表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/12

2-4 ルーシャの研究

 朝9時まで、あと1分。龍樹たちは、シエナが持った石ころを前に待機していた。時計の秒針が進むにつれ、3人は各々で落ち着かなげにしていた。

 龍樹は床に正座をして瞬きを数回する以外は、全くといっていいほど動いていない。もうかれこれ10分くらいこの調子で待機している。傍から見ても、緊張していることは明らかだ。

 シエナは龍樹の左隣にこれまた正座をしている。石ころを右手に持ち、指でコロコロといじっている。一応言うと、左手にはしっかり醤油せんべいが常備されていた。

 マリルはそんなふたりの間に足を配置し、ベッドに腰掛けている。おさげの三つ編みを、別に乱れていないのに結んでは解いてを繰り返していた。

 カチリ。壁時計の秒針が真上を回った瞬間、長針が12の数字を、短針が9の数字をそれぞれ指し示す。朝の9時、リヴィアとの約束の時間が訪れた合図だった。


『――シエナ、マリル様、そしてタッチャン。わたくしの声が聞こえていますかしら』


 リヴィアの声が石ころから流れる。龍樹とシエナは目を合わせて頷いた。


「おはようございますリヴィア様。私共々、聞こえております」


『ああ、良かった。実はもう、ルーシャ様が隣にいてくれているのですわ』


 ごくり、龍樹の喉が鳴る。ルーシャとは話したことのない、まったくの初対面だ。声だけだとしても緊張はする。どういう人なのか、常識のある人なら良いなと少しの願望を持って石ころを見た。


『やあやあ、願いの姫付きメイドと、マリルもそこにいるのかな』


「いるよ」


 ルーシャの問いかけに、マリルは前のめりで応える。それに対してルーシャは、軽快な笑い声を漏らした。


『ははっ、おはよう諸君。……ああそして、異世界人くんもね』


 ルーシャの顔は見えていないし、声だけのはずなのに、龍樹はなぜか真っ赤な目がこちらを見てきた気がして、蛇に睨まれた蛙のように思わず体がすくんだ。


「……はじめまして。異世界人です」


 直接会ってなくて良かった。と、そう思いながらルーシャに挨拶をする。

 ルーシャは全員に挨拶が済んだことを確認し、改めてこの場にいる全員に向けて名乗りを上げた。


『はじめましての方に向けて軽く自己紹介をしようか。ぼくはヴィリニア王国専属の魔導師、ルーシャ。好きな物は魔法。好きなことは研究。好きな人は古代の魔導師たちさ。どうぞよろしく』


 ルーシャのぶっちゃけ具合に、龍樹は軽く引く。というかマリル以外はリヴィアもシエナも引いているのではないかと思う。

 しかしそんなことはお構いなしに、ルーシャは何事もなかったかのように本題へと入った。


『さて、ぼくのターンは終わりだ。次は石ころの向こうの君たちに、ぼくになんの用なのか聞かせてもらおうか。まあ、あらかた予想はついているけれどね』


 ルーシャの余裕のある態度に若干ペースを持ってかれつつも、シエナはそれについて説明をし始めた。


――


 シエナは、龍樹とシエナとマリルがなぜ同じ空間にいるのか、その経緯を説明した後、マリルからルーシャの研究についてマリルが知っていることはすべて聞いたことを話した。

 そして、リヴィアからルーシャに取り次いでもらったことの理由も話したところで、ルーシャは理解を示した。


『なるほど。たしかに、ぼくが異世界人くんになにやら野蛮なことをするのではないかと疑いたくなる気持ちもわかるな。それは考えなしだったよ。ごめんね』


 意外とルーシャのあっさりとした謝罪に、龍樹は拍子抜けした。きっとこれらのことは、ルーシャやマリルの思い通りに事が運んでいるわけではないだろうから、逆ギレされてもおかしくないはずだ。それなのにルーシャの思ったより大人な対応に、龍樹はほっと息を吐いた。


『結論から言うと、異世界人くんに危険が及ぶことは、まずない』


 ルーシャの断言した物言いに、明らか全員が安心したように体を緩める。龍樹も同様に緊張が少しほぐれたが、また次なる疑問が龍樹を襲う。シエナもそれを思ってか、今まで閉じていた口をすっと開いた。


