3-1 それぞれの目的
最終章です。最後までどうかお付き合いください。
コツコツとリヴィアの足音が廊下に響く。この足音は両開きの扉の前で止まった。王の執務室だ。
リヴィアは、扉の両端に立っている兵士に目くらばせする。兵士はリヴィアを確認すると、扉に向かって声をかけた。中にいるであろう王の返事を待つ間、リヴィアと兵士はじっとして動かなかった。
やがて王の、凛とした声が返ってきて、兵士はゆっくりと扉を開けてリヴィアに通るように促す。リヴィアは目を伏せながら、開け放たれた執務室へと入った。
それから扉が閉められたのを背中で確認し、伏せていた目を持ち上げる。リヴィアの視線の先の王は、部屋の中央に置いてある王の机から離れ、奥の大きな窓の外を見ていた。
王の名前はニヴァリア。リヴィアの兄である。
リヴィアはニヴァリアの背中に向かって格式張った挨拶をした。
「ご機嫌麗しゅう、ニヴァリア王。リヴィアでございますわ」
リヴィアの声を聞き、ニヴァリアは窓から目を逸らしてそれに応じた。
「リヴィ、お前も元気そうでなによりだ」
頭を上げるように指示され、リヴィアは優雅にそれに従う。リヴィアが顔を上げたところでふたりの目が合わさり、お互いに厳かな表情を緩めて、兄妹を見る目に変わっていた。
「ここ最近、リヴィを部屋に戻してやれなくて悪かったな」
「しょうがないですわ。いくらお兄様といえど、ルーシャ様には逆らえませんもの」
リヴィアはくすくすと笑う。ニヴァリアはそんなリヴィアの様子に、眉を下げて困ったような笑みを浮かべた。
そんな和やかな空気の中、リヴィアは今回ニヴァリアに呼ばれた理由を知りたかった。一通り、兄妹水入らずのひと時を過ごしたあと、リヴィアはそろっと尋ねる。
「――それで、わたくしになんの御用でしたの?」
リヴィアの問いかけに、ニヴァリアは一気に表情を堅苦しいものに変える。心做しか低く沈んだような声色で、端的に言い放った。
「ああ。明日、ケーレンベル王国のシュベルト王子が到着する予定だ」
ニヴァリアの言葉に、リヴィアは笑顔を崩さずただ頷く。
「あら、もう明日でしたのね。遠いところからいらっしゃるんですもの、さぞお疲れでしょうね」
ケーレンベル王国。この国は、ヴィリニア王国の同盟国だ。ヴィリニア王国に次ぐ超大国でもある。この二国が強い契約で結ばれている限り、他国からの侵略はないに等しいといえる。ふたつの超大国の同盟が始まってから長い間、争いのない平和な世が続いていた。
そんなケーレンベル王国の王子の名を、シュベルトという。シュベルト王子は、リヴィアの婚約者だった。
シュベルト王子は、自国での評判がいい。ケーレンベル国民はシュベルト王子を慕っており、シュベルト王子のいい噂はヴィリニア王国にまで届いていた。
だからヴィリニア王国の国民もみな、シュベルト王子とリヴィアの結婚に、とても喜ばしいことだとしていた。
兄であるニヴァリアも国民と同じ。シュベルト王子との婚約を、誰よりも祝ってくれた。だから、もうすぐあるふたりの結婚式の準備を、張り切って行っている。
「お前の結婚式は、王家の歴史上で最も盛大なものにする。気に入ってくれるといいが……っいや、きっと気に入る」
ニヴァリアの気持ちは素直に嬉しいので、リヴィアはそれに関して心からの感謝をした。
「ありがとうございます、ニヴァリアお兄様。ふふっ、楽しみですわね」
本当に、楽しみ。
リヴィアは淑女のように、お淑やかに口に手を当てて笑う。嬉しそうに微笑むリヴィアではあるが、その目はギラリと鋭い輝きを放っていた。
話は終わり、リヴィアはニヴァリアに別れの挨拶を告げて執務室を出た。くるっと扉に背を向けて、廊下を歩き出す。リヴィアは兄、ニヴァリアとの話で、これまでのことを思い起こしていた。
ここまでくるのに何年かかったか。婚約が決まってからすぐだから15年くらい前だろうか。決まった当時は泣き喚くばかりだった。しかし周りにはバレないように、常に隠れて泣く癖がついていた。
「ああ、でもタッチャンは……」
ふいに龍樹のことを思い出し、リヴィアの頬が緩む。
龍樹にだけは心の内を打ち明けていた。龍樹はすごく話しやすい。昔から今もそれは変わらず、龍樹にはなんでも話せるような、そんな心の優しさを感じていた。
しかし龍樹は当時、泣いてばかりいるリヴィアに呆れていたかもしれない。ずっと考えてた。あの日、龍樹が消えたのは、リヴィアにうんざりしたからなんじゃないかと。ずっと泣いてばかりいるリヴィアに、黙ってそばにいてくれた。でも、それも限界だったんじゃないかと。
「タッチャン。わたくし、強くなったかしら……」
龍樹が消えてから、リヴィアはもう泣くのではなく、行動に移るべきだと考え直した。それからは泣き虫の自分も、少しは強くなれたと感じる。あの頃のリヴィアにできることは限られていたが、今の自分ならできる。
