崖の上の詩人(こんとらくと・きりんぐ)
詩人が言った。
「殺し屋の詩を書きてえと思ってんだ」
殺し屋はビールを飲んだ。
ポーチでふたり並んでいた。夕暮れどきだった。海が溶鉱炉みたいに輝いて、サーファーたちがこの日、最後の大波を待って浮かんでいる。一方、海沿いのバーでココナッツのネオンサインが点灯して、ロケットを思い出させるテールフィンのコンヴァーチブルが地方検事の車の横に二重駐車した。ムチムチしたお尻の水着少女たちがゼリーみたいにぷるぷる揺れながらドアを飛び越えて降りてくるのを見ながら、詩人が言った。
「たまんねえケツだな」
「そうだね」
詩人はそれが本音とは思わなかった。殺し屋は長髪の少年に見えるが、ショートヘアの少女にも見えたからだ。
詩人はビールを飲んだ。
「殺し屋の詩を書きてえと思ってんだ」
「いいね。でも、あなたは、その、ほら」
「なんだ?」
「ゲロとかアルコール中毒とか警官にラリアットを食らって牢屋に放り込まれる児童レイプ魔の詩を書いてるよね?」
「そうだな」
「それで殺し屋の詩を書かれたら、殺し屋がゲロとかアルコール中毒とかレイプ魔と同じものになりそうな気がするんだ」
詩人はゲップした。
「なりゃしねえって」
「あなたは結構有名でしょ?」
「らしいな。いつも素寒貧だから、すっかり忘れてたよ。世界はゲロやウンコ、殺し屋の詩を読みたいらしい」
「それだよ。いまの」
「これはたまたまだ。まあ、ともあれ、おれは書くよ。いま、この場で、タイプライターを膝の上に置いて、殺し屋の詩を書くぜ」
「止めはしないけど」
「知りもしねえ人間を殺すのってのはバカバカしいんだろうな」
「どうして、そう思うの?」
「戦争がそうじゃねえか」
「あなたは戦争に行っていたっけ?」
「いや。逃げ切った。徴兵事務所はおれを追いかけたが、何とか逃げ切った。戦争中はおれも自分の生存を賭けて戦ってたんだよ。ほとんど敗走みたいなもんだが」
殺し屋はビールを飲んだ。もう陽は海のなかに沈んでいて、サーファーはサーフィンを切り上げ、バーでムチムチした女の子たちを引っかけようとしていた。海にはただ、時間間隔の狂ったカジキマグロ漁船が一隻、猛スピードで沖へ走っていた。
「カジキマグロ漁船についての詩を書かないの?」
「くだらねえから書かない。この狂った世界にはいろいろあるが、一番くだらないのはカジキマグロ漁船について書くことだ。もし、その漁船に乗っているのがじいさんだったら、手の施しようがない」
「このあいだ、そんな本がすごく売れたみたいだけど」
「だな。だから、作者本人は絶望してショットガンで頭を吹っ飛ばしたんだ」
「そういうものなんだね。ぼくは物書きの世界のことはよく分からないけど、あなたがそうだっていうなら、そうなんだ」
「いいこと、思いついた。おれは殺し屋について詩を書くから、お前は詩人についての詩を書けばいい」
「詩なんて書いたことないし、ビールを飲んでいたい」
殺し屋は三本目のビールの栓を抜いた。ポーチからきらめく夜景が見える。詩人の家は耐風強度に問題があり、早急な工事をするよう市から通告されていた。それにポーチの目の前は崖になっていたが、柵がなかった。
詩人は空き瓶を投げた。ガシャンと音がして、崖の下で男が悪態をついた。
「殺し屋の詩を書きたくなくなってきたな」
「そう」
「ここから、あのおっさんに当てられるか?」
「どのおっさん?」
「ビキニ着てるおっさん」
「ああ、当てられるよ」
「膝の上にタイプライターを置いて、詩を書くなんて最低だよな」
「そう」
「ワインが飲みてえな。買ってきてくれよ。一番安い、お徳用四リットルのやつ」
詩人はポケットからくしゃくしゃの紙幣を殺し屋に渡した。
殺し屋が出かけるとき、ドアポストから一通の手紙が落ちた。
「手紙が来たよ。出版社から」
「そのままにしておいてくれ」
殺し屋は二軒隣の家のドアをノックした。なかは夫婦喧嘩のハリケーンでぐちゃぐちゃになっていて、男はテーブルに立てた鏡を見ながら、顔にできた引っかき傷に軟膏を塗っているところだった。
「なんのようだよ?」
「ワインが欲しんだ」
男は立ち上がり、家のなかで唯一ひっくり返っていないワインセラーからビンテージボトルを取り出した。
「あいつにこれにサインしろって言っておいてくれ」
まるで立ち退き通告書でも持たせるように、カジキマグロ漁船の詩のハードカバー本を渡してきた。
「今日発売で、バカ売れしてる。今年のベストセラーで、これならヒュリッツァー賞間違いなしだ。こういうのを書いてりゃ、あのおっさんだって、あんな崖っぷちに住まなくてもいいのにな」
詩人の家に戻ると、封筒が開けられていて出版社の手紙――カジキマグロ漁船の詩集がバカ売れしている知らせが床に置いてあった。
ポーチへ出た。詩人はいない。崖。
トイレから水が流される音がして、詩人がズボンの前をカチャカチャいじくっていた。
「なんだよ?」
「別に」
「死人でも見たような顔してるぞ」
「ぼくの職業だと、見てる顔の半分以上が死人だから、こういう顔になるんだよ」
「そうかい。それよりワインだ」
殺し屋はビンテージボトルとカジキマグロ漁船の本を渡した。
詩人はマジックペンの蓋を開けると、表紙の絵の、老人が乗ったカジキマグロ漁船目掛けて潜水艦が魚雷を発射している絵を描いた。
「さあ。飲もうぜ」
詩人はオープナーでコルク栓を抜くと、ミルクを飲むのに使うコップをふたつ用意し、ビンテージワインをどぼどぼ注ぎ込んだ。
殺し屋は詩人と並んで、ポーチに座った。足は崖の上でぶらぶらしていた。
詩人はワインを飲み干すと、疲れた様子で言った。
「殺し屋の詩を書きてえんだ」