2-5 リヴィアとの約束
⚠︎︎この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
ルーシャの研究に協力することになった。ルーシャに言われた通りに、昨日から龍樹とマリルは実験に尽力している。ご飯を食べたり、風呂に入ったり、寝るとき以外はなるべく手を繋ぐようにして、不便ない程度にやっている。
シエナはというと、リヴィアにそっちに残るように言われていて、実験を見守りながらいろいろ手助けしてくれた。まあ多分、監視役なのだとは思うが。
「タッチャンさん。センベイがございません」
「え、もう食べ終わったんですか?」
たしか1階にまだ5枚くらい残っていたはずだ。なにかの間違いなんじゃないかと思ったが、どうやら本当のことらしい。
「あのセンベイがないと私はもう生きていけませんタッチャンさん」
詰め寄ってくるシエナの圧に龍樹は負けて、仕方ないからスーパーに買いに行くことになった。
この時間帯はスーパーが混む時間だ。龍樹はできるならもう少し人が少ない時間に行きたかったのだが、シエナがどうしても煎餅を我慢できないようなので仕方がない。
「あら、仲のいい兄妹ですね」
レジに並んでいる最中、龍樹とマリルがずっと手を繋いでいるのを見て、後ろのおばあさんが微笑ましそうにして話しかけてきた。
「兄妹じゃない。わたしに血の繋がった家族はいない」
「え」
マリルの言葉に、おばあさんは首をかしげる。
「ゆ、誘拐?」
それから前に並んでいた人が、スマホを片手に驚いたように振り向いてきた。今にも通報されそうだ。
「わー! 兄妹、兄妹です! はぐれないように手を繋いでたんですけど、今ちょっと喧嘩してて、もう家族じゃないとか言っているだけなんです」
必死に弁明する。周りからの疑いはなんとか晴れたが、マリルの発言にはちょくちょくヒヤッとされられる。手を繋いでいる理由を、こっちの世界の人が納得のいくような言い訳を考えなければなと思う。
「マリルさん。俺たちはこれから、兄妹ということにします」
スーパーからの帰り道、手を繋いで右隣を歩くマリルに言う。マリルは龍樹を見上げながら、なんとも不思議そうな顔をしていた。
「きょうだい……」
龍樹はマリルの様子に首をかしげるが、すぐに納得する。さっきマリルは、血の繋がった家族はいないと言っていた。つまり、兄妹という響きが初めてで違和感があるのではないかと。
「兄妹が嫌なら、親戚とかでもいいですよ」
「……兄妹でいい」
マリルは首を横に振ってそう答えると、もうこちらを見上げることなくただ歩を進めた。
龍樹は、マリルに家族がいない理由を知らない。はぐれてしまったのか、亡くなってしまったのか、それは定かではないが、これだけは分かる。マリルは寂しいのだと。
家族がいなくて寂しい気持ちは、一人暮らしをしていた龍樹にもよくわかる。そして、龍樹にも兄妹はいない。だから兄妹という響きに、なんとなくむず痒いような、でも少し嬉しいような、そんな感情を抱いた。これはきっとマリルも同じなのではないかと思った。
マリルを見下ろし、龍樹はそっとその頭に手を置いた。
「、なに」
「なんか、兄の感情ってこんな感じなのかなって」
びくっと肩を揺らすマリルだったが、龍樹の言葉に、なにそれと呟いた後、また何もなかったかのように前を向いた。
龍樹がマリルの頭を撫でると、マリルは少し目を伏せてそれを受け止めていた。龍樹にマリルの顔は見えなかったが、マリルはこのとき頬を緩めてニヨニヨしながら龍樹の手の温もりを感じており、まあ簡単に言うと撫でられるのは満更でもなかった。
――
家に帰り、買ってきた煎餅をシエナに渡す。それから今日一日のやることはやり切ったと思われた夕方頃。
「たっだいまー! 元気にしてるか息子よ!」
龍樹とマリルがいつものように手を繋いで、2階に行こうと玄関に続く廊下にでたら、ちょうど扉を開けて入ってきた母と鉢合わせた。
「お、っかえ、り」
「え、だれその子」
