ある日の出来事
まだ大草原にモンスターが住み着いていて、ヴァンもまだ勇者ではなく一端の剣士だった時。
そんなある日、読書し尽くしてしまった本を重ねて抱えるヴァンは、普段歩かないようなところを歩いていた。
この本は、少年のお気に入りだった。
一度読んだものの、また何度でも読みたくなるような本。そんな本を集めて、持ち運んでいる最中。
街中を歩くと、同じクラスの奴に何か言われ、最悪本の状態を損ないかねない。
だからヴァンは、住宅街の裏を縫うように歩いているのだった。
そうして本を運ぶ内、積み重なった本で視界が遮られているヴァンは、前方への注意が散漫していたこともあって前にいたある生き物に気づくことなくぶつかってしまう。
「うわっ」
足に何か違和感を覚えたヴァンは、何かいけないものを蹴ってしまったような気がして大きく体勢を崩し、本と一緒に道端に転がってしまった。
何を蹴ってしまったのかと直ぐに視線を泳がせると、思いもよらない光景に目を疑った。
モンスターだった。それも人間でいう五~六歳に当たる成長期と呼ばれる幼いモンスターだ。咄嗟に散らばった本の中にある図鑑を手に取り、外見が一致するモンスターを探す。
「あった」
名称:コボルト、犬に似た頭部、鋭い牙を持ち、強靭な四足で地を駆けるモンスター。茶色の毛並みが特徴。
この小さなモンスターは、子供のコボルトだった。
「なんでこんなところにモンスターが……」
そんな事を思った少年だったが、まずその前に散らばってしまった本を片付けることにする。
伝記、小説、図鑑、哲学、文学、いろいろなジャンルの本を手早くまとめ終わると、ヴァンは一息吐く。
そして恐る恐る蹴ってしまったコボルトを覗き込む。
「どこも……怪我はしていないみたいだな」
見る限り、どこも痛そうにする素振りは見せず、足を引きずったりすることもない。何もなかったことにほっと胸をなでおろし、本を抱えて歩きなおそうとするヴァン。しかしそれを子供コボルトが邪魔する。
「……またか、そんなとこいると蹴っちゃうからな? こんなとこいないで草原に帰りなよ。そもそもなんでこんなところにいるんだろう」
そう言いながら、脇に避けて歩みだすと今度はそのコボルトがちょっと勢いをつけてヴァンの足に激突した。おかげでヴァンはまた本を散らかす。
「あ~ぁ、何やってるんだよもう。本が傷んだらどうするんだよ……」
半ばうんざりした様子のヴァンは、渋々腰を落とし、また本をかき集める。コボルトは依然フラフラとその場で右往左往している。茶色の毛並みに、犬というより狐に近いような顔立ちをしたそのコボルトは、ウロウロしつつヴァンへと近づいていく。
「……もぅ、邪魔だッ!! こんなとこいないでどっかいけって言って――」
いつまでも邪魔するコボルトに、少年は怒りをぶつけようとした。しかしその時、そのコボルトのある異変に気がつく。
目が真っ白なのだ。白一色、無色、とも言えるだろうか。とにかく、黒目がないのだ。
「おまえ……目が見えないのか?」
「クゥゥン……」
ヴァンにはそのか細い鳴き声が、肯定しているように聞こえた。
試しに進行方向を本で塞いでやる。すると構わず直進し、鼻先がぶつかるか否かというところで、向きを変える。そこでヴァンは自分の考えを仮定から事実にするだけの情報を得た。
「目が見えないから、ここまで来ちゃったってこと?」
「クゥンクゥ」
弱々しい声を上げながら、頭を上下して、鼻先をくいくい動かす。暗闇の中を彷徨うように、住宅街の路地裏でとぼとぼ歩くコボルトは、何とも惨めな姿だった。今頃、大草原では元気なモンスターたちが人間とともに太陽の下を駆けているというのに。
「なんだかお前、僕に似てるかもな」
「クゥー」
「でも失明はしてないから、お前の方が大変だよな」
