30.もう…いいよ
「…レオン…」
ノーラの小さな声は、レオンにもはっきりと聞こえていた。
「………」
死が目前に迫っていたギリギリのところで助け出され、その現実感のなさに放心していたレオンは、ノーラと気まずい別れ方をしたのも相まってどう答えていいのかわからず、うまく返事ができなかった。
「………」
感情に身を任せて彼の前から去ってしまったことに負い目を感じていたノーラも、そんな彼の姿を見て押し黙ってしまう。
何とも言えない嫌な沈黙が出来上がってしまった。
その沈黙を破ったのは、レオンのことを心配して二人の側まで近寄ってきたアリアだった。
「…何で…戻ってきたの?」
アリアはムスッとした表情でノーラへ問い詰める。
彼女がパーティーを抜けて去っていく際、レオンへ殺気を向けたことが未だに許せないのだろう。
「…それは…」
普段はあまり表に感情を出さないノーラ。
だがそんな彼女も今回ばかりは自分に向けられた敵意に、しどろもどろになっていた。
「…あんなことして…今さら…元に戻れると…」
「…いや…いいんだ、アリア。」
自分のことのように怒るアリアを見て、少しばかり冷静さを取り戻したたレオンは、彼女の言葉を遮って喋りだす。
そんな彼に二人の注目が集まった。
「ノーラは別に…本気で俺を傷つけるつもりはなかったんだろ…?」
「…!」
ノーラの眉がピクリと動く。
「あの後ずっと考えてたんだ。もしノーラが本気だったら、エレナの時みたく問答無用で斬りかかってくるんじゃないかって。でも…ノーラ、お前はそうしなかった。」
「………」
「どれだけ怒っていても、心の奥底ではちゃんと俺のことを仲間だと認めてくれてたんだろ…?だってのに俺は…ノーラが苦しんでるのを知ってたのに…悪かったな…ノーラ。」
尻すぼみに小さくなっていく声でレオンが謝ると、ノーラから顔を背けて俯いた。
「………」
そして再び沈黙が生まれる。
「…ごめん…なさい…」
そんな中、唐突にノーラから謝罪の言葉が漏れ出てきた。
思わずレオンも顔を上げてノーラを見る。
「…あの時はもう…誰も味方がいないような気がして、全部がどうでもよくなった…でも…レオンはずっと…投げやりになった私の傍で寄り添おうと…私の味方をしようとしてくれてたんだって…私は独りじゃなかったって…」
「…ノーラ…」
「だから!…だから…もう一度あなたの…私をレオンのパーティーに入れてほしい…」
ノーラ自身、我儘なことを言っているという自覚はあった。
そして、自分が先に拒絶してしまった以上、もうレオンに受け入れてもらえないかもしれないという不安もあった。
けれども、バロンとの会話の中で気づいた自分の本心を、レオンに伝えずにはいられなかった。
それを不安なのか驚いているのか喜んでいるのか、複雑な表情で聞いていたレオン。
彼の心は既に決まっていた。
「…そうか…そうか!…どうだ、アリア?」
だが、これはレオンとノーラだけの問題ではない。
同じパーティーの仲間である以上、アリアにも伺いを立てる必要があった。
「…私だけじゃ…守れなかったから…仕方ない。」
腕を組みながら彼女はそう答える。
当然ながら思うことはあるのだが、ノーラの実力は買っているアリアは、渋々ながらも許可を出した。
「へへ…ありがとよ。…そういうことだ、ノーラ!これからまたよろしくな!」
紆余曲折あったが、ノーラが帰ってきたことにレオンは心の底から嬉しそうな顔を見せる。
「ふふ…よろしく…」
晴れ晴れとした空の下、ノーラも安堵したような笑みを浮かべていた。
目尻には薄っすらと涙が溜まっているようにも見える。
「…ありがと…アリア…」
「…別に。」
ノーラとアリアはそこまで仲が良くなかったのか、二人で喋っている場面がほとんどなかったので、レオンは珍しいものを見たような気分になった。
「…ノーラ。」
レオン達がノーラと和解して和やかな空気が流れる中、ノーラの後ろから彼女を呼ぶ声が聞こえた。
ノーラが振り返ると、そこには申し訳なさそうに、そして不安そうにしているエレナの姿があった。
「…エレナ…」
この場にはもう一つ解決するべき問題があったことを思い出すノーラ。
彼女の顔を見ていると、さっきまで幸福感で満たされていた心に、怒りや憎しみと言った感情が入り込んでくる。
けれども、今なら前回のようにはならないだろうという確信があった。
「…何…?」
その突き話すような言い方がエレナの胸に突き刺さる。
しかし、彼女もここで引くわけにはいかなかった。
「話が…あるの。」
覚悟を決めたようにエレナは言う。
話というのは恐らく、なぜノーラを裏切り後ろから襲ったのかについてだろうと、この場にいた全員に察しがついた。