ああ、今日は母が帰ってくることをすっかり忘れていた。ややこしい。非常に。
「龍樹が見知らぬ女の子と手を繋いでいる……ついにそっちに手を出したんだ」
「ち、が、う!」
断じてロリコンとかではない。
「わたしは、ヴィリニア王国の王宮魔導師。こいつとは兄妹」
その言い訳は母には通用しない。しかも馬鹿正直に名乗ってるし。
「……不思議ちゃん?」
龍樹はおでこに手を当てて上を向き、母は間抜けな顔でマリルを見て、マリルはきょとんとしてそのふたりを交互に見ているという、いつぞやか見たカオス状態である。
そして間もなくしてその中にもうひとり、加わることとなる。
「――タッチャンさん、お風呂場のシャンプーなるものがなくなりそうなのですが」
シエナがタイミング悪く風呂場から出てくる。母は先程よりも目をひんむいてシエナを見た。
「リビアさん以外にも女性がい、る? しかもメイド服……龍樹、あんたこれどういうことなの!?」
「あ」
なにか変な風に誤解しているかもしれない。
早急に弁明しなければならないのだが、兄妹や家族だという嘘はもちろんつけないし、彼女だなんてすぐバレる嘘もつけない。
母になんて言い訳しようかと唸っていると、シエナも馬鹿正直に自己紹介した。
「お世話になっております。リヴィア様のメイドのシエナと申します。本日は急な訪問になってしまい、申し訳ございません」
この世界でのメイドだなんて、信じてもらえるかわからないだろう。龍樹ははらはらしながら母をちらと見ると、母はあー、と言って頭を掻いた。
「リビアさんのメイドさん? てことはリビアさんってやっぱり金持ち!? たしかに箱入り娘感あったもんなー」
ああ、それでいいんだ。
母は納得したらしく、そういうところ大雑把で良かったと龍樹は胸を撫で下ろした。
「じゃあその子、マリルちゃんもリビアさんの妹さんとか?」
「あー、そうそう」
勝手に解釈した母に、龍樹が何度も首を縦に振って肯定する。母は、なーんだと言って安心したように笑った。
リヴィアがいないことについて聞かれたが、いったん家に戻っていると伝えたらこれまたすぐに納得してくれた。聞き分けがいい母に、これほど感謝したことはないくらいに感謝した。
――
マリルが風呂に入るため、龍樹は部屋にひとりでいた。
やっぱりひとりは落ち着くと、ベッドに座ってこの時間を堪能していた時。突然、ベッドの下からにゅっと何かが出てきた。
龍樹はそれを拾い上げ、天井に掲げてよく眺める。それはブレスレットで、リヴィアが手首に付けていたものだった。そうだと分かった瞬間、龍樹は勢いよくベッドの下を覗き込む。
「っ、リビーさん」
『タッチャン、気づいてくれましたのね』
「どうしてそこに……」
たしかリヴィアは部屋に戻れていないと聞いた。龍樹が思わず問いかけると、リヴィアは嬉しそうに答えた。
『やっと部屋に戻ってこれましたの』
リヴィアは部屋にずっと戻れないでいた。だからベッドの下での会話もできなかったわけだが、シエナが言うにはそれは仕組まれたことらしかった。だから、その仕組んだ人物がわかったのだろうか。そう考えていると、リヴィアは龍樹の心を見透かしたかのように、その原因を言った。
『ルーシャ様たちがわたくしのベッドの下を使うために、わたくしを部屋から遠ざけていたらしいですわ』
「……そうだったんですね」
薄々勘づいてはいた。ルーシャとマリルはリヴィアのベッドの下の時空の歪みに気づいたからこちらに来れたのだろうし、異世界人を連れてくるために使うにはリヴィアには別の場所にいてほしかったのだろう。
「とりあえず、戻ってこれて良かったです」
リヴィアも部屋に戻ってこれたし、ルーシャやマリルもとりあえずは目的が達成できたといえるだろうし、何はともあれ目下の問題は解決できただろう。
龍樹がほっと息を吐くと、リヴィアはそれから、と言って話を続けた。
『わたくしね、もうすぐやりたいことができそうなのですわ』
「、! ほんとですか」