頭に再度、計画を思い浮かべる。前々から準備してきたんだ。きっと、やり遂げられるはず。
「ニヴァリアお兄様にも、楽しんでいただけますわよ」
リヴィアはそう呟き、愉快そうにかかとを鳴らした。
――
お昼過ぎ。龍樹たちは自室にて、だらだらと過ごしていた。ベッドの側面に寄りかかってスマホを眺める龍樹、その龍樹の左手を繋いで石ころの先のルーシャと会話をしているマリル、ドア付近にて何かをしているシエナ、といった具合に各々好きなようにしていた。
龍樹はぼーとスマホを眺め、一定の間隔で画面をスクロールさせる。画面の1番上に検索窓があり、そこには「人と関わらない仕事」と入力してある。
龍樹は緩慢な動きで、スマホに目を寄こしたまま、目の前のローテーブルに右の肘をつく。するとマリルがルーシャとの会話を終えて、龍樹の右手に持たれたスマホの画面を覗き込んできた。
「なに、してるの」
龍樹はマリルの問いかけに、スクロールする手を止める。
「そろそろ仕事を探し始めようかと思っていて」
マリルのほうへ顔を向けて言うと、マリルはきょとんとした。首をかしげるだけで何も言ってこない。代わりに、マリルの左手に持たれていた石ころから、ルーシャの声が聞こえてきた。
『おや、異世界人くんはいま無職なのかい』
「無職じゃなかったらルーシャさんたちの実験に付き合えてませんよ」
龍樹の言葉に、それはそうだね、とルーシャは言ってからははっ、と笑った。
龍樹たちの会話を、ドア付近でなにやら作業をしていたシエナも聞いていたらしく、龍樹のほうへ顔を向けてくる。それから作業の手を止めて、首をかしげた。
「なぜ今頃仕事を探そうとしているんですか? ずっと無職の方なのだとばかり」
シエナの問いかけに、龍樹はぽりぽりと頭を掻いて気まずそうに笑う。
「これでも一応、去年までバリバリ……とまではいかなくとも、程々に仕事はしてました」
「あら意外です。今年になって仕事を辞めたのには何か理由があるんですか?」
シエナはほんとに容赦なく聞いてくる。龍樹はシエナの遠慮しない態度に開き直って、大まかに説明することにした。
「……まー、俺の個人的な都合ではあるんですけど、もともと人と関わるのは得意ではなくて、それが仕事に影響してしまったので自主退職したんです」
「ああ、まあ確かに、タッチャンさんは人と関わりたくなさそうですよね。今でこそマリル様と手まで繋げていますが、初対面のときは触られるのも嫌がってましたから」
たぶんシエナは、龍樹がシエナの手を振り払ったときのことを言っているのだろう。あの時のことは申し訳ないと思っているから、龍樹はシエナの言葉に苦笑いで返す。
と、ここまで黙って聞いていたマリルが、心做しか龍樹と握っている手に力を入れたかと思うと、おもむろに口を開いた。
「わたしも、人は嫌い。ルーシャは好きだけど、メイドのあいつみたいな目をするやつは全員嫌い」
そう言って、マリルは頬を膨らませながらシエナを見る。
「私も魔導師は嫌いですね」
いきなりマリルに嫌い宣言を受けたシエナは動じずに、流し目でマリルを見ながら言葉を返す。ふたりの間には、バチバチと火花が飛んでいる気がした。
石ころからはルーシャの笑い声が微かに聞こえてくるが、龍樹は笑い事ではない。半ば龍樹を挟んで行われている無言の攻防に、龍樹は辟易していた。
このようなやりとりは今に始まったことではない。どうやらシエナとマリルは相性が悪いらしく、こちらの世界にいるようになってから頻繁にこうして争いが行われていた。魔法を使った戦いじゃないだけまだマシだが、それもいつまで保つか分からない。
一触即発の雰囲気に、龍樹は意を決してふたりの間に割って入った。
「人と関わるのは苦手ですが、シエナさんやマリルさんのせいでだいぶ慣れてはきましたよ」
話の流れを戻す。これに限る。
龍樹の話に戻り、シエナとマリルは互いを見ていた目を再度龍樹に向けた。ふたりの目が一斉にこちらに向き、龍樹は怯みながら愛想笑いを浮かべる。ひくつく口端を上げて、言葉を続けた。
「だからこうして、仕事をまた始めてみようかなと、前向きになれているところです」
荒療治のようなものではあったが、一応感謝はしている。仕事を始める気になったのも、人と関わるのに慣れてきたおかげだから。
感謝の意を込めて、シエナとマリルに軽く頭を下げる。それから龍樹が頭を上げたところで、マリルがぼそっと呟いた。
「……異世界人。おまえはべつに、嫌いじゃないけど」
「おー、ありがとうございます」
どうやらマリルに嫌われてはないらしい。なんとなく懐いてくれているとは感じていたが、思い違いじゃなくてよかった。
