慢心
僕は少しばかし自分の勇者という存在に誇りを持ててきたような気がする。そしてこの剣にも、防具にも愛着が湧いてきたりなんかしている。
いや、愛着もなにもこの剣は貰い物だし、さほど使い込んでいないし、手入れもそれほど丁寧にやっていないし、この防具もツケで買ったものだしもういろいろアレなんだけど。
なんだかこの剣や防具、僕の初めての獲物なだけあって、もう僕の相棒のような気がしている。
レイピアに近い細身の刀身。柄の部分はその刀身に似合わず、かなり強固な造りになっていてそれが良く手に馴染む。刃は両刃になっており、刀のように沿っておらずシンメトリーな形状。余計な装飾は殆どなく、あるのは柄と刀身を分かつ薄緑の楕円。その楕円はまるですり鉢のように刃の方へ行くほど広く、柄の方へ行くほど窄まっていく。光を反射するその装飾は、物寂しげな刀身にうっすら浅緑の色彩を宿す。
そしてこの防具。あのイケメンお爺さんにツケで買わせてもらった高価な一品。
低レベルな僕に似合わず、かなりの高性能防具だが、その外観はある意味とてもよく僕に合っていると思う。鎧とは言えない、まるで風に吹かれればたなびいてしまうんじゃないかというほど柔らかい材質で形作られるその防具は、正直異形と言えるものだった。
どんな素材を使っているにしろ、普通の金属だとこの柔軟性は発揮できないと思う。特にこの関節可動域に用いられている素材は一級品だ。しっかりとした防御力と同時に素の可動範囲にまったく害を及ぼしていない。最初は皮か何かを使っているのかとも思ったが、それにしては防御力が高い。
そして何より、普段の僕しか知らない人は腰を抜かして驚くであろうこの現状。
ダンジョンに通っているのだ。鍛練のために。
最初は僕も、すぐ飽きると思っていた。モンスターが手ごわくて、すぐ弱音を吐くと思っていた。自分のことは自分が一番よく分かっている。僕は結構な度合いのクズだ。断言しよう。
だけど、現に僕はこうやってまたダンジョンに趣いている。それも結構気分よく。
独り占めしているようにも思えるこの大草原で、大自然を横目に大股で闊歩する姿。少なくとも怠惰なぐーたら底辺剣士には見えないんじゃないかな。
「僕もそこそこ程度には王国に尽くせているのかな……?」
別段王国のことには興味もなかった僕だが、突然勇者という職を授かってから現在、王国の行く末も自分の貢献度も思考におけるかなりのキャパシティを要している。
まぁ、しねしね言われていることが王国のためになってるかは別として、未だに殺されそうになることも自分の周りの人に迷惑がかかることもない。僕がただただ死んでほしいと思われているだけ。
いや、それもどうなんだろうか。
でもさ、言うだけなら簡単じゃん? 実際行為に移すのは至難なことで、結局のところしねしね言うのも言うだけなら安し、ってことで行為に昇華しない分それほど強い思いじゃないのかも。
あ、ちょっと気が楽になった。これまでこのことを相談したり、分かち合ってくれる人が誰もいなかったせいでかなりの欲求というか、普通のおしゃべりがしたいという思いが強くなって仕方がない。
モニカ王女は、いろいろ抜きにしても極論王女なのだ。この国を治める長なのだ。
そんな彼女に相談というか、雑談する申し出をするのはいくら友人でも気が引ける。というか、彼女が王国を取りまとめているとは未だに信じられないので、さらにその活動を阻害する因子として僕が彼女に接するのは非常にマズイ。国が滅ぶ、マジで。
そもそも、こんな齢16歳の少女が現王国を支配して、取りまとめているという現状に、何故他国は攻め入ってこないのだろうか。別に平和条約とか、不戦公約が定められたわけじゃないのに、今日王国の座を脅かそうとする戦いは一切ない。
今までは、それは最強の王女、要するにモニカママが治めていただけあって、何処の国も黙りを決め込みひっそりと戦力強化に勤しんでいたはずなのだが。
「あ、もしかして僕のせいだったりするのかな?」
ふと、ある案が浮かんだ。
