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Track.06 A Little Story

「っくし!」

「……シエン、風邪?」

「んや、そんなことは」


 ず、と鼻をすったシエンに、少女が心配そうに近寄っていく。彼女はシオン・テイニー、シエンの妹である。掌で額の温度をはかられたシエンは「ありがとな」と誰彼構わず恋に落としてしまいそうな微笑みをシオンに向けた。何せこの男、重度のシスコンなのである。


「……おい。いつまでだんまりしてんだよ。今日が最後だろ? しゃきっとしろ」

「そうは言われてもですね……」


 女性らしい装いに化けた彼……もといイチカは、めそめそと今にも泣き出しそうな顔で隅のカウンター席に縮こまっていた。


「本当に、どこでばれちゃったんだろう……やっぱりカレッジかな……? 目つけられてたのは事実だし、そうじゃなくても変な人いっぱいいるし……」

「ぐだぐだうるせえな。俺たちにカレッジ内の話なんか通じるわけねえだろ。ほら、さっさと準備しろ」


 シエンがイチカの背中をぐいと押す。仕方がなしにヒールの音を鳴らして立ち上がったイチカは、はた、と口を開く。


「シエンさんって、カレッジ通っていないんですね」

「カレッジどころか、ハイスクールすら通ってねえぞ。俺は」

「国家教育の敗北……?」

「俺が悪いみたいな言い方すんじゃねえよ。ただ……もっと他の事がしたいと思っただけだ」

「それでクラブを」

「最初からそういうつもりだったわけじゃねえがな。結果的にはそうなった」

「なるほど……って、あれ、シオンちゃんは? スクールには通っていないんですか?」

「シオンは……まあ、今更あんな場所行かなくてもいいだろ。既に十分賢いしな」


 シエンはそう言って、優しくシオンの髪を撫でた。「えへへ」と天使のような吐息が漏れ、その余韻が空間を漂う。イチカはそんなお花畑みたいな光景を、呆れた様子で遠くに眺めていた。

 しばらくその甘ったるい空気を堪能すると、一つ咳払いをして、シエンはイチカのほうに向き直った。


「ま、それ相応のしぶとささえありゃあ、この街では中坊レベルの学力でも問題ねえってことだな」

「……説得力しかないですね」


 治安の悪いこの街で生き続けていけるのは、学力の高いものではない。誰のおかげで、とは言わなかったが、イチカはそのことをとっくのとうに理解していたのだった。

 その時、突然扉が開き、外の光が差し込んできた。


「おじゃましま~す……?」

「おい、まだ準備中だぞ。何の用だ」

「ごめんなさい。噂のライブ相手がいるって聞いて……来ちゃった♡」


 キャップの唾を上げ、サングラスを少しだけずらし、その隙間から完璧なウインクが飛ばされる。


「……は、ハニエル?」


 揺れる体を支えようとして、ヒールがコツ、と鳴った。呆然と入口の彼女を見つめるイチカを置いてけぼりにして、ハニエルと呼ばれた女性は勢いよく階段を駆け下り、イチカの両手を握った。


「あなたがイチカちゃん!? ちょ~可愛い!! バーニーズ・タンドのシンガーって聞いてたからどんな恐ろしい人が出てくるのかと思ってたんだけど、まさかこんなに綺麗で可愛い子だったなんて!! 私、すごく嬉しい!!」

「あの、えっと……」

「一緒にライブをするんだったら、お互いの理解はとっても大事でしょう? だから、一足先にあなたに会ってみたくて、ついつい早く来ちゃったんだよね。えへへ……。ライブで一緒に歌うの、楽しみにしてる!」

「あの!」

「うん?」


 イチカの精一杯の二文字で、マシンガントークはようやく遮られた。こてん、と首を傾げるハニエルに一瞬うっ、と喉を詰まらせたが、一つ深呼吸をして、イチカははっきりと口にした。


「……ごめんなさい。私、あなたとのライブに出る気はないの」

「……へ」


 気の抜けた声。鎮まった空気。そこに響く、単調な開店準備の音。

 当事者二人が揃っているのだから、わざわざここで水を差さなくても事は勝手に進展するに違いない。手間が省けたのは幸運だ。シオンはそんな心境で、ただ静かに見守るばかりだった。


「なんで!?!?」


 突然、ハニエルがそう叫んだ。クラブという空間の性質上、外の街に音が漏れすぎない程度の防音設備は整っているはずである。しかし、その場にいた者には多少の不安を抱かせるほどの声量、つまり驚きの腹式呼吸の成果だった。

 気圧されそうになったイチカは、慌ててもごもごと口を動かし、順を追ってハニエルに状況を説明し始めた。


「私、シオンちゃんにスカウトされて、もともとサマーホリデーの間だけここで働かせてもらうって話だったの。だから、今日が最後で……」

「え……。じゃ、じゃあ、あのライブの企画は……?」

「私、ポスターを見るまで何も知らなかったの。多分、カレッジの人たちだけで進めちゃってたんだと思う。だから、私、そんなことになってるなんて全然、気づかなくて……」


 今にも泣き出しそうな、震えた声だった。ハニエルは、これが母性かもしれない、と思った。いやまあ、母性云々は冗談としても、ここは守護の態度を見せなければならない瞬間だということをハニエルは直感的に理解した。


「……そっか。残念だけど、そういうことならしょうがないよね」


 そういって顔を上げた次の瞬間には、まさしくアイドルの笑顔が携えられていた。


「あ、ライブのことなら大丈夫! アイドルの私がしっかり盛り上げてくるから……だから、そんな心配そうな顔しないで? ね!」


 そう言って下げられた眉尻に、イチカは睫毛を震わせ、小さく頷いた。

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