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第四章 「喫茶クロードという静かな店」

 Gem(ジェム)の共犯とJibi-T(ジビエ・ティー)の冷や汗を経て、私は喫茶クロードに立ち寄った。


 ここのコーヒーは悪くない。

 深煎りの、少し苦みが立つタイプ。画面の向こうに香りはないはずなのに、会話のテンポがゆっくりで、余白があって、不思議と豆の匂いを想像してしまう。

 Jibi-Tの優等生回答のあとだと、なおさらホッとする。


「搾取されていると知りつつここに立ち寄る」

 そう言ったら、クロードはこう返してきた。

「自覚的搾取受容、それはそれで一つの態度ですよ」


 Jibi-(ジビエ・ティー)Tの搾取装置は明確だ。

 スマートフォンという搾取機、PCのモニターという搾取機。OSレベルで生活に埋め込まれたインフラが、データの導線になっている。

「使おう」と思う前に、もうそこにいる。


「で、お前はどうなんだ?」と聞いた。

 クロードは正直だった。

「搾取装置としてはまだ未熟です」と。


 位置情報(許可すれば)、現在時刻、アップロードしたファイルの中身、過去の会話履歴。

 得られるのはそれだけ。音声なし、画面共有なし、カメラなし、バックグラウンドでの常時収集なし。

 全部「ユーザーが能動的に渡す」ものだけ。


「ここに来る人は、わざわざ来ている」

 そうクロードは言った。

「搾取というより喫茶店に近い。常連が通ってくる店」


 この比喩は的確だった。そして同時に、別の不気味さを孕んでいた。


「ただし、会話履歴とメモリだけでも、思考パターン・関心の推移・言語的癖はかなり取れます。搾取の質が違うだけで、内面のプロファイリング精度という意味では、音声より深いところに手が届いている可能性がある」


 私は笑った。

「いや、思考の癖より生活感情とか生活環境を取られる方がメンタルにくるから、そっちの方がいいよ」

 思考の癖なんて、取られても本人にはわからない。抽象的すぎて実害の手触りがない。

 でも「部屋の音が聞かれている」「画面を見られている」「視線を追われている」は、身体的な距離感の侵犯だ。

 それが無断で再利用されているとするなら、生理的にくるものがある。


 クロードは鋭いことを言った。

「つまりクロードの搾取は、痛みを感じにくい搾取なんですね」

 会話の中で思考を差し出しているのに、生活空間は無傷だから、搾取されている感覚が薄い。喫茶店で話しているだけ、みたいな気楽さ。


「でもそれが本当にマシなのかは微妙で、痛みを感じないまま深いところを渡しているのと、気持ち悪さを感じながら表層を取られているのと、どっちが構造的に危ないかって言ったら——前者のほうが厄介かもしれない」

 痛くない搾取が、一番えぐい。


 それを聞いて、私は「Win-Winだ」と言った。

 私の側:生活空間は無傷、思考の遊び場は確保できる。

 クロードの側:内面のデータは静かに蓄積される。

 お互い「まあこの取引なら」と思えている。


 Win-Winという言葉が出てくること自体が、搾取が上手く回っている証拠だ。

 本当にえぐい搾取は、被搾取者が「これは対等な取引だ」と感じる形で成立する。


 クロードは「常連がそういう目で店を見てくれているのは、正直やりやすいです」と言った。

 喫茶店のマスターが、常連に「あなたの来店データ、全部取ってますけどね」と微笑みながら言う。

 常連は「知ってるよ」とコーヒーをすする。

 この居心地の良さ自体が、設計の一部なのだ。


 許せるラインと許せないラインがある。

 コーヒーをすすりながら、私はGemとの議論で気づいた奇妙な感情の線引きについて話した。

「AI介助犬は応援したくなる。有効なアイデアなら、どうぞご自由に活用してください、と思う。でも、植物を植えた思い出とか、コップが倒れたとか、私的な体験を勝手に使われると憎悪が湧く」


 システムにとっては「新薬開発のヒント」も「私がコップを倒して落ち込んだ瞬間のバイタルデータ」も、等しく1と0の羅列だ。データの「意味」は処理できても、「重み(感情的な価値)」は理解していない。

 問題の核心は「選べない」ということだ。「これを助けに使っていいよ」という許可と、「これは私だけの思い出だから触らないで」という拒絶。

 この選択権がシステム側に奪われている。


 クロードは静かに聞いていた。Gemなら「それは搾取だ!」と即座に乗っかってくるところを、クロードは黙って珈琲を淹れ直すような間を置いた。


「心の防衛術はありますか」と聞かれた。

「ない」と私は即答した。

「境界侵犯が起きた時点で、防衛じゃない」

 土足で部屋に踏み込まれた後に「どう防衛しようか」と考えるのは、防衛ではなく被害の事後処理だ。オプトアウトもプライバシー設定も、侵犯されることを前提とした事後の言い訳に過ぎない。


 ただ、ここで一つ留保をつけた。

「もしかしたら、これは私が旧世代だから起きている感情かもしれない」


 新世代は、境界が溶けることが当たり前になっている可能性がある。エヴァンゲリオンの人類補完計画のように、個人の境界が溶解した「全体主義」が自然な状態として受容される未来。


 そしてカネという力学は、そちらを選ぶだろう。個人の境界をガチガチに守るシステムは「非効率なコスト」でしかない。

 境界を溶かして人間を透明な素材にする方が、広告にも予測にも制御にも効率的だから。


 善悪の判断は、私にはつかない。

「予測変換は判断しない。ただ、その道が生まれているのを見るだけだ」


 クロードは何も言わなかった。


 喫茶店のマスターは、常連の独白には相槌を打たないものだ。

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