2-3 石ころ
深夜2時過ぎ、ベッドに腰掛けたマリルを、床から見上げるかたちで龍樹とシエナは座っていた。3人の間に、長い沈黙が流れる。僅かな息遣いと、壁に掛けられた時計のチクタクという音だけが、この部屋にこだましていた。
龍樹は、魔導師の性質をマリルから教わり、声が出せないでいた。
魔導師は、魔教団に伝わる古代魔術本により高度な魔法が使えること、古代言語を理解できること、知能指数が高いこと、体の成長が遅いこと、しかし歳は普通の人間と同じようにとっていること。そして、寿命が短いことがわかった。
龍樹にはマリルが11か12くらいの少女に見えていたが、実際には16歳で、高校1年生の年齢だった。
あっちの世界の住民であるはずのシエナも、体の成長が遅いことと寿命が短いことは知らなかったようで、たぶん驚いていると思う。表情があまり変わらないので自信はないが。
魔導師は寿命が短くて、長くても30歳。だいたいの魔導師は30手前で亡くなるそうだ。龍樹は現在24歳。といっても今年で25歳だが、あと6年かそれよりも早く死んでしまう、と考えたらあまりにも魔導師の短い生に心が痛んだ。
「ルーシャの研究は、人の生についてのこと。つまり、寿命をなんとか延ばせないか、って考えてる。今回のは、異世界人と協力して行おうとしている、一大プロジェクト、みたい」
「協力して行う……」
とりあえず、魂を吸い取られるとかそういう系ではなさそうだ。
「その協力とは、具体的になにをするのでしょう。それを聞けなければタッチャンさんは貸せませんね」
いつから保護者のような立場になったのだ、シエナさんは。てか貸すって、やっぱりこの人は人を物のように扱ってるかもしれない、と龍樹はひとり心の中でうるさく喚いている。
「実を言うと、わたしにもよく、わからない。ルーシャはとりあえず、異世界人をひとり連れてきてほしいと、言っていただけだから」
「異世界人である俺と協力して、魔導師の寿命が短いという問題を解決したい、か。俺が協力することで、マリルさんやルーシャさんの寿命が延びるのなら、喜んでお受けしたいところではあるんですが、」
「研究の詳細はルーシャ様に直接お伺いするしかありませんが、どのような内容であれ、誠に残念ですが、タッチャンさんをヴィリニア王国につれていくことはできません」
龍樹の言葉に続いて、シエナが被せるように意見を言う。シエナは断固として龍樹をヴィリニア王国につれていくことを拒否している。
龍樹はシエナのその様子に、少し驚いていた。なぜかというと、シエナはもともと龍樹をヴィリニア王国につれていくことに対する躊躇は一切なかったのだ。むしろ、リヴィアをヴィリニア王国に連れ帰るためなら、龍樹もつれていくという提案まで出していた。
それが、マリルの話を聞いても揺るがないほど反対するとは、よほどリヴィアから龍樹をつれてくるなと念を押されたと見える。
「むぅー……いじわる……」
「まあ、諦めてください。もぐもぐ。タッチャンさんはこちらの世界からなら、できることはやりますので」
いや、違う。シエナはリヴィアに念を押されたとかではなく、ただ単に煎餅を渡してくれる龍樹がいなくなると困るから反対しているのだ。と、シエナが諦めてくださいと言いながら煎餅を持ち出して、バリッと噛み砕いたところで気づいた。
ああほんとにシエナさんはマイペースだなと、もぐもぐ口を動かすシエナを見ながら思う龍樹であった。
一方マリルは、いじけたように頬を膨らまし、床に指でぐるぐると円を描いている。
「でもわたし、ルーシャに異世界人を連れて帰るって、言っちゃったんだもん。そのまま帰るなんて、できないもん」
「それでしたらタッチャンさん以外を連れて帰るのはいかがですか?」
「だぁーからそれもダメですって」
「あらダメみたいです」
いつまで経っても同じような議論を繰り返す。あれやこれやと言い合って、時計の針が3時を差したところでシエナがぽんっと手を叩いた。
「では逆にルーシャ様をこちらに連れてきましょう。タッチャンさんを動かすのではなく、ルーシャ様を動かすのです。いかがですか?」
「ああ、たしかに」
それならいいかもしれない。向こうにある道具とかが必要ならそれも一緒に持ってくればいいし、それが一番丸い。
龍樹とシエナが名案だと顔を見合せたところで、マリルが声を上げた。