「クゥゥン、クゥォン」
それから、ちょっとした繋がりを感じたヴァンは本で作った迷路を進ませてみたり、手を叩いて呼んでみたり少しの間コボルトと戯れていた。
そしてしばらくして、自分の好きな本で何かできないかと思った。しかし、目の見えないこのコボルトには絵を見せることはできない。そこで――、
「……読み聞かせてみるか」
人の言語が分かるかどうかは別として、大草原のモンスター達は人間の言葉を理解し、ある程度の意思疎通ができるという話をヴァンは聞いたことがあった。だから、ヴァンはどの本を読み聞かせようか選ぶことにした。
すると、集めてまとめてあった本にコボルトが突撃し、崩れた本の中から一冊の前で尻尾を振って鼻を擦りつけていた。
それは、ヴァンには見覚えのない本だった。
「……童話? こんなの、持ってきてたかな?」
「クゥンクゥン!!」
「お、なんか元気いいな、じゃあこの本を読んでやろう。童話だから短くてちょうどいいや」
胡座をかいて座ったヴァンは、自分の足の上にコボルトを乗せると、包み込むように本を持って読み始めた。
内容は、ある一匹のドラゴンのお噺。
ある日、ドラゴンは親からはぐれて山の中で迷ってしまう。そこに、薬草取りにきた少年が現れ、少年はそのドラゴンと仲良くなり、ドラゴンを世話することになる。
何日か経ったある日、ドラゴンは大きくなったその体に少年を乗せ、大空を飛び回り空の景色を少年に見せてあげた。すると少年はこんなことを言った。
「君がもし人間だったなら、君と僕は一生の親友だ」
そう言ってドラゴンの首にペンダントをかけた。しかし続けてこんなことも言った。
「でも君はドラゴンだ。いつまでも人の傍にいてはいけない」
それからまた何日か経ったある日、ドラゴンの元から人々はいなくなってしまう。
必死で少年や里の人々を探すドラゴンだったが、一向に見つからず、また状況を知らない人たちからは、敵意を向けられてしまい、ドラゴンは山奥の洞窟へと身を潜めることを決意する。
そしてドラゴンは、人間になりたい、一度でいいから人間になってあの少年と同じ世界を一緒に見たい、と願いながら永遠に眠り続ける。
というものだった。
「はい、おしまい。何か妙にお前に似た境遇な話だったな。でも僕も初めて読んだけど結構面白かったよ。たまにはこういうのもいいかもしれないな」
「……クゥン」
「おい、間違っても人間になりたいとか考えるんじゃないぞ? そんなの無理だし、第一なったっていろいろめんどくさいしやらなきゃいけないことも……あ――」
そこでヴァンは自分が本を運んでいる途中だったと気が付いた。
「しまった!? 約束の時間かなりオーバーしてるし!! おじさん倉庫貸してくれるかなぁ……」
忙しなく本をまとめたヴァンは、先の童話に付属していた栞代わりの赤い紐をコボルトの足に巻きつけた。
「こんな感じで人間は忙しいからな!! コボルトならコボルトらしく頑張れよ!! 目が見えなくたって見える世界はあるから心配すんな!!」
結局、倉庫は貸してもらえず、本もいろいろ乱暴に使ったせいで傷んでしまい、追い討ちをかけるようにその帰り道、ギルドの職員に捕まっているあのコボルトを見てしまい、その日はヴァンにとって思い出したくない日となった。
ギルドで保護されたモンスターは、解体して実験されるか、新米の戦闘訓練用に酷い育て方をされるかのどちらかだ。
しかし、そもそも街にモンスターなんてそうそう出ないので、街にモンスターが出たとき、それを駆除するような役目をギルドが追っているというだけの話だ。
だから、ヴァンもそれ以上あのコボルトのことを考えるのはやめにした。
でも――
この出来事をキッカケとした、モンスター相手に、人間と話すように会話してしまうという癖は、そう簡単には治らなかった。