まり返った部屋に響く。

1秒1秒が異様に長く感じた。

 

 

 

 

  (ゼッタイ、大丈夫・・・


   ゼッタイに・・・ ゼッタイに・・・ 大丈夫。)

 

 

 

 

その時、玄関のドアがバタンと開き、慌てて階段を上がって来る足音。

途中、階段の段差につまづき一瞬足音が止まったが再びそれは急いて響いた。


母ハナが合否通知を片手に、ハルキの部屋のドアを大きな音を立てて開けた。

 

 


 

 

  

  

 

 

 『ゆっくり、ハルに報告してきなさい・・・』

 

 

 

母ハナの言葉に、サクラは視線を落とし耳を赤くした。

 

 

 

サクラが掲げていた目標。  ”教師になる ”ということ。

それは、サクラにとっての ”定義 ”だった。


”オトナの定義 ”だった。


 

 

 

 

   (あたしがオトナになったら・・・ ケッコンして。)

 

 

 

 

 

その日、始発の特急電車に乗って、サクラはハルキの住む街へ向かっていた。


キャメル色のボディバッグが大切そうに膝の上に乗せられ、それを両手で

押さえている。

まるで、バッグが盗まれないか心配で仕方ないかのように。

大切に、大切に・・・

 

 

 

 

  (今週末。 お父さん、いないから・・・


   もし、もしも。 万が一・・・ 終電に乗り過ごしたら。


   その時は、ハルのトコに泊めてもらって、次の日に帰って来なさい。)

 

 

 

母ハナの言葉を思い出していた。

 

 

頬が熱い。

耳もジリジリ熱くなってゆく。

口をぎゅっとつぐみ、窓の外に目を遣った。

 

 

ハルキの待つ街へと走る電車は、心臓が切なく打ち付け呼吸が苦しいサクラを

ゆっくり、しかし確実に送り届けようとしていた。

 

 

 


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