「あの時ノーラを襲ったのは…上からの命令があったからよ。」
震えそうになる声を無理やり落ち着かせ、エレナがそう切り出す。
「…上…?」
「ええ…火竜討伐の依頼を受ける前、とある人に呼び出されてノーラを殺せと言われたわ。」
「………」
「もし言うことを聞かなければ、ウルト―にある孤児院を襲う…ともね。…この孤児院で育った私にとって、孤児院の子ども達は家族も同然の存在…逆らうことは…できなかった…」
エレナがノーラを襲ったのは、彼女の意志ではなく孤児院の子ども達を人質に取られてやむにやまれずということらしい。
それならばマクシムとアランという、当時仲間として共にいた他の二人にも同じような事情があったのだろうとノーラは結論付けた。
「…そんなこと…何で…今さら…」
人質を取って命令されていたというのなら、口止めもされていたのだろう。
実際、孤児院であった時のエレナがなかなか口を割らなかったのは、そういう理由があったからだ。
だが、ここにきて真実を話すというのはどういう心境の変化なのだろうと、ノーラは疑問に思ったことをそのまま口に出す。
「そうね…何で…かしらね…?」
その答えはエレナにもわからなかった。
「…私は今までずっと…あの時のことを後悔してた…自分の妹のように思ってたノーラを手にかけるなんて…どれだけ謝りたくともその相手はもういなくて…」
誰にも打ち明けられない悩みを一人で抱え続け、ここまで生きてきたエレナ。
彼女はきっと、このことを誰かに聞いてほしかったのだろう。
涙ながらに言葉を絞り出す彼女からは、その苦しみがありありと感じられた。
後悔に悲しみに、そんな感情に押しつぶされて力が入らなくなったのか、エレナは立っていることができずに思わず膝をつく。
「…ごめんね、ノーラ…私は…何も…グスッ…できなくて…」
「………」
「…ごめんね…」
嗚咽交じりに泣きながら謝るエレナを、ノーラはただただ黙って見つめていた。
アリアとレオンはそんな二人の間に口を挟むことはできなかった。
どれくらいの間そうしていたのだろう。
永遠に続くのではないかと思われたエレナの懺悔に終止符を打ったのは、ノーラの口から出てきた一言だった。
「…もう…いい…」
その言葉に孤児院での一軒を思い出し、エレナの心臓がトクリと跳ねる。
「もう…いいよ。」
だが、ノーラの声はあの時とは違って優し気なものだった。
何があっても受け入れる覚悟でいたエレナは、そんな優しい言葉に驚き顔を上げる。
すると、その頬にノーラのビンタが飛んできた。
ペチン!という音の後に、エレナの頬にヒリヒリとした痛みがやってくる。
彼女は何が起こったのかわからず、叩かれた頬を抑えながら呆然とノーラの顔を見た。
「エレナのしたことは、到底許せることじゃない…けど…今の私にはもう…いるから…だからこれで、おしまい。」
そう言い切ったノーラは、ビンタのために振り切った手を下げる。
過去にエレナ達がノーラにした仕打ちは、早々に許されるようなことではない。
しかしエレナの事情を知り、自らが犯した罪の重さに苦しんでいたことを知り、ノーラはこれ以上彼女を責める気にはなれなかった。
そんなノーラなりの優しさを理解したのか、エレナの目には止まっていたはずの涙が再びあふれ出てきた。
「…エレナ、一つだけ聞きたいことがある…」
少し時間が経って落ち着いたところで、ノーラがエレナへと声をかける。
その言葉の続きを促すように、エレナは泣き腫らして赤くなった顔をノーラへと向けた。
「あの時の事は、エレナ達が全部悪いわけじゃないのは分かった…じゃあ…私は…誰を恨めばいいの…?」
エレナは先程、とある人から命令を受けたと言っていた。
ノーラを殺そうとした黒幕というのはその人物で間違いないだろう。
それは誰なのかと、ノーラは真剣な表情でエレナに問うた。
「…ごめんなさい、ノーラ。私に命令を下した人は用心深くて、私達に姿を晒すことはなかったし、私達が教えられた名前も恐らく偽名だから、その正体は私にもわからないの…でも、独特の雰囲気を持っていたわ。うまく言えないけど…私達とは違うというか…何でも知ってるのに常識を知らないというか…」
しかし、その人物の正体はエレナにもわからなかった。
彼女は何とかして自分の知りうる限りの情報と、見た目や印象を伝えようとする。
「…偽名…何て名前だったの?」
偽名でも何か手がかりがあるかもしれないと、ノーラが尋ねた。
「ヨモツォーカミ。…そう名乗っていたわ。」
聞き慣れないその名前に心当たりはなく、目に見えて落胆するノーラの横で、レオンは目を瞑って何かを考えているようだった。




