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職業に関するあれこれが出てきますが、作者の妄想の お話なので細かいつっこみは無しでお願いします。
黒いもやが晴れて、リルは 一瞬で自分が別の場所に連れ去られたのだと気付いた。
教会にいたはずが、今や広い部屋にケインと二人きりで立っていた。華美すぎず、主張しすぎないインテリアが落ち着いた雰囲気を醸し出していて、リルには 好印象だった。
――――部屋に置かれた やたらと大きなベッドがなければ。
リルの視線は、ベッドを見るなり、ギクリと固まってしまった。…自分とケインが夫婦になったのは理解している。あそこまで露骨に気持ちをぶつけられて、挙げ句に騙し討ちの様に式まで強行されれば、さすがに 鈍いリルでもケインの気持ちは分かった。もう十分過ぎるほどに想い知らされた。
でもちょっと、いや かなり展開が早すぎてリルは着いていけなかった。
ベッドを見詰めて どぎまぎしているリルを、ケインは 穴が開く程に熱い視線で見つめていた。当の本人は 未だにフリーズしていて、その視線には気づいていなかったが。
キョロキョロと忙しなく視線をさ迷わせるリルに、ケインは控え目に溜め息を吐くと、おもむろに ベッドに腰を下ろした。
途端に、分かりやすい程に怯えた目をするリルを、ケインは険しい顔で睨み付ける。
「…なぜ そんなに怯える?」
顔は険しいが、声は優しい。そのギャップがまた不気味だ。
「オルグラント様が、怖い顔をしているので…」
本当の理由は別にある。ケインの凶悪な顔など見慣れていて、今更なのだけれど。緊張でそわそわと落ち着かないリルは、本当の理由には触れたくなかった。
ケインの事を好きだと自覚して、告白を と決意したのは、つい今朝の事。気持ちをぶつけて、もう一度振り向いてもらって。そして恋人に なれたら良いと思っていたのに。それなのに、現実は捕獲され、身繕いをされ、お付き合いをすっ飛ばして結婚をしてしまったのだ。
リルの気持ちは、嬉しいのと複雑なのとが ごちゃ混ぜになっていて、あまつさえ これでよかったのか?という疑問符さえ脳裏をちらつく。
結婚したのは理解していても、その実感がまだないのだ。それなのに、密室に二人きり、更に いかにもなベッドを目にしてしまえば、リルは急に生々しさを感じ、気後れしてしまっていた。
――――キスは覚悟していた。だけど、ベッドインは いくらなんでも早すぎる!リルは恋愛経験皆無で生きてきた娘だ。当然、キスも初めてだったし、その先の行為なんて未知の領域だ。友人から聞きかじった情報を脳内から探してみても、初めては痛いだの、慣れると気持ち良いだの、抽象的な事ばかり。ベッドを前にして、いざ女が どうすれば良いのか、どう振る舞えば良いのかがさっぱり分からない。初な恥じらいから、彼女たちの猥談に ろくに耳を貸さなかった事が災いしてしまった。
どうしよう、と半ばパニックに なりかけていたところに、ケインが件のベッドに腰を下ろしたのだ。それを見てしまったリルが戸惑わない訳がない。
(オルグラント様は、や、やっ、ヤル気なの?ううん、あの顔からしたら、殺る気でいるの?私を?あ、違う違う…わ、私と?わあぁー、そんなの無理だ!…でも、結婚したんだし、そういう事をしてもおかしくないんだわ。でも やっぱり早いと思う。でも断るのも どうなの?)
