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3-4 メイドとして

 ――わたくし、いやだ。いや、なんですの……。


 少女の声が聞こえる。か細く、今にも泣き出してしまいそうな、龍樹が初めて聞くリヴィアの泣き声だった。

 いつもの夢だ。このあと、少年の龍樹は黄色いコスモスを持ってリヴィアを励まそうとする。それから何かを言おうとして、はっと目が覚める。


「……」


 龍樹は考える。

 いつでも笑顔で強い心の持ち主である彼女、リヴィアが泣いてしまうほどの嫌なことが、いったい何だったのか。なにがそんなに嫌だったのだろうか、と。


――


 昨日、ルーシャから龍樹にかかっているだろう呪いのことを聞かされた。呪いを解くにはルーシャのもとへ行く必要がある。つまり、向こうの異世界に行かなければならないということであり、それに対して龍樹は昨日から一晩中悩んでいた。

 行くか、行かないか。このふたつの選択肢を頭に浮かべて、龍樹は心ここにあらずといった様子でぼんやりしている。

 龍樹が半ば無意識に部屋の掃除をしていると、背後からシエナに声をかけられた。


「タッチャンさん。2日後、リヴィア様の結婚式が開かれます」


「……! そ、うなんですか」


 リヴィアの結婚式。もうそんな間近に迫っていたのかと、龍樹は思わず掃除の手を止めてシエナへ振り返った。


『そう、だから願いの姫の婚約者である、ケーレンベル王国の王子くんがヴィリニア王国にやってきているのだけど』


 いつの間にやら、シエナのうしろにマリルも立っており、マリルの持っている石ころからルーシャの声が聞こえてきた。


『なにやら、不穏な影も近づいてきているようだ』


 ルーシャはそう言うと、マリルが真剣な面差しで龍樹の隣にとててっ、と寄ってくる。耳に近くなった石ころから、ルーシャは少し声のトーンを落として率直に言い放った。


『異世界人くん。君はいま狙われている』


「狙われてる? どういうことですか?」


 龍樹は首を捻る。狙われているとは誰にだろうか。

 先程の話の流れからして、リヴィアの婚約者関係なのだろうかと予想を立てたところで、狙われる理由が分からなくて頭にはてなを浮かべた。


『願いの姫にね、聞いたんだ。その結果、最近のその異世界人くんの不思議な夢は、魔導師による呪いの後遺症であることが確定した』


 やはり魔導師の呪いか。

 ファンタジーなことだし、どこまでも現実脳な龍樹には到底理解できる次元ではないのだが、とりあえず続きを聞くことにした。


『魔導師には呪いを施す魔法が存在していてね。異世界人くんに施されたのは、記憶の呪い。対象の記憶を好きにいじることができる、というものだ』


 そんな魔法が存在していたら、なんと恐ろしいことだろうか。さすが異世界クオリティといったところか。

 龍樹は呑気にそんなことを考えて苦笑したが、なおも続くルーシャの説明を黙って聞く。


『しかし、人間の記憶はものすごく複雑なもので、どんなに強力な魔導師の魔法だといっても、完全に書き換えることはできない。後に改変された記憶が破綻してくると、急に正しい記憶が夢のような形で呼び起こされてくるのさ』