「タッチャンさんに危険が及ぶことはない、ということはわかりました。しかし、そもそもタッチャンさんがヴィリニア王国に出向かないと研究は進まないのでは?」


 ルーシャはシエナの問いに対して、ああそれならと呟くと、マリルに話しかけた。


『マリル、聞こえているね』


「うん」


『まず石ころをマリルが持ってくれたまえ』


 ルーシャの指示に、シエナは渋々といった様子でマリルに石ころを手渡す。マリルに石ころが渡ったのを確認して、ルーシャはうんと頷いて結論を言った。


『異世界人くんと魔法的な関係で繋がっているのなら実験は可能さ。ぼくの研究は進められる』


「魔法的な関係?」


 龍樹が思わずルーシャの言葉をオウム返しすると、ルーシャは石ころを指し示して話を続ける。


『この石ころは魔法石だ。これを通して今のぼくたちは魔法的な関係で繋がっていると言える。つまり、この石ころさえあれば実験などどこでやっても問題ない』


 魔法で連絡がとれるということは、たしかに魔法的な繋がりかもしれない。龍樹の魔法関連に対する認識はまだまだ曖昧ではあるが、ニュアンス的にはこんな理解でいいだろう。

 とりあえず、ルーシャの研究にどこからでも協力できそうなことに龍樹は安心した。


『マリル、異世界人くんと手を繋いで。素肌でね』


「え」


『な、んですっ、て』


「わかった」


 急なルーシャの指示に、今まで黙って聞いていたリヴィアも思わず声が出る。龍樹も同様に声が出たが、パニックになる暇もなく、いつの間にかシエナとの間にちょこんと座っていたマリルが龍樹の左手をがっしと掴んだ。


『直接見せたほうが早いだろう。とりあえず試しで実験を始めてみようと思うのだが、マリル、異世界人くん、準備はいいかい?』


「いえっさー、ルーシャ」


 唐突だが、たしかにまだあまりピンときていない龍樹には、直接見せてもらったほうが理解しやすいだろう。マリルと手を繋がなければならないことに疑問を持ちながらも、龍樹はゆっくりと頷いた。


「……、はい、大丈夫です」


『よし、では始めよう』


 龍樹とマリルがそれぞれ心の準備を済ましたところで、ルーシャの開始の声とともにマリルの左手に持たれていた石ころがふわっと浮かび上がった。それから龍樹は、マリルと繋いでいた左手から、じんわりと温かい何かが入り込んでくるのを感じた。


『今やってるのはぼくの魔力を、石ころから石ころに、石ころからマリルに、マリルから異世界人くんにという流れに沿って少しづつ注いでいるんだ』


 魔力を注ぐ、という行為が龍樹自身に本当になされているのかあまりわからなかったが、たしかに温かいものは感じている。その温かいものは左手からやがて体全身に渡り、龍樹は体温が一気に3度くらい上がったような気がした。


『魔力は魔法のために使うだけじゃなく、人に譲渡することも可能なのさ。まあそれは生きている人間に限る話ではあるのだけれどね』


 ルーシャの説明を聞いて、龍樹は疑問に思ったことがひとつあった。龍樹が魔力をもらったとして、その魔力はどうなるのか。きっと魔力を蓄積させて魔法を発動できる、なんてことはないはずだろう。なんせ龍樹は、魔法なんてファンタジーが存在しない世界の住民なのだから。


「でも俺は、魔法を使えないです。この魔力ってのを注がれたところで、俺が魔力を蓄積することは、できないんじゃないですか」


 龍樹が疑問を口にすると、ルーシャからは龍樹が思っていたことと真反対のことを告げられた。


『ぼくの今までの研究から、人体の構造さえ一緒であればたとえ魔力を一切持ってなくて魔法に免疫がなくとも、魔力を蓄積することはできる、という結論が出ている。さすがに限度はあるがね』


