うさぎさんと夏草の庵・水無月のたより
春も盛りをすぎ、花のあとを追うように
緑したたる若葉が勢いを増してきた。
「いい風だねえ。」
ハリネズミのおばさんは家業の洗濯に忙しい。
「はい、おばあさんへもっていってあげておくれ。」
うさぎは洗いたての洗濯物を抱えて
おばあさんの家へと向かっていた。
木立を抜ける風はさわやかに過ぎていくのに
うさぎの心はどこか晴れない。
「おばあさん、洗濯物をお持ちしました。」
「いつもありがとう。こちらへおあがりなさい。」
おばあさんは穏やかな笑顔で迎えてくれた。
小さな庭を見渡せる縁側にお茶の用意がしてある。
「おじいさんはお出かけですか?」
「そうだね、じきに戻ると思うよ。」
おばあさんは小さなおだんごを持ってきてくれた。
「うさぎさんや。」
「ハイ。」
「なにか話したいことがあるのだろう?」
おばあさんは何もかもお見通しのようだ。
「はい・・・。」
うさぎはもじもじした。
「私たちのことを心配してくれているのだね。」
うさぎの赤い丸い目から小さな涙がこぼれた。
「あたしになにかできることがあるでしょうか。」
それだけ言うのがやっとだった。
おばあさんはうさぎのそばへ来て
泣いているうさぎの背中をなでてくれた。
「これまでにもたくさん助けてもらっているね。」
「でも、今度は・・・。」
おばあさんはにっこり笑って言った。
「おくすりを作ってもらえるかね。」
うさぎは少し驚いた。
「おくすり・・・作れるのでしょうか。」
「薬師から習えばいい。」
「薬師さん、村にはいませんね。」
「大丈夫、伝手はあるのだよ。」
春を迎えるころからおじいさんの体調が思わしくなかった。
どこが、というわけではないようだが
うさぎはだれにも言えないままずっと気にかけていた。
もちろんおばあさんがそれに気づかないはずはない。
だが、うさぎはどうしても尋ねることができなかったのだ。
「以前お世話になった薬師が山向こうの村に住んでいる。薬草や木の実を煎じて体にやさしい薬を作る方だよ。」
「あたしにも教えてくださるでしょうか。」
うさぎはすがるような思いでおばあさんに尋ねた。
「行ってくれるかね。」
「あたし、行きたいです!行きます!」
「ありがとう。またお世話になるね。」
「いえ、あたしにできることがあってうれしいです。」
うさぎは涙でいっぱいだった目を大きく見開いた。
赤い目はきらきらと輝いていた。
「そうかい。おだんごくらいしかお礼できないが、たくさんおあがり。」
「はい!」
初夏のまぶしい緑のなかでおばあさんといただいたおだんごは
ちょっぴりしょっぱくて特別な味がした。
数日後、うさぎはさっそく山向こうの村を訪ねることにした。
おばあさんが薬師に手紙を書いて持たせてくれた。
「うさぎさんや、無理をするでないぞ。」
おじいさんは心配して何度もそう言った。
「ちょっと勉強してくるだけですから大丈夫です。」
うさぎは晴れやかに答えた。
最低限の知識だけでいい。
とりあえずおじいさんが回復してくれたら、また門戸をたたけばいいのだ。
村のみんなも見送りに来てくれた。
「参考になりそうな書物などあれば聞いてきてください。」
「こっちでもとれる薬草が使えるといいね。」
「どのくらい行くことになるの。」
「ひと月もあればそこそこ学べるようです。」
「じゃあ夏にはまたここにいるんだな~。」
だれもがうさぎの帰りを心待ちにしていてくれる。
「できるだけ早く戻ります。」
もう一度おじいさんの手をしっかり握って約束した。
山向こうの村は静かな谷あいにあった。
鳥のさえずる声を遠くに聞きながら、薬師の庵へ向かう。
「こんにちは。」
「どなたかな。」
奥から声がした。
「おや、うさぎの。」
「ひっ!」
現れたのは体格のよい銀色狼だった。
うさぎはこわくて足がぶるぶる震えるのを懸命にこらえた。
「お、おばあさんの紹介で、き、きました。」
手紙を差し出すと銀色狼はゆっくりと受け取った。
そうだ、おばあさんのお知り合いなのだから。
