激闘
孤立無援、四面楚歌、絶体絶命、そのすべての言葉が今という現状を言い表していた。
剣士としての経験は浅く、超駆け出し中の駆け出し勇者。技という技は相手を生き返らせる技のみ。
対するは修羅場をくぐり抜けた歴戦の猛者コボルトの群れ。
その数は未知数。最低でも10。多ければその何倍にもなりうる。
想定し得る結末はただ一つ、勇者の死。
「相当やばいよね……これ」
幾重にも反響を重ねたコボルトの唸り声が狭く閉ざされた辺り一帯を駆け巡り、死へのファンファーレとでも言うかのようにその響きはより一層互いを強め合って重なりを続ける。
冗談で状況を誤魔化すことさえもままならない、まさに死と隣り合わせの展開。
いや、常に死とは隣り合っていたよなぁ。隣り合うどころか囲まれてたし。そう言う意味ではこっちの死は命が絶たれる方の、死。普段は消えて欲しい、死。
「どっちも一緒じゃん!!」
「…………」
用心深く構えるコボルトに、一切の変化はない。まるで綻びのない縫い目のよう。付け入る隙がない。
「……いや、違う」
今までの自分の考えを一瞥する。消極的に為りゆく自分の思考に歯止めを掛ける。
「これはチャンスだ……レベリングが捗るし、なんか良い感じの技が習得出来るかもしれない」
剣を握る手に力を込める。徐々に高ぶる意識を治めず、開放していく。
そもそもにおいて、逆境に強いという僕の見えざる長所が活きてくる。かかってこい、全部まとめて葬り去ってやる。
いや、それじゃあ詰まらない。
「――――だ」
小さな声で紡いだその言葉を今度はもう一度、自分に言い聞かせる様に呟く。
「慈愛の剣だ。全員殺さず戦闘不能にしてやる」
剣を握っていない方の手が震える。意識とは決別して震えるのだ。その手の震えを治めるために、僕は近くに落ちている石を拾い握る。すごい力で握ったことで、石は手にギリギリと食い込み紅い雫が滴り落ちる。
そしてその石を投擲し、一番先頭のコボルトの鼻先に落とす。
「僕だって勇者だ。なったからには頑張る。そこでグダるようなガキとは違うんだ」
人の話が聞けるとは考えにくい野獣に向かって言葉を吐くと、いよいよ痺れを切らしたコボルトが本格的に臨戦態勢へと移行する。
刹那、戦いの火蓋は唐突な幕開けとなった。
「グガァッ!!」
最初に飛びかかってきたのはやはり石を投げられたコボルトだった。何の捻りもない直球的な直進で一気に距離を詰めてくる。
それが、僕にはスローモーションにさえ見えた。アドレナリンってやつなのかな、今の僕には容易く御せた。
「は――」
片手剣を鋭い歯に充てがいながら力のままに速度を受け流し、そのままコボルトの横っ腹に蹴りを叩き込む。思ったより柔らかい腹は僕の左足で異常に湾曲した輪郭を描いて壁面に叩きつけられる。
そしてすかさず慈愛の剣で蘇生を施し、脳天に柄での一撃を決め込む。
「よし、一体」
その光景を、獣が黙って見過ごすわけがない。今度は五匹一斉にフォーメーションを組み替えながら複雑な動きで駆け寄ってくる。
一匹は直進、その他四匹でその一匹を送り届けるような陣形で飛び込んでくるコボルトに、僕は一旦型を変えて応戦する。
囮となって、体全体を使って視界を覆おうとする二匹のコボルトに対し、僕は片手剣を持ち替えて平らで広い表面積を持つ面を主に構える。一旦サイドステップで勢いをつけた後、振りかぶった剣を思い切り振り抜き二匹のコボルトを力づくで視界の外へ葬る。
「ギャゥン!!」
側面からの否応なき打撃で制されたコボルトは、直進していたベクトルから直角に曲がった先の壁面に強烈にぶつかる。
僕も今ので右腕と右肩から嫌な音がしたんだけど、そんなこと今は気にならなかった。
思いもよらない状況にメインアタッカーと思しきコボルトを側近で護衛する二匹のコボルトが動揺する。
それを見逃さない。
