25.もう、いい
ウルトーの孤児院で子ども達の面倒を見ながら、子ども達のために領主の館まで赴いて懸命に働くエレナ。
そんな彼女は、誰の目から見ても素晴らしい人物に映るだろう。
しかし世の中、どれだけ立派で素晴らしい人物であっても、犯した過ちの一つや二つあるものだ。
魔物から街を守った英雄が実は酒に溺れケンカに明け暮れていた路地裏の元悪童だったり、画期的な治癒魔法を生み出す過程で多くの犠牲者を出してしまった魔法使いだったり、特殊な性癖をこじらせて子どもに手を出してしまった名領主だったり、例を挙げればキリがない。
エレナもその例に漏れず、過去に取り返しのつかない大きな過ちを犯していた。
仲間であったエレオノーラを後ろから襲って見捨てるという過ちを。
「…」
「…」
まるで時間が止まってしまったかのように、ノーラとエレナは互いの顔を見つめ合ったまま微動だにしない。
「ま…まあ、なんだ。俺が言うことじゃないけど、立ち話も何だし一旦座ろうぜ。」
気まずいこの空気に耐えかねたレオンが、エレナへ椅子に腰かけるよう勧める。
そんな彼の言葉にハッとしたような表情を見せたエレナは、ノーラから視線を逸らしてレオンの方を向く。
「…すみません。ありがとうございます。」
息も苦しくなる程のプレッシャーから逃れられたことにエレナはほんの少しの安堵を覚えながら、テーブルを挟んでノーラの対面にある椅子へと座った。
ノーラも息を小さく吐いてエレナから視線を外す。
これでは恐らくまともに話が進まないなと、レオンはノーラとエレナの間に立つことにした。
「エレナ、だったな。俺は冒険者のレオンってんだ。そっちに座ってるのがアリアで…ノーラは…知り合いなんだったな。…アンタのことはノーラから聞いたよ。」
「…そうですか…」
エレナは俯きながらそう答える。
レオンの位置からだと、彼女の表情を窺うことはできない。
「俺は…ノーラを殺そうとしたアンタのことは許せねえ。ここに来るまでは、ノーラを酷い目に遭わせたのはどんな悪人なのかその面を拝んでやろうと思ってた。…だが、孤児院で楽しそうに笑う子ども達を見て、アンタは俺が想像してたよりも嫌な奴じゃないのかもしれないと考えを改めたよ。」
「…」
エレナからの返事はなかったが、レオンは気にせず話を続ける。
「そんなアンタが何の理由もなくノーラを後ろから襲うだなんて…」
突然、バンとテーブルと強く叩いてノーラが立ち上がった。
この場の注目が彼女へと集まる。
レオンも思わず話を途中で止めて彼女の方を向いた。
「…で…」
ノーラは小さく唇を動かして何かを呟いている。
よく見ると彼女の肩が小さく震えていた。
「…何で!…エレナはあの時…私を見捨てて…いや、マクシムとアランも…後ろから…何で…!」
『あの時あなた達は何で私を殺そうとしたの?』
ノーラが言いたかったのはたったこれだけのことなのに、感情が昂りすぎてうまく言葉がまとまらない。
頭に浮かんできた単語を吐き捨てるようにエレナへとぶつけた。
「………」
エレナは黙って俯いたままそれを聞いている。
彼女はノーラの要領を得ない断片的な言葉だけでも、何を言いたいのかはきっと理解できているのだろう。
「…ねえ…何で…!…答えてよ………答えてよ!エレナ!」
普段は出ないような大声でエレナへ問い詰めるノーラ。
彼女がここまで感情を露にするのは、レオンに自分が勇者だったと打ち明けて震えていた時以来だろうか。
感情的になったノーラにレオンは呆然としてしまい、口を挟むことができなかった。
すると、今まで黙って俯くだけだったエレナが、とうとう顔を上げてノーラと目を合わせる。
