表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/11

4

風呂に駆け込んで、シャワーを浴びて。リルは温かい湯に打たれながら、ケインの言葉を反芻していた。


『私は こんなにも思っているというのに、なぜわからないのだ!』


ケインが自分を好きでいてくれたなんて。リルは全くケインの好意に気付いていなかった。しかし、あんな態度をとられて気付けと言う方が難しいだろう。ケインとリルの間には男女の色恋の「い」も無かったし、これといって相手を異性として意識する様なこともなかった。リルにとって、ケインはケインだ。仕える主、職場の上司とは思えど、異性として見たことはなかった。ケインだって そうだと思っていた。リルは女扱いされた覚えも、優しくされた覚えもない。


花を贈られたのも、本命に渡しそびれた物を自分にくれたのだろうと思った。 ネックレスだって、安物の処分に困ったから――そう言って押し付けられたのが真実だと思っていた。







なのに、ケインが告げた言葉は それとは真逆で。





「…冗談じゃ、ないの?」





リルの呟きは、シャワーの水音に掻き消された。







タオルで濡れた頭を拭きながらリビングに行くと、弟が ミルクを がぶ飲みしていた。



「よ、姉ちゃん」


「…おはよう。早いのね」


まだ両親も しばらくは起きてこないだろう。そんななか、弟が早起きをしているのにリルは少し驚いた。


「早いのねって…気持ち良く寝てたら、起こされちまったんだよ。誰かさんが部屋で逢い引きしてるから、うるさくてね」


「なっ、逢い引きなんて…」


弟の言葉に、リルは顔から火が出そうなくらいに真っ赤になった。


「まさか、聞いてたんじゃないでしょうね?!」


家族に、しかも弟に あのやり取りを聞かれていたら。リルは恥ずかしくて穴があったら飛び込んで そのまま埋まってしまいたいくらいだった。


「いや?よく聞こえなかったけど、もめてんのかなって。姉ちゃん、急に実家に帰ったから、彼氏が寂しくなって押し掛けてきたのかなって思ったんだよね。だから姉ちゃんの悲鳴が聞こえたけど、ちょっと様子みてたんだよ」


やれやれ、とわざとらしく肩をすくめる仕草に かなり苛ついたが、弟に心配をかけたことに申し訳なく思う。



「ごめんね、心配かけて。でも大丈夫だから」


「ふーん、まあそうだろうね。喧嘩してんのかと思ってたら、姉ちゃん真っ赤な顔して風呂に行くからさ。なんだ、心配することなかったじゃんって思って、胸焼けしたからミルク飲んでた訳」


弟の言葉に色々とダメージを受けて、リルは頬を手で隠した。


「真っ赤になんて、なってないわよ!それにオルグラント様とはそんな関係じゃないからっ!」


「へえ。オルグラントっていうんだ、彼氏」


「だから、彼氏じゃないってば!」


そう、リルとケインは恋人同士という甘い関係では決してないのだ。そもそも、昨日ケインの気持ちを告げられたばかりで、まだ何も返事もしていない。



「でもさ、早く帰んないと泣いちゃうんじゃないの、彼氏さん」


弟の やけにニヤニヤした顔が憎たらしい。


「しつこい。彼氏じゃないってば。…あの人が泣くわけないでしょう。血も涙もない様な最強で最凶の男っていわれて、皆が怖がるような人なんだから」


「ふーん?」


「それに、意地悪だし ひねくれ者だし変にプライド高いし、すぐ怒るし。相手をする私だって、毎日大変なんだから!」


「ふーん」


適当な返事ばかりの弟に、リルのこめかみに怒りがにじんでくる。


「ちょっと、聞いてんの?!」


面白くもない諸々の出来事を思い出して、苛々してくる。


「――でもさ、それでもその人の事好きなんでしょ?」








「………え?」


弟の言葉に、リルは思考が止まった。


「姉ちゃんさ、その人の悪口言ってる癖に、目が優しいっつーか…“仕方ないなあ、こいつぅ。でも、そんなアナタも私は可愛くて好きだゾ☆”って顔してる」


くねくねとしなをつくりながら、わざとらしい裏声でふざける弟。いつものリルなら、止めなさい、と怒ってひっぱたいたかもしれない。でもリルは、固まったまま動かない。



「…姉ちゃん?」


さすがに、おかしいと思った弟がリルの顔色をうかがうと。


「――私、そんな顔してた?」


呆然としたまま固まっていた姉に驚きつつ、


「ああ。なんか恋する乙女って顔しちゃってさ。だから胸焼けしたんだよ、姉ちゃんの そんな顔初めて見たし」



と弟が返すと。リルは ぼうっとしたまま、



「そうなのかも。私…今、自分の気持ちを自覚したのかもしれない…面倒くさくて、口煩くて、人に手を焼かせてばかりで、すぐにキレるウザい人なんだけど…何故だか、憎めないのよ」