ちらりとおじいさんの後ろ姿が浮かんだ。
なんとしてもおくすりを作ってあげるのだ。
「うさぎさんや・・・・・。」
「ハ、ハイッ!」
おおかみはにこりと笑った。
「そんなにこわがるでない。」
大きな口元にちらりと赤い舌が見えたが、不思議とこわくなくなった。
「大事なお弟子なのだからね。できる限りのことは教えてやろう」
「よろしくお願いします!」
師匠はおじいさんの様子を丹念に聞いた。
おばあさんからも報告があったのかもしれない。
あらかじめどんなくすりを作るか、考えてあったようだ。
「うさぎさんや、くすりは万能ではない。」
「そうなんですか?」
「命をすくうもの、だと思っているのだろう。」
「はい。」
「薬は“命を強くするもの”じゃない。整えるものだよ。」
「どういうことでしょうか。」
「本来自分が持っている生命力を引き出すものだ。」
「それで病気がよくなるのでしょうか。」
「生命の力は計り知れないものだ。それに寄りそうだけで十分だよ。
おばあさんが言っていた、体にやさしいおくすりというのはこのことか。
「わかりました。」
ふたりは庭先にはじまり、裏手の森に分け入って目的の薬草を集めた。
「本来は十種類使うのだが、今回は八種類でいこう。」
うさぎは師匠の説明をできるだけ書き留めていった。
師匠は老婆といってもいいくらいの年齢だった。
さっそくうさぎはくすりについていろいろ教えてもらうことになった。
「まずは薬草を覚えることだ。」
師匠は古い本を取り出して、ひとつひとつ丁寧に教えてくれた。
「これは喉の炎症やむくみに効果がある。」
「あ、これ知ってます。虫さされにつける葉っぱ。」
「そうだよ。この草は踏まれても枯れない。むしろそれに耐えるために進化してきた。」
「生命力の強い草なんですね。」
「うむ、主に葉と種子を乾燥して使う。」
「この赤い実はなんですか?」
「これは老化防止だ。干した実をかゆなどにいれてもいい。」
「この根っこみたいなのは何に効くのです?」
「血行促進だね。血の巡りはどの生き物にも重要だ。」
「すりおろすのでしょうか。」
「薄く切って乾燥させて使うのだ。」
うさぎは食い入るように本をみている。
「外へでてみよう。実物をみせてやろう。」
師匠は竹かごを持って家の外へでた。
庭先からつづく小道にはいろんな草があるようだ。
「これはさっきの根っこですね。」
「なぜそう思う。」
「葉っぱが同じです。」
「これはスイセンだ。食べたら中毒になってしまうよ。」
「えっ!そうなのですか。」
「よく似ているものがあるからね。」
うさぎは耳の先までぷるぷるしている。
おじいさんに毒を盛るようなことがあってはとんでもない。
「葉っぱの形も違うが、わかりやすいのは手でちぎってみることだ。」
「あまりにおいがしませんね。」
「本物は独特のツンとしたにおいがある。」
「ああ、なるほど。それはわかりやすいです。」
「たとえばほら。このにおいはどうかね。」
差し出された葉っぱに近づこうとしたうさぎは思わず鼻をおさえた。
「き、きついにおいですね・・・。」
「独特なにおいだろう?」
「え、ええ。これがおくすりに?」
「体内の毒を出す薬草だ。十種類もの薬効がある。」
「それはすごいです。」
「効き目が強すぎるので薄めに煎じるか、風呂にいれてもいい。」
うさぎはあのにおいを思い出して、口がへのじになってしまった。
「なあに、干したらにおいはあらかた抜けるのだよ。」
「ああ、そうなんですね。」
師匠は薬草を少しづつ集めながら家の裏手へまわった。
そこには小さな小屋があっていくつもの鉢がならんでいる。
「この土地に自生しないものもあるからね。」
どうやら栽培している薬草のようだ。
「これは体の『風』を取り除く。」
見るからに珍しい草のようだ。
「少しわけてやろう。体力がついてから使うのだよ。」
「ありがとうございます!」
うさぎには師匠の気遣いが染み入るように感じた。
「どれも少量づつ使う。体力がないと負けてしまうからね。」