その瞳に浮かぶのは恐怖か諦めか、それとも自責の念か。
「…っ…」
彼女は口を開いて何かを言おうとしたがやめ、結局ノーラの質問に答えず口を閉じる。
そして、束の間の沈黙の後に再び口を開いた。
「…ごめん…なさい…」
彼女は消え入りそうな声で言うと、ノーラから目を逸らす。
それ以外の言葉がエレナから出てくることはなかった。
彼女はノーラの質問に答えるのをはっきりと拒絶したのだ。
それを理解した瞬間、ノーラの中で何かが切れた。
「…なら…もう、いい。」
つい数秒前まであった彼女の怒りや憎しみは影を潜め、何の感情のこもっていない不気味な声が木霊する。
ノーラは床に置いてあった剣を拾い、幽鬼のようにフラフラとした足取りでエレナの横まで移動すると、剣を鞘から引き抜いた。
投げ捨てた鞘がカランと乾いた音を立てて地面に落ちる。
「っ!待て、ノーラ!それは…!」
さすがにまずいと思ったレオンは慌ててノーラの腕を掴む。
けれども、レオン程度の力では彼女は止まらない。
「…!…だめ。」
アリアも魔鋼糸をノーラの腕に巻きつけて剣を振らせまいと試みるが止まらない。
腕に絡む魔鋼糸など気にせず強引に剣を振り上げる。
冒険者二人がかりでも止まらない、それほどまでに元勇者と二人の力は隔絶していた。
「…っ!これだけは使いたくなかったが…」
レオンは咄嗟にノーラの首元へ手をかざす。
ノーラはレオンが奴隷商から買った奴隷だ。
普段レオンは彼女のことを仲間として扱っているので忘れそうになるが、ノーラの首には奴隷の首輪がはめられている。
この首輪は奴隷の逃亡や反逆を防止するためのもので、魔力を込めると奴隷の動きを封じることができる。
レオンが首輪へ魔力を流し込むと、一瞬ノーラの動きが鈍くなった。
ようやく彼女を止めることができるとレオンが安堵したのも束の間。
「…っ!こんなもの…!」
ノーラは剣を持っていない方の手を首元まで持っていくと、無理やり首輪を引きちぎった。
「なっ…!」
首輪による拘束を逃れ、振り上げた剣を握る手に再び力を籠める。
そのままエレナへと向かって振り下ろされる剣を、レオンはただただ黙って見ていることしかできなかった。
この剣が振り下ろされれば、ノーラはかつての仲間を殺してしまう。
そうなれば彼女は、そして自分達はどうなってしまうのだろうか?
人殺しの罪人としてもう仲間ではいられなくなるのか、それとも彼女と共に人目を避けて隠れながら生きることになるのか?
それよりも、かつての仲間を自らの手で殺めてしまったという事実に、ノーラの心は耐えられるのだろうか?
無慈悲に振り下ろされる刃を眺めながら、そんな考えがレオンの頭の中をグルグルと駆け巡った。
突如、応接室の扉が大きな音を立てて開く。
「やめろ!」
甲高い少年の声がこの場に響き渡る。
すると、エレナの首筋まで迫っていたノーラの剣がピタリと止まった。
ノーラ以外の者は皆、何事かと扉の方を見る。
そこには十歳くらいの少年―――ブリッツの姿があった。
「…ブリッツ…?」
エレナが突然現れたブリッツの姿に驚いていると、ブリッツは彼女の下へ駆け寄って、ノーラとエレナの間に割って入った。
「やめろよ、お前ら!エレナ姉ちゃんから離れろ!」
エレナの首筋に添えられた剣をどうにかしようと、ブリッツは手に傷がつくのも厭わず剣身を押す。
レオンよりも遥かに弱いその力に、ノーラはなぜか抵抗できずに剣を下ろした。
「ダメよ!ブリッツ!あっちに行ってなさい!」
「お前らなんか嫌いだ!どっか行け!」
膝をガクガクと震わせながら虚勢を張るブリッツ。
「お願い、ノーラ!この子は関係ないから…巻き込まないで…お願い…!」