ほっとしてとりあえず礼を言うと、シエナが呆れたような声を出した。
「タッチャンさん。あなたはほんとに無自覚ですね」
「……はぁ」
シエナの言葉の意味をあまり理解できなくて、龍樹は間抜けな声が漏れる。どこらへんが無自覚なのか聞いてみたかったが、シエナとマリルはこれ以上の会話は無用だといったふうにまた各々で行動し始めたので、龍樹もまあいっかとスマホに目を移した。
最近、平日の昼間っから部屋でゴロゴロしていると、謎の焦燥感に駆られるときがあった。これは多分、人に慣れてはきているのに未だに無職でいることに対して罪悪感があるからだ。だから、こうして仕事を探すことでその罪悪感というものを消し去ろうとしているわけである。
しかし探してはいるのだが、なかなかピンとくる仕事がない。このまま無職でいるとずっと罪悪感に苛まれるはめになるため、少し焦ってもいた。それもあってか、心做しかスクロールする手が早くなっていく。
そんな龍樹の焦りが、シエナに伝わったらしい。龍樹をちらと見ると、そっと囁くように告げた。
「まあ、そんなに急がなくてもいいんじゃないでしょうか」
「……、シエナさん」
シエナのこの言葉は気遣っているようでいて、そんなこともない。龍樹はシエナの心を見透かしながら、しかしその言葉に嘘はないと思うので素直に礼を言う。
「仕事しながらでもちゃんとシエナさんに煎餅は届けますよ。でも……ありがとうございます」
「なぜそこでセンベイが出てくるんですか」
シエナの不満気な様子に、龍樹は思わず声を出して笑った。ふっと、肩の力が抜ける。
うん、やっぱりゆっくりやっていこうと思う。シエナやマリルの良い意味で独特なペースと、この部屋でののんびりとした姿を見て、余計にそう思った。
――
シエナは考えていた。リヴィアの結婚式が近いというのに、自分はこんな所にいていいのかと。
リヴィアの婚約は、シエナもまあ人並みに喜ばしいことだと思っていた。だから結婚式は絶対にこの目で見届けると決めていたのに。
「リヴィア様に言われてしまったら、それに従うのがメイドとしての役目」
本当ならリヴィアの言いつけを破って、今すぐにでもリヴィアの結婚式に駆けつけたい。けど、まあここにいろと言われたのならそれに従うだけだ。それに、ここにいるのも案外悪くはないと感じてきている。
「掃除はしなくていいし、お風呂も快適、そしてセンベイが美味い」
決して餌付けをされているわけではない。それもこれも、ここの居心地がよすぎるせいだ。
どうせリヴィアの言いつけは、シエナには破れない。だったらとことん、ここでの生活を満喫することにした。
リヴィアに言われたのはただひとつ。タッチャンさんを見守ること。ただ、それだけなのだから。
――
マリルは床で眠っている龍樹をベッドから眺めていた。龍樹の寝顔を見て、マリルは今まで感じたことのないような、むず痒い気分になっていた。
マリルは龍樹と一緒に実験をしているこの時間が、嫌いではなかった。むしろ、ルーシャと一緒にいるときのような、いやそれ以上の心地の良さを感じていた。兄がいたらこんな感じなのだろうか、と龍樹を見ながら思う。
「お兄ちゃん……か」
そういえば、この異世界人の名前をまだ知らないことに気がついた。あのメイドはたしか、タッチャンさんと呼んでいたっけ。
「タッチャンお兄ちゃん……うーん、たつお兄ちゃん? たつ兄ちゃん、たつ兄さん……」
どの呼び方がいちばん語感がいいか確かめるように、頭に浮かんだ呼び名を小さな声で唱えていく。龍樹を見ながら呼んでいくと、ぽかぽかとしたものが心に溜まっていくのがわかった。
「――たつ兄」
カチン。頭にぴったりとピースがはまる。
たつ兄、これだ。そう思った。
「……たつ兄」
もう一度、声に出して確かめる。うん、いちばん呼びやすいしこれならさらっと言えるかも。
マリルは頷く。
この呼び名で龍樹を呼んでみたい。この呼び名で反応してほしい。いつか絶対、これで呼んでみる。ここにいられる間に、絶対。
――
ルーシャは感じ取っていた。不穏な影が、この城に近づいいることに。
「もしかしたら、波乱が起きるかもしれないね」
ルーシャの体は安定してきていた。それもこれも、異世界人くんに魔力を与え続けているおかげである。だからもしこの国に危険が迫ったら、雇われの身としてできる限りのことはやれそうだ。
「ま、無理は禁物だが」
短命なのが治ったわけじゃない。この実験はただ延命治療をしているだけではある。しかしこの実験を経て、ルーシャの研究はさらなる発展を遂げることはたしかだ。
「まだ時間はある……」
ルーシャの研究には、この城と異世界人くんとの繋がりが必要不可欠。絶対に、何者にも奪わせはしない。
お読みいただき、ありがとうございました。