「増やすときの見極めができるでしょうか。」
「顔色をみて色つやがよかったり、目方が増えたら頃合いだろう。」
そこはおばあさんにも協力してもらおう。
「乾燥した薬草があるから、それを調合する練習をしてみよう。」
「はい。」
「調合が一番大事なのだ。じっくり覚えるのだよ。」
「わかりました。」
「採取は晴天の日の露が乾いてから昼までに行う。」
「なぜですか?」
「葉っぱに湿気があるとうまく乾かないからだ。」
「なるほど。」
「根っこや種・実などは栄養をじゅうぶん蓄えた秋ごろがよい。」
「葉っぱや花はその植物の季節でよいのですね。」
「そのとおり。どれも乾きやすい大きさにして乾燥させる。」
庵の母屋から少し離れた部屋に乾燥した薬草がたくさん置いてあった。
「どれも簡単に折ったり、砕けるくらいに乾かすのだよ。」
「はい。」
母屋に戻り、いよいよ調合を教えてもらうことになった。
「調合で最も重要なのは『証』という体質や状態の見極めだ。」
「体力があるかどうか、でしょうか。」
「冷えなども関係するので様子をよくみるといい。」
「わかりました。」
「次に『君臣佐使』を意識する。」
「初耳です。どういうことでしょうか。」
「君薬:主となる薬・臣薬:補助・佐薬:補強・使薬:調和のことだ。」
「難しいです・・・。」
「要は強い薬を多く使うのではなく、調和が一番大事ということだよ。」
うさぎはふと、村のみんなのことを思い出した。
ああ、調和というのは薬に限ったことではないのだな。
「そのほか使い道にあった方法で加工することも大事だよ。」
師匠はそういうと棚から道具をとりだした。
ひとつはすり鉢とすりこ木のようなものでなじみがある。
もうひとつは車のようなものだが、使い方すらまったくわからなかった。
「これは乳鉢。細かい粉末を作るので丸薬づくりにも活躍する。」
「煎じ薬以外も作れるのですね。」
それなら遠出するときにも持って行ってもらえる、とうさぎはうれしくなった。
「これは薬研といって種など硬い素材も細かくして吸収をよくする。」
「使いこなすのに時間がかかりそうですね。」
「少しづつ根気よくやればいいよ。」
うさぎは希望に胸をふくらませて大きくうなづいた。
うさぎはそれからというもの休む間も惜しんで薬を作ることを覚えた。
十日ほどたったころおばあさんから便りが届いた。
村のみんなの応援の言葉と、小さい樹の皮らしきものが入っている。
「これは桜だね。桜皮と言って炎症に効くからこれも使おう。」
「はい。」
遠くからみんなが応援してくれている。
おじいさんもとくに変わりなく過ごしてくれているようだ。
うさぎは師匠が驚くほど早くさまざまな技術を身につけていった。
おじいさん、もうすぐだから待っていて・・・。
二十日ほどたったころ、師匠が1冊の本をくれた。
「うさぎさんや、これをお前にやろう。」
「これは・・・いいのですか?手書きのお品なのでは?」
「教えられることはすべて教えた。これは迷った時の参考書だ。」
「では・・・。」
「うむ、免許皆伝だ。村に戻っておじいさんにくすりを作っておやり。」
「ありがとうございます!」
うさぎはもらった本をしっかり抱きしめた。
涙で景色がにじんでくる。
「よくがんばったね。誉めてやろう。」
師匠の目にも光るものが浮かんでいた。
二日ほどしてうさぎは師匠のもとを旅立った。
師匠は薬の素材や苗などをたくさん持たせてくれた。
当分は集めなくてもだいじょうぶだ。
「またいつでも来るがいい。」
師匠の慈しみ深いまなざしとやさしい手のぬくもりをうさぎはずっと忘れないだろう。
師匠の庵をあとにしたうさぎは休むこともなく駆け続けた。
少しでもはやくおじいさんへくすりを届けたかったのだ。
背中の荷物はずっしりと重かったが、それはそれで師匠の愛情を感じられて
ちっとも負担にならなかった。
こんなに走ったのはおばあさんのくすりをもらいに行った時以来だ。
あのときは山道だったのでずいぶん足が傷ついてしまったが、今回は普通の道である。
