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「た、食べ過ぎ?!ただの?ただの食べ過ぎだったの?!」
実家に着くなり、扉をぶち破る勢いで飛び込んだリルに、父と母は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ぶわははは、母ちゃん、特売セールのハムが美味すぎて五キロ食っちまってさ、ぶふふっ、んで腹痛くてふせっちまって、父ちゃんがそれ見てパニクって姉ちゃんに鳥飛ばしちゃってさあ。ほんと、おかしいったらないね」
笑い上戸の弟は、腹を抱えてひいひい笑いむせぶ。リルにしてみれば、全くおかしくない。何事もなかったのはいいが、私の 手紙を読んだ時の驚愕と心配と道中の涙を返せ!!と弟に詰め寄りたいくらいだった。
「でもさ、姉ちゃん久しぶりに帰ってきたんだし。いい機会だから、ゆっくりしてけばいいじゃん。城に行くって一人暮らししてから全然帰ってこないから、皆心配してたんだぜ?」
弟の言葉に、それもそうか とリルは頷いた。家を出た時に、たまには休暇には実家に帰ろうと思っていたのに、ケインのせいで一回も帰れていなかった。それどころか、まともな休暇すらなかったような気がする。リルは、今更ながらケインに怒りが沸いてきた。しばらく休むと連絡もしてしまったし、普段きちんとした休暇をもらってないのだ。このまま、少しくらい実家で休んでもバチは当たらないだろう。エミリには悪いけれど、ちょっとだけ、頑張って貰おう。私が数日居なくても、そんなに支障はないはず。好物のお茶が飲めなくて、少しケインの機嫌が悪くなるぐらいだろう。リルは、そう軽く考えていた。
久しぶりに家族で囲む夕食は楽しくて、家族皆で酒を飲み、翌日は皆タイミング良く休日だと言うことで、リルたちは夜遅くまで語り合った。話題は尽きることなく、リルがやっとベッドに入ったのは、空がぼんやりと明るくなり始めた頃だった。
コンコン。コンコン。
窓を叩く様な音に、リルは重く痛む頭を押さえながら、ゆっくりとベッドから起き上がる。
「あー、今何時…うわ、まだ早いじゃない。三時間しか寝てない…」
いつもよりは少し遅いものの、まだ朝と言える時間に起きてしまった。侍女としての生活で身に付いてしまった早起きの習慣が憎い。
「皆、まだ寝てるよね…え、ええ?!」
呟きながら、ふと窓に目をやると。おびただしい数の鳥が目に入った。窓に張り付いて一様にリルを見る鳥。怖すぎる。鳥たちの目が開けて、と訴えているが窓を開けるのが恐い。しかしこんな数の鳥を飛ばして来るなんて、城で何かあったのだろうか。
仕方なく、窓を 少し開けると。
一羽の鳥が滑り込んできた。驚くことに鳥たちは律儀に順番を守っているようだ。古い手紙から読むように、きちんと列をなして並んでいる。よくできたシステムだ。
リルが関心しながら最初の手紙を受け取り、読んでみると。大臣からの手紙だった。
『休暇の件、承諾した。しかし くれぐれも、オルグラント殿が登城する日には帰ってくるように。鳥を飛ばすので、受け取り次第登城されたし』
それは分かっています、とリルは心の中で呟きながら、次の手紙を開く。
『先程鳥を飛ばしたばかりですまないが、オルグラント殿との婚姻の件はどうなっているのだ?王も我々も国民も、早くオルグラント殿に身を固めてもらい、いち早く心穏やかに過ごして欲しいと願っている。実家におるのだし、ご両親と婚姻の話を進めてみるのも宜しいのではないかな?宜しく頼んだぞ』
あの大臣、私とオルグラント様が恋人だと勘違いしているらしい。道理で、自分に結婚とか世継ぎをとか言ってきた訳だ。
ため息をつきながら、次の手紙へ。