リヴィアがあちらの世界に戻ってやらなければならないこと。詳しいことは知らなかったが、なにか決意を固めて戻って行ったことはわかっていたので、それがやっとできるというならこれほど喜ばしいことはない。
『タッチャン、覚えていらっしゃるかしら? わたくしとの約束』
「もちろんです。待っていますよ」
『ふふっ、良かった』
ずっと待ってる。リヴィアからもう離れたくはない。そう思うのは、いつかの日にリヴィアの前から消えたことを後悔しているからだ。昔のリヴィアのことは覚えていないし、自分が消えた原因も全く心当たりはないのだが、それが龍樹にはすごくもやもやしていて嫌だった。
消えた原因を思い出せたならそれが一番だが、もし思い出せなくとも、もう絶対にリヴィアから離れない。龍樹が自分の中でそう決心すると、手の中にあったリヴィアのブレスレットがちゃりっと鳴った。
強く握り締めてしまったみたいで、龍樹は慌てて力を緩める。
「すみません、ブレスレット返しますね」
ずっと龍樹が持ってしまっていたことを思い出したので、言いながらベッドの下にブレスレットを突っ込もうと手を伸ばす。
『そのブレスレット、タッチャンが持っていてくださいまし』
「いいんですか?」
リヴィアがずっと肌身離さず付けていたものだから、大事なものだと思うのに、預かってしまっていいんだろうか。
龍樹が驚いた声を上げると、リヴィアはふわりと柔らかい声色で龍樹に告げた。
『わたくしがまたこの場に戻ってきたときに返してくださいませ。これも約束ですわ』
「……わかりました」
龍樹はブレスレットを見て、あとで母にアクセサリー入れても借りようと頷いた。それから龍樹は、それならば、と思いついて手を叩く。
「じゃあ俺からも、ひとつ預けてもいいですか?」
『なにかしら』
龍樹はいそいそとベッドの下から顔を離し、クローゼットにしまい込んだ通勤バッグを取り出す。バッグを開いて内ポケットから龍樹が取りだしたのは、赤いお守りだった。
このお守りは、厄除けとして去年東京にいたころ近くの神社で買ったものだ。それをいつも持ち歩く通勤バッグに入れていたのだが、仕事を辞めた龍樹にはバッグをすぐに使う予定は無かったため、入れたままだったことをすっかり忘れていた。のだが、リヴィアになにかを渡したいと思ったとき咄嗟に思い出したものが、この厄除けのお守りだった。
「リビーさんが無事に帰ってこれますように」
『これは、?』
ベッドの下に入れると、リヴィアにちゃんと届いたらしく、不思議そうにお守りの用途を聞いてくる。
「お守りです。厄除けなので、持っていると悪いものを追い払ってくれるんですよ」
『まあ、素晴らしいものですわね』
リヴィアは感心したような声を上げる。龍樹はリヴィアのその反応に、頬を緩めて笑った。
「それは俺のなので、ちゃんと返しに来てくださいね」
『ええ、わかりましたわ。しっかり預かっておきますわね』
リヴィアは頷くと、お守りをどこかにしまい込んだ音がベッドの下に響く。それを確認して、龍樹はひとつ提案した。
「代わりに、リビーさんがまたこっちに戻ってこれるようになったとき、一緒にリビーさんのお守りを買いに行きましょう」
『っ、ええ! ぜひとも、お願いいたしますわ!!』
なんともリヴィアの嬉しそうな声に、龍樹がまた笑う。
また、会う約束ができた。人と約束を交わすことが、こんなにも気持ちの良いものだと初めて知った。龍樹は、リヴィアと出会ってから色々なことが起きて、色々な人と関わるようになって、初めて感じた感情が多かった。
人と関わることは疲れる。今までの人生の中で出したこの結論は、間違っていない。しかし疲れると同時に、この温かな感情は、人と関わらなければ絶対に感じることはできない。独りだったら一生それを経験せずにいたかもしれない。
人と関わりを絶とうとしていたのは、もったいないことだったかもなと、龍樹はブレスレットを見ながら思った。
2章終わりです。お読みいただき、ありがとうございました。