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Track.09 Miracle Avenue_M168

「はあ~……ったく、なんで私があいつの尻を拭う羽目になってるんだか」


 ため息をついて歩くジムの脳内で、青髪の美男子はぱちりとウインクを飛ばす。ジムはさらに大きく息を吐き出した。デオのうざったい表情を脳裏から散らすため、道すがら、ジムは事務所でデオから聞き出した情報を思い返す。

 見た目の特徴として挙げられるのは、目元が隠れるくらいのボサボサの茶髪、やや肉付きの良い体格、鼻の左側のほくろ。身長はおそらく160センチメートル程度。煙草や飲酒の匂いはなし。笑い方には、鼻から息を吐き出すような癖がある。話しながら指先をよくいじっており、深爪である。肩を持ち上げてつま先から歩くような仕草が目につく。服装は白のTシャツに柄シャツを合わせ、ジーンズを着用し、スニーカーを履いていた。シャツの首元がかなりよれていたので、似たような恰好を着まわしている可能性が高い。


「初めて会ったときにも思ったが……あいつもなかなかにきしょいな」


 どこかで、くしゃみが一つ。突然飛び上がった鳥が、翼を羽ばたかせてジムの横を通り抜けていった。その鳥を追いかけるように、ジムは手ごろな廃墟に足をかけた。壁の隙間、外れた窓枠、古びた外階段、汚れた水道管、街中の電柱、連なる家々の屋根と、ありとあらゆるものを足場にして、宙を駆けていく。


「ま、この辺でいいか」


 ジムがたどり着いたのは、この街に数えきれないほどある廃墟のうちの一つだった。高さはそこまでないが、目的のカレッジのすぐ隣に建っているため、ライブ会場全体を見渡すには十分すぎるほど適した位置取りだった。


「……お、いたいた」


 しばらく観察していれば、人混みの中に、デオの述べた特徴を兼ね揃えた人物が見つかった。画質はどうにもならないが、念のため、セルフォンのカメラ機能で限界までズームアップした写真を撮影し、デオに送信する。数秒の後、笑顔のスタンプが返ってきた。なんとなく苛立って、ジムは小さく舌打ちした。


「ビンゴか。じゃあ、あとは見張りだが……あいつ何もしねえだろうしなあ」


 男性の表情からは、ライブに対する期待とその場にいる満足感が見られた。あるいは、一度出ないと宣言したシンガーが、自分の言葉によって戻って来た。そんな興奮も含まれているかもしれない。犯罪とは、原則として何かしらの不満がその発端にはあるはずである。であれば……と、それらしいことを並べてはみたが、結局のところ、ジムの目には彼がこのライブで騒ぎを起こすほどの度胸を持ち合わせている人間には見えなかったのである。


「今回は、既に脅迫の被害も受けているわけだからな。イチカもそこそこ知名度が上がってきているし、さすがにあの忠犬もこの件を知ったら動かざるを得ないだろ。これで何も対応しないんだとしたら、むしろあいつらの所に厄介なファンが押し寄せて犯罪まがいの行為をするに違いねえ」


 今後の行動方針がまとまると、ジムは柵の上から飛び降り、縮みこませていた体をぐっと伸ばした。念のため補足しておくと、彼女がしゃがみ込んでいたのは四階のベランダに当たる部分の柵の上であり、飛び降りた先は紛れもない地上一階の地面である。この街でこんな移動の仕方ができる人間はそう多くないということを、どうか忘れないでほしい。


「あとは、適材適所、ってやつだな」


 ジムはそんな言葉を呟くと、楽し気に鼻歌を歌いながら歩き出した。向かう先は、ライブ会場。ちょっとした気まぐれで、ライブ直前のイチカの様子でも覗きに行ってやろうと思ったのである。

 というのも実は、イチカのデビューの手はずを手伝った人物の一人が、ジム、その人なのである。ジムはシオンに頼まれ、彼女のデビュー曲を描きおろし、わざわざデモ音源まで作って、当人にそれを手渡ししたのだ。ジムにしては随分と至れり尽くせりだが、もしもこれを頼んできたのが兄のシエンだったら、こううまくはいかなかったことだろう。ほぼ絶対に、だ。

