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「という訳で、君は侍女から私の補佐になる」
「…納得はしていませんが 取り敢えずは分かりました」
ぶすっ、とした態度のリルに苦笑を浮かべるケイン。
「君は奇妙な事を言うな。…まあ良いだろう。詳しいことは後でにしよう。補佐として働くのは暫く先だ。時間はたっぷりある」
「ちょっと待ってください、引き継ぎをしてすぐに補佐として働くのでは?」
働くのは暫く先という言葉にリルは首を傾げて ケインに問う。
「すぐには無理だ。君は 暫くベッドに寝ていることになる」
「え…なぜですか?」
至って健康なリルが なぜベッドに?と首を傾げたが、ケインは コホン、と咳払いをして、
「君のハネムーン休暇を1ヶ月取ってある。それと――――ベッドから いつ出れるかは、君の体力次第か」
「はあ?」
そんな説明では、リルには さっぱり分からない。やっぱりこの人は 言葉が足りなすぎる、とリルが渋い顔をした時、ケインが少しかがんで何かを床から拾い上げた。
あっ、とリルが声をあげるより先に、ぐいっ と手首に絡まった鎖を引かれて、リルは ケインの胸にダイブした。
しっかりと抱き止められたので痛くは なかったが、突然ケインに抱き締められる形で密着してしまい、リルは真っ赤になって目を見開いた。しかも、ベッドに座ったケインに思いきり抱きついている今の状況を把握すると、またしてもバクバクと心臓が高鳴る。
「君を傷つけないよう 柔らかい仕様にしておいたから、痛みはないだろう。痕もついてないようで安心した」
やっと手首に巻き付いていた鎖を外す。鎖はリルから外れるとすぐに霧散して消えてしまった。
ケインはリルの手首を撫でたり、裏返したりして怪我の有無を確認しているようだった。
念入りにリルの手首を確認をしたケインは、うむ、と神妙な顔で頷くと。
リルをベッドに押し倒した。
「きゃあぁあああぁー?!いきなり何ですか?」
覆い被さる様にしてリルを両腕の中にとじ込め、顔を近付けてくるケインの顎を力いっぱい押し返しながら、リルは叫んだ。
「何って――――愛を誓い合った夫婦が初夜にすることは決まっている」
「それは分かりますけど!もうちょっとムードとか、こう、ゆっくり事を運ぶとか…いきなり押し倒すのは違うと思います!」
「私は もう十分過ぎる程に君を待った」
「え?いつ、私が貴方を待たせましたか?!」
リルは必死に記憶を手繰り寄せたが、ケインを待たせた覚えは皆無だった。むしろ、リルが待っていた気がする。それは主に、ケインが会議や所用の時などに。
「君が城に来るのを、今か今かと待ち構えていたのだ」
顎を下から押さえられていながらも、どうだ。と言わんばかりの顔をするケイン。
「…それって、オルグラント様が私の実家に来た時からですか?」
「そうだ」
「それって、今朝のことじゃないですか!しかもまだ24時間経ってませんよ!」
呆れて、ケインの顎にかける力を更に強くすると、ケインは額に青筋を浮かべた。
「君と1日でも離れたくないという私の気持ちが分からないのか?!」
「オルグラント様こそ、私の気持ちを分かってませんよ!あ、諦めるとか、城に帰るなら覚悟をしろとか言って…私が どんな思いで城に来たか…」
その時の悲しみや胸の痛みを思い出して、リルの目に涙が じわりとにじんできた。
ケインはギクリと肩を跳ねさせると、慌てて その涙が零れる前にリルから離れ、リルのすぐ横に膝を突いて リルの髪を撫でたり、手を握ったりと そわそわして落ち着かない。どうやら慰めようとしていることは、鈍いリルでも分かった。
「…悪かった。少し急ぎすぎたようだな」
へにゃり、と いつもは つり上がっている眉が力なく下がっているのを見て、リルは おかしくなって、小さく笑った。
「…そうですよ、私にだって心の準備とか、色々あるんですからね?」
仕方ないな、とケインの暴走を許そうか、と思い始めたリルだったが。
「君は、覚悟を決めたから城に帰ったのでは?」
と 不思議そうな顔をするケインに、リルは へ?と間抜けな返事を返す。
「私と結婚する覚悟が出来たから、城に帰ったのでは ないのか?」
「…どういう意味でしょうか?あの時、そんな事…」
「――――おかしいな。私は、城に来るときは私のモノになる覚悟をしてから来るように、と言ったはずだが」
「はあぁあー?!そんな事言ってませんよ!」
リルは おかしいのはお前だ!と叫びたい衝動をなんとか抑えた。しかし、怪訝な顔をするケインの頭を思いっきり がくがくと揺さぶって、脳ミソをシェイクしてやりたい。
リルは侍女を辞めさせられて、ケインとは全く関係のない場所で働かされる。そういう意味の覚悟だと思っていたのに。
驚きと衝撃でベッドから飛び起きたリルに、ケインは少し たじろぐ。