そのブリッツを抱き寄せながら泣きそうな顔で懇願するエリス。
「…」
ノーラの腕に巻き付いていた魔鋼糸を解き、自分の仕事は終わったと言わんばかりに傍観を決め込むアリア。
ノーラがエレナに剣を向けたのはそれなりの事情があってのことだ。
だというのにこの周りの反応は、まるで自分だけが悪者になってしまったかのようだとノーラは感じた。
「何で…エレナにはいるのに…私には…」
エレナには彼女のことを想い、身を挺して守ろうとする存在がいる。
けれどもノーラが仲間に襲われた時は、彼女のことを守ろうとしてくれる人がいなかった。
その事実に、ノーラは胸が締め付けられるような苦しさと孤独感を覚える。
「ま…まあ…その…どうだ…?ちょっとは落ち着いたか?」
そんな中、ノーラの肩に軽く手をポンと置くレオン。
「…」
ノーラはそれを無視して、床に落ちていた鞘を拾って剣を収めた。
「…ノーラ…」
「………」
ノーラからの返事はない。
彼女はレオンのことを一切見向きもせず真っすぐ扉の前まで速足で移動し、そのまま部屋を出ていった。
「あ、おい!待てって!ノーラ!」
慌ててレオンも彼女の背を追う。
「…それじゃあ。」
「え…?」
アリアはその様子を呆然と眺めていたエレナに一声かけると、二人の後を追っていった。
「何やら大きな音がしたので来たのですが…大丈夫ですか?」
廊下でレオンを見かけたイメルダは心配そうな顔でそう尋ねる。
「え?あ…ああ。たぶん大丈夫…っと、すまねえ。」
レオンはすれ違いざまにそう告げると、ノーラを追って孤児院の外へ出る。
「ノーラ!」
再三のレオンの呼びかけに、ようやくノーラが足を止めた。
「なあ、ノーラ。お前の気持ちはわからなくもねえが…何も斬りかかることはないだろ。一体どうしちまったんだ…?」
事情を知っているレオンの発言にノーラを責める意図はなく、むしろ彼女のことを気遣ったつもりの発言だった。
けれども、感情が昂りぐちゃぐちゃになってしまったノーラの思考では、その言葉を意図通りに受け取ることができなかった。
「…レオンは…誰の味方なの…?」
ノーラはレオンと目を合わせずにそう言った。
「俺はノーラの…」
「なら何で!…何で私の邪魔をするの…!」
レオンの返事を途中で遮ってノーラが怒鳴る。
「何でって…そりゃあエレナを殺したらノーラが罪人になっちまうしそれに…」
「そんなことで…私の邪魔をしないで!」
ノーラには、レオンの言い分が正しいことは理解できていたし、自分が理不尽な発言をしていることも理解していた。
だが、彼女の口は止まらなかった。
「…もう…いい…さよなら…」
ノーラが呟くと、彼女はレオンに背を向けてこの場を去ろうとする。
「お…おい待てよ!ノー…!」
その名を呼ぼうとした瞬間、ノーラが一瞬だけレオンの方を振り返り、今まで生きてきた中で受けたことがないような殺気をその身に感じた。
それと同時に、後ろから飛んできた糸に彼の体はグルグル巻きにされ、後方へと引っ張られる。
「…さよなら。」
いつの間にかレオンの真後ろに立っていたアリアがノーラに向かって言う。
「………」
ノーラは何も答えなかった。
彼女はとうとうレオンと目を合わせることなく再び彼に背を向け、どこかへと走り去ってしまった。
「ま…待て!…アリア!何でこんなことを…」
レオンはなぜ自分を止めたのかとアリアへ問う。
「…あのままだと…レオンがケガしてた…」
彼女の頬には冷や汗が垂れていた。
どうやらそれ程までにノーラは本気だったらしい。
「…ノーラ…」
レオンはだんだんと小さくなって見えなくなってしまったノーラの背中を、ただただ眺めていることしかできなかった。