「せいッ!!」
ただ一つ、僕の唯一の武器である片手剣を槍を投げるように投擲し、その内一匹の直進を抑制するだけの一撃を見舞う。そして直ぐによろけたコボルトに飛び乗り、剣を抜く。そしてまた投げる。今度は回転を意識した投擲。
急所をワザと外した一投はコボルトの前足に突き刺さり、その野獣を無条件に伏させる。
両脇を失ったコボルトは為すすべがないように、がむしゃらに飛びかかってきた。それを一旦しゃがんで頭の上を通過するコボルトをキャッチする。勢いを殺しきれないので僕も一緒に飛ばされ、後方に回転するが、それを活かして天井目掛け思いっきりコボルトを放り投げる。
顔面が天井に突き刺さったコボルトは、奇跡的に慈愛の剣なしで気絶状態となった。
そして今まで御したコボルトを慈愛の剣で蘇生し、昏倒状態に強制移行させる。
次の波は間髪いれずにやってきた。扇状に展開された七匹のコボルトは、僕の全面を塞ぐようにバリケードを貼ったまま地を駆ける。追い込み漁のようなイメージだ。
その攻勢に、僕はコボルトの知性に純粋に驚愕しながら片手剣を脇に持っていき、一度脇に刺し納める。
扇情に広がったコボルトが、僕という点を目掛けて集中してくるのをひしひしと感じながら、僕は内部で飽和していく力を必死で押さえ込む。
そして片手剣のリーチに七匹全員入った瞬間に――
「はぁぁぁッッ!!」
――コボルトの攻撃が僕に届く速度より速く、脇差の剣を抜刀する。
しかしここのコボルトはやはり手馴れだった。三匹が薙ぎ倒される中、四匹は咄嗟に上体を捻って太刀筋を見切る。
しかし、そんな無理な回避をすれば、勿論待っているのは大きな隙。
僕は、それを見逃さない。
握り直した片手剣の重みを再認識して、地面を蹴る。
着地に失敗した一匹の首筋に飛び乗り、頭部から背骨にかけてを一閃し、慈愛を施す。
次に、その仲間を救おうと攻勢に転じた者を振り向きざまに切り抜く。するとそれを予期済みだったそいつは切っ先を噛み、裂かれるのを拒む。そして凌ぎきる。
「君みたいな賢いコボルトは、野獣じゃなくて作家に生まれるべきだったよ!!」
「ガウガウッ!!」
僕はその行為に、剣を一旦離すことで対応する。しかし、なにも手放すわけじゃない。眼前には次に飛びかかってくるコボルトが見えているというのにそんなことしない。一度、一瞬手を離すだけだ。
理由は単純、持ち直すためだ。
僕は純手持ちだった片手剣を一旦離して、すぐさま逆手持ちに切り替える。そうすることで振り抜いた速度を振り抜く速度で殺すことができる。
そのまま、振り抜く勢いで剣を制し、飛んでくるコボルトと噛み付いたコボルトを衝突させる。鈍い音と共に、二匹のコボルトは倒れ伏してもがくようにして痛みを堪えているようだった。
そして最後の一匹、僕は逆手持ちした剣そのままに、一騎打ちに打って出る。カウンターも探り合いもない、正真正銘のタイマン。怠慢じゃあない。
「さぁ、かかってこいよ? 仲間をやられて怒ってるんだろ?」
「グガァア……」
「僕もさ、君たちには悪いけど日頃溜まっているものをここぞとばかり晴らさせてもらってるよ。でも八つ当たりじゃないよ、もし八つ当たりだって言うなら、当たってるのは僕自身なんだ」
「ググゴガァ……」
「怒りに身を任せた行いはしていないつもり。ただ一点、石を握った時だけは怒りで僕自身を傷つけたけどね」
いよいよバトルレンジに踏み行ったところで、腰を落として正々堂々対峙する。
「君たちが人間を愛した過去。それが過ちじゃなかったことを戦いを通して……いや、『喧嘩』を通して教えてやるッ!!」
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
ここに勇者とコボルト――
――ではなく、剣士ヴァンとコボルトの戦いが開始される。