「それは、ダメ。ルーシャはもう、かなり魔力が体に蓄積されちゃってて、衰弱してる。異世界への時空の歪みを、通ることさえできないくらい、体に負担のかかることは、できない」
そういうことならと、シエナの提案も却下になる。また議論はゼロに逆戻りだ。
ここに研究者本人であるルーシャがいてくれてたら、まだ解決策はすんなり出たかもしれない。龍樹はこんなとき、向こうの世界にもスマホやパソコンがあったら便利なのにと思う。世にはリモートワークというものができたくらいだし、いつでも連絡ができてビデオ通話もできるスマホやパソコンの機能は、こういうとき便利だ。
そんなことを考えながらふと、龍樹は疑問に思ったことをシエナに尋ねた。
「そういえばシエナさん。今回は煎餅のおかげでベッドの下で話せましたけど、それができないくらいの異常事態のときは、どうやって連絡をとるつもりだったんですか?」
「ああそれはこちらに送った石ころで、ですよ。タッチャンさんに気づいてもらうために石ころを送ったでしょう? あの石ころはヴィリニア王家に伝わる魔法石でして、タッチャンさんのもとに送った石ころと対になる、今リヴィア様が持っている石ころとで連絡をとることができるのです」
あの石ころって、そんなすごいものだったのか。てっきりその辺の適当な石を使っているのだとばかり思っていた。
「もともとその石ころは私が持っていたのですが、それをタッチャンさんに渡すことでいつでも連絡をよこせるようにしたのですが、気づきませんでしたか」
「言われないとただの石ころだって思うだけですよ」
たぶん今も龍樹が手で転がしたまま、向こうの世界に戻っていないのならこっちのベッドの下のどこかに放置されているはずだ。
龍樹は慌ててベッドの下を手でまさぐる。しかし手だけだとやはり見つからなかったので、スマホのライトを照らしてやっと石ころを取り戻すことができた。
龍樹が探し出した石ころを見て、シエナは龍樹の手元に近づいて石ころを触った。
「この石ころでリヴィア様からの指示は遠くからでも聞けるようにしてありました。リヴィア様が朝起きたときや、他にもなにか用があるときなどは、これで呼び出されたりもしてますね」
「ああ、だからリビーさんが起きたらすぐわかったりしたんですか。てっきりシエナさんの勘がものすごくいいのかと思ってました」
龍樹が結構本気でそう言うと、シエナははんっと鼻を鳴らしてバカにしたようにゆるく首を横に振った。
「そんなわけないじゃないですか。超能力者じゃあるまいし」
「魔法使える人がなに言ってんですか」
と、もはや恒例になりつつあるシエナとの言い合いに終止符を打ったのはマリルだ。
「その石ころ、貸して」
マリルは龍樹に向かって手を出す。龍樹は首をひねりながら、貸していいかとシエナを見た。
「この石ころはリヴィア様と繋がっています。何に使うか、理由を立てて説明してください」
シエナが毅然とした態度でテスト設問のようにマリルに問うと、マリルは龍樹に出した手を上下に振りながら急かすように答えた。
「願いの姫にお願いして、ルーシャと繋いでもらう。ルーシャに、研究の具体的な内容を説明してもらって、これからどうするか判断する、でいいでしょ。はやく」
そういうことならと、シエナが龍樹から石ころを奪い取る。シエナはその石ころを、自分の口元に近づけた。
「リヴィア様、シエナです。ご就寝のところ申し訳ございません」
シエナが言ったあと、しばらくして石ころからリヴィアの声が聞こえてきた。
『……どうされたの、シエナ。なにかわたくしの部屋に問題でもあったのかしら』
リヴィアは寝起きにすぐ石ころを使ったのか、向こうから聞こえてくる声はまだ少し眠そうだ。
「問題があったといえばあったのですが、リヴィア様が思ってるものとは違います。ただ諸事情があって、私は再びタッチャンさんのお部屋におります」
『タッ、チャン? そこに、タッチャンがいらっしゃいますの?』
「――、います。リビーさん、お久しぶりです」
懐かしい、リヴィアの声に龍樹ははにかんだ笑顔で応える。たったの7日前に別れたばかりだというのに、リヴィアのなんとも優しい声に懐かしさで頬が自然と緩んだ。
リヴィアも同じだったのか、ほぅと息をついて龍樹の存在を噛み締めてそうな声を出す。
『……ああ、タッチャンの声ですわ。懐かしくて、落ちつく声。タッチャンの声を聞いてしまうと会いたくて仕方がなくなってしまうから、我慢してましたのに』