『この国に、直に英雄と謳われる事になるであろう勇者が誕生した』という内容の情報が他国に伝わっているという線だ。別に、人材豊かな王国なら最強の勇者がいてもおかしくはなく、直ぐに確かめることもできないため、信じざるを得ないんじゃないだろうか。信じずに高をくくって攻め入ってみたら本当に勇者がいて全滅――なんてことシャレにならない。
だとすれば、直に偵察係の人や、シーフの方々が確認にやってくるかもしれない。そしたらアウトだ。
僕が見られてもアウトだけど、それ以前に僕が国民の前を歩いているところに出くわされたら終了だ。
直に英雄と謳われる者が国民にしねなんていわれる筈がない。だからそこでバレる。
もしこの案が正しいとしたら、王女でも秘書でも、取り敢えず王宮の偉い人が対策を練っているはずだ。
じゃないと王国存続が危うい。そして僕の命も危うい。
でも、現状を顧みなければ王宮が対策を練っていなくても状況を打破できる条件がある。
僕が『英雄と謳われる程の勇者』になっていればいいのだ。
ただし、現状を顧みなければの話。現在僕は絶賛ご逝去願われている。
だからこうしてちょっとずつ近づこうと努力するのだ。ダメだと諦めずダンジョンに潜り続けるのだ。一人だろうがなんだろうが、尽力し続けるのだ。
「よし、今日も自分への鼓舞バッチリ。いざ、祠へ!!」
眼前に鎮座する大穴に向かって、対当するように正立する。脇差の片手剣に手をかける。
勢いよく抜刀し、天に掲げたその剣は、どこまでも誉高き剣士のそれほかならなかった。
■
下段に構えた片手剣が淡い緑色に包まれる。それに動揺した様子で応えるコボルト。
この力『慈愛の剣』、相手を倒さずに無力化できるという後々から気づいた超有能な力だったわけだがその結果モンスターも死なないわけなので、何度か同じモンスターと戦うことになったりする。
例えば、この階層のコボルトAを慈愛の剣で蘇生した後、打撃で気絶状態にする。そして奥の階層へと進む。
この時点では、コボルトAはまだ気絶したままだ。次に、僕は奥の階層でコボルトBと対峙し、同じように気絶させる。そして祠を出ようとしたとする。そこで途中、コボルトCと出くわし、またも同様に気絶させたとする。そして出口へ向かう途中、気絶から立ち直ったコボルトAと再度戦闘になる。
こんな感じのパターンを何度も繰り返していれば、蘇生されたコボルトは加速度的に増え、ダンジョンは慈愛の剣を浴びたコボルトで溢れかえるのだ。そうするとどうなるか。
「グググッ…………」
「……あのぅ」
こうして、後ずさりしていってしまうのだ。
コボルトは確かモンスターの中でも知能の高い部類だと本で読んだ気がする。だから今の僕に勝てないと分かり、尚且つ慈愛の剣で蘇生され、気絶させられるという可能性を知ってしまっている彼らは、これ以上戦闘を続けるのが難しいのではないかと考え始めるのだ。
一歩詰めれば、一歩後ずさる。また一歩踏み込めば、一歩踏み下がる。
一歩前進すると見せかけて……はい、だまされたぁー。
なんて遊びをしながら、どうしたもんかと考える。コボルトに逃げられれば、僕なんか到底追いつけない。
かと言って、慈愛の剣を受けていないコボルト達は、もう深い階層に行かないといない。
深い階層は危険だ。僕も結構強くなってきているけれど、そういう慢心が一番危ない。
僕は何度その慢心で心を殺られてきたんだ。くそ、なんてこった、調子こきすぎたって何度言ったら気が済む。
と、適当に自分に言い聞かせてみるけど、やっぱり僕は根っからそういう体質らしくて。
「……埒が明かないし、行ってみよっかな?」
分かっていても、理解していても、止められないんだよねー。
■
「ここからは未踏の地だな……」
ついにやってきました。奥の地。ここからはボスに偶然バッタリ、なんてことがあっても文句が言えないエリアだ。
でもどうせ合っちゃったら文句言うし、言わないとやってられないし、言えないとか知らないし。