「……なるほど」


 魔力は人間なら誰でも蓄積できるもの。それがたとえ自分に魔力を生み出す力がなくても。

 つまり魔法が使えるようにはならなくとも、魔力をもらうことによって魔法を使うための魔力だけなら体に留めておける、ということだろうか。

 龍樹が人間の構造をした純人間であるならば、龍樹も魔力を蓄積できるらしい。龍樹は生まれてこの方、自分が人間ではないのではないかと疑った日はないから、きっと魔力を蓄積できるのだろう。と、ひとりで無理矢理にでも納得させる。


『ぼくは魔力を与えられたことがないからわからないけれど、異世界人くん。魔力を与えられる気分はどんな感じだい? 思いつく程度で、話してみてほしい』


 ルーシャが心做しか、うきうきとした声で尋ねてくる。ルーシャの研究者魂に火がついたのだろう。龍樹は、ルーシャの今後の研究の参考になるように、誇張なしに感じたこと、思ったことをそのまま口にした。


「とりあえず、体が暑いですね。なんとなくですが、微熱があるときに似てる気がします。なんとなく、ぼーとするような、そんな感じです」


 龍樹はマリルから送られてくる熱を感じながら、マリルと繋がれた手を見る。ルーシャはなるほど、と呟いたあと、パチンと指を鳴らした。


『とりあえず今回は試しだからね。いったんここで終わりにしようか』


 龍樹の体がだいぶ火照ってきたところで実験は終わった。しかしそれでも随分とあっけないと感じたのか、マリルは拍子抜けとばかりに目を丸めている。


「これだけ?」


『この実験は1日にして成らず、さ。もし、協力してくれるというならば、魔力を与え続けながら1日ごとの異世界人くんの経過観察をしなければならない』


 経過観察をするだけかと思ったが、その後に続くルーシャの言葉に気絶する羽目になるところだった。


『そして、風呂や寝るときはさすがに手を繋いでいる必要はないが、暇さえあればずっと手を繋いでいてほしいんだ』


『ゴポゴポゴポゴポ……』


 石ころから誰かが溺れたような音が聞こえてきたが、たぶんリヴィアだろうといったん聞き流す。リヴィアの、実験する本人よりショックを受けた様子に、龍樹は逆に冷静になれた。

 そして、一度は諦めかけた協力するという選択肢をやっと選択できることが、龍樹は嬉しかった。魔導師の過酷な運命を聞いて、なにかできることがあるのならやってあげたいと思っていたし、こんなに好条件なら答えはひとつだ。


「このくらいなら、協力できます」


 龍樹が迷いのない口調で言うと、左に座っていたマリルは嬉しそうに龍樹を見た。マリルの無邪気な子供のような笑顔に、良い返事ができてよかったと改めて思う。


『――ありがとう』


 石ころからも、ルーシャの今までの余裕のある声とは違う、なんとも安堵したようなそんな声が聞こえてくる。

 それから龍樹を呼んで、言い聞かせるように言葉を続けた。


『ただし、体に異常が起きたらすぐにやめなければならないよ』


「それは大丈夫。わたしがちゃんと見とくから」


『ははっ、頼もしいね』


 マリルの即答にルーシャが笑う。


『本来ならぼくと異世界人くんだけで行う実験であるところを、石ころ2つとマリルも介さなければいけない状況となっているからね。もとの計画よりも長い期間がかかってしまうだろう』


 まあ気長にやっていこう、とルーシャから声がかかる。


『ぼくは常にこの石ころに魔力を注ぐことになるだろうから、マリル。異世界人くんのほうを頼んだよ』


「いえっさー、ルーシャ」


 ルーシャに頼まれてマリルが顔をぱぁっと明るくさせる。それからマリルは龍樹と繋いでるほうの手で、ゆるく敬礼した。

 龍樹は、自分が人の力になれることがこんなに嬉しいことだと知らなかった。今回、ルーシャの研究のためにやることは、異世界人である自分にしかできないことだ。龍樹はマリルと繋いでいないほうの手で、ぐっと拳を握りしめて固く決心した。