なによりおじいさんが元気になることの期待が大きくて、うさぎの胸は躍っていた。
「おじいさん、おばあさん、ただいま戻りました。」
うさぎが村へ着いたのはまだ日も高いうちだった。
「おお、よく無事で戻ってきてくれた。うさぎさんや、苦労をかけたね。」
おじいさんはあまり顔色がよくなかったが、うさぎを迎えるその目には喜びの光が満ちていた。
「ずいぶんと早く戻ったのだね。」
おばあさんがお湯を運んできてうさぎの足を洗ってくれた。
「また無理のしたのではないかね。」
おじいさんは心配そうだ。
「普通の道を走っただけですからたいしたことはありません。」
うさぎは荷ほどきをする間ももどかしく、そそくさとくすりを取り出した。
「これを試してみてください。最初は薄めにしてあります。」
「おお、これはありがたい。」
「大切にいただくよ。ありがとう。」
ふたりはたいそう喜んでうさぎに感謝した。
村のみんなも集まってきた。
おじいさんのことが心配なのはだれも同じだ。
うさぎがくすりの材料を仕分けしている間にみんなは手分けして手伝ってくれた。
おじいさんのくすりを作るためのちいさな小屋ができて、調合用の机や棚も置かれた。
「いつの間にこんな準備をしていたのですか?」
うさぎは驚いた。
「みんなもなにかのお役に立ちたかったんだよ。」
その後うさぎはおじいさんの様子をみながらくすりを作っていった。
日がたつにつれ、おじいさんの顔色はずいぶんよくなり、目に見えて元気になっていった。
日差しに夏の気配を感じるようになったころ、おばあさんがうさぎに言った。
「うさぎさんや、丸薬を多めに作ってもらえないだろうか。」
「はい。作れますよ。山へ行くときにもっていくのですか?」
「いいや、おじいさんはしばらく留守にすることになった。」
「えっ?」
ふたりはそれまでのことをウサギに教えてくれた。
おじいさんはもとは神官である。
ここからちょっと離れたあるおおきな社の神官だった。
そこの長はおじいさんの先輩なのだが、高齢でもあり交代することになったそうだ。
「あとを引き受けるものがまだ経験が浅いのだそうだ。」
おじいさんに補佐官として来てほしいと打診があったのだ。
うさぎの頭の中を、あのホタルブクロの光の行列がちらりとかすめた。
あのときのお手紙はもしかしたら・・・。
「はじめはお断りしようとしたのだよ。体のことがあったからな。」
すいぶん時間がたっているのはそういう理由だったのか。
「いまはお受けしても大丈夫なのですか?」
「うむ、あのときとはまるで違うようになった。それに。」
「それに?」
「うさぎさんが頑張っているのをみて、やってみようと思ったのだ。」
おじいさんはうさぎの手をとって、にこり、と笑った。
その小さい手はくすりの素材集めで汚れて荒れていたけれど、おじいさんは宝物のように自分の手に包んでくれた。
「とてもよいおくすりを作ってくれたのだね。」
おばあさんは夜空を照らす月の光のように輝く笑みを見せた。
ふたりのうれしそうな様子がうさぎにはいちばんのご褒美だった。
ほどなくしておじいさんは出発した。
お迎えの車に乗って任地へ向かうおじいさんは堂々としていて立派だった。
知らない土地でもないようだし、あれなら大丈夫だろう。
うさぎは薬草の栽培に精をだした。
おばあさんは少しさみしいのかもしれない。
月の明るい晩に縁側でひとりたたずんで空を見上げている姿がどことなくそう見えた。
しかしそう長いことでもない。
お勤めがおわればまた帰ってくるのだ。
そう思っていた矢先におじいさんから便りがきた。
「おくすりがなくなったのですか?」
「いや、そうではないようだね。」
たよりには近隣の村の付近で鬼が出現したことが書かれていた。
おばあさんはその先は言わなかった。
またなにか心配なことが起きているのだろうか・・・。
いまのうさぎにはおばあさんに寄りそうことしかできなかった。
庭先を水無月の風がわたる季節になっていた。