「……よく分からないことが分かりました」


 難しいことは考えられない龍樹はアホそうに、思ったことをそのまま口にする。それに対してルーシャは、知っていたさ、と言って笑った。


『と、まあここまで説明したところで聞いてほしい』


 本題だと言うかのように、ルーシャは手を1回叩いて言い放つ。


『異世界人くんに呪いを施したその魔導師というのが、願いの姫の婚約者である王子くんのとこの魔導師だということが判明した』


「……え」


 後ろからシエナの、思わず口に出てしまったかのような、驚いた声が聞こえてくる。


『その魔導師は、ベッドの下の時空の歪みを認知している』


「こっちの世界の存在を、知ってる……」


 龍樹はこの、ベッドの下の時空の歪みが第三者に知られることがどれほど恐ろしいことか、マリルやルーシャの件から身をもって感じていた。


『つまりこちらの世界とそちらの世界、誰でも行き来できる状態の今、異世界人くんがそちらにいるのは危険かもしれないんだ』


 ルーシャが現状の危険性を説明したところで、龍樹の背筋が凍った。また、こちらの世界に理解不能な力がやってきてしまうかもしれない、そのことに恐怖する。

 ごくり、と龍樹が喉を鳴らして冷や汗をかいていると、ルーシャが話を続けた。


『そしてそのことで願いの姫からは、そちらの世界で異世界人くんを守ってほしいとだけ伝えられた』


「……リビーさんから?」


 やはりリヴィアも龍樹にはそちらの世界に来てほしくはないらしい。

 龍樹が聞き返すと、ルーシャはけれど……と呟き、決意のこもった声音で言い放った。


『ぼくとしては、願いの姫の命令を無視してでも異世界くんをこちらの世界で保護したほうが良いと思うんだ』


「なっ、!」


 後ろのシエナが珍しく動揺した声で、龍樹のほうへ身を乗り出してきた。シエナが今にも反論しそうな雰囲気を醸し出すと、こちらの様子が見えてないはずのルーシャは食い気味に考えを話す。


『虎穴に入らずんば虎子を得ず。いっときだけでも、ヴィリニア王国の城内にいたほうが逆に安心かもしれないんだ。マリルだけでなく、ぼくも異世界人くんを守れるしね』


 ルーシャの考えは最もかもしれない。

 昔の龍樹に記憶の呪いをかけたという魔導師が、どれほど強力でありどれほど龍樹に危害を加えてくるか分からない。もしかしたら龍樹にだけでなく、こちらの世界全体も巻き込んでしまうかもしれない。それほど未知数の存在に対して、こちらの世界でなにもことが起きないことを祈ってただ待つのも、受け身すぎて逆に危険だろう。

 シエナも反論の口を閉じて黙ったのを龍樹は背中で感じとり、うーんと頭を悩ませた。


『どうだい? 記憶の(まじな)いも解呪したいと言っていたし、こちらの世界に来るというのも悪くない選択肢だと思わないかい?』


 さっきも悩んでいたとはいえ行く気は毛頭なかった龍樹も、さすがにこの話には、異世界に行くという考えに傾ける他なかった。


――


 龍樹とルーシャとの会話を後ろで聞いていたシエナは、下でぐっと拳を握る。


「見守るだけ……私の仕事は見守るだけ……」


 下を向き、そう小さく呟きながら唇を噛み締める。

 シエナはリヴィアから、龍樹のことを見守るように言われていた。といっても龍樹の身になにか危険が迫ったら全力で守るし、リヴィアの命令に背くことをするようならば全力で阻止して軌道修正する。

 シエナの仕事はただリヴィアのメイドとして、リヴィアの命に背かないよう行動するだけだ。

 そう、行動するだけなのだが。


「今すぐにでも、あちらの世界に行こうとしているタッチャンさんを引き止めなければならないのに……」


 龍樹の考えはきっとルーシャの提案に傾いている。きっとシエナが口を挟まなければ、このままではあちらの世界に行こうとするだろう。

 それはリヴィアの命令に背くことになる。だからシエナは何がなんでも龍樹を止めなければならない。

 しかし、シエナはそれでもいいと思い始めてしまった。龍樹があちらの世界に行くこと、それも良いのではないかと。


「なぜ……?」


 そんなのもう、分かりきってる。

 シエナはリヴィアのメイドとしてヴィリニア城で働き始めて20数年。はじめはただメイドの仕事をこなすだけで、リヴィアとの関係はあくまで主従関係であり、その間には情などなかったのに。

 それもこれもリヴィアの、願いという運命の鎖に縛り付けられた姿を見てきたからだ。


 ――リヴィアには幸せになってほしい。


 リヴィアの幸せとは、ヴィリニア王国を離れて、婚約者の元で暮らすことなのだと、シエナは思っていた。

 リヴィアはヴィリニア王国の願いの姫という立場に縛られてる。だから、結婚してケーレンベル王国の王女にさえなれば願いの力から解放され自由になれるのだと、そう考えていたのだ。