「言葉が足りなさすぎて、全く伝わってませんから!」
怒りのままに、ベッドをどん、と叩くリル。無駄にスプリングが効いているのが、なんだか余計に腹が立つ。
ふと、リルの脳裏に 『覚悟』とセットでリルを悩ませた言葉、『諦める』というケインの言葉が浮かんだ。覚悟の意味を履き違えていたというなら、もしや。
「じゃあ、諦めるっていうのは どういう意味なんですか?!」
もはや ケインに噛みつく勢いで、リルは叫ぶ。
「それは…君に許可を得て結婚をするのを諦める、と言ったのだ。元々、式の準備は 済んでいて、いつでも挙げることはできた。あとは君がドレスを着て、私の横に立つだけだった」
またしても、リルの勘違いだったらしい。しかし あの場面で諦めるという言葉だけを聞けば、誰でも勘違いをするだろうに。
リルの焦りや悲しみや胸の痛み、その全てが勘違いだったらしい。しかし ただの勘違いではない。ケインの言葉が足りなすぎるせいで起こった勘違いだったのた。そうだ、悪いのは全部ケインだ、と思うと。
なぜだか、リルの怒りが徐々に治まっていく。怒りというより、呆れが勝ったようだ。
「すごくむちゃくちゃで、無理矢理じゃないですか…」
ぽつり と呟いて、ばたんっ とベッドに倒れるリルを、ケインは慌ててのぞきこむ。
「別に泣いてないですよ。なんだか、全部私の勘違いだと思ったら、力が抜けて…」
目を閉じて、ベッドに くたりと横になるリルに、ケインは ほっと安堵の息をはく。もっと怒りをぶつけられるかと思い、内申ハラハラとしていたのだ。
「無理矢理だとは、私も分かっていた。――――もし 何ヵ月、何年と君が城に帰らなかったとしても、仕方がないと…私の我が儘を君に押し付けていた自覚はあったからな。いつまでも待とうと思っていた」
何も言わないリルを見つめながら、ケインは悲しげに話す。
「君が すぐに城に帰ったのを目にして、私は歓喜にうち震えた。こんなに早く君に会えると思っていなかったからな…なのに、君は支度の最中に寝るわ、殴るわ、逃げ出すわ…」
ぴく、と閉じたままの リルのまぶたが震えたのを見て、ケインはクス、と笑みを浮かべる。
「おかしいなとは思っていたが、今の君の話で分かったよ」
自嘲する響きを含んだ声で、ケインは溜め息と共に言葉を吐き出した。
「君は、私との結婚を、望んではいなかったと…」
ケインのかすれた弱々しい声が、どんなに彼を傷付けてしまったのかを物語っているようだった。
リルは、閉じた まぶたをそっと開けて、ケインをのぞき見た。彼は両手で顔を押さえていて、表情は分からないが、ひどく悲しんでいるのは分かった。
いつも自信に溢れて、こうと決めたら絶対に曲げない強い意志を持つケインが、こんなにも弱っている姿を見たのは、初めてだった。
確かに無理矢理だった。でも、リルはケインと結婚して、後悔は全くしていない。恋人になるはずが夫婦に なったのは予想外だったが、ケインと指輪の交換をした時に、一生この人を愛すると誓った。
少し、言葉の行き違いがあったり、お付き合いも無しに いきなり結婚して順序が ずれたけれど、それでもいいか、と思えた。
そんな不器用で言葉足らずで猪突猛進な彼でも、好きならいいか。と。
リルは、優しく微笑んでケインを見る。ケインは、先程の状態で うなだれたままだった。
「オルグラント様、忘れたんですか?私は大人しく流されるような女じゃないんです」
「…何が言いたい」
優しく声をかけても、ケインは顔を隠したまま うつむいていて、目を合わそうともしない。どうやら、とことん落ち込んでしまっているようだ。
「鎖で繋がれて無理矢理の式でしたけど。でも、私は自分の意思でキ、キスをしたんです。…どういう意味か分からないんですか?」
自分でしておきながら、恥ずかしい事をしたものだ、と先程のキスを思い出し、少し恥ずかしくなりながら、リルはケインに問う。
リルの言葉に、ケインは 勢い良く顔を上げ、信じられない。という顔をした。しかし、恥じらうリルを見ると、ケインも若干頬を赤く染め、リルに 熱のこもった目を向ける。
「――――それは…そうなると…もしや」
「…そういうことです。私は ちゃんと、愛していますよ?」
リルに向けられる熱い眼差しに、リルも目で応えながら。ケインに負けないくらいに、真っ赤に なったリルは、ケインを見つめながら、微笑んだ。
「愛していますよ。貴方と結婚できて、とても嬉しいです。――――ケイン様」
「……リル…っ!!!」
感極まったケインは、リルを強く抱き締めた。あたたかい腕の中で、リルは この上ない幸せを噛み締めていた。この人でよかった。とリルは、幸せに笑ったのだった。
完結しましたが、今後は番外編を書くかもしれません。エミリも また書きたいと思ったので。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