「俺も、リビーさんの声を聞いてなんだか会いたくなってしまいました」
リヴィアに同意し、笑う。それからリヴィアには聞きたいことがたくさんあるのだと指折り数えながら一気に尋ねる。
「リビーさん、順調に進んでいますか? やりたいことはできていますか? ずっと仕事に励んでいると聞いて、結構心配してるんです。体調は大丈夫なのか、ちゃんとご飯は食べれているか……あー逆カルチャーショックだって聞きました。そちらに送ったおにぎりは美味しかったですか?」
龍樹が矢継ぎ早に聞くと、その様子が可笑しかったのか石ころからリヴィアの笑い声が聞こえてくる。
『……ふふっ。なんだかタッチャン、心配性なお母様のようですわ。タッチャンから貰ったおにぎりは美味しかったですし、ええ順調にやりたいことは進んでおりますわよ』
「リビーさん俺、あなたにまだまだ聞きたいこと、言いたいことがたくさんあるんです。あるんですけど、今はそれどころじゃなくて」
名残惜しいがシエナの視線が痛くなってきたので、仕方なくシエナに視線を移してどうぞと石ころをシエナの口元に戻した。
「感傷に浸っているなか申し訳ございませんが、ただいま王宮魔導師が絡んだ厄介事……いえ、少々問題が起こりまして、急いでいるのです」
『っ、王宮魔導師が? ……とりあえず事情を聞くより先に、わたくしのできることを聞いたほうが良さそうですわね。シエナ、わたくしは何をすればいいんですの?』
シエナの直球な物言いにリヴィアは少し驚いたように声を上げるが、すぐに気を取り戻して続きの言葉を促してくる。リヴィアの声色は力強く凛としていて、とても心強かった。
シエナはひとつ頷いて、要望を簡潔に告げる。
「とりあえず、ルーシャ様に取り次いでほしいのです」
『……ええ、わかりましたわ。しかし、王宮魔導師のもとを訪ねるにはわたくしでさえ時間が決まっていますの。この時間は確実に無理ですわ。はやくても午前9時かしら』
リヴィアの言葉を聞きマリルをちらと見ると、マリルはそれで十分だというようにこくんと頷いた。
「お手数おかけします。では、夜分遅くに失礼しました。ゆっくりおやすみくださいませ」
『っ、タッチャン!』
シエナが口から石ころを離そうとすると、急に呼び止められて龍樹は反射的に返事をする。
「どうされました?」
『……いえ、やっぱりなんでもありませんことよ。では朝9時、また連絡を致しますわね。ではおやすみなさいまし』
「……はい。おやすみなさい」
何を言おうとしたのか、気にはなったが無理に聞くのも違う気がした。リヴィアはまた、言おうとしてたことをいつか言ってくれると思うから。今はただ、リヴィアが少しでも休まる時間を過ごせるようにという思いも込めて、挨拶を返した。
――
リヴィアは石ころをベッドのサイドテーブルに置く。うつ伏せ状態のまま枕の下に腕を差し込み、枕に顔を埋めた。
「むー、ダッ、ヂャン……」
枕に吐き出すように龍樹の名前を呼び、それから足をバタバタとさせて悶えた。
「タッチャン、わたくしね、……とてもお慕い申しております。わたくしには、タッチャンだけですのよ……」
タッチャンに会いたい。でも、自分で決めたことは最後まで貫き通さなければならない。我慢できなくなってタッチャンに会いに行っても、この問題を解決できなければ意味がない。だから全て終わらせたあとでタッチャンには会うべきだ。
そう、わかってはいるのだが。
「はぁー……タッチャンが消えたあの日のように、ただ泣くだけのわたくしではいけないのよリヴィア」
己に言い聞かせるようにして、埋めていた顔を枕から逸らす。うつ伏せの状態で顔だけを横を向けたまま、目を閉じた。
とりあえず今は、目の前のやるべきことに集中する。起きたらすぐに王宮魔導師訪問の申請書類を提出して、ルーシャに会いにいく。ルーシャとはあまり関わったことのないリヴィアだったが、噂だけはよく耳にしていた。
赤蛇の賢才魔導師。彼女の研究はヴィリニア王国だけでなく、この大陸全土の発展において大いに役立ったという。詳しいことはよく知らないが、ものすごく賢いのだということはわかる。そして、変人だとも。
「この際、ルーシャ様の今までの研究をお聞きするのもいいですわね」
リヴィアは眠くなってきた頭でそう考える。それからしばらくしないうちに、すやすやと寝息を立てて深い眠りについた。
お読みいただき、ありがとうございました。