美波の訪問 ~稲本和也Side~
しばらくそのまま眠りに就いて、ベッドから起き上がった。
普段、部活漬けの為、こうした休日はポッカリと穴が開いた気分になる。
剣道部員同士で、カラオケやゲームセンターなどへ繰り出すこともできるが、そんな気にもなれなかった。
さきほどの美波とのメールのやり取りがまだ、尾を引いている。
階段を降り、リビングに向かうと、家の中はシーンと静まり返っていた。昨夜、両親が映画に出かけると言っていたのを思い出した。仕方なく自分で朝食の用意にかかった。
食パンとコーヒーだけの簡単な朝食。
部活がある時は、もっと食べているが、元々小食なこともあり、今日はそれだけにした。
コーヒーを飲み干しながらボンヤリと、リビング内を見渡す。
結局真菜は、沙都と一緒にチアリーディング部に入部した。
格技場からチアリーディング部の練習風景が時折見える時がある。
セミロングの髪をポニーテールにして、頑張っている真菜の姿を微笑ましく思う。
運動神経は昔から特別悪くなかったのに、小さい身体がコンプレックスなのか、運動部に所属したことがなかった。沙都と一緒にちょこちょこと飛び跳ねている姿はとても活き活きとしていて、真菜にとっては体力的にも精神的にもいい方向へと向かっているように見える。
テレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを押そうとしたら
ピンポーン
それと同時にインターホンが鳴った。
壁に備え付けてあるインターホンのカメラに目をやった。
画面に映り込んでいたのは彼女の美波だった。
急いで立ち上がり、インターホンには出ずに、そのまま玄関先へと向かった。
「あれ?もしかして、今、起きたとこ?」
美波がTシャツにスエット姿の俺を見てそう言う。
「うん。メールしてから二度寝した」
「久しぶりだし、明日帰るから、ちょっと、会ったほうがいいかな?って思って来ちゃったけど大丈
夫? ご両親も休日だよね」
そう言いながら、ドアの隙間から中を覗き込む。
「うん。二人して出かけてるし……上がって」
そう言って、美波を家の中に入れた。
一カ月前より、明らかに化粧が濃くなっていた。
親元からも離れ、大学生になった今は、誰にも気兼ねをする必要がない。
美波が、俺の脇を通った時、仄かにフレグランスの香りが漂った。
都会の匂いだと思った。毎日汗にまみれて、竹刀を振り続けている俺との温度差を思い知らされ、身体中を脱力感が襲った。
美波と会って、まだ、二、三分しか経っていないのに。
二日間続いた遠征での疲れがドッと出てきたように思えた。
「部屋に行ってて。ジュースでも持ってくから」
「うん。わかった」
姉の友達だった為、俺と付き合う前からこの家に出入りしていた美波は、慣れたように階段を上る。
キッチンに戻り、トレイにグラスを二つ並べ、ペットボトルのジュースを注ぎこむ。
二階に上がり、部屋に入ると、美波がベッドに腰掛け、俺の携帯を手にしていた。
美波の目は、携帯の液晶画面に向いたままだった。
眉間に皺を寄せた美波が、画面をこちらに向けて来た。
画面には、二度寝する前に見ていたウコン桜と真菜の写真が表示されていた。
「ふーん。もう、イイ子見つけたんだ」
「なに勝手に見てんだよ」
「このままの状態で、ここに置いてたんじゃない」
「小学校からの同級生だよ。珍しい桜だったから写真撮っただけだ」
そう言いながら、美波から携帯をぶんどった。
「へえ。でも、その写真、どう見ても隠し撮りしたって感じ。相手は横顔だしさ。桜を撮りたければ、桜だけ撮ればいいじゃない」
美波が持っていたカバンを床に放り投げた。
「偶然映り込んだだけだって」
「その割には、ど真ん中に映ってるし……小学校からの同級生って……もしかして、和也の初恋の相手とか?」
「はあ? 意味分かんねえし」
呆れたような素振りで、携帯をポケットに仕舞う。
「なんか……図星って感じ。そんな余裕のない和也、始めて見た」
「なに、詮索してんだよ。そんなことをいちいちチェックしに帰って来たのか?」
そう言いながら、ベッド脇にドカンと腰を掛けた。
「そんなこと? 恋人同士だったら、一番気になることだと思うけど……和也は、遠く離れたわたしのことが気にならないの?」
「ならないわけないじゃん」
そう言いながら、ベッドを這うように移動し、美波に覆い被さった。
「な……なに?」
俺に両手を取られ、押し倒された美波の顔が青ざめた。
片手で両手首を押さえこみ、美波の着ていたカットソーを捲り上げた。
黒のブラに白い胸元。
「イヤ……和也。やめて!」
そう叫ぶ美波の声を無視して、一気に首元まで捲り上げた。
首筋と胸元には赤い小さなキスマークが幾つもついていた。
「この蒸し暑い日にさ……長袖にハイネックって可笑しくねえ?」
美波と至近距離で見つめ合った。
お互い見つめ合ったまま、固唾を飲んだ。
美波の瞳の奥が恐怖で揺れている。
「……」
「こんな新しいキスマークつけやがって……なに、のこのこ会いに来てんだよ」
「だって……和也とちゃんと話をしなきゃって思ったから」
「それって……もしかして、別れ話?」
俺と見つめ合ったまま、美波がポロリと涙を流した。
「やっと……和也の本心が分かった。いつも思ってたんだよ。和也の心の中にはわたしじゃない誰かがいるって……いつも思ってた。遠距離になっても、特別わたしを心配することもしないし……あの、写真の子が好きなんでしょ?」
「……」
何も言い返せなかった。
美波の思いがけない言葉に、言い返せなかった。
「和也は、わたしを抱きながら、あの子のこと考えてたんでしょ? ずっと、ずっと、この一年間、そうだったんでしょ? 同じ大学で、わたしのことだけを考えて抱いてくれる子が出来たの。和也より、カッコ良くないけど……全然カッコ良くない子だけど……わたしだけを見てくれてる子が。だから……わたしたち、もう、別れよう!」
美波は、泣き声を押し殺して、最後の語尾を強く叫んだ。
身体の力を抜いて、よろめきながら、ゆっくりと美波の身体から離れた。