 人波の僅かな隙間を縫うように小さな体で歩き続ければ、やがて目的地のライブ関係者のテントに到着した。遠慮なしに幕を持ち上げ、中を覗き込めば、スタッフと話をしていたシエンが真っ先にぎょっとした表情で反応した。


「ジム……!? お前、なんでここに」

「何だよ。私がいちゃ悪いか?」

「お前がいる時に面倒ごとが発生した回数を数えてみろ」

「別にお前の邪魔をしに来たわけじゃねえんだからいいだろ。ほら、さっさと仕事に戻れ」


 ジムがひらひらとわざとらしく手を振れば、シエンは大きく舌打ちをして、スタッフとの話に戻っていった。直前の準備で忙しいのは本当の所らしい。

 シエンのいたところを通り抜けると、鏡に向き合って前髪を直しているハニエルがいた。彼女は鏡越しにジムを見つけるとばっと振り返った。


「ジムさん!? えっ、依頼は……!?」

「安心しろ。お前の言う犯人はもう見つけた。ライブ会場での位置も特定してる」

「その後の見張りは!?」

「だから、護衛は探偵の仕事じゃねえって散々言っただろ? ……まあ、幸い良い伝手があるから、そっちに回すつもりだ。お前の最優先事項は、イチカの安全。なら、これでも問題ないだろ?」

「うーん……まあ、そういうことなら、わかった」


 ハニエルはきゅっと口角を上げて微笑んだ。アイドルの笑顔の説得力というのは、伊達ではないらしい。ジムがそんなふうに感心していると、とたとたと小さな足音が近づいてくる。やがて視界に入ってきたのは、シオンの姿だった。


「ハニエルさん、イチカさんが……って、ジムさん? 来てたんだ」

「おう、シオンもいたのか」

「うん。シエンが、一人にするのは心配だ、って。スタッフさんに、お願いして、お手伝い、させてもらってる」

「はあ。あいつのシスコンももうちっとどうにかならんのかね」


 シエンのシスコンが事実とはいえ、シオンの頑張りも嘘ではない。褒め称えるように頭を撫でまわせば、シオンはえへえへと天使のような微笑みを浮かべた。


「それで、イチカがなんだって?」

「えっと、イチカさん、緊張しすぎてる、みたい」

「あいつは威勢がいいんだか悪いんだか、よくわかんねえやつだな。まったく」


 ジムは頭の後ろをかきむしりながら、連なる奥のテントへと進んで行く。シオンの言う通り……いや、それより重症に見えるイチカは、パイプ椅子に座り、折角メイクを施した顔面を折りたたみ机の上にべったりと転がしていた。


「おい。起きろ。メイクが崩れるだろ」

「すみません……って、え、ジムさん!? なんで!?」

「どいつもこいつも揃って似たような反応しやがって……。で? わざわざ私が親切心で様子を見に来てやったと思ったら? このザマか?」

「ひ、ひえ……すみません……」


 意地悪にジムに問い詰められれば、イチカは情けない声を出しながらめそめそと泣くふりをした。こんな茶番が出来るならなんとかなるだろう、と心の片隅で思いながらも、ジムは呆れた口調でイチカに言う。


「ったくよお……。お前が選んだ道だろ? 一回出るって決めたんなら、逃げるなんてもってのほかだ。ばしっと決めてこい。けじめだ、けじめ」

「……はいっ!」


 返事をしたその声は、いつも歌っている時のように、真っ直ぐに響いていた。

 「間もなくでーす」と、スタッフが奥から呼びかける。イチカは両頬をぱちんと叩くと、あわあわと自分の身なりを整え、袖の方へと駆けていく。既に袖で待機していたハニエルがやって来たイチカに微笑み、二人は何かを確かめるように手を握った。ステージに設置されたスピーカーから派手な音が鳴りだし、やがて二人は並んで階段を上り始める――。

 その背中が見えなくなると、一つ呼吸をして、ジムも静かにその場を立ち去った。

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