ファイル0 ”駅の巣”八僧
怪異と呼ばれるモノが在る。
奇妙・珍妙・異形・異質。
この世界の混沌がより集まってような“不可思議”そのものな存在。
それは時にヒトの敵。それは時にヒトの味方。そしてそれは時に・・・
雪のような冷たく淡い色合いの髪を風に揺らし、その少女は悠然と階下を見下ろしていた。
人影もすっかり途絶えた深夜、地方都市 稲海市の交通拠点たる駅の最上階のさらに上、
天井を支える梁の陰に身を下ろした彼女の視線の先にいるのは一人の少年だった。
年で言えば15、6といったあたりだろうか、少女とさほど変わらぬだろう平凡な顔立ちの少年だ。
この近所では有名なマンモス校の高等部の制服を着た彼と対峙するようにもうひとつ、
こちらは明らかに人型ではないシルエットが蠢いていた。
「張り込み4日目にしてようやく出てきてくれましたか・・・
一真も連日連夜、本当に御苦労さまでしたね・・・」
少女のいたわるようなセリフもしかし距離の離れた現在の位置関係では聞こえるはずもなく、
一真と呼ばれた少年は目の前で対峙する巨大な闇の塊のようなナニカに親しげに声をかける。
「こんな夜分遅くに突然すいません。俺は対魔師の氷坂一真って者ですけど、
『駅の巣』さんですよね?よければ少し話を・・・」
「退魔師・・・だと?」
その一真の言葉を遮ったのは老婆のようにしわがれた、されどどこか品のある、
美しい響きを伴った声。それが闇の中の存在が発した声だと気付き、
一真と、そして天井に隠れ様子をうかがっている少女は身をこわばらせる。
「おのれ退魔師・・・ただただ異形を恐れ、遠ざけ、滅することしか考えられぬ
愚かなヒトの先兵が・・・!」
「あ、あのーちょっと・・・?」
「性懲りもなくまたこの私を消しに動き出したか・・・ならば、もうこちらも容赦はできぬぞ!」
言い終わるか終らぬかのうちに明確な形が掴めなかった蠢く闇の中から
何かが高速で一真へと伸ばされた。太さは丸太ほど、全体にうっすらと黒と黄という
自然の警戒色の体毛を生やしたそれを軽くかわしてみせた一真の直前までいた床のタイルは
粉々に粉砕され、むき出しにされた基礎の部分には
巨大なハサミとも見れる黒々とした甲殻類の爪が突き刺さっていた。
「ちょ、ちょっとタンマタンマ!起こる気持ちも理由もなんとなくは分かりますけど
あなた絶対何か勘違いして・・・」
慌てた様子の一真がやめろとばかりに両手を突き出す形で静止の説得を試みるが、
ようやっと纏った闇を全て脱ぎ捨てて全身をガラス越しに注ぎ込む月光の下に晒して見せるソレは
もう聞く耳などもたないのか「キシャァァァ!!」と耳障りな威嚇の鳴き声を上げてみせた。
先の攻撃を繰り出したのと同じ足が前後左右に計八本、丸みを帯びた胴~腹部に、
それよかより球体に近い形状をした頭部には敵意ゆえか
真っ赤に輝く複眼とカチカチと得物を求めて価値ならされ続ける巨大な顎と牙が見えている。
「来るならばかかってくるが良い、退魔師の小童。
この土蜘蛛”八僧”が、傲慢で身勝手な人どもの驕りの一端を砕いてくれようぞ」
怒りに呼応して“八僧”の全身の細かな毛が逆立ち震え、
目は憎しみと怒りの感情で鮮血よりおぞましい色合いへと変わっている。
どれだけ好意的に解釈しても臨戦態勢過ぎる土蜘蛛にしかし一真は恐れた風でもなく
「やれやれ・・・」とばかりに肩をすくめるだけ。
「なんでこうも長生きの怪異っていうのは人間不信こじらせてるのが多いんだろうなぁ」
独り言の間にも再び伸ばされてきた“八僧”の脚の横スイングをしゃがむことでかわす。
その直後に今度は反対側から迫ってきた爪を脇に抱え込むと一真は
その表面に懐から取り出した札を「ぺたり」と張り付ける。
一瞬だけ淡い光に包まれた札の表面に記された漢字とも梵字とも違う奇妙な文字が
墨の黒から金色へ、札の下方から水を吸い上げるようにその色を変えていく。
傍目の部外者には全く意味が分からないだろうこの現象を、だが“八僧”は感覚的に理解する。
「これは・・・我の霊力を吸収している・・・だと?!」
文字列の金の割合が増すのに反比例して“八僧”の体から
霊力――妖怪や幽霊などの存在を成立させる“不可思議を引き起こす力”が札の方へと流れ込んでいく。失う量としては大したことのない、人間の血液に換算すれば
せいぜい献血一回分ほどのペースだろうそれにしかし“八僧”は慌てて後方に飛び退いた。
同時にこれ以上の力の流出を抑えるべく札の張り付いたままの脚を一本、
隣の脚を振るい半ばから先を切り落とす。
「っ!」
その行動に一真が驚いている間に“八僧”は切断面へと口から吐く白い糸を吐きかける。
傷口に絡まった糸は団子状に固まり、そこから今度は自然に流れ出す霊力をせき止めた。
「はぁ・・・はぁ・・・や、やってくれるではないか小童。
貴様には退魔師特有のあの冷徹な気配が皆無なのが不思議だったが、
なるほどようやく合点がいった。つまり能力の格が違い過ぎて蔑む気も起らぬということなのだな!」
クワァッ!と大顎をもたげた“八僧”はだが自分の現状認識に反するように逃げも隠れもせず、
どころか決死の覚悟で一真へと突進を仕掛ける。
「おのれヒト!おのれ退魔師!かくなるうえはこの身を犠牲にしても積年の恨みを・・・」
「だーかーらー!頼みますから俺の話を・・・」
「少しは真面目に聞いてあげてください!この被害妄想タランチュラ!!」
一真が軽自動車サイズの巨大蜘蛛に轢かれようかとするまさにその寸前、
天井から飛び降りた雪乃は空中にいる状態で身をひねり、
手の中に持っていたモノを“八僧”目がけ怒声と共に全力投球した。
「!他に仲間が!?」
声を聞き動きを一瞬止めた“八僧”、その胴体へと当たったテニスボール大の球は軽くバウンドして。
ブワァッ!!
