不機嫌な稲本
簡単なショートホームルームを終え、クラス全員が帰り支度を始めた。
わたしもテキパキと帰り仕度をして、まだ、席に座って机の中をゴソゴソしている沙都に駆け寄った。
「あのさ……沙都ちゃん。今から、チアリーディング部の見学に行かない?」
そう言うと、まるでチョコボールみたいな目を見開いてクリクリさせながら
「もしかして、考えてくれたの?」
「うん」
「分かった。行く。一緒に行こう。ちょっと待ってね。今から帰り支度するから」
「いいよ。見学だから、そんなに急がないと思うし」
そう言うと、沙都は自分の机の中を覗き込みながら
「えーっと。明日の時間割は英語と数1があるから辞書も置いておくとして……」
明日の授業分の教科書を学校に置いておくようだった。
「沙都……また、教科書置くつもりだろ」
頭上から涼の声がした。
「うん。だって、カバン重いもん」
「ねえ。栗木さん。こいつのこと、どう思う? 何にかけても直ぐ、サボろうとするんだぜ。チアリーディング部に入ったら、遠慮なく、しっかり叱ってやってくれよ」
涼が、綺麗な二重の茶色い目を細めながら親指で沙都をクイクイ差して、そう言う。
すると、今度は反対側の頭上から
「真菜……チアリーディング部に入るのか?」
稲本の声がして、振り返った。
「ううん。まだ、分かんない。見学してこようかと思って」
「さっき、俺が言ったこと気に障ったのか? 俺、上から目線とかそんなつもりで言ったわけじゃないから」
ナイキのカバンを肩にかけた稲本の眼は、さっきと同じで真剣だった。
稲本の登場に、沙都と涼が驚いたように目配せし合った。
恋人同士のケンカを遠巻きに見ているように。
稲本とわたしはそんな関係じゃないのに、二人にはそう見えるらしい。
「別に……稲本のせいじゃないし」
「じゃ……どうして怒ったんだよ」
「だから……怒ってないから」
そう言ったまま沙都の机の上に彫られた落書きをジッと見ていた。
そのまま口を噤んだわたしに愛想をつかしたのか
「で……どうすんの? あの、緑の桜、写メ撮るんだろ?」
顔を上げると、カバンを掛けなおしている稲本が中庭へと目を向けていた。
「うん。行く」
「えっ?緑の桜!」
沙都がこのイヤな空気をかき消すようにそう、大声を上げた。
「うん。中庭に緑の桜が咲いててさ、真菜と……こいつと写メ撮りに行く約束してたんだ」
「そんな桜、見たことない。涼。わたしたちも便乗しようよ」
そう言って自分の席を立って、リスのようにちょこちょこと動き回った。
「緑の桜なんて俺も見たことないな。部活、ちと遅れっけど行ってみるか?」
クルクル嬉しそうに動き回る沙都に釣られて、涼もその気になったようだった。
「カバン……持つよ」
そう言って稲本がわたしの手からリュックを奪って、自分の左肩にかけ始めた。
「いいよ。カバンくらい自分で持つから」
「真菜を怒らせたお詫び」
なぜ、わたしが怒ったのかも分からない癖に、稲本がそうお詫びだと言って、わたしのカバンを持ったまま歩き出した。
小さな身体のわたしに教科書がギッシリ入ったカバンはかなりの負担が掛っているのは確かだった。
教科書にワークブックに辞書。
重量はかなりある。
そんなカバンを軽々と二つ担いだ稲本。
当り前だが、わたしとの力の差は愕然としている。
綺麗に伸びた背筋はそのままで、足早に教室を出て行った。
「なんか……稲本って大人びてるよな」
沙都の隣にいる涼が稲本を眼で追いながらそう言った。
「うん。涼なんかと全然違うもん。優しいよね。涼なんか、わたしに罰ゲームだって逆に荷物持たすし」
「そりゃあ、沙都とは恋人同士でもなんでもないからな。俺だって恋人だったら優しくするよ」
どうやら、この二人はわたしと稲本がまだ恋人同士だと勘違いしているようだった。
「あの……わたし、稲本とは恋人でもなんでもないから」
「え? そうなの? 」
「うん。あいつには年上の彼女がいるから」
すると、その話に飛びつくように涼が
「へえ。年上? スゲ……俺、そう言うの憧れるな」
「バッカじゃない? でも、栗木さんと稲本君、てっきり笹川先生公認のカップルだと思ってたな」
笹川先生公認って……
教師公認カップルなんて有り得ない。
沙都の天然ボケぶりに笑いが込み上げてきた。