 しかし、最近のリヴィアの龍樹に対する態度を見てれば、その考えは間違いだったのだと嫌でも気づく。

 リヴィアの幸せは、大好きな人、つまり龍樹と一緒にいること。今回のリヴィアの結婚は、不幸以外の何ものでもないのだと。気づいてしまったのだ。


 シエナの手にはハンカチが握られている。

 隅のほうに小さく四葉のクローバーの刺繍がされた、白いハンカチ。四葉のクローバーは願いの象徴。つまりリヴィアの願いの力と同等の意味を持つ植物でもある。

 このハンカチを露店で見つけたとき、思わず買ってしまったのは、リヴィアのような願いの力をこのハンカチも使えるのではと馬鹿なことを考えたからだ。

 当然、願いの力などただのハンカチに宿っているはずもなく、お手拭きの用途として使っているだけであるのが現状だが。

 しかし、気休め程度にはちょうどいい。べつにこれは、シエナが叶えなければいけないものではないのだから。目の前にいるこの男に、龍樹にすべて丸投げすればいいのだ。

 シエナは、ルーシャとの会話が終わり、また掃除を再開しようと雑巾を手にした龍樹のほうを向き直る。


「タッチャンさん。これはリヴィア様付きのメイドとして、言わせていただきます」


 急に背後から声がかかった龍樹は、首を捻りながらシエナへと振り返った。それに対して、シエナのハンカチを持つ手に力が入る。

 ぎゅっと握りしめたハンカチを胸に、龍樹の目を見て願った。


「リヴィア様をどうか、幸せにしてあげてください」


――


 龍樹は、目の前のシエナが真っ直ぐとした瞳でそう言い放ったことに対して、口をぽかんと開いて驚いた。今の龍樹の顔は、さぞ間抜けな顔に違いない。

 シエナはきっと龍樹があちらの世界に行くことを、全力で止めてくると思っていたものだから、その声がないことにただ驚くばかりである。


「リヴィア様を唆した責任をとらせる、と私は言いましたよね」


 そして唐突のシエナの言葉に龍樹は、はてと首を傾げた。

 それから、シエナと出会った当初のことを思い出しぽんと手を叩いて、あーと声が漏れる。


「俺がリビーさんをこちらの世界に来るよう唆したと、まだ思ってたんですか」


 龍樹が呆れた声で言うと、シエナは眉をひそめて腰に手を当てた。


「そっちの件は、いまはどうでも良いのです」


「ええ?」


 どういうこっちゃ。この件がどうでもいいわけがないだろ。あらぬ疑いをかけられたまま、何か責任を負わなければならないのかもしれないのだから。

 龍樹がぽりぽりと頭を搔くと、シエナは人差し指を上に立てて子供に言い聞かせるように言い放った。


「リヴィア様を結婚式場から連れ出すことで、その責任と致します」


「結婚式場から、連れ出す!?」


「しー! 声が大きいです!」


 シエナが口に人差し指を持ってくるのを見て、龍樹は思わず口を手で抑えた。


「リヴィア様は此度の結婚を望んでいません。タッチャンさんのことが大好きなのですから」


 シエナの口からそのような言葉がでるとは、意外以上になんとも気恥しいものだ。龍樹はシエナから目を逸らし、視線を下に移した。


「リヴィア様を幸せにするためには、タッチャンさんもあちらの世界に行って結婚を阻止する他ないでしょう」


 結婚を、阻止する。

 まったく考えになかったことに、龍樹は目を丸くしてフリーズした。そしてシエナのなんとも能動的な言葉に、龍樹は自分が恥ずかしくなった。

 なぜ、結婚を阻止するという考えに至らなかったのか。それは他でもないリヴィアが、待っていてと約束したからだ。

 だから、きっと結婚してもなんとか龍樹とも会うことができるだとか、リヴィアがなんとかしてくれるから待つだけでいいのだなどと考えていた。

 しかし、この考えは完全にリヴィアに任せきりである。確かに龍樹は待っているように言われたのだから待てばいい。