中に折りたたまれ仕込まれていた網を“八僧”の全身へと覆いかぶせる。
咄嗟に脱出しようともがく“八僧”。だがどういうことかほんの僅かに動くだけで
網はより複雑に絡まり、おまけに全身にのしかかるような
疲労感とも虚脱感ともつかぬ感覚が増していく。
「ありがとう雪乃。おかげで助かったよ」
「パートナーなんですからこれくらい当たり前・・・って言いたいところですけど、一真、
いつまでたっても危なっかしくて見てられませんよ?
せめて私が安心して傍観していられるレベルまでさっさと成長してください」
素直に礼を言ってくる一真に呆れるように諭すように少女――雪乃は説教する。
雰囲気としては弟を叱る姉とか新人を教育する先輩といった感じに近いが、
見かけ的には頭一つ分の身長差で雪乃が一真を見上げているのでどうも可愛らしい感じしかしない。
「うぅ・・・おのれ貴様ら・・・」
「っと。そういえばまだ意識はあるんでしたね、えっと、『駅の巣』さん?」
全身に力が入らないながらもなんとか言葉を発した“八僧”に気付き、雪乃が振り返る。
真正面から向き合ったその少女の表情を見て、蜘蛛の怪異はふと違和感を覚えた。
微笑んでいるのである。“八僧”が今まで出会っては戦ってきた幾人もの退魔師やその他の人間、
記憶の中にあるそのどの表情よりも優しい目をして彼女は“八僧”をまっすぐに見つめて。
「突然現れた挙句一方的に拘束なんてしてしまって、本当にごめんなさい」
深々と、頭を下げた。
「なっ!ど、どういうつもりだ退魔師!?そんな見せかけだけの謝罪までして、
いったいなにが狙いだ!」
“八僧”は自分の中にある疑念が揺らぎかけているのを感じ、
だからこそその憎しみや怒りといった感情を必死に守るため怒鳴る。
「我は身を以って知っているのだぞ!貴様らヒトがどれだけ邪悪で醜悪な存在か!
自らの理解の範疇を超えたモノを問答無用で否定し拒絶し駆逐する、その傲慢な有り様を!」
この世に顕現してよりおよそ百年、ヒトに追われ、
退魔師――怪異祓いを生業とする者たちと戦うたびに塗り重ねられてきた
「ヒト」という生き物に対する憎悪の念。
それがこんな小娘の態度一つであっさり変節してはいけない。
よく分からないそんな歪んだ自尊心のようなものが“八僧”の胸の中で疼いている。
罵倒の言葉にもだが雪乃は頭を上げず、そのまま続ける。それを背後の一真も静かに見続ける。
「あなたのその人間観はあなたのものですから、私たちがどうこう言う筋合いはありません。
否定も肯定もしない。ただ、私たちはあなたに楽しんでほしいと思うから
そのお手伝いをしたい、それだけなんです」
「『楽しむ』?いったい何を楽しめと・・・」
「この世界にあなたが存在している、ただそのことを」
そう告げる雪乃は美しく、そしてどこか寂しげだった。
儚く消える雪のような気配に包まれた彼女の姿に“八僧”も一真も、
痺れたかのように身動きひとつとれなくなる。と、“
八僧”の複眼に映る雪乃の立ち姿が滲むように遠のいていく。
「む・・・い、意識、が・・・?」
不自然なほどの眠気を感じてだがそれに抗う為の精神力も湧いてこない。
自分を捕えて離さないこの網に何かの仕掛けか術が施してあるのだろう、
とそこまでがなんとか“八僧”の思考が続く限界で。
「すみません。移送が終わったら出来るだけ早く起こしますから、
今はどうか私たちを信じて眠ってください。詳しい事情は起きてからまとめて話します・・・」
「・・・・・・」
人間に対し抱いていた昏い感情、絶対と信じ疑わずにいた認識、
そんなものが静かに大気に溶かされていくような心地の中で
“八僧”の意識は夢の中へと沈んでいった。
「にじファン」閉鎖で一次創作をしようと思いたち
始めてみた新作。ジャンルとしては
オカルトになるのかコメディになるのか自分でもまだ判別付かず(汗
次回は解説役(?)が登場の予定です