ぽつりと呟いた。

弟は驚きで噴出しそうになったミルクを なんとか飲み下す。



「はあ?付き合ってんじゃなかったのかよ?!ていうか、どういう人間なの その人?!」


「つ、付き合ってないわよ!昨日初めて そういう事言われて…」


「昨日って…んで、姉ちゃんの返事は?」


「……」


「なんでそこで黙るんだよ。したんだろ、返事。なんて言ったの?」


「…て…い」


「え?」


「してないって言ってんの!」


床を踏み鳴らしながら叫ぶ様に言うリル。弟は それを聞いて ずっと手にしたままだったミルクのグラスをドンッ、とテーブルに置いた。


「はあぁー?なんでしてないんだよ!?」


「吐きそうだったから!」


言い捨てる姉に、弟は呆れた顔をして、


「そりゃないって姉ちゃん。男は待つのが苦手だからさ。返事は早めにもらえないと。しかも返事してない理由が吐きそうだったなんて、幻滅だね」


「うるさいわね!こっちもこっちでギリギリだったのよ!」


ぷい、と顔をそらすリル。


「へえー…まあ、姉ちゃんの胃袋事情は置いといてさ、いつ返事すんの?姉ちゃんしばらく こっちにいるんだろ?」


「…返事は、あっちに帰ってから直接言おうかなって思ってるの…」


いつものリルらしくない もじもじした様子に、弟は生温い目を向ける。また胸焼けが再発しそうだ。


「んで、いつ帰んの?」


「うーん…一週間後かな」


「はあぁー?俺だったら告白の返事そんなに待てないし!」


信じらんない、と 頭をがしがしと掻く弟に、リルは少し不安になってきた。



「駄目かな?一週間って、返事するの遅い?」


「姉ちゃん、相手は 一週間ずっとモヤモヤしながら待ってんだよ?…俺だったらさ、一週間ほったらかしにされたら…んー、諦めるかな」



その言葉を聞いた時、リルの脳裏にケインの言葉がよぎった。



『――もういい。君のことを待っていたら、私は いつになったら婚姻を結べるのかわからない…不本意だが…諦めることにする』



もういい。…諦めることにする。サーッとリルの頭から血の気が引いていく。――それって、私に好きって言ってくれたのを、なかったことにするってこと?それどころか、彼はリルの返事を待っていないのかもしれない。もう他の人に目を向けて、自分への気持ちなんて捨ててしまっているかも…




リルは唇を噛みしめた。どうして あのとき、正直にケインに気持ちを伝えなかったのか。ああでも、あのとき自分はケインに惚れている自覚がなかったんだから、気持ちを伝えるなんて出来なかったか。


でもやっと、自分の気持ちに気づいたのに。恋心を自覚したばかりの自分には、ケインの全てを受け入れる度胸は、まだないかもしれない。でも、これからは ちゃんとケインのことを男性として見ていきたいし、自分もただの侍女ではなく、出来れば 彼の――彼の、恋人として共に過ごしていきたい。





――ケインと一緒にいたい。そう思った時、リルのとるべき行動はもう決まっていた。




「私すぐに帰って自分の気持ちぶつけてくる!もういいなんて言葉、撤回させてやるわ!」


「はっ?えっ、姉ちゃん?」


急にシャッキリとして、メラメラとやる気に燃え始めた姉に驚いた弟は、「ありがと!じゃあまた来るから!お腹大事にね!」と言って台風の様に駆け出す姉を ただ見送るしか出来なかった。




「俺、ただ待つのを諦めるって意味で言ったんだけど…」




手紙送るとかさ…と、ぽつりと呟いた弟の呟きは、突っ走る姉には一切届いていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