 だけど、本当にそれでいいのか。シエナの言葉を聞いて自問自答する。

 自分はあまりに曖昧で、リヴィアとこれからどうなりたいのか、まだはっきりしてない。しかし、リヴィアが結婚するのは絶対に嫌なのだ。

 なんとも自分勝手であろうと苦笑する。が、これだけは言える。


「俺は待つより、自分でつかみ取りたい。それがどれだけ自分勝手なことだろうと」


「ええまあ。タッチャンさんのリヴィア様への気持ちが曖昧な以上、結婚を阻止だなんて自分勝手極まりないですが」


「うっ……」


 シエナの言葉がぐさりと胸に突き刺さる。

 龍樹がずきずきと痛む胸を手で抑えて青い顔をしていると、シエナはそれを見て、いつもの真顔を少し柔らかくして頷いた。


「しかし、よく言いました」


 微笑んだようにも思えるシエナの表情に、龍樹はつられて口元が緩んだ。

 ふたりは決意を固めた目を交えて、頷き合う。それから龍樹はシエナの言った内容に対してひとつだけ問うた。


「……結婚式場から連れ出すってのは決定事項ですか?」


「ええ、ロマンチックが大事ですから」


 ロマンチック……か?

 疑問に思いながらも、シエナがそう思っているならいいかと無理やり納得させる。

 がしかし、結婚式場からみんなの見ている前でリヴィアを連れ出すだなんて、龍樹にはなかなかにハードルが高い。

 いくら龍樹が人の目に慣れてきたからといって、そのような公衆の面前で、しかも彼らからすると部外者の何物でもない龍樹が国の王女様を連れ去るのだ。緊張しないはずがない。

 連れ出すための構想を練ったとしても、肝心の連れ出す場面がいちばん胃が痛いし、きっといちばん難しい。


「人前に、慣れておかないと……」


 龍樹が思わず零すと、シエナは無情にも現実的なことを言ってきた。


「あと2日……いえ、1日と半日しかないのに急に慣れるわけないでしょう」


 龍樹が突きつけられた現実に再度青い顔をすると、シエナはアドバイスといったふうに、こめかみに人差し指を指した。


「ここはリヴィア様のことだけ考えてれば自ずと上手くいくはずですよ」


「リビーさんのことを……」


 龍樹はシエナの言葉にはっとして、勉強机へと向かった。それから右側の引き出しから、アクセサリー入れを取り出す。


「それ、は……」


「リビーさんのブレスレットです。預かったものですが、これを持ってればリビーさんのことをいつでも思い出せそうなので、持っていくことにします」


 これをこちらに帰ってきたときに必ず返すと、そう約束した。

 だからリヴィアに返すのはこちらの世界で、だ。しかし、持っている場所はどこでも良いだろう。どこにも失くさないように、でもいつでも見れるように。

 ブレスレットの本来の使い方である、右手首に身につけることにしよう。

 龍樹がブレスレットを右手につけ始めると、シエナはぼそりと小さく呟いて言った。


「……そうですか。リヴィア様はそれを、タッチャンさんにお渡しになったのですね」


「なにか意味があるものなんですか?」


 つけ終わった龍樹がシエナに尋ねると、シエナは首を横に振ってブレスレットから目を逸らした。


「いえ、なんでもないです」


 それからシエナは手をぱんと叩いて、切り替えだと言わんばかりに力強く頷いた。


「さて、時間がありません。ただちに結婚式当日のリヴィア様奪還作戦を考えますよ」


「いつの間にそんな名前が……」


 作戦名がなんとも龍樹には引っかかったが、それを気にしている暇はない。

 龍樹はシエナにあちらの世界のことを聞きながら、着実に作戦は練られていった。

お読みいただき、ありがとうございました。

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