――


 石ころで通話を終え、リヴィアはそわそわと椅子に座らせている体を揺らした。


「タッチャンは本当に大丈夫かしら。本当に危険が及ぶことはないのですわよね?」


 リヴィアが尋ねると、隣に座っていたルーシャは石ころから目を離して頷いた。


「ああ、そうだよ」


「心配ですわ。ただでさえ魔法の耐性などないのに……」


 リヴィアは龍樹のことを思い浮かべ、心配そうに手でおでこを抑える。それから辛抱ならないといったように、ルーシャに向き直って問いただした。


「そもそもなぜタッチャンと手を繋いでいないといけませんの! 経過観察だけなら、必要ないはずでしょう!」


 リヴィアはプンスコ怒っている。ルーシャはリヴィアの疑問に答えるべく、説明を始めた。子供に言い聞かせるように、指を立てる。


「魔力を受け取るのは姫が思っている以上に至難の業だ。それを初めて魔法に触れるような異世界人くんにやれと言うのは、かなり無茶なんだよ」


「それと手を繋ぐことになんの意味があるんですの?」


 なおも聞いてくるリヴィアに、ルーシャは得意気に笑って答えた。


「それをマリルが補助している。私が石ころ越しに補助をすることは叶わないが、マリルなら異世界人くんに直接触れさえすれば魔力を受け取る補助ができるんだ。補助くらいだったら、魔導師なら簡単だからね」


 ルーシャは言い終わってからリヴィアをちらと見る。ルーシャの説明を聞いて、リヴィアは渋々納得したらしい。不満気だったが、怒りは引いていた。

 疑問は解消できたのかリヴィアはこれ以上聞いてこなかった。代わりに、椅子から前のめりになってルーシャに言い放つ。


「絶対に、目を……というか耳を離さないでくださいまし!」


「わかったよ、願いの姫」


 ルーシャが珍しく気圧され苦笑しながら頷くと、リヴィアは満足したようによろしくお願いいたしますわね、と念を押して微笑んだ。


「明日また来ますわ。タッチャンの様子が気になりますし」


 そう言ってリヴィアは椅子から立ち上がった。ルーシャに恭しくお辞儀をして、出口へ向かう。

 ルーシャはそんなリヴィアの後ろ姿を見ながら、声を掛けた。


「願いの姫。君は、異世界人くんのことが好きなのかい?」


 リヴィアはルーシャからの投げかけに足を止めると、顔だけをこちらに向けて笑った。


「今は、誰にも言わないでおきますわ。計画に支障が出たら困りますもの。勘の良いルーシャ様なら、分かりますわね?」


 その笑顔は、これまで見てきたリヴィアの聖母のような笑顔とは違う。ニヒルな笑みを浮かべるリヴィアに、ルーシャはリヴィアがなにかを企んでいるのだと察した。

 リヴィアのその笑顔に思わずぞくりと背筋が凍る。リヴィアはルーシャたち魔導師に負けず劣らず魔力が強い。願えば叶う、などという奇跡のような魔法が使えるくらいだ。リヴィアが本気を出したら、ルーシャでさえ苦戦するかもしれない。そう思っているからこそ、リヴィアのこの不気味な笑みを少しだけ恐ろしく感じた。

 ルーシャが少したじろいでリヴィアを警戒するも、すでにリヴィアは元の優しい笑顔に戻っていた。


「ああ、ルーシャ様の研究はどれも興味深いものばかりでしたわ。明日もまた、聞かせてくださいまし」


 リヴィアの変わりようにルーシャは呆然としたが、リヴィアが不思議そうにルーシャを見ているのに気がついて、気を取り直して頷いた。


「……ふっ、ありがとう。また明日、ここで待っているよ」


 リヴィアと別れの挨拶をした後、リヴィアは今度こそ部屋から出ていった。ルーシャは退出していくリヴィアの後ろ姿を眺めながら考える。顔は余裕な笑みを保っていたが、頭の中では少し戸惑っていた。

 ルーシャはリヴィアとあまり面識がない。お祝いごとではさすがに顔を合わせるが、それも挨拶をする程度だ。だからリヴィアのことは、お国の象徴らしいお行儀の良い王女様なだけだとばかり思っていたが。

 いやはやあんな一面を隠し持っていたとは。


「これはかなり、予想外な収穫だね」


 ルーシャはまた当分退屈しなさそうだと、楽しそうに笑った。

お読みいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