『しつこいようだが、オルグラント殿を宜しく頼むぞ。男女の仲ゆえ、多少の行き違いはあるだろう。だがしかし、話し合いこそが一番の解決策なのだ。恐れず、己の胸のうちを素直にぶつけてみるのだ。オルグラント殿は、そなたの全てを受け止めてくれるだろう』
…何のことだろう、と一瞬考えた後、リルは もしやと思い至った。リルが飛ばした鳥には、急ぎ実家に帰る、と書いたが、慌てていたために 母の急病のことを書いていなかったのだ。その為に、大臣はリルがオルグラントと痴話喧嘩をして、実家に帰ったと思ったらしい。
そうすると、この鳥はリルを説得する大臣の言葉が延々と書き綴られていることになる。
げんなりして、もう手紙を読むのが面倒くさくなり、窓を閉めて もう一度寝てしまおう。
そう思って、リルが窓に手をかけた時。
空の彼方から、猛スピードでこちらに飛んで来る黒い何かがいた。羽ばたく様子から、鳥の様に見える。
嫌な予感がする。窓を思い切り閉めて、カーテンまで閉めようとした時、恐いもの見たさから黒い鳥に目をやった。まだ距離があるはずなのに、バチリ、と目があった気がした。
リルは背筋がぞわりと泡立ち感覚がして、急いでカーテンを締め切った。
見なきゃよかった、と後悔したが、見てしまったものは仕方がない。早く忘れよう。連絡の鳥は受けとる相手が招き入れないと勝手には入れないし、中に居れば安全だ。リルは ほっと胸を撫で下ろした。
バサバサッ
「きゃあぁあ――?!」
突然部屋の中に現れた黒い鳥に、リルは心臓が口から飛び出すかと思った。
この鳥、窓を通らずにすり抜けて来たようだ。あり得ない。こんな事ができる人物は、一人しか知らない。嫌な予感は当たったのだ。
鳥は口にくわえた宝石の様な石をリルに差し出した。それに おそるおそる手を出すリルを 睨むように見つめる鳥は、悔しいくらいに主人にそっくりだ。
リルの指先が石に触れると、石から黒いもやが立ち上ぼり、リルの視界を奪った。
何回も見たことがある光景に、リルは最早ため息すら出なかった。
やがて もやが消えると、思っていた通りの人物がそこにいた。
「オルグラント様…」
「なぜだ」
不法侵入ですよ、と言おうとしたリルは、大股で近づいてきたケインに肩を掴まれて口を閉ざした。
「なぜ急に実家に帰った!君は そんなに私のことを嫌っていたのか!」
がくがくと揺さぶられて、忘れていたアルコールによる頭痛がぶり返してきた。
「言え!なぜ私に断りもなく帰ったのだ!しばらく休むなどと言って、本当は私の顔が見たくなかったというのが真実ではないのか?」
込み上げる吐き気をこらえるために、リルは口に手を当てて、必死で吐き気が落ち着くように自分の胃をなだめていた。それなのに、ケインは更にヒートアップして、興奮状態に陥っているようだつた。
「私は こんなにも思っているというのに、なぜわかってくれないのだ!指輪か?それとも純白のドレスか?何を贈れば喜んでくれる?!」
鬼気迫るケインをよそに、リルは それどころではなかった。もう、すぐそこまでブツが込み上げてきている。喉を越えたら、もうアウトだ。ケインに自分が吐くところなんて、絶対に見せたくない。リルは涙目でケインを見つめた。リルが今思うことは、ただ一つだけ。
――(もう吐きそうだから)早く帰って。
潤んだ瞳で、すがるように見つめると、ケインは苦虫を噛み潰した様な顔をして、舌打ちをした。
「――もういい。君のことを待っていたら、私はいつになったら婚姻を結べるのかわからない…不本意だが…諦めることにする。…君が城に帰る時。その時には――覚悟を決めて来るんだな」
冷たく言い捨てると、ケインの姿が また黒いもやに包まれた。その もやが消えた時には、ケインの姿は どこにもなかった。