子供じゃない
教室へと帰り際、当然のようにわたしの隣に来た稲本が
「真菜、あれやれよ。チアリーディング部」
稲本がこっちを向いて冷やかすように言う。
「あんたのヨダレ見てたら一瞬でイヤになった」
「ってことは、心、動かされてたんだ」
「やってみたいと思ったけど、あんな風に男子に見られるのイヤだし」
「あのさ、見られないより、見られる方がいいだろ? 真菜って案外、子供だよな」
そう言った稲本を立ち止まって睨み付け
「なによ! その自分が大人みたいな言い方。ちょっと、彼女がいるからって、上から目線ヤメテよね。わたしみたいに、見られてイヤな女の子もいっぱい、いるんだから」
そう言い捨てて、前方でごったがえする何人もの生徒たちを擦り抜け、足早に歩きだした。
体育館の出入り口で、素早く中履きシューズに履き替え、少しひんやりする体育館の外玄関へと飛び出した。
「ちょっ……待てよ」
後方から稲本の声が聞こえたが、無視して渡り廊下を小走りで走って、自分の教室に向かった。
稲本から言われた言葉を思い出した。
『子供だよな』
周りからすれば、どうでもいいような言葉だった。
でも、わたしには、一番のコンプレックスな言葉だった。
わたしは、つい最近まで、生理がなかった。
早い子なら、小学五年生から初潮をむかえる子もいたのに、わたしは、高校受験を終えるまで、それがなかったのだ。
中学入学の直前で、事故で大好きだった父親を失い、ショックが大きい過ぎたせいか、それが一番の原因だと医者に言われていた。
精神的な理由。
前から身体は小さいほうだったけど、周りの生徒たちが、グングン背が伸びていたにも関わらず、わたしは中学三年間のうちは、ほんの少し身長が伸びただけだった。
『子供だよな』
身体は子供でも、出来るだけ大人びた行動をとるように、いつも心がけていた。
身体は小さくても、しっかり者だと言われるようにと。
子供の自分を隠したくて、ガチガチの鎧を着てずっと、今まで学校生活を送って来た。
生理が始まった今でも、その思いは抜けきれず、稲本のその言葉に過剰に反応してしまった。
ハァハァハァ
息が上がる。
猛スピードで走って来たせいか、教室にはまだ、誰も帰って来ていなかった。
窓際の一番前にある自分の席に座った。
そのまま首だけをひねって、ボンヤリと中庭を見ていた。
この学校の校舎は、中庭をグルリと囲むコの字型になっていて、少し、席をずらせば、さっき見えていた薄緑色の桜の木が見えた。
しっかりしないと……
子供だと言われて、こんなに怒りだすようじゃあ、ダメだ。
わたしは、もう、子供なんかじゃない。
もう……大人になったんだ。
中学入学当時は、自分と同じ背の高さだった稲本。
二年くらいまでは、ほとんど同じくらいで、親近感があった。
少し、人より反応や行動が鈍く、それでいて素直な稲本は、わたしにとって、好都合な友達の一人だった。
よくこれで、剣道ができるなと思うほど、他の男子生徒より大人しい子だった。
そんな稲本が、自分の姉の友達に告白されたと言ってきた。
『稲本の癖に生意気』
そう思ったが、イヤじゃなきゃ付き合ってみたらと背中を押して上げた。
それが、中三の始め頃だった。
その彼女と付き合い始めた稲本は、一年の間にグングン背が伸び、同じくらいだったわたしの身長を大きく追い越していった。
そんな稲本が……
大人の男性へと成長して行く稲本が羨ましかった。
それに比べて、いつまでたっても子供の身体のわたし。
さっき見た稲本の広い背中を思い出した。
『子供だよな』
そう言った低い声を思い出した。
わたしは……もう大人なんだ。