一人でここまで奥に入るというのも、結構寂しいものだった。案外僕は寂しがり屋さんなのかもしれない。 でもしねの声が聞こえない時間というのは至福の時なんだ。プライベートタイムはその限られたダンジョンの中でしか過ごせないというこのなんという好都合。勇者のプライベートタイムはダンジョンですなんて、やだ、カッコイイ。
地形の入り組み様は意外とそうでもなく、簡易的なマッピングを施しながら慎重に進んでいく。
そこに現れる。
未開の地での初コボルトが。
「ギャオゥウウウウウンッ!!」
「うわぁ!?」
あれ、なんか威勢よくない? 鳴き声というか、威嚇の度合いが違う気がするよ? 全く、誰だよ、奥行けとか言った奴。
慌てながらも、後退しながら体勢を立て直して、脇差の剣を抜き構える。
そして、防御重視の両手正面構えで野獣に躙り寄って行く。
「……くるなよ……いきなりとかなしだぞ、そんなことしたら勇者怒っちゃうぞ……?」
我ながらバカみたいなことを言っているなと思う。でもさ、こういう緊迫した場面って緊張ほぐすためとか、気を紛らわせるために変なこと考えたり言ったりしない? いやするよ。絶対する。僕はするもん。
「……グギャアア!!」
「どひゃぁあ!?」
いきなり飛びかかってきたコボルトに寸前といったところで顎に刀身を当てて受け流す。それだけで分かった。獰猛性、凶暴性、攻撃力、知力、気性、素質、能力、全てを取っても今までのヤツより強い。
「この剣もともとそんな頑丈な作りじゃないしなぁ。守ってるだけだと剣が持たないかも……」
慈愛の剣を使う余裕があるかどうかも定かではないこの状況に、普段なら焦り、動揺してしまうはずなのだが今回は違っていた。冷静を保ちつつ、頭が冴えている。
「よし、だったら徹底抗戦だ!!」
両手で持った片手剣を右手に持ち替えて、身軽さを意識した型を取る。ステップを踏みながら相手の出方を伺い攻撃に備える。こっちから仕掛けても速さの関係で反撃をもらう可能性が高い。
カウンターを主軸にしっかり着実にダメージを与えていくのだ。
「…………」
僕の意向を悟ったのか、コボルトは低く唸りながら距離を保ってジリジリと横移動を続ける。
僕も負けじと相手の動向を伺う。先に動いたら負ける、そんな様相を呈した戦いがさながら展開される。
――その時だった。
祠の奥、暗く闇に覆われていたそこから一筋の光が瞬き、やがて小さな光が宿る。フラフラと定まらない動きを見せたかと思ったら、その光は細い軌跡を描いて闇から這い出てきた。
「……しまっ!?」
気づいたときには遅かった。コボルトの遥か後方から飛びかかってきたその光の正体は、鋭く尖った犬歯を剥き出しにして僕に襲い来る。
「ガァアアアアルゥウガァッ!!」
「……くッ!!」
片手で持っていた剣で防ぐには強烈すぎるその一撃をもはや薙ぐように振り払って顎を引き裂く。切れ味鋭いその太刀筋は相手方の速度も相まってコボルトの顔面を両断するに至る。
しかし、それこそがコボルトの狙いだった。
それが分かっていても、そうするしかなかった。完全に相手の策が上を行っていた。
自分の身を挺して隙を作り出したコボルトに変わって、先ほど睨み合っていたコボルトが威勢良く鳴き声を轟かせると同時、四足で蹴りだされたその体躯を捻るようにして僕の胸の辺りに突撃してきた。
「があああぁああぁッ!?」
剣を薙ぎ終わって完全に隙だらけの体にコボルトの容赦のない牙が突き刺さる。防具を貫くことはなくても、その突撃の衝撃で脳が揺さぶられ、全身が異常を感知する。
さらに続け様に繰り出された後ろ足の蹴りで僕の体は大きく後方に飛ばされてしまう。
「?? 今何があった……ヤバイ、視界がぼやけ――」
頭を抱えて状況を確認しようとしたところに、嘘であってほしいと願ってしまうような光景が滲んで浮かぶ。
視界に映るだけでも五匹のコボルト。さらに後方には幾つもの光源が照り輝く。
考えうる全ての選択肢から見出す現状の真実とは――
「これが新米勇者への洗礼ってやつかな……」
――絶体絶命の四文字で全てを無慈悲に表現していた。