脳みそフル回転で思い悩むリルを、ケインは険しい顔で 見つめ続けていた。
「私たちは夫婦になったのだ。ケインと呼んでくれ」
「そんな、急には…」
ずっと自分が仕える人だったから、いざ名前で呼ぼうとすると 何だか恥ずかしい。モジモジとむず痒さに身じろぎながら目線を落とすと、鎖に縛られた自分の手が目に入った。
「そういえば これ、外してもらえませんか」
手首を持ち上げて、ケインに主張する。
「私から逃げないと、約束するのなら」
相変わらず怖い顔を 更に凶悪にしてケインが凄む。
「逃げませんよ。それに、ここは逃げ道も何もないじゃないですか」
ちらりと見た部屋の窓や扉は ノブが無く、おそらく魔力を検知して開くタイプだ。ケインの執務室も同じもので、登録された人物しか出入りできないようになっている。ケインの口調からして、リルは登録されていないだろう。つまりリルは、この部屋から自力では出られないのだ。
リルはケインの用意周到な計画に呆れたが、そんな一切手を抜かないところも彼らしい、と変に納得していた。
ベッドから目をそらして室内を観察していると、リルは徐々に平静さを取り戻してきた。アレコレ考えるよりは、自然に任せてみようと開き直ったのだ。それを現実逃避という人もいるけれど。
「まあ 良い。何があっても、君を逃がしはしない。もし、私から離れようとしたら――――」
リルを真っ直ぐに見詰めながら言葉を紡ぐケインは、一度言葉を切って深く息を吸い込んだ。
「誰の目にも触れないように、私だけの君になるように…どこかに閉じ込めてしまうかもしれないな」
「オルグラント様…」
リルはケインの目を見つめ、そのなかに狂気が混ざっているのを感じた。
しかし、リルは怖じ気づくこともなく、
「それはちょっと、人間として どうかと思いますよ?それに閉じ込められたら、オルグラント様は良くても、私は 退屈で仕方ないじゃないですか。働かずに食べるのは、私の良心が痛みますし」
呆れた様な口調でケインを諭す様に言った。
ケインは 驚いて目を見開き、リルの顔をまじまじと見つめた。自分の言葉が重くて、リルが冗談を言って ごまかそうとしているのかと思ったのだ。しかしケインの予想に反して、リルは本気で そう思っていた。
「だいたい、オルグラント様は言葉が足りなかったり行き過ぎちゃったり、加減と言うものを知らないんですよ。昨日だって…」
と説教モードにスイッチが入りかけたリルだったが、ハッ、と何かに気付いた様に身体を硬直させた。
「――――そう言えば、どうして私が侍女を辞めさせられるんですか?!」
血相を変えてケインに詰め寄るリル。面食らったケインは 落ち着きなさい、とリルをなだめるが、頭に血がのぼったリルは もう止まらない。
「エミリから聞いたし、式の時には自分で言ってたじゃないですか!結婚したら辞めさせるって!どうして私に一言もなく決めちゃうんですか?!」
「分かった。言いたいことは分かったから、取り敢えず君は落ち着きなさい」
「説明してください!」
「その前に落ち着きなさい。そして ここに座りなさい」
ケインの隣を手で示されて、納得がいかないながらも取り敢えず リルはケインの隣に人 二人分くらいのスペースを空けて座った。
「なぜ そんなに遠くに座る」
気に入らないらしく、むすっとするケイン。
「これは私の抗議の気持ちです」
「却下する。私は隣を示したのだ。手も届かないところでは隣と言えない」
「手が届いたら困りますので。さあ、釈明を」
つん、と突き放した様に言うリルに ケインは舌打ちをしたが、リルに ジロリと睨み付けられると、諦めた様に口を開いた。
「単刀直入に言えば――――気に入らないからだ」
「…はあ?」
突然何を言い出すのだ、とリルは眉間にシワを寄せる。
「私が侍女をするのが、何が気に入らないんですか?あれですか、オルグラント様のお茶菓子のついでに、私のぶんも経費で落としたからですか?それとも、呼び出しの腹いせにオルグラント様の羽ペン むしったからですか?!」
ヒートアップするリルは、鎖を引きちぎらんばかりにガチャガチャ言わせて猛抗議をする。
「菓子は良い。羽ペンも見当はついていたから怒ってはいない。私が気に入らないのは、侍女の職務内容だ」
「…はあ?」
ますます、リルの疑問は深まるばかりだった。しかし、ケインは悲壮な顔を浮かべて、話を続ける。
「侍女は 私の身の回りの世話はしてくれるが、私の仕事にはノータッチだろう?」
「それはそうですよ。侍女は世話はしても補佐はしませんから」
侍女はお茶汲みや掃除やら主の世話をするが、主の仕事を手伝ったりはしないものだ。厳密に言えば、主の仕事に手を出すのは でしゃばりであり、タブーである。
「それが気に入らない」
拳を握り、かなり力がこもった口調で言うケインをリルは理解できなかった。
「はあ。要するに、私にオルグラント様の仕事の補佐をして欲しいと?」
「その通りだ」
うむ、と頷くケインを、リルは微妙な気持ちで見ていた。
「私が 会議や所用で部屋を空けた時、侍女の君は執務室で待機していたな」
「はあ。それが規定ですから」
それが何か、と目で訴えるリル。
「その間、私が どれ程辛く悲しい思いをしていたか、君には分からないだろう…」
どんよりと肩を落とすケイン。
「他にも、私が他国に赴かなければならなかった時…あの時も、君は執務室で待機していたな」
「…それが規定ですから」
「私は君に会えなかったあの4日間と8時間42分で、君を かけがえのない女性だと認識した」
私は その時エミリと一緒に執務室を大掃除して清々しい汗を流し、オルグラント様の居ない今が好機とばかりに 貴方の椅子に座って遊んでいました。
とは、絶対に言い出せない雰囲気だった。
「補佐なら何時なんどきでも私に着いて仕事が出来、会議にも他国にも共に行ける。――――素晴らしいだろう」
ぽっ、と頬を染めるケインに、リルは何て声を掛ければ良いのか分からなかった。
でも、自分が思っていたよりも物事は単純明快だったことに 脱力感を覚えた。
寂しいなら寂しいって、素直に言えば良いのに。呆れながらも、やはりひねくれもので面倒くさい男だな、と改めてリルは思ったのだった。